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家族のこと

 私の家族は、私立中・高の英語の教師をしている妻と小学一年生の娘。保育園のときには、朝の送りはできるだけ私がやっていました。自転車にのせて、話をしながらの貴重なふれあいのひと時。子どもたちや保母さんの活気あふれる保育園の朝も大好きでした。当選後、早速、「国会に保育室を作る議員連盟」に加わりました。

 当選直後の臨時国会のとき、家族も上京。初めて見る国会議事堂に娘も「大きいなあ」とびっくりしていました。党の議員団控え室まで連れて行くと、「こんな小さい子がここまできたのははじめてちゃうか」と西山参院議員もびっくり。娘も大勢の国会議員に囲まれて緊張気味でした。

 国会が始まると、月曜の朝から金曜の夜まで東京。土日も出張が入り、ゆっくり家にいることはほとんどありません。日曜の夜に娘が、「今度はいつ帰ってくるの」と聞きます。「そんなこと言ってくれるのは今のうち。いずれ、親父なんて見向きもしなくなるよ」となぐさめてくれる人? もいますが、父親が必要なときはそばにいてやりたいものです。

 臨時国会が終わって一日だけ休みをもらい家族とともにディズニーランドへ。クリスマス前の土曜日で大変な人でしたが、パレードやショーを見るために娘に肩車をしてやったり、久しぶりに一日中、父親らしいことをしてやれました。



日韓国会議員親善サッカー

 第 4 回「日韓国会議員親善蹴球大会」に 11 月 17 日、穀田恵二衆院議員、畑野君枝参院議員と一緒に出場しました。日韓共催の 2002 年サッカー・ワールドカップを盛り上げようと開かれたもので、事前にセルジオ越後氏のコーチを受けて国立競技場での練習もありました。日本代表と同じユニホームを着て国立競技場でサッカーができるだけでもラッキーでした。

 大会は、W杯会場の一つである大分市のビッグアイで開かれ、日韓から超党派で約 70 人の国会議員が参加。私と穀田さんは、ディフェンダーやフォワードで出場し、穀田議員はゴールキーパーもつとめました。小・中時代に夢中になったサッカーを体が覚えていて、はげしい当たりの韓国のメンバーをかわして、決定的チャンスをつくり出す…はずでしたが、イメージと体の動きは大違い。思うように動かぬ体をはげましながら走り回りました。

 残念ながら、試合は三対二で韓国が勝ち、通算成績は韓国の三勝一敗となりました。試合後の歓迎夕食会で韓国の国会議員と交流。同い年の韓国千年民主党の国会議員は、私が出した日本共産党の名刺を見て、「韓国では北の存在もあり、共産党には抵抗がある人が多い。日本共産党の国会議員は何人いるのか」「自由と平等のどちらを重視しているのか」などと質問ぜめ。いっそう理解と交流を広げることができる可能性を実感しました。



赤旗祭りで金田喜稔さんと

 東京夢の島公園で開かれた赤旗まつりで 11 月 3 日、少年サッカー教室のコーチをしてくれた元サッカー日本代表で解説者の金田喜稔氏とツーショット。金田氏は広島出身で私より一歳年上。広島はサッカーが盛んな町で、私も小学校からサッカーをやっていました。同い年には、やはり元全日本代表の木村和司氏もいます。

 もっとも私がサッカー部に所属したのは中学まで。高校ではなぜか応援団長になりました。私の母校、広島国泰寺高校はいつも県大会の決勝戦で金田氏や木村氏を擁する広島県立工業高校に1対0で負けて、全国大会出場を逃していました。

 赤旗まつりの会場で教室を終えた金田氏としばし懇談。「広島弁のサッカー解説をいつも楽しみにしています」「高校時代は応援団長で、いつも悔しい思いをしていました」「小学生か中学生の時代に、一度ぐらいは試合したことがあるかもしれないですね」と、広島での思い出話に花が咲きました。



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