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2002 年 11 月 26 日

法務委員会・文教科学委員会連合審査
法科大学院関連法案で参考人質疑

  • 予備試験や新司法試験のあり方、財政支援の拡大、リーガルクリニックなどについて参考人をただす。

井上哲士君

 日本共産党の井上哲士です。

 今日は、参考人の皆さん、本当にありがとうございます。

 最初に、井元参考人と須網参考人にお尋ねをいたします。

 須網先生が法学セミナーで対談をされているのを読んだんですが、その中で、医学部教育と比較をされまして、法学においても医師と同じプロフェッションとしてそれに足るだけの教育を受けてきたということが重要だと発想を変えようとしているのがロースクールだと、こう述べられております。

 ところが、同じ専門家教育なのに、医師の方は予備試験というルートはないわけでありますが、今度はこちらはできるということになりました。先日の委員会審議でも、このことが問題になったときに、当局の答弁は、臨床などそういう技術、医者の技術は大学の中でないと身に付けれないが、法律家の素養というのは大学の外でも身に付けることができるのでこういう予備試験も結構なんだという趣旨の答弁だったんですね。

 これでいきますと、果てしなく拡大をしていくような気が私はしたんですが、こういう医師養成との比較での予備試験という問題について、それぞれ御意見をお願いをいたします。

参考人(井元義久君)

 井元でございます。お答えいたします。

 我々の弁護士の仕事といいますか、これは当事者、依頼者と会いましていろんな話を聞くわけです。これが聞き取り調査とでもいいますか、そういうことを、いろんな話を聞きながら、その中でどの事実がどういう法律に適合していくのかと、そしてさらに、この法律に適合したといった場合に、依頼者のために我々はどういう法律構成をして、なおかつどういう攻め方をすればいいのか、あるいは逆に、訴訟を起こされた立場だったらどういう防御方法をすればいいのかというようなことをやっていくわけです。

 したがいまして、この点からいいますと、単に社会的な経験を積んでいるということだけでは果たしてこういうような能力が備わっているのかどうか、私は、先ほど法科大学院の教育は考える力を養う教育なんだということを申し上げましたが、正しく考える力というものが、考える力というのは法律的な分野での考える力、これが社会的な経験を積んだということだけで果たしてそれができるのかというような大きな疑問がございます。

 もう一つは、法曹といいますのはいわゆる高い倫理性を要求されております。これから法曹人口が増えてきますと、ますますこの倫理性というものが重要になってまいりまして、現在、弁護士会も弁護士人口増加に伴いいろいろな倫理研修制度というものを立ち上げながらやっております。したがいまして、社会経験を積んでいるからということだけで、我々いわゆる法曹としての専門職の高度な倫理性、それが身に付けておられるかどうかということがやはり問題ではなかろうかと。そうしますと、単に社会経験を積んでいるということだけで予備試験でいいのかという問題が私は出てくるんじゃないかという気がしております。

 以上でございます。

参考人(須網隆夫君)

 結局、プロフェッションとは一体何なんだろうかということを考えたときに、やはりプロフェッションになるための専門的な教育を受けてそれを修了している者、それがプロフェッションであるんだという、そういう定義の仕方があるだろうというふうに思うわけですね。

 その意味で、やはり弁護士を含めた法曹、これをやはりプロフェッション、専門職であるというふうに考えるのであれば、当然にそのための教育を受けていなければいけないという、これがやはり筋だろうというふうに思います。その意味で、どうしても予備試験という制度には理論的には説明できない部分というのが残るだろうと思います。

 しかし、今、法科大学院というのはないわけですから、果たしてそこでどういったような教育が行われるのだろうかということに不安もある。この不安は分からなくもないわけですね。それから、今まで司法試験というものがあった。その日本の歴史的な経緯、そういったようなものも踏まえて、理論的には少し説明は付かないけれども、やはり残そうということで残されたのがこの制度だというふうに思います。

 ですから、これはやはり法科大学院が充実して、そこで十分な教育が行われているということが証明されれば、当然に縮小していくものだろうというふうに思います。

 仮に、予備試験から司法試験を受かったとしても、そういったような法曹と、それから法科大学院を修了してなった法曹と、社会の側が一体これをどういうふうに評価するのか。当然、法科大学院を受けた法曹の方が良いというふうに社会が評価するような状況を作らなければいけないと思うわけで、そうなれば、当然、予備試験ルートは今田委員のおっしゃったように大きなものにならず、事実上、最終的には消滅していくかもしれない。また、そういったような方向がやはり本来であれば望ましいであろうと、こういうふうに思っております。

井上哲士君

 須網先生にもう一問お聞きいたします。

 その法学セミナーの対談の中で、ロースクールによっては合格率が低いところが出てきて、学生が集まらなくなって淘汰されていくんではないか、こういうことも述べられております。

 やはり、大学関係者に聞きますと、むしろ第三者評価よりも受験生の評価が怖いんだということを言われておりまして、例えば合格率を確保するために司法試験を受ける前に全国的模擬試験なども行われるようになるんじゃないか、こんなことも言われる方もいらっしゃいました。結果として、新司法試験のための予備校化という先ほど御指摘があった不安があるわけですが、そのためには資格試験にしなくちゃいけないという、先ほど御提案がありました。

