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井上哲士ONLINE
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2006年11月9日(木)

文教科学委員会
「いじめ・未履修問題」について

  • 文科省が把握しているいじめの数が実態を反映してなく、その大きな原因がいじめの定義にあることについて質問。また、8年前に発表された文科省の調査研究会議の報告書が現場に生かされていない問題についてただす。

井上哲士君

 日本共産党の井上哲士です。

 私も、北海道滝川市のいじめ自殺問題の調査に参加をいたしました。小六の女の子、私も小六の女の子を持っておりますので、私が死んだら読んでほしいという遺書を残して自ら命を絶った、その女の子の笑顔の遺影を見て、そして御遺族の方からその悲しみ、そして憤りにも直接触れまして、私自身も新たな憤りを感じてまいりました。学校や市の教育委員会がこの事実を隠ぺいをしてきたと。何という無責任な対応なんだろうか、本当に憤りを持ちましたし、また今国民全体、とりわけお子さんをお持ちの父母の皆さんが同じような不安と憤りを持っていらっしゃいます。

 この問題では、やはり当該の学校、市の教育委員会の対応というところに最大の問題があるわけでありますが、同時に、このいじめ問題全体ということを考えたときに、私は文部科学省にもその対応にこれまで問題があったと思うんですね。その象徴は、このいじめ自殺の件数が七年間でゼロというこの文科省の報告が全く事実と違っていたということに象徴的に表れていると思います。大臣も、このいじめ自殺ゼロというのは余りにも実態と離れているということを答弁でもお認めになったわけですが、では、そのいじめの全体の数についてはどういう認識をされているんだろうかということなんです。

 文部科学白書を見ますと、小中高の全体のいじめ発生件数は、平成七年度が六万九十六件、平成十六年度には二万一千六百七十一件と、三分の一になっているわけですね。小学校だけを取りますと、平成七年度が二万六千六百十四件、平成十六年度は五千五百五十一件と、こういうことになっております。小学校の数が大体二万四千前後だと思いますので、五千といいますと、五つの小学校のうち一つしかいじめが起きていないと、こういう数なわけですね。私は、これは実態を反映をしていないんではないかと思うわけですが、その点での大臣の御認識をまずお聞きしたいと思います。

政府参考人(銭谷眞美君)

 文部科学省といたしましては、毎年いじめの発生件数を調査をしているわけでございますけれども、近年の発生件数は減少の傾向にあるというのは、今先生お話しのとおりでございます。

 私どもは、いじめにつきまして定義をした上で、児童生徒の立場に立って報告をしてほしいということを平成六年から強調してやっているわけでございますけれども、実態を見ますと十分に反映されているとは必ずしも言えないと今思っております。

 実は、平成十五年に少しいじめが増えた時期がございました。そのときに、私ども、その背景を調べましたら、いろんな事情ありましたけれども、やっぱりいじめというのを隠さないで、ゼロがいいということではなくて、本当にいじめがあったらそれをきちんと対応するというふうにした結果、いじめが増えたというような事例の報告もいただいておりまして、私ども、いじめの発生の件数の多寡ではなくて、きちんとそのいじめの状況について、早期に発見をして早期に対応するという観点から今後とも報告がなされるようにこの調査票につきましては検討を加えていきたいというふうに思っているところでございます。

井上哲士君

 確かに平成十五年度に若干の数は増えているわけですね。しかし、この程度のことなんだろうかと私は思うんですね。

 十一月の四日にNHKの教育テレビでいじめの特集番組をやっておりました。小学校五年生から中学校三年生までの三千人の子供がメールなどを使って声を番組で集めていますけれども、それによりますと、七〇%の子供がいじめられる可能性があるないしは少しあると答えております。そして、注目すべきは、今いじめられていると答えた子が実に六%おりました。つまり、今現在、子供千人当たり六十件のいじめがあるというのがこの寄せられたものではあるわけですね。

 ところが、先ほどの文科省の数字でいいますと、一年間で子供千人当たり一・六件ということになるわけですから、子供一件当たりの件数でいいますと四十倍の開きがこのNHKの番組と報告の数ではあるわけです。私は、相当なやっぱり開きがあるという認識を持って対応するべきだと思うんですが、改めて大臣の認識をお聞きしたいと思います。

国務大臣(伊吹文明君)

 どうも実態を表していないんじゃないかというのは、先生の御指摘のとおりでしょう。

 そして、いじめは何かというのは、先ほど来、私はかなり注意深く御答弁しているつもりなんですが、意地悪をされた、意地悪をした、けんかをした、殴った、殴られた、どれをいじめと取るかというのは、これはいじめている方の意識もありますし、いじめられている方のとらえ方もあります。ですから、そこのところがやっぱり非常にこれ難しいということが一つですね。

 それからもう一つは、やはり子供にもプライドがあると同時に、学校にもプライドがあって、教師にもプライドがあって、自分のクラス、自分の学校からいじめというものを出したくないと、いじめがあるんだという事実を認めたくないという体質があるわけなんですよね。これはこの前民放テレビに一緒に出た学校の先生、あるいは自殺を経験された、いじめで自殺を経験された作家の方がおっしゃっていて、なるほどなと私は改めて思ったんです。

