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2004 年 5 月 18 日

法務委員会
裁判員法案・刑事訴訟法一部改正案
(第3回目の質問・1)

  • 「証拠の目的外使用の禁止」条項について質問し、「公判審理のためなら禁止されるものではない」との答弁を引き出す。また、証拠開示について前進面が生かされる運用を求めた。

井上哲士君

 日本共産党の井上哲士です。

 今日は、公述人の皆さん、本当にありがとうございます。

 裁判員制度の何と言っても意義は、国民の皆さんの当たり前の常識を司法に反映をすることでありますが、それを審議をする私たちが国会の中に閉じこもっていていいんだろうか、参考人質疑も国会にお呼びするような形でいいんだろうかということがありまして、こうやって仙台と大阪で直接出向いてお話を聞く機会を持ちました。大変、本当に参考になる御意見をいただいて、今後の審議に生かしたいと思っております。

 特に、日本の刑事司法を考える上で松山事件というのは避けて通れない問題でありますけれども、その現地で、そして関係された方のお話もお聞きできたということは大変意義深いことかと思うんです。

 そこで、まず佐藤公述人に証拠開示の問題でお聞きをいたします。

 天野公述人から、この松山事件における証拠の開示の経過を挙げられまして全面開示が必要だというお話がありました。私ども、検察の手持ち証拠の全面開示を繰り返し求めているんですが、なかなか固いというのが今の政府の状況です。そういう中で、今度の法案で証拠開示の一定の範囲が広がるということになるわけでありますが、果たしてどのような運用がされるかなどいろんな疑問もあります。

 そこで、あの松山事件当時に今回の法案のような証拠開示になっていたら、例えばあの諏訪メモがきちっと出てきたんだろうかどうかという辺りをどのようにお考えか。もし、そしてそこに疑問があるとすれば、どういう法の手当て、また運用上の手当てが必要とお考えか。それをまずお願いいたします。

公述人(佐藤正明君)

 私は松山事件で、先ほどずっと申しましたように、いわゆる最高裁判所の白鳥決定というのがありまして、法制度としてもし証拠開示の制度があったならば、というのは昭和三十年代、つまり第一審の判決から証拠開示というのがなされていたのであれば、議論は全く違った方向に行ったというふうに思います。

 これは一応、青木弁護士も恐らくそう言うと思うんですが、彼は主任でずっとやってきて私はお手伝いをした立場なんですが、斎藤幸夫さんというのは高飛びをしたというふうに言われているんですよね。ところが、開示された証拠の中を見ますと、本人は東京に行っていて、ここに住んでいますよと手紙を家族にやるんです。そういう証拠が出てくるんですね。しかも、同級生だったか、また先生だったか、汽車で上京するときにちゃんと見送りしているという証拠が出てくるんですよ。これはもう高飛び説は全く崩れちゃうんですよね。そうすると、当時それが出てきたのであれば、もう証拠開示の影響なんというのは言うまでもなく、しかも自白というのが取られているんですけれども、その中の例えば堤でシャツを洗いましたというふうになるんですけれども、あんな寒い中で堤で洗えるのかという疑問がなったときに、いや、そこにはそういうものがあって、堤が、上の、堤としてちゃんとした堤があってこういう管理をしていたんだという、いろんな証拠が出てくるわけですよね。

 それではもう、裁判というのはそれでもう全くがらっと変わってしまうというのが私の経験なんですね。この経験からすると、今の開示証拠というのを、あるいは裁判員という関係で事前にいろんな証拠を開示する、お互いに見るということになっているんですが、制限され過ぎていると私は思います。全面証拠開示というのがやっぱり必要だというのは、何を検察官、警察官恐れるかというふうに私は逆に言いたいんですよね。やっぱりきちんとした、先ほど先生からもありましたように、あらゆる証拠を開示して、プライバシーだとかそれを侵害するようなことは当然いけないと思いますけれども、一定の合理的な制限外においては、犯罪の立証を尽くしますという側が公益の代表者として選ばれているわけですから、やっぱり全面証拠開示というのも必要だと。今のところは制限が多過ぎるというふうに私は思います。

