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2007年5月31日(木)

文教科学委員会
教育3法案について(参考人質疑)

  • 教育委員会制度の今日的意義とその活性化」や「主幹制度」、「更新免許制の講習内容や人的体制」の問題について、参考人から意見聴取。

井上哲士君

 日本共産党の井上哲士です。

 今日は四人の参考人の皆さん、本当にありがとうございます。

 まず、三上参考人にお伺いをいたします。教育委員会制度についてお聞きをいたします。

 教育委員会の形骸化ということが様々叫ばれているということは今日もあったわけでありますが、そういう中で、教育委員会そのものをなくしてしまったらいいんではないかという議論もあります。ただ、地方分権の法改正などを受けて、中には非常に活性化をしている教育委員会なども見受けられるわけですね。

 そこで、研究されてきた立場から、教育委員会制度の持っている今日的な意義はどうお考えか、そして、それがやはり発揮できていない形骸化の原因、そして活性化の方策ということについてはどのようにお考えか、まずお願いをしたいと思います。

参考人(三上昭彦君)

 今、井上委員にお答えしますが、教育委員会の意義ということですけれども、そのベースはやはりあれじゃないでしょうか。先ほど私、法と教育のことでちょっと言いましたけれども、やっぱり教育というものの営みの、政治、経済その他と比べたときの一つの独自性といいますか、やっぱり非常にそこに、自主性といいますかあるいは多様性といいますか、そういうものがベースにしてあるということがあることと、やっぱり教育というのは、ともかく人間の人格的な交流を通し、しかも人類の文化遺産というようなものを材料にしながら、それを伝えつつ子供や人間の諸発達を図っていくという、そういう性格を持った仕事ですから、やっぱりそこには最大限の自主性といいますか、それが保障される必要があるということになるだろうと思うんですね。

 政治と教育の、しかし、同一性といいますか、共通性というのを大分一面では議論されているわけですけれども、その現実的な歴史的な推移を見ますと、日本だけの経験からいっても、いわゆる政治がひどい状況のときに、そこにすぐれて、優れた教育が制度としてあるいは面として広がり得るかというと、これはなかなか難しい側面があるわけですから、したがって、そういう意味では、政治とか行政と教育との関係、教育実践、教育行政との関係ということは、私の今までの理解では、やっぱり基本的に教育と政治が対立するような状況というのは、これは恐らく好ましくないということ、自主性があるとしてもですね。やっぱりその自主性を認識できるような政治とか行政というようなもの、そういうものが不可欠のものになるのかなというふうには思っています。

 それから、済みません、もう一つ後半の。

井上哲士君

 その上で、今日その本来の役割を果たしていない形骸化の要因と活性化の方策についていかがでしょうか。

参考人(三上昭彦君)

 先ほど私ちょっと言い掛けたんですけれども、教育委員会というのは、一応テキスト風に言いますと、教科書風に言いますと、三つの原則というふうに日本に導入されるときに説明されました。

 それは、一つは、教育委員会というのは、教育の言わば住民統制といいますか、民衆統制といいますか、別の言葉で言えば教育行政における民主主義というこのファクター、それは、住民が選挙によって選ぶということも含めて、住民代表性といいますか、そういう面、つまり教育行政の民主主義、民主化ということですね。

 それから二つ目が、それの一つの形態になりますけれども、教育という仕事、教育行政が基本的には地方の自治事務であり地方の仕事であるということで、教育行政の地方分権化ですね。

 分権化した上で、なおその分権化された自治体の中における組織内分権といいますか、そこにおける政治部局、行政部局、一般行政部局からの独立性といいますか、自主性というようなもの。

 その三つが一応その教育委員会の理念というふうに言われ、それから制度原則としては、これも最近ちょっと言われ始めておりますけれども、再び。そういうふうに見てきますと、しかし、教育は同時に一方で専門性というようなものを要求されます。しかし他方で、先ほど言った教育の民衆統制とか民主化ということは、言わば地域住民なり保護者の、すべての一般の素人の人たちにとっても教育は非常に重要なあれだし、この教育要求なり教育への願い、あるいは教育行政に参加するというふうな、そういうレーマンコントロールとプロフェッショナルリーダーシップを一つの統一したものとして、あるいはそのバランスを持ったものとして一応制度化したのが教育委員会制度だというふうに、大体そういうふうにテキスト風には習ってきたわけです。それで、しかし、それは、確かに私は現在においてもかなり重要なファクターであると思います。