 そして、それからもう一つは、今政府参考人が何で私の言ったとおりきちっと答弁しないんだと私は思っておりましたのは、先生の御質問に釣られて、文部科学省の調査では減少傾向にございますと、こう言っていますよね。文部科学省の調査なんだけれども、それは教育委員会からもらった数字の伝達行為しかやっていないということなんですよ、現実は。

 ですから、いじめの定義、定義というか調査票をもう少しやっぱり直して、まあ先生がおっしゃっていたところまで出てくるかどうかはこれまた私は若干疑問に思っているんですよ。というのは、テレビ番組で答えを取る、それに答えようという子供はかなり当事者なんですね。だから、世論調査とかテレビのいろいろなそのときの反応というのはよほど慎重に検討しなければならないとは思いますが、実態の数字は、文部科学省が地方教育委員会に頼んで、地方教育委員会が各学校に頼んで集計をした数字とはかなり私はやっぱり開きがあるというのは先生と同じ認識を持っております。

井上哲士君

 正に今定義の問題を言われたわけですが、おっしゃるように、テレビ番組というところにネットで積極的に、などで返事をしたというのは特定の人たちなんですね。しかし、私はそんな大きな違いはないんじゃないかということを実は今朝の新聞を見て思ったわけです。

 今朝、一斉に松本市が独自にこのいじめ問題の調査をしたというのが報道をされました。

 松本市は独自に市立の小中学校全四十八校を対象にして調査をしたと。そうすると、いじめに該当する事案が四十七件あったと。しかし、この四十七件を文部科学省のいじめ基準を厳格に当てはめたらいじめとなる事案は二件だったと、こういう報告なんですね。例えば、男子から消えろなどと言われて不登校になった中学校一年の女子生徒の事例、あるいはクラス全員から無視された小学校五年男児の例があったが、文部科学省の基準ではいじめに該当しないというのが報道でありました。文科省の基準は、自分より弱い者に対して一方的に、身体的、心理的な苦痛を持続的に加える、そして相手が深刻な苦痛を感じるという、この三つの要件を言っているわけですが、これに当てはまらない。そして、報道では、一部の学校の中には、暴力行為が継続的ではない、やり取りが一方的ではないと文科省基準を逆手に取っていじめを認めない事例があることも指摘をされていると、こういうことも言われているわけですね。

 定義の問題は当委員会でも議論になりまして、当時大臣も、この定義だけであればいじめとして報告しないというものが出てくるんじゃないかというような答弁もされました。そうであれば、私は具体的にこの定義そのものを見直す必要があると思うんですね。

 文科省基準でいうと二件が、独自の基準で調べると四十七件。その独自の基準というのは、要するにいじめられていると感じているかどうかということを基準にしているわけですね。そうしますと、四十七件ですから、まあ約二十五倍ということになります。先ほどのNHK番組では四十倍だったわけですけれども、私は、そういう点でいいますと、そう大きな違いはないんじゃないか。

 確かに、本人たちはいじめているつもりはなくても、当人がいじめられているということがあるわけですね。これが、だから難しいという話じゃなくて、結局、いじめているつもりはないのにいじめているということが大変大きな問題を起こしていることは多々あるわけでありますから、やっぱりこの松本市がやったような方向で私はこの基準そのものを見直すべきだと思いますけれども、その点、大臣いかがでしょうか。

政府参考人(銭谷眞美君)

 今先生からお話がございましたように、文部科学省の調査における基準というのは三つの条件に当てはまるものを出していただいているわけでございます。これを各学校がこの基準に照らして、できるだけ児童生徒の立場に立って報告をしてくださいということをお願いしているわけでございますけれども、各学校からの報告、それを教育委員会を通じて積み上げた数が先ほど来のお話のような数字になっているというのが現状でございます。

 お話しの新聞記事、私も見ましたけれども、私ども、やはり今こういうふうに積み上げて、学校、教育委員会の報告を積み上げたこの数が本当にいじめの状況というものを把握をしているのかというのは課題だと思っておりまして、より実態の把握が的確にできるように、今後、その定義も含めまして、専門家や外部の方々の御意見、御協力を得ながら検討して正していきたいというふうに思っております。

井上哲士君

 やっぱり、いじめは先生に分からないように行われるわけですね。多くの子供が、先生に言ったらもっとひどくなるとか、それから親に心配掛けられないと、大人に言わずに苦しんでいるわけでありまして、文科省に上がっているのはそういう言わばベールにかぶった数が積み重なってきているわけですね。

 そして、一方、この前に、今朝の新聞の記事でも報告しにくい雰囲気があるという学校現場の声が出ていますし、私どもも、例えば東京である公立学校の校長先生に伺いますと、下手に報告したら、その後どうなったか教育委員会に報告し続けなくちゃいけないと、そういうことで結局、親が教育委員会に訴え出ているなど、逃げ隠れできない件数を報告するのが普通だと、こんなお話も聞きました。