 それから、開示された証拠の目的外使用という問題はあるんですけれども、私の経験からすると、松山でも松川でも、ほかの再審事件でも同じだと思いますけれども、やっぱりみんなとこの事件をどう考えていくかということで証拠を検討し合うという、そういうことは国民の目線で事件を見るということで必要ですから、裁判の記録というのは広くやはり国民と一緒に見れるように、少なくとも取調べ済みの証拠についてはよく見れるような制度、それについて罰則を科するというようなことはもう被疑者、被告人の方の権利制限と私自身は思います。

井上哲士君

 同じく松山事件にかかわられた天野参考人にお聞きをしますが、公述の中で裁判所の体質を変える必要があるということを言われました。いろんな報道などを通じてこういう事件にかかわられる中で、変えるべきその体質の中身ですね、具体的な体験などございましたら併せてお願いをいたしたいと思います。

公述人(天野清子君)

 裁判官も人間ですから、やはり様々な思惑があってずっと勤めていくんだろうと思います。そんな中でやはり──ちょっと済みません、もう一度何を聞かれたか……。

井上哲士君

 裁判所の体質を変えなくちゃいけないと言われましたけれども、その変えるべき体質とは何か。

公述人(天野清子君)

 体質、そうですね。はい、分かりました。

 そのときの裁判官の評価なんですけれども、裁判員制度が導入されますと、やはりその目線に立って一生懸命考えて、裁判官ではない市民感覚から出てきた疑問を大切にし、そしてそれについてじっくりと自分もその目線まで下りて考えてみるというような裁判官を育ててほしいのですが、今のままですと、松山事件に見られましたように、二十数人の裁判官はその裁判、法廷に出てきた証拠だけで判断をするのでございます。そうしますと、本当に人間的でない、人間的でないんですね。

 裁判所の体質がやはり一般の市民と同じようになるために、ならないと、そういう二十数人もの裁判官を育ててきてしまっているのが今までの裁判制度でございますので、これは改めていただきたいと思うわけです。

井上哲士君

 ありがとうございました。

 次に、遠藤参考人に、いわゆる裁判員の守秘義務との関係でお尋ねをいたします。

 県の情報公開審査会の審議委員をされているわけでありますが、守秘義務の問題で国会で議論しておりますと、もちろんプライバシーや名誉を守ることは必要ですが、その審議の経過などが外に出ると裁判への信頼性が崩れてしまうという議論が大変あるわけですね。ただ、今行政でいいましても、むしろその経過を明らかにする、透明性にすることこその方が行政への信頼性を高めるということではないかと思うんです。

 その点で、守秘義務で、むしろ経過などがしゃべれることと裁判の信頼性ということについてどうお考えか、お願いします。

公述人(遠藤香枝子君)

 私どもにも罰則は科せられているんですが、一般市民が裁判員にいつなるか分からないというところに守秘義務の難しさ、それで今おっしゃられたように両サイドからのジレンマがあると思います。

 確かに、漏らされてはきちんとした裁判ができないのではないか。しかし、守秘義務を重んずる余り、裁判員になることを拒んだり裁判員として本人が萎縮してしまうというようなことも懸念されますので、非常に私はこのことでジレンマに陥る、私自身がジレンマに陥っていますが、先ほども申し上げましたとおり、やっぱり良識的な人間としてこれを漏らしてはいけないというような範囲があると思うんです。それをやっぱり理解してもらうように、広く国民の人たちに理解してもらうしか方法はないのかなと思いますし、また、マスコミなども興味本位に裁判員であった人からいろいろなことを聞き出して報道したり、そういうことが真摯な立場ではなくて興味本位であったりしますと、やっぱり人間ですので、裁判員になった人も、これは言っちゃいけないんだよと思いつつも、何か誘導尋問に掛かるようになってしまったりすると思うんですね。

 ですから、やっぱり裁判という、神聖な立場で裁判員として加わるわけですから、その辺のところの、良識と言ってしまっては非常に問題なんですが、言ってはならないこと、それから終わった後までも家族の中にその経験談を話すということも非常に苦痛な負担になろうかと思いますので、その辺の具体的にこういうことはいけないんだよというようなことを一般市民に分かるような説明といいますか、が必要であろうかと思います。

 うまく返答できたかどうか分かりませんが、以上でございます。

井上哲士君

 ありがとうございました。

 次に、田岡参考人にお聞きをします。

 司法過疎の中で本当に奮闘されている姿を大変頼もしくお聞きをいたしました。私も吉田山のふもとでかつて学んだものですから、そういう意味でも大変頼もしくお話を聞きました。