 私は、今の教育委員会制度が言わば形骸化、すごく形骸化してきたと言われているその最大の契機は、やはり先ほどもちょっと冒頭の発言の中にもあったとおり、やっぱり一九五六年の地教行法体制への転換であったというふうに思います。その背景とか要因は一応おいておきまして、つまり、そこで何が変わったのかというところの一つは、先ほど言いました、言わば教育委員を含めた教育委員会自体の住民代表性といいますか、あるいはその民衆的な基礎といいますか、あるいは市民的な基礎といいますか、やっぱりそこが非常に、何といいますか、希薄になったということです。教育委員自体も任命されていくわけです、間接的なあれは働いているにしても、代表性は、直接的なあれが。

 私は、中野の準公選制は合法か違法かという大きな議論もありましたけれども、あれをずっと調べていて一つ分かったことは、住民代表性というのは、例えば準公選という、一応区民投票によって担保された準公選制というふうなものが住民代表性というものをまず教育委員自体に与えるんですね。これは、教育委員が自分たちの使命感とかそういう、何といいますか意欲とか勇気とか、そういうものを自分の中につくり出す内発的な要因に、住民から選ばれているといいますか、それがあると。と同時に、教育委員及び教育委員会、あるいは事務局も含めて、それに対する、住民代表性というか、あるいは権威といいますか、それも同時に、何といいますか、つくり出していたというようなことがそのときちょっと気が付いたんですね。そういう意味で、一つはそれが大きく欠落したということ。

 二つ目は、やっぱり教育委員会自体の首長部局との関係性において従来持っていました権限というのが、ある意味ではほとんど首長部局に吸収されていったわけですね、教育予算、教育条例案の原案送付権というようなもの。

 それからもう一つやっぱり大きかったのは、何といっても教育の地方分権と言われたときのやっぱり国、都道府県、市町村のこの関係、このファクターがやっぱり非常に弱まったと。

 ですから、その三つのファクターは、私は、やっぱり教育委員会制度を考える上で非常に重要なことでありますから、その意味ではこれを今日の形でどういうふうにまずは新しくつくり出していけるのかという、そういう問題があります。

 ただ、そのときに、私は思うんですけれども、民主党の案もいろいろ興味深いところはあるわけですが、例えば今回の政府法案で、教育委員の定数、これはそれぞれの何というかフレキシブルな、そういうのを導入しましたね。私は今、例えば教育委員の選出、選任の方法を、これが直ちにすべて何というか一律に公選制がいいというふうには必ずしも思わないんですね。むしろ多様な何といいますか方式というのが、実はこれまで日本の中だけでも、沖縄なんかも含めますと何種類かあるわけですから、そういうようなのも含めて、それぞれの地方の創意といいますか、知恵というようなものを含めた形でやっていくというような、手法としては私はそんなふうに考えております。

井上哲士君

 ありがとうございました。

 次、荒瀬参考人にお聞きします。

 主幹制度などの新しい職についてお聞きするんですが、最初のお話の中で、教員がいわゆるなべぶた組織と言われるのは必ずしも悪いことではないと、やはり教員は納得が必要だし、徹底した議論があってこそモチベーションがわくんだというお話を非常に興味深く聞いたんですね。

 既に主幹制度が導入されているところなどを見ますと、どちらかというと学校経営などはそういう新しい管理職がやって、先生方はとにかく職員会議なども余り議論をしないというような形が起こっているわけで、私はどうもこういう管理職を多くつくるということが、そういう徹底した議論でモチベーションがわくということからは逆行するんじゃないかという危惧があるんです。

 それから、自由に置けるというお話でありましたが、いったん主幹、主任と違いまして主幹の場合は職になりますと、ほかの学校へ行っても主幹になりますから、校長の裁量ということになかなかなっていかないということもあるわけで、この辺の点はどのようにお考えでしょうか。

参考人(荒瀬克己君)

 冒頭申し上げましたように、私はなべぶた組織につきましては極めて合理的な組織であるとさえ思っております。教員はある一つの専門的な職を持っている極めて、言い方がちょっと誤解を受けるかもしれませんけれども、職人的な、専門職といいますか、納得によって動くという、そういうところがあります。したがいまして、無原則ではないにしても、時間を本当に注ぎ込むという、土曜、日曜も含めて子供たちの教育のために注ぎ込むということさえあります。ですから、それが少しでも緩和されるように物的、人的な措置をお願いしたいということを思っているわけでありますけれども、そういった教員というのはやはり納得が必要でありまして、その納得なしに動くということは、これは極めて難しいと私は思っております。

