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井上哲士ONLINE
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2006年12月11日(月)

教育基本法に関する特別委員会
「教育基本法」について (参考人質疑)

  • 教育行政における地方自治体の役割について質問。

井上哲士君

 日本共産党の井上哲士です。

 今日は、参考人の皆さん、急なお願いで、しかも地方は十二月議会の最中だと思いますけれども、大変ありがとうございます。非常に貴重な御意見をいただきました。今後の当委員会の質疑でもしっかり深めていきたいと思っております。

 最初に、教育委員会制度につきましては、先日もそれに絞った参考人質疑も行いましたし、特に参議院における質疑ではかなり議論になってまいりました。この教育委員会制度が、いろんないじめや未履修問題で大変隠ぺい体質とかいうことが議論になる中で、例えば文部科学大臣などは、先ほども少しありましたが、地方分権で国の権限をある程度、教育委員会にしても移譲したのをもう一回見直す必要があるんじゃないかと、もう少し国の関与を強める必要があるんじゃないか、ことも考える必要があると、こういう御答弁をされているわけですが。そういう、改めて国の関与を強めるというような方向について、どうお考えか。

 先ほど穂坂参考人からは御意見がございましたので、加戸参考人、濱野参考人から、それぞれ御意見をいただきたいと思います。

参考人(加戸守行君)

 教育委員会制度は、様々な問題があることは御承知のとおりです。

 例えば、即効性の問題からすると、何かあったときにすぐ、それはこうしろ、発表しろというのは、知事部局にあればすぐできます。でも教育委員会という合議制のところだと時間が掛かります。そういった問題はありますけれども、いろいろな事柄に関しての処理で、こういう事柄に国としてどう考えるのか、言うなれば、国が関与すべき事柄は全国的な義務教育水準の維持、確保、そういった点で、あるいは教育内容の担保、そういった大きな見地から、全国的に見て極端な県が出て、あるいは極端な市町村が出て、それはおかしいんじゃないかと言える分野はどこなのかという、それは言うなれば事項による交通整理をした上で、それは国の関与が措置要求なのか、指導なのか、助言なのか、内容に、性質に応じて区分すべきであろうと私は思っております。

参考人(濱野健君)

 国の関与というふうな面ですが、やはり国の一番の役割というのは義務教育を保障するという、基本を保障するということが一番の役割だろうと思います。

 そういった意味で、こう教えるべき、ああ教えるべきというのを、これはやはり国が関与するんであれば中教審なりいろいろな合議体、会議体によって十分に練られた上で下に下ろしてくるべきものであって、直に教育委員会を指導するというのはちょっと短兵急なのではないかなと、これは印象でございます。私個人の印象でありますけれども、そんなふうに思っておりまして、国には国の役割というものがあるんではないかというふうに思っています。

井上哲士君

 国の役割といいますと、これも先ほどのお話にもありましたように、とりわけ義務教育の無償化という観点からの財源的な保障ということは大変大きな役割かと思いますが、この間、義務教育費の国庫負担制度の削減ということもございましたし、さかのぼりますと、例えば教材費の一般財源化、それから就学援助についても、いわゆる準要保護については一般財源化をされたということがございまして、そのことが非常に、特に財政基盤の厳しい地方自治体などに様々な影響を与えている。とりわけ教材費などは、本来の水準の七割とかということも出ているということも私ども文教委員会等でも議論をしてまいりましたが、こうしたこの間の言わば財源的措置の後退がどういう現場に影響を及ぼしているのか、またどうあるべきなのか、それぞれから御意見を伺いたいと思います。

参考人(加戸守行君)

 県も市町村も財政状況は厳しいわけで、そうすると、必要な経費をどうやってひねり出すのか、そのためにはここは削ってもこっちへ回そうとか、いろんな工夫をいたします。

 そういった点で、義務教育国庫負担金のように、もうひも付きでそれ以外に使えないものは、それは削ってほかへ回すということがあり得ないわけです。でも、教材費のように一般財源化、それがされれば、ああ、今年、財政苦しいよな、ああ、ここ、じゃ、ちょっと削ってこっちに回しとこうとか、そんな形になることは目に見えてます。

