2006年11月27日(月)
教育基本法に関する特別委員会
「教育基本法案」について
- 教育基本法改定をにらんで中教審の部会で作業されている学習指導要領の改訂のなかで、小学校の音楽で「君が代」を学ぶ目標として「『君が代』の美しさや自国を尊重する心」が検討されている問題を追及。
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- 井上哲士君
日本共産党の井上哲士です。
政府の改定案の二条と、憲法十九条の思想、良心、内心の自由の関連についてお聞きをいたします。
第二条では、教育の目標として様々な徳目を掲げております。その中の一つに国を愛する態度があります。政府は、これは態度であって、内心の自由は侵さないと言われます。その一方で、態度と心は一体なんだということも繰り返し答弁をされております。そうなりますと、態度を指導するということは、結局心を指導し、内心の自由を侵すことになるんです。
そこで、具体的に日の丸・君が代に関連してお聞きをいたします。
先日、当委員会で自民党の委員からも、国旗・国歌法が制定した当時の野中官房長官の答弁に関連しての質問がありました。私も当時の総理や野中さんの答弁についてまず確認をしたいと思います。
まず、官房長官にお聞きいたしますが、国旗・国歌法が制定をされた際に野中官房長官は参議院での特別委員会で、日の丸・君が代が生まれ出てきた我が国の長い千年を超える歴史を十分に踏まえながらとしつつ、戦時中のあの時期、誤った戦争への手段の一つに使われた反省があると、こういうことも述べられました。
官房長官もこの認識には変わりないわけですね。
- 国務大臣(塩崎恭久君)
野中官房長官が、例えば、このさきの大戦の間、戦争遂行に利用されたことは認めざるを得ない、こう述べたというのが、答弁があります。これは平成十一年の七月三十日の今の答弁で、国旗・国歌法に関する特別委員会で答弁をされたわけでありますけれども、これは戦前の一時期の教科書において日の丸や君が代が戦争と関連付けて記述されていた事実を認めたものだというふうに理解をしているところでありまして、日の丸とか君が代というのは、法案審議当時の小渕総理の答弁にもございましたけれども、戦中、戦前の出来事に対する認識や評価とは区別をして考えていくべきものだろうというふうに考えております。
日の丸とか君が代というのは、幾多の歴史の節目を超えて、さきの大戦後も変更することなく国旗・国歌として国民の間に定着をしている長い間の存在ではなかろうかというふうに考えております。
- 井上哲士君
そういう使われ方をしたという歴史的事実があったことについてはお認めになりました。
東京都の学校で日の丸・君が代の指導にかかわる裁判があり、九月の東京地裁の判決はこう述べております。我が国において、日の丸・君が代は、明治時代以降、第二次世界大戦終了までの間、皇国思想や軍国主義思想の精神的支柱として用いられてきたことがあることは否定し難い歴史的事実だと述べております。これは、事実認識においては当時の野中官房長官の答弁と同じだと思うんですね。
それを踏まえまして、当時、小渕総理も本会議で、日の丸・君が代の抵抗感についてのお尋ねがありました、国民の一部に日の丸・君が代に対して御指摘のような意見のあることは承知をしておりますと、こう述べておりますが、この見地も当然現内閣として変わりないということでよろしいでしょうか。
- 国務大臣(塩崎恭久君)
小渕総理がおっしゃった、国民の中にそういう見方があるということはそのとおりだと思います。
- 井上哲士君
国民の中にそういう抵抗感があるということがそのとおりだということもお認めになりました。少なくない国民の中にそういう日の丸・君が代への抵抗感があるということは、先ほど述べましたようなこの日の丸・君が代の過去の歴史に根拠があります。先ほど引用した東京地裁の判決では、国旗・国歌法が制定された今日でも、国民の間で日の丸・君が代が宗教的、政治的に見て価値中立的なものと認められるには至っていない状況にあると、こういうことも述べております。
そこで、こういう下で、日の丸・君が代を批判をする世界観、主義主張を持つ者の思想や良心の自由というものも当然憲法上保護されなければならないと考えますが、この点いかがでしょうか。官房長官、お願いします。
- 国務大臣(塩崎恭久君)
それは、思想信条は自由でございます。
- 井上哲士君
その思想、良心の自由というのは当然児童生徒にも認められるべきだと思いますけれども、この点も確認しておきたいと思います。
- 国務大臣(塩崎恭久君)
思想信条は自由であります。
- 井上哲士君
