【前衛2006年4月号】
ライブドア事件で何が問われているか
対談者
奥村 宏(おくむら・ひろし)
株式会社研究家、前中央大学教授
略歴
1930年生まれ、岡山大学卒、新聞記者、研究員、龍谷大学教授、中央大学教授を経て、現在、株式会社研究家。主な著書に、『企業買収』(岩波新書)、『会社本位主義は崩れるか』(同)、『株主総会』(同)、『判断力』(同)、『法人資本主義』(朝日文庫)、『二一世紀の企業像』(岩波書店)、『株式会社はどこへ行く』(同)、『会社をどう変えるか』(ちくま新書)、『会社はなぜ事件を繰り返すのか』(NTT出版)。
井上哲士(いのうえ・さとし)
日本共産党参議院議員
ライブドア事件は、一新興企業家が引き起こした犯罪という問題にとどまらず、日本の政治と経済のあり方に深刻な問題を投げかけています。本日は、日本の企業社会の問題を長年にわたって研究・発言してこられた奥村宏さん(前中央大学教授)と、商法「改正」など金融・証券の規制緩和問題で国会追及してきた井上哲士参議院議員に、この事件で何が問われているのかを論じていただきます。
- 目次
- ライブドア事件の特徴・本質をどう大きくとらえるか
- 株式の投機化の加速が事件の背景に
- 実体のない粉飾経営の根深さ
- 事件を生み出した政治の責任
- 金融担当大臣がライブドアにお墨付きをあたえた
- 大本にある小泉「構造改革」からの転換
ライブドア事件の特徴・本質をどう大きくとらえるか
「高株価経営」の手法と「日本的買い占め」という本質
奥村 この事件の本質的な意味は二つあると思います。一つは株価をつり上げるためにさまざまな工作を行ったやり方です。ライブドアのやり方は、たえず時価総額を引き上げる経営です。そのために、時価総額は株数×株価ですから、株価をつり上げて、株式交換で多くの会社を合併していくための工作がさまざまな犯罪を引き起こしたのです。私はこれを「高株価経営」と呼んでいます。株価を高くするには、その会社の業績をよくして配当を増やせばいい。それはどの会社も年がら年中やっていることで、株価をつり上げる特別の方法なんてない。そこでライブドアは、いろいろ操作を考え出して株価を引き上げた。これはライブドアに限らず、その他のIT産業株といわれているところも共通しています。そして株価をつり上げるために、株式分割や粉飾決算などの操作を行ったのです。この事件でライブドアがどうなるかはわかりませんが、かりにライブドアが消え去っても、このような株価をつり上げ、株式交換によって合併することによって会社を大きくしていくやり方は、今後も起きてくるだろうと思います。これが第一点です。
もう一つは、ライブドアが大きく注目されるようになった昨年のニッポン放送株の買い占めです。これは結果として、ライブドアは、ニッポン放送の株を30数%買って、フジテレビに引き取らせて、それで1470億円の金をせしめたわけです。これはM&A(合併と買収)ではない。合併も買収もしていない。会社側に買い占めた株を引き取らせている。はじめからそれが目的であったかどうかはわかりませんが、結果としてそうなった。私はこれを「日本的買い占め」と呼んでいます。
実はこのやり方は、日本の株式市場で1960年代から70年代、80年代にかけて横行しました。その最も大きな例は、三光汽船がジャパンラインの株を買い占めて、ジャパンラインに引き取らせて三光汽船側が大もうけしたことです。こうした日本的買い占めは、バブル崩壊後、90年代になって株が暴落したためになくなったのですが、それがまたぞろ起こっています。その第一号がライブドアのニッポン放送株の買い占めです。これも今後ライブドアがどうなろうとも、また起こってくる可能性があります。
実体をともなわない“虚業”をもてはやす政治
井上 安倍官房長官は「小泉内閣が構造改革を進めなければ堀江氏は出てこなかった」、堀江氏自身も「小泉内閣の規制緩和のおかげで非常に商売がしやすくなっています」と、それぞれ本音を述べています。この間の規制緩和万能論、とりわけ小泉内閣で加速されてきた「構造改革」が生み出した事件だと当事者が認めているわけです。大企業がもうけをあげることを何よりも優先して、そのためには国民を守るための規制であっても取っ払っていくやり方が何よりも根底にあります。
ライブドアはIT企業と言われていますが、企業本体の部分はほとんどもうけをあげておらず、売上高の六割は証券など金融部門でした。ある専門家の財務諸表の分析によれば、ライブドアは生産設備などの実体資産はほとんどもっていなくて、資産の九八%は株式などの資産と営業権等の無形資産で占められています。そういう点ではIT企業としての実体のない、いわば“虚業”です。しかし、高株価を維持し、M&Aをくり返すことで、虚業である企業実態を隠してきました。
堀江氏は自著で「人の心はお金で買える」「人間を動かすのはお金」(『稼ぐが勝ち』)と拝金思想をあらわにしていましたが、規制緩和のもとで、こういう錬金術を行って企業の実態と株価がまったく乖離していても、それを問わないでもてはやす、モラル・ハザード(道義破壊)が経済社会に起きています。本来、国の政治のあり方としては、国民のニーズにこたえ、生産性や技術力にみがきをかけて経営を行う実業を広げるべきです。ところが、働く人や取引先、一般株主などがどうなろうとも、どんな手段を使おうとも、もうけがすべてだ、カネ転がしや企業転がしであっても収益性が高く株価が高い企業はいい企業だともてはやしてきました。結局、バブルの崩壊から何の教訓もくまないで、同じことをくり返し、モラルもルールもないやり方をやってきた、このことが今回の事件につながっていると思います。
株式の投機化の加速が事件の背景に
「高株価経営」のはしりは70年代から
奥村 さきほど特徴の一つとして述べた「高株価経営」を、もっとも典型的に行ったのも三光汽船でした。三光汽船というのは、自民党の河本派の総帥だった河本敏夫元通産大臣・経済企画庁長官がつくった会社です。1970年代、三光汽船はタンカー業界の大手で、海外からの石油を運んでいました。三光汽船は、時価発行で、造船会社に割り当てて第三者割当増資(特定の第三者に対して新株引受権を与え、新株を発行すること)を行いました。造船会社はタンカー建造の注文がほしいため三光汽船の増資に応じます。造船会社のうしろだてで信用が高くなり、株価が上がります。さらに三光汽船は証券会社を通して市場から株を買って、それを造船会社や取引先の銀行などに買ってもらう。そうすると市場に出回っている株が少なくなるので、ほんの少しの株を証券会社に買わせればすぐ株価は上がる。そうやって株をつり上げていったところで、時価発行増資を行ったのです。
