集団的自衛権というのを狭義にとらえるか広義にとらえるかということによりますし、また、集団的自衛権そのものの根拠である同盟条約というんですか、同盟条約の在り方にもよると思いますので、一つの原理原則ですべての過去の事例を解釈するというのはなかなか難しいんだろうと思います。
アメリカのベトナム戦争というのは、ベトナムとどのような同盟条約の文書になっていたかということを少し思い出してみるんですが、さっと頭に出てこないのですが、北大西洋条約のように、いずれか一方に対する武力攻撃をすべての条約の加盟国に対する攻撃とみなすということによって集団防衛を規定しているような条約だとは必ずしも理解しませんので、実際には、国際社会の中で集団的自衛権の行使というのは、そのときに国として自衛権、広い意味での自衛権をどのように考えるかということによって運用されてきたのではないかと思います。
先ほどアフガニスタンの作戦についての自衛権行使の説明を申し上げたんですが、私の記憶するところがもし正しいとすれば、九・一一事件の直後、アメリカの中に、日本はあの九・一一事件の中に日本人の犠牲があったので、日本も個別自衛権を行使してアメリカと共同歩調が取れるのではないかという議論をアメリカの中でしていた人がいたことを思い出すと、アメリカの自衛権というものの考え方は相当我々とは違うということではないかと思います。
また、集団的自衛権というのは、必ずしも同盟条約がなければ集団的自衛権を行使できないということでは必ずしも私はないと思います。
例えば、アジアの中で、例は良くないのですが、多数国が例えば国家かどうか分からない主体である、例えば大規模な組織された海賊にいつも襲われるというときに、これを防止するために多国籍の海軍が出て共同活動をすることによってこの海賊に対応するというとき、この共同活動に参加し必要があれば武力行使をするという場合も、広い意味で、例えばある国が他の国、すべての国から海軍を出してくれと要請されてこれに応じた場合、公海上でそのような活動をするのを国際法上は集団的自衛権の行使と言えるんだろうと思います。つまり、同盟条約とは限らないということだと思います。
そういう意味で、日本がこれから考えるべきことは、先ほど冒頭申し上げたように、アジアの中でというか、地域の中で同盟条約、同盟関係にあるとは限らない国の正式な要請を受けて活動する場合も集団的自衛権の行使に当たるということがあり、そのようなケースは将来あり得るかもしれない。
もう一つは、集団的自衛権の行使というより、むしろ日本が憲法の枠の中で制約を受けているのは武力行使に当たる活動であって、例えば、先ほど申し上げたように、イラクの中で自衛隊が行う武器の使用や武力の行使が現在の憲法の中で制約を受けていることは御承知のとおりでありますが、これは何もアメリカという同盟国と共同活動するための集団的自衛権行使ではなく、そもそも憲法解釈上、日本が領域外において武力行使に当たる行為を今の憲法は有権解釈として認めていないということによって制約要件を受けているわけであって、これは別に日米活動をやるために制約を受けているのではないということを考えてみる必要があるんだろうと思います。
その意味において、冒頭申し上げたように、集団的自衛権という問題よりもむしろもっと根本的な問題は、領域外における武力行使というものを日本の憲法は認めていないということに係る問題の方がむしろこれからの日本の海外活動、対外活動の大きな制約要因になるのではないかと考えられます。
以上でございます。