 やっぱり、教育委員会の報告を集計しているだけだとおっしゃいましたが、その基になっている基準はやっぱり文科省が示したわけでありますから、やっぱりきちっと実態に即したものになるように正していただきたいということを改めて申し上げたいと思います。

 これ、ちょっと大臣に追加でお聞きをするんですが、先ほど紹介したテレビ番組の中で、少なくない子供が、いじめられる側にも問題があると、こういうふうに答えるんですね。これについて、大臣、どんなお考えをお持ちでしょうか。

国務大臣(伊吹文明君)

 それは、先生、これはもうケース・バイ・ケースだと思います。いじめられる子は弱い子だけじゃないんですよ。結構、クラスで一番頭が良くて威張っていてどうしようもないような子供もいじめの対象になることあるんですね。ですから、一概に先生の今の御質問にお答えするのは難しいと思います。

井上哲士君

 つまり、いじめられる側に問題がある場合もあるという御認識ということでよろしいんでしょうか。

国務大臣(伊吹文明君)

 完全無欠な子供であれば、いじめる方に問題があるでしょう。しかし、私どもの周りでいじめの事件が起こったときに聞いたりする場合は、結構子供自身に責任がなくて、親が大変な、その地域で何かいろいろなことをしたと、その親の理由を取っていじめているというようなケースは別にして、あの子は一番良くできるけれども何か自分たちの仲間に入ってこないというようなケースが結構あるんですよ。ですから、これはどちらに責任が、いじめられる方にも責任があるとお思いですかということにうかつに答えることは、ちょっと保留しておきます。

井上哲士君

 私は明確に答えていただきたかったんですね。と申しますのは、十年前に文部科学省は調査研究会議でいじめ問題での報告を受けておられます。それに基づいて様々な通知、指導も行われていると思うんですが、その中で明確に、いじめられる子供にも原因があるという考え方は一掃しなければならないと、十年前にこういうことを言っているんですね。これはうかつに答えるどうのでなくて、これは一掃しなくちゃいけない言葉なんです、考え方なんですね。それがいじめ対策の基本だということをそのとき言っていながら、私はちょっと大臣の答弁、今、残念でありますけど、いかがですか。

国務大臣(伊吹文明君)

 いや、これは、それはもちろんいじめられる側に原因があるということは一掃しなければならないことは当然なんですよ。しかし、いじめられる側にも、やはりみんなの中へ入っていかないというようなケースがあった場合には、これは一端の責任があるんです、やっぱり。だから、ケース・バイ・ケースだと申し上げているわけで、例えば、パーセントで表示するのはいけないかも分かりませんが、九五%はいじめる方に問題があるでしょう。だけれども、残りの、なぜいじめがそこの子供へ来たのかというときに、その子供の性格だとか何かに起因は全くないということは言えないということを言っているわけです。

井上哲士君

 私は、そういう認識であると正にこの問題の解決の流れというのが分からなくなってくると思うんですね。結局、どっちもどっちという話になっていく。それでは解決しないから一掃しなければならないと。九五%、五%じゃないんです。一掃というのはゼロにしなくちゃいけないんです、そういう考え方を。これ文科省自身が打ち出して、これで指導してきたはずなのに、こういう認識がやはり今の私は問題残していると思うんですね。

 この十年前の報告書というのは、当時、愛知の中学校二年生だった大河内君が自殺をしたという、これ、いじめを苦にしたものですが、そのときに出されたものですね。今回の文科省の十月十九日の通達というのも、通知というのもほぼこれを踏襲をして出されているわけですね。

 例えば、十年前の報告書は、いじめは児童生徒の成長に必要な場合があると考える教師が二割とか、基本的にはいじめは子供の世界にゆだねるべきと考える教師が一割いるということを問題にしているわけでありますけれども、この十年前に指摘されたことが現に今起きているわけでありまして、これをしっかり徹底をしてこなかったこと、私は、大臣の認識も含めて、そこにやはり今の取組の大きな問題があると思いますけれども、いかがでしょうか。

国務大臣(伊吹文明君)

 ですから、先生がおっしゃったように、どっちもどっちということになってはいけないから、行政の指導としては、行政の指導としてはいじめられた方に原因があるということは払拭してやってくださいということを言っているわけです。しかし、現場の教師だとか、あるいはその問題を扱ったケースワーカーの立場からすると、これはよく私が言ったようなことも考えながら慎重に対応してもらわないと困りますよという趣旨のことを私は申し上げているわけです。

井上哲士君

 時間ですから終わりますけれども、やはり私は今の答弁を聞いておりまして、今日のこういう事態が起きたことに、十年前にこういう指摘をしながら現場にも徹底していなかったし、文部省内にも果たして徹底されていたんだろうかという大変大きな疑念を持ちましたし、このことに今大きな問題があるということを最後指摘しまして、質問を終わります。


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