刑法の重罰化について、私も岩波の「世界」とかに非常に信仰に基づく刑事政策であるということで批判を展開したところでございますけれども、この辺は非常に、何というんですかね、デリケートで難しい問題ではないかというふうに思います。
治安そのものは、私も犯罪統計が専門で、犯罪白書も作っておりましたので、多角的に統計を見てみますと、世間の方が思われているほど治安は悪化しておりませんし、私が二〇〇〇年に実施して、昨年の犯罪白書にも載せていただきましたけれども、いわゆるその警察統計以外の犯罪統計というのをきちっと調べてみますと、実は一九九九年から二〇〇三年にかけて、これは警察の統計がぐっとジャンプしているときですけれども、犯罪そのものは必ずしも増えていないということがここで証明されておりますし、実際に、それではなぜ認知件数が増えたのかというと、その同じ統計で警察に届ける人の割合が暴力犯罪ですごい勢いで増えております。なので、それが認知件数に反映しているということで、先ほど私がお話ししたネット・ワイドニングが起きている結果、統計上の治安が悪化しているということですね。
実際、ほかの統計をいろいろ調べてみますと、暴力犯罪等に巻き込まれて死ぬ国民の数というのは、これは年少の方も含めて、つまり児童虐待の方も含めて減っております。なので、いろんな形で警察が努力され、あるいは児童相談所が努力され、まだまだ不十分だと思いますけれども、そういった意味でのリスクというのは必ずしも高まっていないという現状があるんだろうと。にもかかわらず、治安が悪化していると多くの人が感じている。これはいろんな意味で、マスコミの統計なんかも調べてみますと、凶悪犯罪そのものはさほど増えていないのに、そのはるかに上回るペースで報道件数が増えている。
特に、最近の報道では、一九九六年から警察等を始めとして被害者支援、犯罪被害者に対する支援というのに手厚い対策が取られている。これ自体、私は非常に積極的に進めるべきものだというふうに感じておりますけれども、そういった被害者に視点が向く中で、副産物としてやっぱり我々としてもそれまで見もしなかった被害者の悲惨な現状を、被害者の訴え、いろんなものを目にする機会が増えてきた。そういう中で統計が悪化しているということで、いろんな形で体感治安が悪化してきている。そういった体感治安が悪化していく中で、人々はより安全、自分の子供、家族の安全を求め、いろんな形でPTAのパトロールを組んだり学校の安全が問題になったりいたしておりますけれども、そういった、ある意味では自己防衛反応というんですか、そういったものが起きてくるんですね、こういった活動。
あるいは、それに伴っていろんな立法化が行われました、この間、厳罰化の立法化ですね。それは被害者の方々のいろんな形での御努力によって達成された部分もあるということではありますけれども、被害者基本法、昨年十二月に成立しました被害者基本法にも書かれておりますけれども、前文の段階で、いつ犯罪に巻き込まれてもおかしくない世の中になってきたというようなことが書かれていたと思いますが、まあいろんな意味でそういった形で治安が悪化しているというのが既定の事実として多くの人に認識されるようになっている、これは世論調査でも分かることだと思います。
そういったものが、やはりいろんな形で地域を自分たちで守らなくてはいけないという方向に動きますし、当然、その刑事司法機関に対するいろんな要求も厳しくなる。先ほど申したように、そういったものが地域から一人でも、危なそうな人、不審そうな人ですね、おかしな動きをする人というのを自分たちの周りから排除していく。排除するためには当然警察を呼ぶ。警察は、従来であればこの程度のことではといって前さばきをしていたものが最近ではできなくなっている。警察から検察へ送られると、従来であればもしかしたら略式請求で罰金刑になっていたものが公判請求で刑務所まで来るというような形になっている、それがまあ過剰収容を生んでいるのではないかというふうに思っております。
イギリスではやはり同じような現象が起きておりまして、犯罪被害調査を実施したところ、イギリスでは犯罪被害率は減っている、にもかかわらず犯罪不安が増えている。イギリス政府は、この事実をきちっと認識した上で、犯罪対策をするだけでは不十分であると。犯罪、治安に対して不安を抱えている人がたくさん増えている、これに対して特別な対応が必要であるということで、内務省ではそういう目標を掲げて対策を取っております。
ですから、ある意味では日本でもそういうことがある程度必要なのではないかという、人々の不安を下げるにはどうしたらいいのか、そういった努力が必要なのかなというふうに感じております。