 資格試験に新司法試験をするということは、難易度とか中身とか運用、いろいろあろうかと思うんですが、もう少し具体的にお示しをいただきたいと思いますのと、もしアメリカでの御経験で比較ができるのであれば、その辺も含めてお話をいただきたいと思います。

参考人(須網隆夫君)

 資格試験というのは、一言で言えば一定の基準を満たしていれば合格にするという、そういう試験だということですね。つまり、あらかじめ何千人とかという枠があって、上からそこまで取っていくという形ではなくて、一定の基準を満たした者を全員合格にさせるという、これが資格試験と言っていることの本質的な意味であるというふうに思います。ですから、年によって合格者が当然変更する、変わるでしょうし、あらかじめ合格者数を予測するということも正確にはできないということになろうかというふうに思います。

 アメリカの司法試験というのは、これはもちろん州ごとで行われているわけですけれども、たしか合格率の高い州であれば大体九〇%ぐらい合格していたと思いますし、合格率の低いと言われる州でも五割強ぐらいだったでしょうか、ちょっと手元にデータがありませんので記憶ですけれども、五割、六割ぐらい、低くてもそれぐらいの合格率があるという、そういう形の運用になるんじゃないかなというふうに思います。

 もちろん、司法試験の合格率ということを当然、これは法科大学院はそれぞれ気にせざるを得ないということになると思いますけれども、もう一つは、合格した後、いわゆる法曹及び社会からどういうふうに評価されるのかということですね。

 法科大学院の方としては、もちろん合格率も重要ですけれども、確かに合格率は九割かもしれない、だけれども、受かった後、実際の法曹として使い物にならないじゃないかということではこれはしようがないわけでありまして、合格率とともに、その後、その卒業生がそれぞれの裁判官、検察官、弁護士の世界でどういうふうに評価されるのか、そこをもにらんで教育するという、そういう状況になることが望ましいというふうに思っております。

井上哲士君

 今田参考人にお聞きいたします。

 先ほど、財政支援の関係で、そのプロセスでの養成にふさわしい、今までの在り方を見直した総合的な支援が必要だというふうに述べられましたけれども、もう少し具体的に、こんなアイデアなどありましたら、是非お聞かせいただきたいと思います。

参考人(今田幸子君)

 法科大学院の期間、プロセスですから、それから試験の期間があり研修期間という、そういう長い期間が前提とされるわけですね。

 それぞれに大学、学生のときには奨学金という制度があるでしょうし、今、司法修習は給与ですか、支払われているという、そういう今の現状があるわけですから、抜本的に全過程での経済的な支援というものを、個々の学生の負える経済状況、負担という、そういう観点から全プロセスについての制度を作るのが必要である。

 つまり、経済的に十分そういうものが果たせる、下支えがある人と非常にそれが厳しい人というものがあるわけですから、そうした経済条件というようなものに見合った支援、経済的な支援制度という、奨学金とか貸与とか、貸与の制度にするかとか、そういうものを含めて考えるということが必要なんです。ただ、法科大学院だけの奨学金とかその後の研修のときの給与とかという切り離した考え方ではなく、トータルに合理的な制度としてもう一度見直すということが必要なんだろうというふうに思います。そういう視点は是非指摘したいというふうに思います。

井上哲士君

 井元参考人と須網参考人に、時間もあれですので短くお願いしますが、リーガルクリニックを取り入れることです。

 早稲田大学は作られたとお聞きをしておるんですが、こういうことを法科大学院に取り入れていくことの意義、それからアメリカではこのリーガルクリニックの学生が法廷にも立つというようなこともお聞きしているんですが、そういう制度を取り入れていくことについて、それぞれ端的に、よろしくお願いします。

参考人(井元義久君)

 井元です。お答えいたします。

 リーガルクリニックというのは、生の事件に学生が触れるということについては極めて有意義な制度だと思っております。ただ、我が国でアメリカのようにある一定の権限を持たせて単独で法廷に立ったり、あるいは法律相談を受けたりするのがいいのか悪いのかというのは、日弁連内部でも相当議論いたしました。

 これは二つの面から考えなければいけないんじゃないかと思っています。一つは、学生側にとって有意義であるかどうかという問題と、逆に今度は依頼者側がそれをどう思うかということです。要するに、資格のない人間に自分の大事な財産、生命、身体等をゆだねられるかという問題がございまして、やはり日本の国では資格を持った人に頼むということが安心でございますから、それを市民社会が受け入れてくれるかどうかという問題がございますので、この点はもう少し検討を要するかなと。

 一つの方法としましては、指導弁護士みたいなのを、弁護活動の場合ですけれども、みたいなのを横へ付けて、そして主に学生にいろいろ聞かせたりやらせたりすると。もちろん、指導弁護士がそこに立っているというようなことも考えてはおりますが、これはもう少し検討させていただきたいなという具合に考えております。

 以上でございます。


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