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2004 年 2 月 25 日

憲法調査会
「憲法と集団安全保障・集団的自衛権・日米安保」について参考人質疑


【参考人質疑】

井上哲士君

 日本共産党の井上哲士です。

 今日は三人の参考人の皆さん、貴重なお話をありがとうございます。

 まず、豊下参考人と本間参考人に、国連憲章の基本的な理念と集団的自衛権についてお伺いをします。

 集団安全保障というこの基本理念の大本には、かつての個別的安全保障の中心にある軍事同盟による勢力均衡という考えが、この世界大戦を回避できなかったという反省があると思います。そういう中でこの集団安全保障へと発展をさしてきたわけですが、この国連憲章が成立する過程で、しかし先ほど来のお話にもありましたように、この古い勢力均衡の考えに固執をする米ソ等の動きがあって、本来の理念と矛盾をする集団的自衛権が取り入れられてきたというふうに思うんですね。

 そうしますと、今この米ソ対立というのがなくなった新しい国際情勢の下で、この国連の集団的安全保障というのを真に機能させることができる、そういう可能性、情勢というものがあろうかと思うんですが、そういう中でこの集団的自衛権の行使への道を日本が歩むということは、むしろ大きなこういう流れに反するのではないかと私は思うんですが、その点について豊下参考人、本間参考人からそれぞれお願いをいたします。

参考人(豊下楢彦君)

 先ほどの繰り返しになって恐縮ですけれども、集団的自衛権に関する日本政府の解釈は、密接な関係にある国との間ということになっておりまして、国際法学者の多数もそういう説を取っております。そうしますと、日本の場合に密接な関係にあるというのは、どうしてもアメリカということになります。そうしますと、今、先ほど申しましたように、国家としてアメリカに対して武力攻撃を掛ける、そのような国家というものは恐らく存在しない。もしあったら挙げてもらいたいわけですけれども。したがって、そこのリアリティーがないわけでありますから、密接な関係にある相手がアメリカである以上、実は集団的自衛権というものを論じる前提がないんだというこの点がどうも一般の議論の中で欠けているわけであって、したがって、何といいますか、先ほど申しましたように、現実にあるのはアメリカの予防戦争ではないかと。

 私は、森本参考人おっしゃいますように、何もアメリカを批判していればいいという話ではなくて、むしろアメリカの中のそういう、何といいますか、国際協調派と同じようにやっていけるような、そういう議論の組立て方を日本もやっていく必要があるというふうには思いますけれども、集団的自衛権に関する限りは、先ほどから申しましたように、アメリカの自衛権概念がすっかりもう五十一条と離れてしまっている、そこに非常に大きな危険性があるんじゃないかというふうに感じます。

参考人(本間浩君)

 まず、集団的自衛権とそれから集団的安全保障の問題から整理しておきたいと思いますけれども、国連憲章の二条四項ということがこれまでの議論で余り取り上げられてきていなかったと思いますけれども、二条四項というのは、武力行使の一般的かつ原則的な禁止という、これが国連憲章の大原則になっているわけです。その考え方を追求していきますと、同盟ということもこれは本来否定されるべきである、こういうことになると思います。

 集団的安全保障というのは、国際社会において武力を行使するということをすべて国連のコントロールの下に置くという、こういう考え方であります。ところが、現実にはこの国連憲章そのものが矛盾を抱えていると思います。国連が集団安全保障ということで現実にその方式を打ち立てるためには、国連軍を創設しなければいけない。その国連軍というのが、実は各国の軍隊の提供によって成立する。そうすると、各国が軍隊を効率的に動かしていくためには、一種の同盟関係のようなものを設定しておく方が軍事的には効率的であるというふうに判断される場合もあるということになってくる。そういう矛盾を含んでいるわけですが、それは論理的な矛盾であって、現実には、先ほど申し上げましたように、米ソを中心とする同盟条約をたくさん抱えているそういう国々が国連の集団安全保障方式を制約するようなそういう原則を何とか国連憲章の中に持ち込もうとして、そこにできたのがこの集団的自衛権という考え方であったということです。

 ですから、この集団的自衛権ということについては国際的に慎重にその行使の在り方ということを考えていかなければいけないわけですが、その中にあって、アメリカは、この国連憲章に定められた自衛権、個別的自衛権も集団的自衛権も含めて、これは本来アメリカが考えているようないわゆる自己保存権的なそういう非常に拡大された自衛権、それを国連憲章はもう一度再確認したにすぎない。そこで、武力攻撃が発生したときということが出てくるけれども、これは一つの例示であって、武力攻撃が発生したとき以外の場合であっても自衛権を行使できるんだというのが、これがアメリカの解釈であります。こういう解釈は、主としてアメリカの国際法学者の間では支持されておりますけれども、ヨーロッパ諸国の中では必ずしも支持されていない、こういうふうに見ることができると思います。

 こういうふうに、集団的自衛権というのは国連憲章そのものからしてクエスチョンマークが付くところはいろいろあるということを考えますと、これを日本の対外政策の基本に据えて、それを原則としていろいろな問題を考えていくということについては慎重な態度が必要とされると思います。