これ、思想信条の自由というのは正に憲法十九条に掲げられた極めて重要な権利であるということは今もお認めになったわけですね。そうしますと、この日の丸・君が代への態度というのは、この独特の歴史からいって、憲法十九条が保障している思想、良心の自由にかかわる問題だということであります。
そこで、伊吹大臣にお聞きしますが、そういう自らの考えとして日の丸・君が代、君が代を歌いたくないという子供に無理やり歌わせるということは、これは思想、良心、内心の自由を侵すことになると思いますけれども、この点いかがでしょうか。
- 国務大臣(伊吹文明君)
官房長官が答弁をいたしましたように、思想信条は自由であります。しかし同時に、君が代・日の丸というのは、国民の総意を憲法上代表している国会で議決された法案によって国旗・国歌と決められております。そして、それを教えることについては国会で議決をされた法律に基づく学習指導要領で告示をいたしております。その告示を受けて、東京都の教育委員会の告示の範囲の中でのやり方についてどうも納得がいかないからというので、下級審でございますが、訴えがあって結論が出たということであって、これは学習指導要領に従って教師というものはそれを教えていただかなければなりません。
それを受けて児童生徒がどう対応するかということは、これはその児童生徒の信条の自由はあるでしょう。
- 井上哲士君
私、学校の指導のことを今お聞きしたんじゃないんですね。その結果として、子供が自らの意思で自分は歌いたくないと、いろんな例えば歴史的な経緯を自分も学習する中で、そういう考えを持った子供にこれを歌うことを強制することは内心の自由を侵すことになるのではないですかと、そのことをお聞きしているんです。
- 国務大臣(伊吹文明君)
学習指導要領にのっとってきちっと教師としての、まあ国の統治システムですね、これは日本共産党が一番大切にしておられる憲法で決められていることですから、この憲法の規定によって行われている法律、法律の一部である学習指導要領、それを教師がきちっと実行しておられる限りは、その結果として児童がどう対応されるかは、これは仕方のないことです。
- 井上哲士君
確認しますけれども、仕方ないと言われましたけれども、そうであれば、その結果としてその児童生徒が自分は歌いたくないと、こういう考えを持った子供を無理やり歌わせると、歌うことを強いるということについては、これは内心の自由を侵すことになると認められますね。
- 国務大臣(伊吹文明君)
これは教師が指導しているわけですから、教師が指導していることに生徒は基本的には従うわけですね。しかし、その際に、愛国心とか先生が今いろいろおっしゃったその内容に、心の内容に立ち至って強制をするということはできないということを言っているわけです。
- 井上哲士君
これはかなり当時も議論をされた問題でありますが、これは例えば公明党の議員に対する当時の政府委員の答弁ですが、いろいろな指導を受けた後、しかし、やはり自分としては歌いたくないというような児童がいる場合に、無理強いしてこれを斉唱させることになりました場合には、やはりこの内心に立ち入らないということにかかわってくると、こういう答弁もございます。
そして、当時の野中官房長官は、式典等において起立する自由もあれば起立しない自由もあろうかと思うわけでございますし、斉唱する自由もあれば斉唱しない自由もあろうかと思うわけでございまして、この法制化はそれを画一的にしようというわけではございませんと、こう当時の官房長官が答弁されておりますが、これも当然維持をされると、こういうことでよろしいですね、官房長官。
- 国務大臣(塩崎恭久君)
そのとおりだと思います。
- 井上哲士君
当時の官房長官の答弁でありますから、そのとおりだとお認めになりました。ですから、生徒が自らの考えで起立しない、斉唱しないというのは、憲法十九条によって保護されているこれは基本的人権、大変強いものだということがはっきりしたと思うんですね。
ところが、実際にどういうことが起きているのか。これは再三東京の例を挙げるわけでありますが、これは二〇〇五年の三月に起きた東京の町田の例がございます。市の教育委員会が卒業式や入学式について、君が代を校歌等と同じ声量で歌えるようにと、こういう事前に指導をすることを求める通知を市立の小中学校長に出しました。その下で何が起きたかというのを当時朝日新聞も報道しているわけですが、小学校六年生の女子生徒のAさんというのがいます。父親は日本人、母親は在日韓国人三世と。おじいさんは日本に強制連行された方だそうなんですね。この子は、日本が戦前、朝鮮半島で何をしたのかという歴史を母親から聞いて、それから本を読んだりした。その中で、自分は君が代を歌いたくないと考えていたわけですね。ところが、通知では、同じような大きな声で歌いなさいということが来ましたから事情が一変をして、音楽の授業のたびにこの君が代の練習があると。卒業式の前の一週間は毎日君が代の予行練習が行われて、音楽の先生が、もっと大きな声とか、指が縦に三本入るまで口を開けなさいとか、こういうようなことが執拗に繰り返された。非常に卒業式までの苦痛は続いたということが報道もされましたし、私たちも直接確認をいたしました。