 そんな意味で、それは教育関係の立場から言わしていただければ、先ほど申し上げた第二次教育使節団が、正に教育予算の編成権は教育委員会に認めて、かつ徴税権まで付与してやるべきだという激しい提言があったんです。そのときに、あらゆる公共施設の中で教育を最優先すべきであるという言葉まで付いております。もしその考え方を今受け止めるとするならば、社会保障は削るわけにいかない。それは生活保護にしても介護給付も医療も年金もと。ならば、義務教育費も同列じゃございませんかと私は申し上げたいところです。

参考人(濱野健君)

 今お話しのとおり、国においても、あるいは都道府県、市町村においても財政的には限りがあるわけで、その中でウエート付けをしながら予算付けをしていくということであります。国には国のその財政事情というのがあろうかと思います。

 そういう中で、教育というもののウエート付けを、重きを置きながら国もその財政バランスを取っていくんだろうというふうに思っていますので、そういう意味での、財政の中でどれをどういうふうにウエート付けをしていくかという中での一つの結果だろうというふうに思っていまして、これはやはり、自治体としてもそれを受け止めた上でどうやって工夫をしていくか、これがまた、何というか、地方自治体の首長の責務でもあろうかというふうに思っています。

参考人(穂坂邦夫君)

 教育費にお金掛けた方がいいと言ったのは、私は、全体の予算の中でそういう意識もあるのかなという意味なんです。一概に国の、このような悪いというか、もう正に未曾有の借金大国になっているわけですから、これは地方もある意味では私は担わなければならないと思っているんです。

 ですから、財政規律は規律として、市町村あるいは地方公共団体もやっぱりその辺はしっかり受け止めなければいけないとは思っているんですね。と同時に、教育の方は国の、その役割分担の中で持つべきものはやっぱりしっかり国が責任を持った方がいいだろうと、こういう意味です。

井上哲士君

 続いて、先ほど来少し議論になっています学校選択制について濱野参考人と加戸参考人から御意見をお聞きしたいと思います。

 品川の学校選択制については、この間、テレビ番組などでも様々な角度から報道もされております。保護者などの選択ができるという言わばメリットと、同時に、やはり様々なデメリットについても指摘のされていることだと思うんですね。

 先ほど格差の固定化にもつながるんじゃないかということも議論があったということがありましたが、この間、いろんな研究者などの報告を見ておりますと、いわゆる子供たちが集まる学校と、そして、むしろその地域からは、従来の地域から出ていく学校というのが固定化をしていると、こういうことが言われております。そして、そのことが例えば学校自体の言わば廃校の流れなどにもつながっていくんじゃないかと、こういう指摘もされているわけですね。

 それで、いったんあそこの学校は人気がちょっと悪いとか入学者が来年は少ないようだというようなうわさが流れてしまうと、それがうわさがうわさを呼び、ずうっと不人気が固定をしてしまうと、こういう固定化がしてしまって、そのことが結果としては例えば地域の学校がなくなっていくということで、その地域との密着、そして地域の教育力の低下ということなどにもつながっていくというような指摘、報道もされておりますが、この点のデメリットという点についてはどのようにお考えでしょうか。

参考人(濱野健君)

 今の御質問は、品川の区議会でもよく一部の方からお聞きをいたします。学校選択制。

 その前に申し上げたいのは、現実の問題として、四人から一人あるいは三人から一人の子供が私立に行こうとしているという、こういう一つの現実がありますね。そうすると、それで果たして公教育というものが責任を果たしているだろうかということが一つ。そしてもう一つは、子供が、自分の行く学校ははなから決められているんだと、ほかの学校に行かれないんだということの非合理性、こういったものを考える、あるいは私立へ流れてしまうということを考えれば、それぞれの学校が一生懸命努力することが必要だろう、その努力の一つの契機として学校選択制というのがあるんだというふうに思うんです。