時価発行増資とは何か。日本では、株式会社の増資は明治以来すべて、額面(当時はほんどの会社は50円でした)の50円を払い込めば一株もらえる増資です。株価が1000円のときでも、会社は50円でしか発行できません。ところが、1968年ごろから時価発行増資が流行するようになり、増資の際の株価が仮に1000円だったら、ほぼ1000円で発行できるようになった。会社は株券を刷るだけで巨額の資金が調達できるようになったのです。
三光汽船は時価発行増資を四回も行って、912億円以上の資金を調達した。三光汽船の副社長だった岡庭博氏に私は何回も話を聞いたことがありますが、彼が「高株価経営」と称したのです。株価を高くして経営する手法です。その後、時価発行増資が一般的になり、丸紅やその他の会社もみんな同じようなことを始めました。80年代、ほとんどの会社がこういうことを行ったわけです。そうして調達した金で、会社はさらに株を買い、土地を買った。これがバブル経済をもたらしたのです。
個人投資家・投機家を相手に株価操縦でつり上げ
奥村 そうした安定株主工作では会社=法人に株を持ってもらっていた。しかし、90年代になってバブルが崩れるとともに、株価が暴落したため、法人同士の株の持ち合いが崩れてきています。そこでライブドアが利用したのは、法人に買わせるのではなく、もっぱら個人投資家が相手です。個人投資家の中でも、とくにネット取引なんかで一日に何回も売買(回転売買)している個人投機家に買わせるようにしたのです。
株価をつり上げようとして株を買えば高くなるが、売ったら元のもくあみになる。それでは何の意味もないわけです。株式市場では提灯買いと言いますが、つり上げた時にそれに追随してくる投機家がいないとつり上がらない。最近では、ネット取引をしている個人投資家が非常に増えていて、それがホリエモンの一挙手一投足に注目する。彼がテレビや新聞、週刊誌に出る、あるいは選挙に出る。その一つひとつが株価を動かす材料になります。それで、どんどん買っていく人が増えてくる。
さらに株価を引き上げさせるためにやったことが、一つは株式分割でした。株式分割は、一株をたとえば10株に分割したら、一株1000円だったものが一株100円になる、それだけの話です。しかし、それを利用して株価をつり上げたのです。株は原則として現物取引ですので、株券がなければ売れない。株式分割すると、株券が新しく印刷されるまでに、当時は50日くらいかかった。その期間は市場に株が出ない。そこで、ほんの少しでも買い手がいると、株価が上がる。ライブドアは株式分割を何回も繰り返して、株価をつり上げたのです。もう一つは、ライブドアは利益がないのにあるように見せかける粉飾決算を行って、株価つり上げをはかったことです。これは明らかな犯罪です。
こういう株式分割で株価をつり上げ、それに個人投機家がついてくるというやり方は、証券取引法では株価操縦であり、禁止されています。だが、これはきわめて抽象的であいまいな規定です。ライブドアがやっていることは、外から見ていても、これはどうもおかしい、株式分割を使ってやっていることはすぐわかることです。しかし、それに対して金融庁は何ら手当てをしていなかったのです。
現在では、東京証券取引所(東証)の出来高の半分くらい(月によって違います)が、個人投資家の売買だと言われています。そのうちの8割くらいがネット取引です。一日中、朝九時から午後3時か四時頃までパソコンの前に座り込んで、インターネットで株の売買だけをやっている。中には、みずほ証券の誤発注で10分間に22億円をもうけた若者がいると週刊誌が書いていました。そういうものに踊らされ、便乗する、そういう投機家が非常に増えてきました。以前は、株価が投機化した場合、大蔵省や取引所が投機を抑制させる手段をとっていた。たとえば株価の値幅制限を強化する、あるいは信用取引だったら信用取引のための担保の掛け目(評価割合)を上げるなどです。ところが、いまは金融・証券の規制緩和によって、それはいっさいやらない。放任して投機を促進しています。それを利用してライブドアが株価操縦をして高株価経営を行ったのです。
規制緩和で個人投資家を増やしながら保護策はなし
井上 個人投資家、個人投機家は自然に増えたというより、政府が政策的に増やしてきました。3年前に1500人くらいだったライブドアの株主が、今は20万人に増えている。奥村先生が言われたように、そういう個人投資家の中にマスメディア報道に一喜一憂しながら毎日ネット取引に没頭するという特徴的な行動をしている人が少なくない。それを新しい状況のもとで利用したのが堀江前社長でした。
テレビにあれだけ出ているので信用して買ったという人はずいぶん多い。彼はプロ野球の近鉄球団の買収で名乗りをあげて、それでグッと株価が上がったことに味をしめたと思うのです。球団買収には失敗したのですが、失敗したら普通だったら信用を落とすはずなのに、逆にそれでグッと名前が広がった。ニッポン放送の株買い占めも、それ自体には成功していないのですが、常にマスコミに露出する、言わば劇場型の演出をすることで、個人投資家がどんどんついてくる。それで味をしめて常にマスコミの話題づくりを自分で行ってきた。これが彼の戦略であったと思います。
そこまでは全部、自分で話題を仕掛けたわけですが、総選挙の場合は、むしろ自民党の方が仕掛け、それに彼はのった。おたがいに利用したと思いますが、外から株価つり上げの話題の場を提供したのは、唯一自民党でした。出馬表明にあたって小泉首相と会い、前の金融担当大臣と政権党の幹事長が選挙応援に行って持ち上げた。事実上の政府保証という形になったことは否定できません。その結果、個人投資家が価値の低い株式を高く買わされて食い物にされたのです。
