今、この義務教育の国庫負担の問題はお金であろうかと思います。ですから、その負担の部分について、まず日本の教職員のやはり士気を絶対に落としてはならない、むしろこれ上げていかなきゃいけないという点で、義務教育の国庫負担は絶対堅持しなければならないということは先ほど申し上げたとおりであります。
それに付け加えて、そうはいっても、それこそ個人の実は持ち出し部分でやっていると。例えば、原田隆史先生という先生がいらして、陸上で全国大会に何度も全国優勝されたと。この間お話を聞きましたけれども、たまたま御夫婦で教師をされていますから、奥さんの給与で生活をする、自分の給与は全部仕事に使うということをされて、そして実は実績があるんですね。
ですから、これは何でもそうだと思うんですけれども、必要なものはやはりお金なんです。ただ、これが今国全体の流れの中で非常に苦しくなってきているわけだから、その部分をどのような形で補うのかという、そういう工夫が僕は必要になっているんだろうなと思うわけですね。ですから、NPOなんかの活動というのも非常に重要になってくるだろうと思うわけです。
ただ、私はもっとそれ以前に、もっとその前にやれることがあるだろうと。つまり、それぞれがそれぞれの立場でプロの仕事をしてほしい。先ほど申し上げたように、報道関係の方はまず本当に学校現場の実態がどうなのかということをきちんと理解をしてほしいと。土堂小学校へ来て百升計算ばっかり映して帰るのもいいんだけど、もうちょっとほかのこともちゃんと報道してよというようなことがありますし、それから保護者の方々にはやっぱり朝御飯ぐらいきちんと食べさせてくださいと。
隣の小学校の校長先生が、朝御飯きちんと食べさせてくださいという話をされると、どういう答えが返ってきたかというと、土堂小学校のまねをするんですかと。何かい、朝御飯は土堂小学校が始めたんかいと。もうそれは信じられない話が返ってくるわけですね。で、次に何とおっしゃるかといったら、朝御飯を食べさせられない家庭はどうするんですかと。何かもう本当、頭が真っ白になりますね。朝御飯を食べさせられない家庭はどうするんですかって、朝御飯を食べさせられない家庭は朝御飯を食べさせるように努力する、それ以外の答えがあるはずはないわけですよね。朝御飯を食べさせない子育て、それは虐待というんですよ。
ですから、そういうふうにある一種のそのスタンダードが狂ってきている。それぞれがそれぞれに、それぞれの立場で教育のために何ができるのかということを是非とも考えていただきたい。
私は、あるテレビマンの方からこんなやり取りをしたことがあります。何か陰山先生、テレビマンに言うことがありますかって言ったときに、自分の出した情報がどのように子供たちに伝わり、それが子供たちが成長するようになるのかという、そのイメージだけ持っておいてくださいねということをお願いしたんです。で、そのテレビマンの方が何て答えられたかというと、考えたこともなかったと言われて、こっちの頭が真っ白になったんですけれどもね。
やはり自分たちが、一人一人社会を良くする責務があると思うんですね、一人一人が。それは、一人一人が子供や教育に対して責任があると思うわけなんです。それを学校だとか家庭だとかということで、学校は家庭の責任にする、家庭が学校の責任にするということはいけないと思うんです。まず必要なのは、お互いが相手を批判することではなくて反省することだと。日本人の美徳はそうだったでしょうと。だから、きちんと親としてできているの、教師としてちゃんとできているの、そういうふうなことをそれぞれが反省し合うことによってできてくるのではないか。
まさしく土堂小学校は、とにかくすばらしいなと思ったのは、まず、あの校長自殺事件があったときにPTA会長がこうおっしゃった。我が誇りに思う土堂小学校の子供たちと先生方、もう必ずそのことを呪文のように言われたんですね。そう言われたら教職員の方も背筋伸びますよ。やはり、そういうふうにしてPTA会長としての役割をきちっとなされる。やはりこういうことが必要ではないのかなと。
ところが、日本の教育というのは、何か問題が起こるとすぐ批判から入るわけですよ。そこが問題だろうと思うんです。どこかでありましたよね、包丁で刺したり何やらしたり。もう例の宮崎勤事件以後、物すごい勢いで映像文化が子供たちに与える悪影響が出ているんだけれども、やはりそれについての規制がないと。規制が問題だというんだったら、せめて自主的にその辺何とかならないのという思いは正直あります。でも、問題が起きると、大体、子供がやったんだからということで校長さんや教育長さんが出てきて、取りあえず謝ればそれで事が済むみたいなところがあるわけですよ。で、重要な問題は次から次へと先送りにされてしまっている。そういうふうなことがあるわけですね。
先ほども申し上げましたように、いかに子供が百升計算でつまずいたかという本ができると。これもう異常だろうと思うんですよね。この間は、昨年、一生懸命こっちやっているのに、陰山方式で学力は低下したなんていう本がオピニオン誌で書かれるんですよ、非常に、最も著名な教育学の大先生から。もうお願いだから背中の方で切り付けるのやめてくれというのが我々の思いで、要するに批判されても反論している余裕もないわけですよ。目の前の子供を良くするためにもう様々な問題を見て、起きているわけですからね。
是非とも、批判はやめましょう、反省しましょうと。それぞれがそれぞれでプロの仕事をしましょうということを申し上げたいと思います。