 結果、やはり今言われたようなことが多少出てくるかもしれません。しかし、これは、もう一つの学校がその学校として一生懸命努力することによってやっぱり呼び戻せる、また呼び戻した事実がある。そういう意味では、各学校が切磋琢磨する一つの仕掛けだというふうに思っていますんで、何というんでしょうかね、これでもって学校が荒廃するとか地域が荒廃するということはないというふうに思っています。

 もう一つ、自分の地域の子供が他の地域の学校へ行ったからといって、その地域がその子供をないがしろにするか。そんなことはないというふうに思っています。私自身が、先ほど申しましたように、ほかの私立へ行きましたけれども、地域では温かく迎えていただきましたし、子供たちも公立の学校の子供たちと一緒に仲よく遊んでいたわけですから、その辺は少し誇大に語られているんではないかなという感じがしております。

井上哲士君

 もう一点、同様のことで濱野参考人にお聞きするんですが、学力テストが学校選択制とセットで行われるということでありまして、このやっぱり学力テストの結果が学校選択とリンクすることによるデメリットということもまた語られております。

 どうしても学校間の競争になって、いわゆるできない子が少し学校にいたたまれなくなるような状況であるとか、そして言わば平均点を上げるための補習などが行われたり、そのことが学校行事などに影響が起きたりと、こういうようなことも父母の方からも我々はお聞きすることがあるわけでありますが、そういう点の学校現場への影響という点についてはどのようにお考えでしょうか。

参考人(濱野健君)

 この学校でこういう学力が勝っています、劣っています、あるいはこれから努力が必要ですと、こういうことを公表することは一向に、何というんでしょうか、妨げになることではない、むしろ各学校の努力の方向性を区民に明示をして態度表明をする、そしてそこに向かって努力をしていくということは学校が進化していく一番の方法じゃないかと思うんです。

 今言われたようなことは、物事を後ろ向きにとらえれば何でも後ろ向きにとらえられますけれども、前向きに考えるということで申し上げているんであって、つまり、学校がどういうところにどういう努力を必要としてやっていくかということを父兄に、あるいは地域に明示しながらそこを進んでいくという、そのきっかけとしての学力定着度調査でありますし、それの公表と態度表明だということで、学校の、何というんでしょうかね、にとって良いことだというふうに私は信じております。

井上哲士君

 じゃ、加戸参考人にお聞きしますけれども、この学校選択制については、例えば、いじめなどでその学校にはもう行きづらいというときにある程度柔軟にするというようなことは既に制度としては行われているわけですが、いわゆる通学区そのものをなくすようなやり方というものは、これは地域的に見ますとなかなか難しい条件もあろうかと思うんですけれども、こういうものを全国的に広げていくという点についてはどういうお考えをお持ちでしょうか。

参考人(加戸守行君)

 県の立場で考えた場合に、今瞬間的に頭に浮かぶのは、小さな町村、へき地、離島、こういったところでは学校選択制なんというのは採用する余地はあり得ない。言うなれば、都市部における論理だろうなという感じがいたします。ですから、例えば愛媛県でいいますと松山市という県庁所在地で、そこの地域の中で学校選択制というのは試みのケースとしてあり得ても私はいいと思いますし、しばらく試行の形で数年間やってみた結果で定着させるのか、それともまた元へ戻すのか。言うなれば、最初から学校選択制ではなくて一定の数年間の試行期間で、地域によってテストケースをやってみてうまくいくかいかないかということをやるべきではないのかな。

 いずれにいたしましても、全県下でこれをやるということは不可能だろうと私は思っております。

井上哲士君

 ありがとうございました。

 次に、いじめ対策にかかわってお聞きをいたします。

 今度の教育基本法の政府案の中ですと、今後の基本計画の中で、例えばいじめをなくすための数値目標というのも出てまいります。この間、教育委員会がいじめの事態をなかなか公表をきちっとしなかったということに、いじめの数が少なければいい学校、多ければ悪い学校というような評価がされることがあって、結局むしろそれを対応するんじゃなくて隠すというような事態になったんではないかという指摘もありますし、文部科学大臣もそういう評価については考えなくちゃいけないということも言われておりました。