 司法ネットができましたときに、こうした司法過疎を対策する上でのそういう意味では受皿、枠はできると思うんですが、日弁連のこの公設事務所の一覧見ましても、枠はあっても弁護士がいないというのがまだあるわけですね。結局は、そこでやる弁護士をどう確保していくかということが一番大きな問題になってこようかと思うんですね。

 いろんな財政上の問題とか手当てがされていくわけでありますけれども、今度司法ネットができたときに、そうした弁護士の確保という観点でどこが前進したか、そして何がまだ足りないか、その辺はいかがお考えでしょうか。

公述人(田岡直博君)

 正にそこのところを私も一番関心を持っているところでございます。

 ちょうど先週の土曜日、ついおとといですけれども、日本弁護士連合会の方の主催で司法修習生を対象にした公設事務所のシンポジウムがございました。そこにセンターの方の説明ブースというのもありましたけれども、そこに来ていた修習生が百四十人ぐらいいたと思います。要するに、今一年間に千人、司法修習に入るわけですけれども、そのうちの百四十人ぐらいは何らかの形で過疎地で働きたい、あるいはそういうことを考えているということだと思うんです。

 何を彼らが求めているか、私も同じ立場なんですけれども、といいますと、やはり同じ弁護士として仕事をするのであれば、やりがいを持って必要とされている地域で働きたいと、そういう志を持った人というのはたくさんいるんです。

 ただ、どうしてまだこれだけ、三十しか公設事務所が埋まっていないかというと、それには一つには受皿の問題。受皿というのは、地方の受皿ではなくて、まず東京の方でやはり基礎的な修行、研修を受ける機関とかあるいは経験を積む機関というのが恐らく必要なんだろうと。

 この表を見ていただいても分かりますけれども、最近は若い五十二期、三期、四期、五期といった、ここ数年のうちに弁護士になられた方がどんどん出ていっていますけれども、やはりいきなり地方に行けというのは一人で仕事をする上で不安がある。そういう意味で、東京できちんとした研修を受けた上でそこから派遣されるということであれば行っても構わない、そういう人はたくさんいまして、実際この一年間で十人ほどが派遣されているわけです。そういう意味では、司法センターにおいても、まずはそういった新人の弁護士をきちんと研修して一人で不安なく仕事できるようにすれば、また生活の面での不安もないようになれば、そこで働きたいという人はもう幾らでもいると思うんです。

 もう一つの問題は、公設事務所と違って、司法センターの場合はその仕事自体の魅力というものをやはりこれから作っていかなきゃいけないんだろうと思うんです。

 公設事務所は言ってみればベンチャービジネスのようなものですから、自営業者ですので、自分の好きなようにやってみて、失敗したら失敗したで日弁連が最終的には財政上の責任取りますよと、そういう制度になっているわけですから、やる気のある人であればどんどんチャレンジしようと、そういうふうな気持ちになります。ところが、司法センターの場合はまだ、取扱業務の場合も恐らくある程度法定されてしまいますし、待遇面、要するに具体的に収入が幾らぐらいになるのかというところも判事補と同程度というような話も流れておりまして明らかでありませんけれども、それで十分かというふうな疑問があるところではございます。

 というのは、判事補ということであれば後々裁判官として出世して、言ってみれば少しずつ給料が上がっていくという制度になっているんでしょうけれども、弁護士であれば、やはりそこに何年かいた後はまた弁護士に戻る、一時的なポストとして考えることが多いんだろうと思いますから、そうするとその期間の待遇として判事補と同程度というのでは恐らく魅力を感じないのではないかな。私の周りでも、実際、公設事務所に行く人間が司法センターの方に行かないかと言われて一番ちゅうちょするのは、その待遇面の問題と、仕事自体が法定されていてどこまでやれるか分からない、随分制限されているようだと、こういうあれでは手足縛られて、待遇も十分でないからちょっと魅力を感じないねと、そういうふうな話になると思うんです。

 ですから、いかに魅力ある制度にしていくか。アメリカのパブリックローヤーのように、そこに行ったことがある程度のキャリアとして評価されたり、あるいはそこで十分なスキルアップが図れると、そういうようなことがあれば、自己実現の場所としても弁護士の側からとっても非常に魅力的な制度になるんではないかなというふうに考えております。

井上哲士君

 ありがとうございました。

 終わります。


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