私は、こんな苦痛を子供に学校の場で味わわせるのは異常だと思いますけれども、大臣、いかがでしょうか。
- 国務大臣(伊吹文明君)
これは、文部科学省がどういう指導要領を出しているかというのは先生御承知のとおりですね。ですから、先般来ここでも議論になっているように、都道府県知事あるいはその知事の傘下にある行政組織に教育委員会の教育権をゆだねるということについてどうだということと密接に関連がありますね。我々は、それは反対だということを言っているわけです。それはなぜかというと、逆のケースもたくさんあるんですよ。
ですから、学習指導要領の枠の中でどういう指導をしているかというのは各教育委員会の問題なんですよ。それは今、司法で争われているわけです。当然、東京都はこれは上告すると思います。事実関係も私は伝聞でしか聞いておりません。ですから、司法の場で争われている問題について、ここでコメントをすることは差し控えさせていただきます。
- 井上哲士君
私が挙げたのは、これは町田の例でありまして、司法でやっているのは東京都のいわゆる一〇・二三通達の話なんですね。
当時、これも有馬文部科学大臣の答弁でありますが、長時間にわたって指導を繰り返すなど、児童生徒に精神的な苦痛を伴うような指導を行う、それからまた口をこじ開けてまで歌わす、これは全く許されないことであると、こういうふうに答えていらっしゃるんです。それに近いことが起きているじゃないかと、これが異常と思われないかということを私はお聞きしているんです。
- 国務大臣(伊吹文明君)
大変申し訳ありませんが、先生がお調べになったことを今お述べになっておりますが、事実関係を確認しない限りは、これは類似のことが今司法の場で争われておりますから、御答弁をするのは適当じゃないと思います。
- 井上哲士君
今紹介した当時の文部科学大臣の答弁、口をこじ開けてまで歌わす、これは許されないことであると、これについてはお認めになりますね。
- 国務大臣(伊吹文明君)
口をこじ開けたのか、学習指導要領に従って是非やってくれということで歌わなければいけないという指導をしたのか、それはそのときそのときのケース・バイ・ケースです。こじ開けたという事案は、どういうシチュエーションを言っておられるのか分かりませんが、私の耳には入っておりません。
- 井上哲士君
先ほど来から強制することは駄目なんだということはありましたので、それは確認をしておきたいと思うんです。
そういう下で、今、私が重大だと思いますのは、学習指導要領の改訂作業が行われています。この中で、この君が代の扱いが変えられようとしている問題です。
文部科学省は、二〇〇五年のいわゆる義務教育の構造改革によって、義務教育の到達目標を明確化するということを打ち出しております。義務教育の目標を明確にするため、学習指導要領において各教科の到達目標を明確にするということを二〇〇五年に打ち出して、それ以来、学習指導要領の見直し作業が行われております。
皆さんのお手元に現行の学習指導要領における日の丸・君が代の取扱い、そして今見直し作業が進められているものをお配りをしております。
- 国務大臣(伊吹文明君)
二枚、こっち。
- 井上哲士君
そうです。二枚物ですね。
二枚目は、これは九月二十九日の中教審の初等中等教育分科会の教育課程部会で配付をされたものですね。
現行学習指導要領を見ていただきますと、音楽の欄では、「国歌「君が代」は、いずれの学年においても指導すること。」、これしか書いてありません。ところが、今検討されているこの到達目標を見ますと、小学校の義務教育終了段階において子供たちの到達目標として何が検討されているのか。そこにありますように、「国歌「君が代」についての理解と歌唱の技能を生かす力。」とした上で、「日本の伝統的な旋法による「君が代」の美しさや自国を尊重するこころをもつなど。」、こうなっているんですね。これ、初めてこの君が代とこの児童生徒の心というものを結び付けたのが今検討されているこの目標なんです。
要するに、すべての子供に君が代を歌わすことによって、それを美しいと感じなさいと、そして自国を尊重する心も持ちなさいということを目標として求めるわけですね。それができない児童というのは、言わば義務教育終了段階の目標に達しない、評価が低いぞということになるんです。これは子供の思想、良心の、内心の自由を侵害するものになるんじゃないですか。
- 国務大臣(伊吹文明君)
ちょっと事実関係を。
- 政府参考人(銭谷眞美君)