ライブドアの「錬金術」の手段に使われた一つが「株式分割」だったというお話がありました。これが可能になったのは、株を購入しやすくして個人投資家を市場に呼び込むために、政府が規制緩和をしたからでした。01年の商法「改正」で、「株式分割後の一株あたり純資産額が5万円以上」などとしていた規制が撤廃され、野放しにされたのです。
株式分割の規制緩和にあわせ、東証は2001年8月に最低投資単位を50万円未満にするよう上場企業に勧告しました。また、同八月に金融庁が「証券市場の構造改革プログラム」を出し、株式の投資単位の引き下げが掲げられました。さらに東証は、投資単位が50万円以上の企業に対し、投資単位の引き下げについての考え方や今後の対応方針について決算発表時に開示を求めるなどの相当の圧力をかけました。こうして株を買いやすくして、個人投資家をどんどん誘い込もうとしてきたのです。
もう一つ、今回、悪用された投資事業組合の問題があります。これも、金融庁は問題があると認識しながら、まともな個人投資家保護策はありませんでした。投資事業組合はさまざまなファンドの一種で、民法上の任意組合という形態をとるものが多く、登記や情報公開の義務がありません。金融庁のホームページの「いわゆるファンドについて」という文書で次のように書いています。「ファンドの中には行政の監督官庁がなく、投資信託法や証券取引法といった投資家保護をはかるための販売規制や金融商品の組成・運用にかかわる規定が適用されていないものも多数あります。このような中には詐欺的なものもあるとの指摘もなされているところです」。一方、証券取引等監視委員会のホームページの「個人投資家支援のページ」では、「もっとも有効な個人投資家保護策の一つは、自衛できる個人投資家の育成である」としています。一方で、投資事業組合の中には詐欺的なものがあると警告しながら、まともな個人投資家保護策もとらずに、自衛は自分でやりなさいということを言っているわけです。
実体のない粉飾経営の根深さ
ライブドアのニッポン放送株の買い占めのやり方
奥村 ライブドアのニッポン放送株の買い占めのやり方を見ていて思いました。普通は、戦後、百貨店の白木屋を横井英樹が買い占めた事件など、株の買い占めをやる時は、株の買いを発注する場合に証券会社を分散して、名前もわからないようにしてこっそりやるものです。ところが、ライブドアは初めからホリエモンがテレビなどに出てきて、ニッポン放送の経営内容がどうのこうのと発言しています。いかにも危なっかしいやり方ですが、よく考えてみれば、それが彼の作戦でした。近鉄球団買収に名乗り出て名前を売ることでライブドアの株が上がる。総選挙への出馬も本当に政治家になろうとしたのかどうかはわからないが、少なくとも名前を売ろうという作戦だったと思います。それによってネット取引をしている個人投資家にアピールし、株価をつり上げた。さっき“虚業”と言われましたが、私は“紙の城”と言っています。株券で実体のない“紙の城”を築きあげるためにそういう人気を使った。
アメリカでも、1960年代にコングロマリット(業態的に無関係な企業間の結合)合併がしきりに行われ、大問題になりました。株価をつり上げて、株式交換で相手の会社を買収、合併する形でどんどん大きくなっていく。たとえばアメリカで一番大きい国際電信電話会社であったITTが、レンタカーの会社やホテルなど、まったく関係のない分野の会社を買収して大きくなった。この場合には、株価収益率、つまり一株あたりの利益に対して株価が何倍になっているか(分母が一株あたりの利益で、分子が株価)を指標にした。それが高い会社は人気のある会社です。そういう会社が株価収益率の低い会社を買収、合併すれば、ますます株価収益率が高くなるという魔術を使っている。その頃、アメリカの大企業がすべてねらわれた。当時、自動車メーカートップのGMでも危ないのではないかとさえ言われました。その後、ニクソン政権になって、これはアメリカの大企業体制を破壊するものであると、コングロマリット退治をやりました。70年代には、かなりコングロマリット企業がつぶれるし、株価は下がりました。
この場合は株価収益率という一定の客観的な基準をもとにやったのですが、ホリエモンなどは非常に浮ついた名前で売っている。当時、私は“これは非常に危なっかしいやり方をしている。いずれつぶされるだろう”とある雑誌に書いたのですが、こうなるのはある意味では必然だと思います。他のところは同じようなことをもっと巧妙にやっています。
井上 ライブドアは、あれだけ株価が上がりながら、株主には配当を出していない無配企業でした。昨年暮のライブドアの株主総会では「ライブドアは拡大路線ばかり推し進め、配当を出さない」との批判の声が出ましたが、堀江前社長は「株主のことを考えて会社をやってたんですけど…」と反論しています。堀江氏は、意図的に配当しないようにしていましたね。
奥村 60年代のアメリカのコングロマリットも、株価収益率を上げるために配当しないようにした。配当しない分を使って事業を拡大して利益を上げるようにした。ですから、むしろ配当をしない会社の方が株価収益率が高く、成長性が高いとなったのです。その点では同じようなことをライブドアはやった。普通だったら、株主に対して配当するのが株式会社の基本ですが、それをしない方が株が上がっていくというやり方です。もちろん、そのためには配当はしないけれども利益はあげなければいけない。そうしないと誰も信用しません。そのためにライブドアは、いろいろな粉飾決算をやったのです。
井上 普通、無配企業というのはもうちょっと控え目にするものだなどといわれています。利益が出れば、投資した株主に配当するのは当然のことだと思いますが、いわば株式会社経営の基本すらも歪ゆがめているといえるのではないでしょうか。
奥村 アメリカの90年代のIT株ブームの時にも、配当しないほうが成長性があると買われるという現象が起こっています。株式会社は、根本は配当が目的ですが、日本の今の株式市場で売買している個人投機家たちは配当なんてぜんぜん問題にしていない。もっぱら値上がりだけを目的にしています。そうすると配当しないで、それだけ会社に利益が蓄積された方がいいということになるのです。