 以上です。

井上哲士君

 ありがとうございました。

 次に、集団的自衛権の濫用の歴史について、豊下参考人と森本参考人にお伺いをします。

 あの九・一一のときに NATO の各国が集団的自衛権を発動したということもありましたが、それまでの歴史を見ますと、これを発動しましたのはソ連、アメリカ、イギリスの三国だけ。中身的には、代表例でいいますと、ソ連のアフガンへの軍事介入であり、アメリカのベトナム戦争であったということがありまして、やはり戦後の歴史を見ますと、集団的自衛権が、実際には、発動されたときには軍事介入であったり内政干渉の口実にされてきたと思うんですが、こういう濫用の実態についてはどのようにお考えか、お願いをいたします。

参考人(森本敏君)

 集団的自衛権というのを狭義にとらえるか広義にとらえるかということによりますし、また、集団的自衛権そのものの根拠である同盟条約というんですか、同盟条約の在り方にもよると思いますので、一つの原理原則ですべての過去の事例を解釈するというのはなかなか難しいんだろうと思います。

 アメリカのベトナム戦争というのは、ベトナムとどのような同盟条約の文書になっていたかということを少し思い出してみるんですが、さっと頭に出てこないのですが、北大西洋条約のように、いずれか一方に対する武力攻撃をすべての条約の加盟国に対する攻撃とみなすということによって集団防衛を規定しているような条約だとは必ずしも理解しませんので、実際には、国際社会の中で集団的自衛権の行使というのは、そのときに国として自衛権、広い意味での自衛権をどのように考えるかということによって運用されてきたのではないかと思います。

 先ほどアフガニスタンの作戦についての自衛権行使の説明を申し上げたんですが、私の記憶するところがもし正しいとすれば、九・一一事件の直後、アメリカの中に、日本はあの九・一一事件の中に日本人の犠牲があったので、日本も個別自衛権を行使してアメリカと共同歩調が取れるのではないかという議論をアメリカの中でしていた人がいたことを思い出すと、アメリカの自衛権というものの考え方は相当我々とは違うということではないかと思います。

 また、集団的自衛権というのは、必ずしも同盟条約がなければ集団的自衛権を行使できないということでは必ずしも私はないと思います。

 例えば、アジアの中で、例は良くないのですが、多数国が例えば国家かどうか分からない主体である、例えば大規模な組織された海賊にいつも襲われるというときに、これを防止するために多国籍の海軍が出て共同活動をすることによってこの海賊に対応するというとき、この共同活動に参加し必要があれば武力行使をするという場合も、広い意味で、例えばある国が他の国、すべての国から海軍を出してくれと要請されてこれに応じた場合、公海上でそのような活動をするのを国際法上は集団的自衛権の行使と言えるんだろうと思います。つまり、同盟条約とは限らないということだと思います。

 そういう意味で、日本がこれから考えるべきことは、先ほど冒頭申し上げたように、アジアの中でというか、地域の中で同盟条約、同盟関係にあるとは限らない国の正式な要請を受けて活動する場合も集団的自衛権の行使に当たるということがあり、そのようなケースは将来あり得るかもしれない。

 もう一つは、集団的自衛権の行使というより、むしろ日本が憲法の枠の中で制約を受けているのは武力行使に当たる活動であって、例えば、先ほど申し上げたように、イラクの中で自衛隊が行う武器の使用や武力の行使が現在の憲法の中で制約を受けていることは御承知のとおりでありますが、これは何もアメリカという同盟国と共同活動するための集団的自衛権行使ではなく、そもそも憲法解釈上、日本が領域外において武力行使に当たる行為を今の憲法は有権解釈として認めていないということによって制約要件を受けているわけであって、これは別に日米活動をやるために制約を受けているのではないということを考えてみる必要があるんだろうと思います。

 その意味において、冒頭申し上げたように、集団的自衛権という問題よりもむしろもっと根本的な問題は、領域外における武力行使というものを日本の憲法は認めていないということに係る問題の方がむしろこれからの日本の海外活動、対外活動の大きな制約要因になるのではないかと考えられます。

 以上でございます。

井上哲士君

 同じ質問を豊下参考人にもお願いします。

参考人(豊下楢彦君)

 御指摘のように集団的自衛権というのは確かに濫用の歴史でありまして、先ほど出ましたニカラグア事件の判決も、実はアメリカが主張した集団的自衛権は認められないという判決を下しているわけですね。

 したがって、私は、日本がいろいろガラス細工のような解釈してきましたけれども、とにかく集団的自衛権というものを海外派兵ととらえて、それはできないというふうに限定してきたことは、例えばベトナム戦争とか、今のイラク戦争もそうですけれども、言わば泥沼の中に正面切って入っていた、そのこと、可能性から考えますと、これまでの解釈というのは一つの歯止めになってきたというふうに思いますけれども、しかし、実はアメリカの外交政策全体の中で今、集団的自衛権が問題になっているのは日米関係だけなわけです。

 実は、九月十一日以降アメリカで最も議論になっていますことは、例えばフランシス・フクヤマとかハンチントンとかマイケル・ウォルツァーなんか言っていますことは、正戦という場合には国連の枠の外で戦争していいんだという、そこが実は焦点になっていると。それが、だから、今私たち議論すべき問題だろうというふうに思います。