今配られた資料でございますけれども、この資料は、教育課程の改訂を議論をいたしております教育課程部会での審議の過程における参考資料でございます。この審議は現在も継続をされているわけでございます。
内容としては、児童生徒に身に付けさせる力を分類、整理するための試み、試作の資料でございまして、こういう力を子供たちに身に付けさせたいなというのを、いろいろ出た意見を整理をしているものでございます。このことが即その学習成果の評価に用いるということを目的として作成をした資料ではないわけでございます。
なお、現在でも小学校の例えば音楽におきましては、高学年では、国歌の大切さを理解するとともに、歌詞や旋律を正しく歌えるようにすることが大切であるということで、そういう観点からの指導を行っているところでございます。
- 井上哲士君
現行の学習指導要領を見ますと、例えば中学校の社会科の欄ですね。小学校も中学校もそうですが、国旗・国歌の意義、それらを相互に尊重することが国際的な儀礼であることを理解させる、それを尊重する態度と、こうなっているんです。国旗とか国歌というのはどういうものかということを理解をし、それを尊重する態度なんですね。
しかし、これは明らかに違うんですよ。この君が代が美しいと思うということ、そして国旗・国歌そのものじゃなくて国を尊重する心を持てと言っているんですから、私は明らかに踏み込んだ表現がこれされていると思うんですね。これを歌を歌うことによって目標として求めるということは、私はやっぱり思想、良心、内心の自由を侵すことにつながっていくと思いますけれども、改めて大臣、いかがでしょうか。
- 国務大臣(伊吹文明君)
これは、今政府参考人が答弁いたしましたように、審議の途中の資料でしょう。これでいくのかどうなのか、まだ何も決まってないんじゃないんですか。最終的には学習指導要領というのは文部科学大臣が告示をするんです。そのときに私が判断さしていただきます。
- 井上哲士君
判断したからこれでいきますと、それではもう遅いんです。現に、今検討されているから、これでいいのかということを私は申し上げておりますし、大臣の判断と言われるんであれば、これは私は変えるべきだと思うんですね。
例えば、先ほど紹介をいたしました、自分の考えとして君が代はおかしいと、歌いたくないと思っている小学生の子供を紹介をいたしました。ほかにも、例えば、君が代は歴史的経過から抵抗感あるけれども、二度と戦争をしないということを誓った憲法を持つこの国を尊重する心はだれにも負けないという子供もいるわけです。しかし、こうした子、君が代には抵抗感ある、そういう子供が、美しいと感じなさい、自国を尊重する心を持てと、こう指導されるわけですね。
それでなければ、これは義務教育で到達すべき目標だということで、繰り返し、君が代が美しいと、国を尊重しろと、するという心を持つまで繰り返し指導されるということになれば、これは私は強制以外の何物でもないと思いますよ。いかがでしょうか。
- 国務大臣(伊吹文明君)
まだ先生、審議の過程なんでしょう。結論を出してないものについて文部科学大臣がどう考えているかということを申し上げたら、審議をお願いしている意味がないじゃないですか。
- 井上哲士君
決まった後に押し付けられるのは子供たちなんです。現にこれがやられるときにどう思うかということ当然じゃないですか、聞くのは。
目標にはやっぱり評価が伴うんです。美しいとか国を尊重するという心を持っているかどうかというのを、音楽の授業でどうやって評価するんですか。結局、美しいと思うようになるまで、大きな声で歌いなさいとか、何度も何度も繰り返して行いなさいとか、こういうことになるわけですね。そうすると、結局、先ほど紹介したようなああいう自らの考えでこれは歌いたくないと思っている子には大変な苦痛を強いることになると。そういう苦痛を強いるような指導はやっちゃいけないということはあのときの答弁でも言っているわけですから、それが起きるようなことが現に検討されることについて、私は当然、これでいいのかということを審議するのは国会として当然のことだと思いますけれども、いかがでしょうか。
- 政府参考人(銭谷眞美君)
再度事実関係を申し上げたいと思いますけれども、今先生がお配りになっておりました資料は、これは教育課程部会の中でいろいろ出された意見を整理をしてお示しをしている、その議論の途中段階の資料でございます。
ここにいろいろ書いてございますように、義務教育段階で子供たちに身に付けさせたい能力としていろいろな意見が出ているわけでございます。例えば、日本の伝統的な音階による君が代の美しさを感じる感性や自国を尊重する心を持つということが考えられるんではないかといったような意見も出ているわけでございますんで記しているわけでございまして、それ以外にも、日本の和楽器の取扱いをもっと充実したらどうかとか、あるいは文部省唱歌など我が国で長く歌い継がれている歌や郷土の音楽を教材として取り上げて、それがしっかりと歌い継がれるようにしたらどうかとか、いろいろな意見が出ているわけでございまして、そのことを記したものでございます。