実体経済から離れて日本経済の存立を危うくする
井上 一方で、村上ファンドなんかは、大株主になって企業に乗り込んで、株主への還元が少ないと高配当を要求して出させておいて、利益が出たら売り抜けるという違うやり方をしていますよね。だから、いろいろなパターンがあるのでしょうが。これまでの、個人株主にしてもある程度安定した株主が多かった時は、企業の中長期的な経営とか、それがどれだけ株主に還元されているとか、そういうことが問われたと思います。しかし、これだけ短期的な売り買いになり、そういうことがあまり考慮されないことになると、目先の株価だけが問題になり、企業が企業としての将来を考えた経営をすること自体がおろそかになっていくと思います。
2001年12月に破産申請したアメリカのエンロン事件の時にも株価至上主義がずいぶん問題になりました。アメリカ国内でも、「頻発する会計疑惑について、『株価の上昇を至上命題とする米国の企業文化のきしみが生んだ?』」(ジャレッド・バーンスタイン経済政策研究所エコノミスト)との指摘がなされました。その中で、ストックオプション(企業が役員や従業員に対して、自社の株式を一定の価格で一定の株数を購入する権利を与える制度)の導入が株価至上主義に拍車をかけたという批判が出されました。役員がこの制度を利用して莫大な利益を得ようとして株価を上げる、まさに目先の利益だけを追い求める経営がどんどんはびこっているという批判です。たとえば、「われわれは、長期的な視点で投資をしており、企業が短期的な業績にこだわりすぎることを懸念してきた。ストックオプションはこうした傾向を助長した」(米教職員保険年金連合会・大学退職株式基金〔TIAA・CREF〕のJ・ビッグス会長)という声です。株価至上主義では、企業が実体経済から離れていき、日本経済そのものの存立を危うくしていくといえます。
このストックオプションが1997年に日本にも導入されました。日本共産党以外すべての党の議員立法という形で提案され、まともな審議時間も取らずに強行されました。わが党は反対しましたが、賛成した各党も、論議不足や不公正取引の可能性を指摘し、「インサイダー取引などの不公正取引に対して、証券取引法の厳格な適用を行うとともに、罰則強化を含む法整備について、諸外国の制度や他の経済法規との均衡をも考慮しながら検討すること」との附帯決議をつけざるを得なかったのです。
ところが、2001年11月には、公正な証券市場の整備や経営監督機能の強化について何ら有効な手立てがとられないまま、ストックオプションにかけられていた制限を全面的に撤廃する商法「改正」が日本共産党以外の各党の賛成で行われました。
エンロン事件とライブドア事件の共通点と違い
奥村 ライブドア事件とエンロン事件を対比すると、両方とも重大な問題をはらんでいます。総合エネルギー企業のエンロンは、もとは天然ガスのパイプラインの会社です。それが電力や水道などいろんな分野に手を出し、日本への進出計画もありました。アメリカで売上高が七位という大企業になりました。これが株価をつり上げて、高いところで株式交換で相手の会社を合併するやり方でどんどん大きくなっていった。
その点ではライブドアも同じことをやったわけです。株価を高くする方法として、ライブドアの場合は、日本の個人投機家を相手にして投機をさせることによって株価を上げた。エンロンの場合は、株式の売買高の圧倒的な部分を占めている機関投資家、つまり年金基金や投資信託、生命保険、財団などを相手にアピールする形で行った。そのために粉飾決算を行った。ライブドアの場合には投資事業組合を使ったが、エンロンの場合は特別目的会社(SPE)を使った。内容を公開する義務がなく、秘密にやれる点でよく似ています。
エンロンは、これを使って株価をつり上げて自社株を担保にして金を調達することによって大きくなったのですが、2001年12月に粉飾決算がばれて倒産したわけです。株価をつり上げて大きくしようとする高株価経営です。その点ではエンロンもライブドアも同じです。違う点は、アメリカの場合は機関投資家を相手に株価をつり上げたが、ライブドアは個人投機家を相手にしていることです。
もう一つ大きな違いは、エンロンもかなり“紙の城”的なところがあるが、電力や水道などの部門をもつ大企業でした。それに比べて、ライブドアは、まったくと言っていいほど実体のない、もっぱら株の操作でもうけていた。
ただ、粉飾決算はエンロンだけでなく、当時、売上高全米第五位の巨大企業ワールドコムが同じように粉飾決算でつぶれている。当時、IBMやGEなどの巨大企業も軒並みに粉飾決算が問題になりました。それが大問題になってブッシュ政権は、企業改革法(サーベンス・オックスリー法)をつくって、粉飾決算をしたら厳罰にすることを決めました。この時、アメリカの巨大株式会社の危機だと言われました。
日本の場合、たとえば村上ファンドは、会社ではないから自社株をつり上げるわけにいかない。そこで、たとえば阪神電鉄の株を買収することによって、阪神電鉄の株をつり上げる。そして阪神球団の株式を公開せよと要求した。阪神電鉄が大阪駅の近くにもっている不動産などは、簿価が何百万円で時価が何十億、何百億円という巨額の含み資産がある。仮にそれを不動産投資信託などに売ると、そこから利益が出る。それで配当を増やしたら株は上がるではないかと、自社株ではなしに相手の会社の株をつり上げていく。あるいは楽天がTBS株を買い占めたのは、TBSの含み資産が多いからと言っています。これには外資系のファンドなど、あとに続くものもたくさんいます。
株買い占めによって、含み資産をはき出させて、株価が高くなればいいし、もしそうでなかったら買った株を買い取らせる。どちらに転んでも、もうける。そういう広い意味での高株価経営が日本の株式市場で大きな問題になってきた。その氷山の一角がライブドア事件であると思います。
事件を生み出した政治の責任
2002年の商法「改正」でも教訓が生かされていない