 私は、例えば三十人学級をいつまでにこうするとか耐震構造をここまでにやるとか、こういう数値目標は大いに教育にとっても必要かと思うんですが、例えばいじめなどを何年間で半減するとか、こういう数値目標というのはなかなかそぐわないんじゃないかという意見を持っておるんですけれども、そういう教育という在り方とそういう数値目標の在り方についてのそれぞれ御意見をお三方から伺いたいと思います。

参考人(加戸守行君)

 数値目標は、言うなれば結果の努力目標なのかなという感じでお聞きいたしましたが、これは犯罪の発生件数の抑制の数値目標とはちょっと違うと思うんです。というのは、客観的基準がありませんから、それをいじめと判断するか判断しないか、子供がいじめと思うか思わないか、それぞれの地域、子供たちの感覚で。ですから、目標が設定されるとそれに合わせるためにこれはいじめとして報告しないとかいうような意識的な数字操作が結果行われる危険性もあるかなという意味で、設定することに関して、私はその効果は疑問だと思っています。

参考人(濱野健君)

 私も、いじめというのはかなり主観的な要素もありますから、はっきり数値で表せるものかどうかというのは大変に難しい問題だというふうに思っています。したがって、数値ではっきり表せないことを半分にするとか三分の一にするというのはなかなか難しいと思います。

 しかし、そういうことに向けて努力するという姿勢は非常に大事なことじゃないだろうか、一件でもそういうことを少なくしていくという姿勢を何らか後押しをするような制度あるいは牽引するような制度というものは、仕組みというのは必要だろうと思います。それを半分にするがいいとかということがいいかどうかは別として、そういうものは必要だというふうに思っています。

参考人(穂坂邦夫君)

 今の国の方針も全体的にそういうふうな、要するに数値目標にすべきではないという方向で進んでいるというふうに理解をしています。

井上哲士君

 じゃもう一点、学習指導要領に関連してお聞きをいたします。

 加戸参考人からも最初のお話で、学習指導要領というものはもっと運用の幅を持った規定にするべきだと、こういうお話がございました。その一つとして、履修時間などはもう少し幅を持ったらということもあったわけですが、その大綱的基準と言われながら現場ではここから寸分も外れるなというような形でやられたり、様々なことがあろうかと思うんですが、どういう運用にするべきなのか。そして、そのためにも、先ほどは履修時間についてのお話がありましたが、それ以外の分野も規定ぶりもこうするべきだというような御意見がありましたら、元々文部科学省におられてむしろこれを進めてこられた立場と、そして地方自治体にいらっしゃる立場からは様々なことが見えてこようかと思うんですが、その辺、御意見を伺いたいと思います。

参考人(加戸守行君)

 これは教育に限らず、すべての分野であり得ると思うんですね。言うなれば必須要件として、建物を建てるときに鉄筋ならばここは三本以上入れる耐震構造にするとか、そういう最低要件、つまり建物として壊れないものはどんなのかという要件と、それに付随して、快適な生活を保障するために通風口を幾ら付けるのかあるいは換気扇をどうするかとか、様々な応用動作があります。そういった点で学習指導要領も、私は、これは子供を建物に比較するのは良くないですけれども、これだけのしっかりした耐久性のある建物が基本ですよと。あとは、この辺はそれぞれの地域の判断で、応用動作でというような基準であるべきだと思いますし、また、基準があっても、それは一〇〇求められたら一〇〇をやらなきゃいけないわけじゃなくて、まあ八〇程度沿っておれば、一〇〇の目標、基準であってもいいじゃないかという、その幅、揺れをどこまで判断するかということがあると思います。

 言うなれば、単に数値だけの話ではないんで、子供たちにとってみれば、一〇〇が教えられても一〇〇を吸収しているわけじゃありません。人によって三〇しか吸収していない子も、五〇吸収していないのかもしれない。でも、そのことの評価は別として、機械的に何時間何をやったからということがすべてではないだろうと。そういう意味の弾力性というのは幅を持たしてほしい、あるいは最低基準はもうちょっと縮めてほしい、その中で学校が創意工夫するようなカリキュラムであるべきだと私は思います。

井上哲士君

 どうもありがとうございました。今後の徹底審議の参考にさしていただきます。

 どうもありがとうございました。


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