 既にもう任命主任制というのが定着をしておりまして、校内的には、管理職ではありませんけれども、各パート、パートの代表として主任がおります。これは交代可能であります。ただ、それは私の知る限りの話でありまして、例えば県によって、あるいは学校によって、そういった職階を導入することが必要だ、それが学校の経営、もちろん学校の経営といいますのは児童生徒がより良く学び成長していくということが大前提にあるわけでありますけれども、それに必要だと思われるところがあるとしても、私は別段不思議ではないと思っております。

 ですから、先生おっしゃるように、主幹教諭というのはいったん置きますとこれは職が当たりますので外せないということもありまして、私のところでは現在それは必ずしも必要とは思ってはいないということであります。しかしながら、必要だと思っていらっしゃるところも、これはいろんな方とお話をしておりますとおありになるようでして、したがいまして、置くべきだと思われるところが置かれるのは、それはそれでいいのではないかなというふうには思っております。

 いずれにせよ、教員の組織というのは、基本的に参加するとか参画するということ、学校の経営に関して参加する、参画するという姿勢をつくっていくことが重要で、その姿勢をつくっていくときに、なべぶた組織の方がより姿勢がつくりやすいという学校の歴史とか文化とか状況とかのある学校と、いや、階層的な、職階を入れた方がつくりやすいんだと思われる学校があるということではないかというふうに私は理解をしております。

 以上でございます。

井上哲士君

 ありがとうございました。

 岩田参考人にお聞きします。

 いわゆる更新免許制が導入をされますと、そのいわゆる更新講習、それから認定は主に教員養成大学が担うことになるわけですね。ただ、新しく免許を付与するための今までの大学の在り方と一定のキャリアを積んでこられた方に対する講習ということは、中身的にもかなり違うことが求められると思うんですね。そういう内容の問題。それから、これを担うとなりますと、認定も含めますと相当の人的体制も必要になってくると思うわけですが、現在の教員養成大学でこれが十分に可能なのか、足らざるところがあるとすればどこであり、それはどうすればいいのかお考えでしょうか。

参考人(岩田康之君)

 私自身、中教審の答申の後で発足しました免許更新制導入に関する検討会議のメンバーとして、更新講習の具体的な内容などを検討するところに参画しております。参加しながら大学人の一人として思いますのは、これは導入されると私を含め課程認定大学の教員にとっては大変な労務強化になるんだろうというのが正直な実感であります。ただ、検討会議のメンバーの中で大学教員は少数派でございますので、その辺りは大学がやるのは当然だろうという筋論が優勢なのではないかと見ております。

 内容の問題ですけれども、実を言いますと、現在考えられております更新講習の内容というのは、基本的に学部のカリキュラムの中に導入されようとしている教職実践演習のフォーマットにのっとっています。四つの領域があって、それについて数時間ずつの講習というふうなフォーマットが検討中でありますが、ただ、当然入職前の学部学生のものに関しては、それまでにやったことの総まとめといいますか総復習、振り返りの機会である。それから、十年の更新講習ということになりますと、その間の十年間の実践経験を踏まえての振り返りということになるだろうと思いますので、当然内容ですとか組立て方というのは違ってくるということは予想されます。つまり、我々にとっては性質の違う二つのものを同じ枠組みで担うということになろうかと思います。

 ただ、これはプラスに考えようと思えば考えられなくもありません。といいますのは、私ども教員養成に携わっている人間にとって、実際の教師の営みということを考慮に入れた上で教員養成教育を行っていくということは非常に重要なことでございますので、更新講習というものをもし積極的に生かすとするならば、我々にとっても教育内容を考え直すいい機会になろうかと思います。

 ただ、更新講習で担保できる教員の適格性というのは非常に限られたものでしかないということもまた同時に検討会議に参加する中で感じてもおります。つまり、適格性の判定というのを修了認定のペーパーテストでできるのかといったら、これはなかなか難しいといいますか、そういう問題があると思いますので、更新制だけに期待するのではなく、そのほかの施策も含めてトータルに教員の資質向上ということを考えていく必要があるものと考えております。

井上哲士君

 一方で、運営費交付金に競争原理を入れた教員養成大学などはもう九割ぐらいなくなるというような試算もこの間出ておりまして、こういう議論が行われる一方でああいうものが出てくるというのは大変困ったことだなと私は思っておりまして、今の御意見もこれからの大いに議論の参考にさせていただきたいと思います。

 今日はありがとうございました。終わります。


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