井上 2002年の商法「改正」で、コーポレートガバナンス(企業統治)でもアメリカ型の選択的な導入が行われました。その時に、エンロン事件が問題になりました。エンロンでは、経営トップが不正に走っただけではなくて、本来は経営者を監視すべき監査法人や社外取締役がまったく機能しなかった。にもかかわらずアメリカ型の企業統治がグローバルスタンダードであるかのようにして導入するのは問題だと国会でも追及しました。エンロンでも、取締役中18人のうち12人が社外でしたが、それは多くは当時の元会長のつながりのある人物でした。
ライブドアでは、どういうコーポレートガバナンスがなされていたのか。何も機能していない。あれだけの会社なのに、ひとにぎりの側近だけで決められている。そのうえ、偽計取引や粉飾決算について監査法人のチェック機能が働いていない。あれだけコーポレートガバナンスの強化について議論されたけれども、アメリカのやり方を部分的に持ち込んだだけで、エンロン事件の反省が商法に何も生かされていないというのを改めて感じました。
日本の株式会社の運営は旧態依然のまま
奥村 日本の株式会社は、建前は株主総会で取締役と監査役を選ぶ。そして、その取締役の中から代表取締役を選ぶと、今度の改正商法=会社法の規定でもそうなっています。社長については法律上の規定はないから、社長がいなくてもいいわけです。ところが、日本のほとんどの会社は、取締役が社長を決める。しかし、次の取締役を決めるのは株主総会ですが、株主総会に出す会社側の取締役候補者の提案は社長が決めます。それがほとんど自動的に株主総会で認められています。だから社長が自分の都合のいい人を取締役にし、その取締役が社長を選ぶ。社長が自分で自分を選んでいるのと同じです。社長が辞める時には、後継の社長をその社長が決めるのが、日本ではほとんどあたり前のように行われています。そこのところにメスを入れなければいけないのですが、昨年の改正商法=会社法でも、まったく形だけ外部取締役を強化するとした。しかし、その外部取締役に事実上指名しているのは、社長の友人や自分の取引先などです。それが機能していないのはライブドアだけではなく、どこの会社でもほとんどそうです。
井上 ライブドアというのは日本の古い企業とは違う、新しい企業だ、ともてはやされてきましたが、やっていることは昔の日本の古い企業のワンマン企業と同じような、実に古い形です。そして経団連にも入ったように、新しい顔をして、実は古い体質で動かしている感じもします。
奥村 私は先日、テレビ朝日の「朝まで生テレビ」に出た時、堀江前社長の評価をめぐって田原総一朗氏と論争になりました。田原氏は、堀江氏は若者にアピールして新しい時代を切り開いたと評価していて、それを今までマスコミは持ち上げておいて、今度はこうなった時にライブドアをたたくのはけしからんと言います。それはとんでもない間違いだと思います。
私は、ライブドアというのは一言で言えば解体屋、こわし屋です。日本的買い占めでニッポン放送株を買い占めて、フジテレビはこのために一四七〇億のお金を投下させられた。そしてライブドアの第3者割当増資に応じた。いまライブドアの株価は暴落しているから、フジテレビは大幅な含み損をかかえています。これは60年代、70年代、80年代にあったやり方ですが、これをやられると誘拐犯にやられるのと同じ手口で、誘拐犯に要求されるから金を出す。そして、それがまた繰り返される。そういうことで、日本の大企業体制をむしばんで、こわしていく役割を果たしています。問題はこわされる大企業の側にありますが、解体屋のほうも決して新しいIT産業のビジネスモデルをつくっているものではない。いろいろな会社の株価をつり上げて、買収・合併していって、その利益をはき出させている。こうした大企業体制を解体させることによって儲けているのです。
もう一つは、さきに述べた個人投資家の投機化を非常に促進させていることも、日本の大企業体制をむしばんでいます。ところが、それがわかっていない小泉首相や竹中大臣は、これは「構造改革」を推進するものだと、堀江人気にのった。そのことが、ライブドアの経団連加入を認めて、その後、奥田経団連会長が軽率に入れて失敗したという発言になっていると思います。
「資本金なしの株式会社」でモラル・ハザードが・・・
井上 昨年の商法の大「改正」=会社法では、資本金なしの株式会社が認められることになりました。私は質疑の際に、株主が有限責任という特権を享受する株式会社というものは、大資産家の株主であっても破は綻たん時には投資額以上は責任を負わない一方で、取引先や債権者は一家路頭に迷っても仕方がないという、ある意味、非常に非倫理性を含んだ制度だと指摘しました。その上で、最低資本金制度というのは、株式会社制度を利用するという人に、有限責任を享受するには責任と厳しさがあるんだよということを教える貴重な教育効果があるのに、これをなくせばモラル・ハザードが起きないかと指摘しました。
あらためて問われる株式会社の有限責任の原則
奥村 今度の事件は、そういうことを考え直す一つのきっかけをつくったという意味では、いい教材です。しかし、それを生かしていけるかどうかは、国会でどういう法律をつくっていくかにかかわります。改正商法=会社法について、私は会社法の専門家ではありませんが、いまやられていることは株式会社の原則を完全に崩していくものだと思います。株式会社の基本は、株主は有限責任です。有限責任を担保するものとして資本金があるわけです。ところが、規制緩和によって資本金は1円でいいとなった。
イギリスでは、近代株式会社制度が成立する段階で、議会でこんな無責任なものを認めるべきではないと大議論になった。ところが、いま日本では、有限責任どころか無責任会社をつくっていっています。そして有限責任のツケはどうするのか。会社がつぶれたら、銀行は企業に対して債権を放棄する。債権を放棄するというのは、株式会社が株式有限責任であるというのに、責任を追及しないということです。合名会社だったら出資者は無限責任です。その会社がつぶれたら、会社の借金によって自分の財産の差し押さえをくいます。