なお、この資料は音楽だけではございませんで、各教科について、今どういう力を子供たちに身に付けさせたらいいのかということを教育課程部会で議論している途中段階の資料でございます。
なお、先ほど申し上げましたけれども、国旗・国歌については、これを尊重する態度を育てると、同時に他国のものについても尊重する態度を育てるということは、これは現在の小学校、中学校の学習指導要領、社会科、音楽、特別活動におきまして、先生お示しの資料のとおり、これはしっかり指導しているものでございます。
- 井上哲士君
日本の国旗・国歌、他国の国旗・国歌、それを尊重するということをこれまで教えてきたというんですよ。そのこととこの心に踏み込むというのは全然違うんですね。要するに、国旗・国歌を尊重するのはマナーなんだと、国際的マナーなんだと、この場でも随分議論がありました。そのマナーを教えるということと、心に踏み込んで教えるということ、しかも音楽を通してこういう心を持ちなさいというのは、これは明らかに違うんですよ。
例えば、衆議院でもいろんな答弁ありました。小坂当時の文部大臣は、ワールドカップで選手たちがみんな歌っている、自分も一緒に歌いたいと思ったときに、歌詞も覚えていない、それではやっぱり困るだろう、一緒に歌えるように歌詞だけは覚えておこうね、こんな指導もしたらいいですねと、こう言われています。こういうのと違う水準なんです。マナーとか歌詞を覚えるじゃなくて、歌を歌うことによって心を目標にしなさいというようなことは、これは適当でないと。幾ら議論の途中であったといっても、そもそもそういう問題は適当でないということは是非私は大臣、明言するべきだと思いますが、いかがですか。
- 国務大臣(伊吹文明君)
これは先生、何度も申し上げているように、中教審の委員だって日本共産党が大切にしておられる日本国憲法の表現の自由、自分の意見を述べる自由は持っておられるんですよ。いろんな自由、いろんな意見を述べられたものを整理しているものだということを申し上げているでしょう。最終的な判断は告示を出すときにしなくちゃいけません。その判断をするときに、国民の代表として国会に来ておられる先生の御意見も当然私は参考にさしていただきます。しかし、自分の意見と違う意見は駄目なんだということになったら、言論の府としての参議院は成り立ちませんよ。
- 井上哲士君
何もそんなこと言ってないじゃないですか。憲法十九条に定められた思想、良心、内心の自由に、日の丸・君が代を歌いたくない人は歌わないということは、それはそういう権利なんだということは先ほど確認をいたしました。それを侵すような、それと矛盾をするような、歌を歌うことによって特定の心を持ちなさいということが学校教育の目標になっていいのかどうなのかと、このことを私言っているんですよ。もう一度答弁お願いします。
- 国務大臣(伊吹文明君)
中教審にはいろいろな国民の代表が来ておられますから、いろいろな御意見があるということは当然でございます。国会でもちろんそのことも議論していただいたら結構です。先生の御意見も一つの意見として私は今日十分伺っております。いろいろな意見を伺いながら、最終的に政府が、今の、あるいは改正された教育基本法に基づいて、その違法性を阻却したような当然学習指導要領を出します、我々は。しかし、それが阻却してないと御判断になったときは、東京都の事案のように司法の場で争われるというのが日本の仕組みなんですよ。だから、今はいろんな意見が出ているわけで、先生の御意見もその一つとして私は受け止めております。どうするかはこれからですから。
- 井上哲士君
違法なようなものは決めないんだというふうに言われました。私は、憲法に違反するような、歌を通して心を教え込むというようなことは絶対あってはならないと思います。
衆議院の中央公聴会で、上から徳目をとにかくこれしかないんだよと教え込むということは、これは教育でなく調教だと、こういう御意見を言われた方がいらっしゃいます。
- 委員長(中曽根弘文君)
井上君、時間が参りました。
- 井上哲士君
私は、戦前の学校で、君が代を歌って教育勅語を何度も何度も暗唱させて、とにかく国に忠誠心を教え込むと、こういうことが本当に重なってくると思うんですね。憲法が保障している思想、良心の自由を侵すようなこういうやり方は間違いだと、それを定めた今回の改定案も廃案にするしかないと申し上げまして、質問を終わります。
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