 それから、全くちょっと別の文脈なんですけれども、今、先ほどから言っていますように、集団的自衛権というものは私はリアリティーないと思っているんですけれども、全くこれを組み替えて考えたらどうかと。

 と申しますことは、集団的自衛権の前提は、先ほど言っていますように、密接な関係にあるとか連帯関係にある国と国との間ということが言われています。そうしますと、例えば、私たち、韓国との間に集団自衛権結ばれないか、中国との間でどうなのかということを考えましたときに、その前提は韓国なり中国と密接な関係を取り結ぶ、連帯的な関係を取り結ぶということの政治的な問題がまず前提になります。そうしますと、そういうふうに問題を設定していきますと、集団的自衛権というのは、組み替えますと不戦関係のネットワークというものを作っていけるんだと。それがある種の集団安全保障みたいになっていくんだと。したがって、リオ条約の場合も実は対外的な敵から守るというだけじゃなく、リオ条約の加盟国の内部でどれか敵対的な活動をしたら、行動をすれば、それをみんなで制止するという、言ってみたら集団安全保障と集団的自衛権の両方を兼ね備えたものが実はリオ条約なわけですね。

 それから、私は軍事力行使のことを言っているんではなくて、先ほどから言っていますように、密接な関係にあるとか連帯的な関係にあるという、そこをとらまえて中国や韓国とそのような関係を取り結ぶというふうな発想に立てば、これは不戦関係のネットワークを広げていく一つのてこになるかもしれないという、そういうふうに考えております。

井上哲士君

 ありがとうございました。終わります。


【自由討議における発言】

井上哲士君

 豊下参考人から集団的自衛権というのは濫用の歴史であったという御発言もありました。九・一一の同時多発テロで NATO 各国が発動した集団的自衛権についても、その後、多くの罪なき市民の命を奪い、またテロの温床を広げているということからの検証が必要だと思います。

 更に重要なのは、それ以前に集団的自衛権を掲げて行われた戦争、武力行使というのは三つの国しかありませんで、まず旧ソ連が、アフガニスタンの軍事介入、六八年のチェコスロバキアへの軍事介入、五六年のハンガリーの軍事介入。それから二つ目の国がアメリカでありまして、ベトナム戦争に加えて、七九年のニカラグアへの介入、八三年のグレナダへの軍事介入。そして、イギリスが、六四年のイエメン介入、五八年にアメリカと一緒に行ったレバノン、ヨルダンへの介入というのがありますが、いずれもすべて国連や国際社会で強い批判を浴びた侵略であり、内政干渉でありまして、結局、この行使というのは侵略や内政干渉に使われ、平和のルールを犯すものだったというのが戦後の歴史だったと思います。

 しかも、今日の日本におけるこの集団的自衛権論議の大きな流れは、アメリカの例のアーミテージ報告で、日本が集団的自衛権を否定していることが同盟協力を束縛するものになっている、これを撤回することはより緊密で効果的な安全保障協力を可能にすると、こういう報告に端を発し、その翌年に小泉総理が、今後集団的自衛権を行使できるというなら憲法改正をすることが望ましいと、これに応じたという大きな流れがあります。

 今アメリカが掲げている先制攻撃の戦略については、国連のアナン事務総長も、国連憲章の原則に対する根本的な挑戦だと批判をしているわけで、しかも、この戦略が単なる戦略じゃなくて、イラク戦争でも実践をされてきているという中で、このアメリカの要請にこたえて集団的自衛権の行使に踏み出すということは、やはり濫用の中に日本が組み込まれていくということになると思います。

 それから、各参考人から国連憲章の基本理念との関係のお話もありました。二十世紀の二つの大きな戦い、大戦の痛苦の教訓から、武力の行使をそれぞれの国に任せたら駄目だと、こういう安全、集団安全保障の理念で憲章が作られましたけれども、その経過の中で、これと矛盾をする集団的な自衛権が取り入れられました。

 この集団的自衛権の考えを土台に、その後、世界に様々な軍事同盟が張りめぐらされましたが、一九五四年に結成された東南アジア防衛条約機構はベトナム戦争が終わった一九七五年に解体をされておりますし、それから、アメリカ大陸で戦後最初の軍事同盟であるリオ条約に基づく米州機構も五一年に作られましたけれども、八九年のアメリカによるパナマ侵略に際して、国連総会とともにこの米州機構も総会を開いて、この侵略を批判をする決議を採択をしました。それ以降、事実上機能停止という状況になっております。

 国連の本来の理念に反して集団的自衛権ということを取り入れる背景にあった、いわゆる米ソの対立というものがなくなり、また、その後作られてきた多くの軍事同盟が、こういう解体とか機能停止という状況になっているという、大きなやはり歴史の流れの中で、国連の本来の集団安全保障というものが真に機能するような条件が作られてきていると思います。そういう中で、日本がこれに逆行する集団的自衛権の行使に踏み出すということを、解釈であれ明文改定であれ行うということは、やるべきでないということを申し上げまして、発言とします。


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