かつてのイギリス議会では、われわれ個人だって、みんな無限責任をおっているのに、なぜ株式会社だけに有限責任を認めるのか、これが大問題になったわけです。それは当然のことです。そのために条件として資本金が一種の担保になる。金を貸す方は資本金を担保として金を貸したらいいとなった。資本金に見合った金か資産がある。だから会社がつぶれたら、それを競売して回収すればいいということです。ところが資本金が1円、事実上ゼロということですから、初めからそういう前提がなくなっています。私は株式会社の研究を40年間やってきましたが、現在の日本にある株式会社は、株式会社とはとても言えない、そういうものになってしまっています。強いて言えば無責任会社です。
金融・証券自由化、いわゆる日本版ビッグバンの時に橋本首相が、その条件として、フリーでフェアをあげました。ところが、ライブドアは、株式分割で操作し、粉飾決算で株価をつり上げていた。そういうことがされるということは、証券行政の大失敗です。フェアな市場にすることがどうしても必要です。
にもかかわらず今度のライブドアの事件が起こって、与謝野金融庁担当大臣は、悪いのは取引所だ。取り引きができないような取引所は取引所ではない、と言った。取引所のコンピューターの機能が悪いのも問題かもしれないが、一番大事な、過熱化している投機をどうするのかということが問われているにもかかわらず、これにまったく手をつけない。これではそのうちにまた同じような事件が起こって、痛い目にあうことが起こるだろうと思います。
投機をあおる政府の政策
井上 橋本内閣以来、金融の不良債権処理から始まって、「貯蓄から投資への流れ」をつくるとして、個人が持っている貯蓄をいかに証券市場に引き込むかということと、グローバル化の名のもとに、国際的な市場間競争に勝って外国から資金をどう取り込むかということが、最優先されました。その結果、公正なルールづくりや金融の消費者保護をどうするのかは後回しにされて、自主規制機能がどんどん低下をしていって、ライブドアのような事件が起きたのだと思います。
「貯蓄から投資へ」ということが叫ばれましたが、実際には個人投資家の拡大はほとんど進まなかった。2002年9月の金融審議会の答申を見ても、「実体経済の低迷があるとはいえ、証券市場は依然として活力にとぼしく、市場金融モデルの役割が重要となる新たな金融システムをになうには十分なものとはなっていない」と言っていて、笛吹けどもなかなか個人投資家は増えないというのが、つい数年前だったと思います。
では、どうするのか。この答申でも市場の公正性の確保はうたわれますが、具体的に強調されているのは、販売のチャンネルを増やして投資しやすくすることです。それまでも、証券会社の免許制から登録制への移行や株式売買手数料の自由化などの規制緩和がすすめられてきましたが、さらにその流れが強められました。税金の面でも後押ししました。株式配当と譲渡益にかかわる課税はそれぞれ10%にする(2007年度まで)。もともと配当所得は所得税と住民税の最高税率50%が適用される総合課税で、譲渡所得は26%の申告分離課税だった。これがそれぞれ10%になったのですから、ものすごい減税です。今、所得税の最低税率が10%で住民税が5%ですから、勤労所得の最低税率は15%なのです。これよりも低いわけです。証券会社の誤発注で一瞬のうちに22億円ももうけた個人投資家がいましたが、それでも10%の課税で、あくせく働く労働者は高い税金を払う。それこそ、ものづくりなどで、あくせく働くよりも投機しろとあおるようなものです。
本来、株式取引はリスクがあるものであり、そういうことをしっかりわかった上で取り引きするように、証券会社はお客にも説明してきたわけですが、ネット取引を行っている個人投資家にはまともな説明がされていない場合が多い。この間、株価が右肩上がりでしたから、それをあおっていくことがやられてきました。リスクも認識させないままマネーゲームをあおったというのが、これまでの状況です。
しかも背景にはアメリカの要求がありました。96年の橋本内閣が打ち出した日本版金融ビッグバンも、95年の日米協議でもり込まれたものを具体化したものでした。2000年10月のアメリカ側の年次改革要望書には、新株発行株式の最低発行価格に関する規制および、株式分割で一株あたりの金額枠に関する規制を撤廃せよと露骨に書いてあります。そして翌年の商法「改正」で、これらの規制が撤廃されました。
日本への市場参入をにらむアメリカと、個人投資家を取り込もうという日本の経済界の要求をそのまま取り込んで、公正なルールの整備とか、金融消費者、個人投資家の保護は後回しにしてほとんど手がつけられないままきた。そのことが今日の事件を生み出したのであり、政治の責任は大きいものがあります。
危機に陥った大企業の救済策としての規制緩和
奥村 小泉さんは、「貯蓄から投資へ」と言って、個人が株を買え、個人投資家株主を育成するということを言っています。現実はどうか。バブルが崩壊したあと、法人の持ち合い崩れが起こりました。法人が持っている株を売ったのですが、それがさらにどこにいったかといえば、最も大きいのはアメリカなどの外国機関投資家です。個人持株比率はずっと20%台で、ほとんど増えていません。にもかかわらず、個人の売買高は非常に増えています。ということは、個人は売ったり買ったりして結局、定着していない。そういう意味で投機化してしまっている。個人持株比率は、世界的に見てもアメリカでもヨーロッパでもみんな下がっています。これを上げていくということは、まず不可能です。結局、ネット取引などの回転売買で投機化させ、株式市場を投機化させることにしかなっていません。
規制緩和は、アメリカではレーガン政権の前のカーター政権の時からやられました。1975年の5月1日からアメリカで証券取引所が株式の売買手数料を自由化しました。これをメーデーと呼んでいます。メーデーとは、5月1日から実施という意味と、モールス信号で「助けてくれ」という緊急信号の意味があります。これをやったらウォール街が大混乱するという意味でメーデーと言ったのです。手数料の自由化によって、ウォール街の証券会社は、大手はどんどん割引して大きくなり、中小は淘とう汰たされました。それを今度はイギリスで八六年からサッチャー首相の時にやったのが金融ビッグバンです。それを日本に取り入れたのが橋本内閣の日本版金融ビッグバンです。同時に、サッチャーは国有企業のプライバタイゼーション(日本では民営化と呼んでいますが、私は私有化と言っています)を進めました。この規制緩和と国有企業の私有化が新自由主義の流れとして、80年代からアメリカやイギリスで支配的になり、やがて日本にも入ってきて今、規制緩和が行われています。
これが起こったそもそもの原因は何か。アメリカでは1929年恐慌で株が暴落しました。32年にルーズベルトが大統領になって、調べるとウォール街で証券会社はさんざん悪いことをしていた。それを規制するために証券取引委員会(SEC)をつくり、きびしい規制をするとともに、経済への国家の関与を強めるケインズ政策を行いました。またヨーロッパでは第二次大戦後、社民党政権が企業の国有化・公有化を進めました。そうしたなかで70年代に世界的な石油危機が起こり、アメリカ、ヨーロッパの大企業体制が大きく行きづまり、危機におちいります。その危機の打開策としてやったのが規制緩和であり、国有企業の株式会社化、私有化なのです。
この間の新自由主義の導入は、たんにそのイデオロギーや経済思想を持ち込んだというよりも、大企業が危機におちいったその救済策として行われたものです。それが忘れられて、日本の今の規制緩和論者も、小泉「構造改革」の賛成論者も、“日本は今まで官僚統制で規制ばかりやってきた。これを自由化するのはいいことだ”と言っている。世界的に規制緩和や国有企業の株式会社化がなぜ起こっているのかという根本を見ずに、うわべだけの議論にすりかえています。
そういう中で日本の株式市場でも規制緩和で投機を促進する。結果として個人投資家の持株比率は増えません。今これは日本の大企業体制にとって非常に危険な方向へ行っていると思います。それにもかかわらず小泉内閣は「構造改革」の旗振りをし、マスコミはそれについていって「構造改革」を止めるなという。その矛盾がライブドア騒動のような形で現われてきている。この事件は氷山の一角にすぎません。
金融担当大臣がライブドアにお墨付きをあたえた
証券市場の規制機関がまったく不十分
井上 一連の商法「改正」の国会審議の時に、私たちは、アメリカのSECに学んで日本版SECのような強力な規制機関をきちんとつくれと要求したのですが、当時の法務大臣は、「諸外国と比べても、遜そん色しよくない体制が整備されている」という答弁を繰り返しました。しかし、証券取引等監視委員会は金融庁所管の機関にすぎず、独立性という点できわめて弱いものです。委員会の体制も、アメリカのSECの十分の一の人数にすぎません。AP通信も堀江氏逮捕のとき、「世界第2位の経済大国が株式市場を監督する独立した機関を保有していない」と伝えました。さすがに今回の事件では、監視委員会が何もしないままに検察が動いたわけですから、何をしていたんだという批判が強まっています。今国会での答弁では、監視委員会には遜色ない「権限」がある。しかし、少し体制は強化しなくてはならないと少し答弁は変えてきています。
だいたい、総選挙では、総理、幹事長、前金融担当大臣などが全部応援していたわけです。そういう企業のことを、金融庁の外局である監視委員会が手をつけられるのか。独立性からいっても、ぜんぜんダメだということがはっきりしました。
しかも、今の法律のもとでの脱法的なグレーゾーンと言われる部分についても、金融庁がすべてお墨付きをあたえてきました。さきほど奥村先生が言われたように、多くの人たちがライブドアのやり方はおかしいと見ていたわけです。ところが、伊藤金融担当大臣(当時)が、時間外取引について違法ではないというお墨付きをあたえていました。最近になって伊藤氏は新聞インタビューで、「個別の件について適法かどうかのコメントは一切していない。一般論として・・・答えた」(「朝日」2月5日付)と言い逃れをしていますが、明らかに伊藤大臣のお墨付きは、その後の裁判などにも大きな影響をあたえています。
アメリカでは、1943年の証券取引法第10条およびそれにもとづくSEC規定10b‐5により、相場操縦的および欺瞞的策略の使用を包括的に禁止しています。この規定により、当初想定されていなかったような問題が起きても規制をしています。日本の証券取引法にも第157条に包括的な不公正取引の禁止規定がありますが、使われていません。先の商法「改正」案の質疑の時に、“この第157条を活用した例があるのか、もっと活用すべきではないか”とただしましたが「監視委が発足した平成4年〔1992年〕7月以降今日まで、157条を適用した事例、告発はございません」というのが答弁でした。
やっと先日の参院財務委員会で、金融担当大臣が、今後は第157条を積極的に活用していくという旨の答弁をしていました。今ある法律すら活用してこなかったというのが実態です。
ギャンブル化した株式市場の危険
奥村 政府は「貯蓄から投資へ」と進めていますが、今の株式市場の問題を考えるうえで、原理的に投資と投機はどこが違うのか。簡単に言えば、投資は配当を目的に株を買う。投機はもっぱら値上がり益を求めて株を買うことです。投機は、ばくち、ギャンブルとも違います。投機の場合は、買って売る、売って買っています。ギャンブルは、勝ちか負けで、売買を伴わない。ところが、今の日本の株式市場では、個人が一日に何回も売ったり買ったりする、そういう意味で投機と言っていましたが、ある意味ではギャンブル化しています。そうした層が非常に増えてくるということは危険なことです。
資本主義は今まで、たとえば17世紀のオランダのチューリップ恐慌、18世紀のイギリスのサウス・シー・バブル(南海泡沫事件ともいう。1720年にサウス・シー会社の株式に対して発生したバブル)、1929年大恐慌などを経てきました。投機が過熱化すると、そのあとに資本主義の屋台骨を揺るがすようなことになる。それに対して規制をすることを、どこの国でもやっています。
いま株式市場がギャンブル化していることを放任しているところに問題があります。規制緩和によって、事前規制から事後規制に変わったからといって、ギャンブル化を放任しておいてよいのか。今度のライブドア騒動で大損した人がたくさん出ました。そういう風潮は危険だと思います。私は投機は規制すべきだと思います。では、どうしたらいいのか。一番簡単な方法は、汗水流して働いた人間の所得税が累進課税になっているのですから、株式の売買益にも累進課税を強めることです。10分間で20何億円もうけたら、たとえば、90数%の累進税率をかける。今は10%ですんでいます。それはどこの国でも、やろうと思えばきわめて簡単です。短期売買については累進課税をかけていく。たとえば何日間のあいだに売って、買ったということは、すべて記録されているわけですから、いくらもうけたかを調べて、それに対して税金をかけることです。そうすれば過当投機はおさまると思います。
大本にある小泉「構造改革」からの転換
格差拡大、貧困増大にも開き直る小泉首相
井上 今度の通常国会では、「構造改革路線」が国民にどんな害悪をもたらしたかが大きな争点になっています。
一つは、安全をないがしろにし、国民のいのちを危険にさらしているということです。耐震強度偽装事件に、それははっきりあらわれました。問題の根源には、一九九八年の建築基準法改悪によって、建築確認という国民の命にかかわる重大な仕事を民間まかせにしてしまった規制緩和があり、これをすすめた政治の責任が問われています。
二つ目は、「モラルなき資本主義」への堕落をつくりだしていることです。それはライブドア事件に象徴的に示されており、規制緩和の路線がこの事件の背景にあることは、今日の対談でも明らかです。
三つ目に、格差社会と貧困の広がりという事態をつくりだしているという問題です。とくに労働の規制緩和によって、人間らしい雇用が根底から破壊されつつあること、それに、社会保障の連続切り捨てが追いうちをかけた―これが今日の事態をつくりだした根本にあります。
竹中大臣自身、「構造改革とは競争社会をつくること。弱いものが去り、強いものが残るということ」と言いました。小泉首相も、参院予算委員会で、格差が出るのは悪いことではないと答弁しました。もうけ第一主義で、肝心な国民の暮らしや経済を支えている多くの中小企業のものづくりを支える営業には手当てをしないどころか傷つけていく、こうしたことがずっとやられてきました。その大きな流れの中で証券市場の緩和があり、こういうことになった。
アメリカでは粉飾決算に厳罰規定をつくったが
奥村 アメリカでエンロン事件が起こったとき、ブッシュ大統領は、腐ったリンゴはいくつかだけだと言って、あとはみんな健全だとしたのですが、いくつかどころかたくさんあるということから、企業改革法(サーベンス・オックスリー法)をつくりました。この法律は、これまで粉飾決算をしたら、経営者は懲役5年だったのを20年、25年にするなど厳罰規定をおきました。日本では、ホリエモンが逮捕されても、証券取引法違反だったら罰金500万円、五年の懲役です。非常に軽い。
アメリカでは、たしかに厳罰にしましたが、厳罰にしただけでは構造は変わりません。企業改革法というが、企業を改革するような方向性はまったくできていません。この法律では、厳罰にしますよというだけの話です。世界的に大企業体制が行きづまって、どういう方向へ持っていくべきかを示せないのです。日本では、厳罰もしないし、改革の方向性も見えない状態にあります。
財界いいなりの政策決定と証券市場のゆがみを正す課題
井上 いま起きている問題からは、日本の経済をどうしていくのかということ、もう一つは公正な証券市場をどうつくるかということと、この両方が求められています。
もうけと効率だけ優先をして、弱肉強食に拍車をかける政治が問われています。いま、総理大臣が議長の経済財政諮問会議に財界の代表が参加して、閣議よりもこれが上になって、奥田経団連会長などが言うことが、そのまま国の政策になってつくられていく体制ができています。その結果、大企業のもうけ最優先で、国民の安全や暮らしを顧みない規制緩和万能論にもとづく「構造改革」がすすめられています。そのうえ、税制の面でも、研究開発援助などさまざまな面でも大企業を優遇していく。トヨタなどには、あれだけ世界的な大もうけをしながら、税金はまけてやっている。そうした流れから、一人ひとりを大切にし、そこで働く人たちの労働条件や、中小企業を大切にする、一人ひとりの国民が豊かになることによって経済活動が持続的に発展する経済政策へ根本的な転換をしていかなければいけない。
公正な証券市場をつくるためには、事前規制もしっかりするし、事後規制ももっとやる、その両方をきちんとしながらバランスをとる方向で強化することが大事です。
イギリスの場合、八六年の金融ビッグバンの際に、金融サービス法を制定しましたが、さらに2000年に金融サービス市場法をつくり、金融消費者保護、市場監視を改めています。この法律では金融サービス機構(FSA)を唯一の公的規制・監督機関として位置づけています。そして迅速な紛争解決のための金融オンブズマンサービスと金融サービス補償制度が創設されました。大事だと思うのは、金融サービス市場法が、FSA機構で規制をしていく目的を四つあげていることです。市場の信頼確保、公衆の金融資本市場に関する認識の促進、消費者の保護、金融犯罪の減少です。議論の過程では、目的の中に競争力の強化を加えるべきだという意見があったが、そうするとこの四つの目的が軽視される。きちんと市場の信頼確保、消費者保護などを達成すれば、結果として競争力がつくんだという議論でこういうことになったといいます。
これはイギリスのやり方であって、日本には日本のやり方が考えられなければいけないのですが、公正な証券市場をつくるためには、その公共性にふさわしい事前・事後規制を強化し、投資家保護の徹底をはかることが必要です。預金や保険なども含めた包括的な「金融サービス法」を制定することをはじめ、事前規制でいえば、証券会社の登録制を見直し許可制に戻すこと、事後規制では証券取引等監視委員会の独立と権限、体制の抜本的強化や罰則の強化などが必要だと思います。
いま必要なのは、公正なルールがあってこそ競争力があるという思想です。日本には、ルールをはずして、緩和すればするほど競争力がつく。ルールは競争力の足かせだみたいな議論がある。そうではないんだということが大切です。私たちは、今の日本はルールなき資本主義だと、ずっと言ってきたのですが、それが今回の事件で鮮明になったと思います。国民の生活、働く人々の利益をしっかり守れるような公正なルールある経済社会にしていくことです。そのために今の国会で全力をあげます。