日本共産党の井上哲士です。
甚大な被害をもたらした東日本大震災と福島原発事故から一年以上たちましたが、復興は緒に就いたばかりで原発事故の収束もめどが付いていない、この現状を憲法からどう見るかが議論になりました。三回の質疑を通じて、これは憲法の問題ではなくて憲法が現実に生かされていないことに問題があるということが浮き彫りになったと考えます。
双葉町の井戸川町長が、野田総理に双葉郡民は国民だと思っていますかと問いかけられたことを述べられ、町民は十三条の幸福追求権も二十五条の生存権も妨げられていると訴えられたことは重く受け止める必要があると思います。一たび重大事故が起きれば憲法のらち外に置かれるような原発と社会が共存できるかが問われております。また、安全神話を振りまき、事故後はSPEEDIの情報も伝えられず被害を拡大をした、なぜこのような事態になったかの調査、解明が必要だと考えます。
復興の在り方についても、阪神大震災のときには災害からの住宅や営業の復興も自己責任とされました。しかし、その後の憲法を掲げた世論と運動で被災者生活再建支援法ができ、東日本大震災ではグループを組めば営業施設の再建にも補助が可能になりました。しかし、被災地にはまだまだおよそ憲法価値の実現には程遠い実態があります。西條参考人が強調されたように、災害復興に生存権及び幸福追求権を具体化をする、このことが大変重要だと考えます。
一方、震災を機に国家緊急権の規定を設けるべきという、震災便乗ともいうべき改憲の議論もあります。
しかし、規定が必要だとする参考人も、今回の大震災については規定がなくても対応はできていると述べられました。一方、高見参考人は、憲法制定時の日本政府とGHQのやり取りも紹介しながら、憲法が今回のような大災害を想定しているということを陳述をされました。問題は、現行の法や制度が適切に働かなかったり、権限が有効適切に行使されなかったことにあります。参考人から、国家緊急権規定があれば、ふだんからの危機意識、危機管理認識が違うとの意見もありました。しかし、歴史の教訓から見れば、そのような理由でこの規定を設けることにはならないと考えます。
大日本帝国憲法には、議会が閉会中で緊急の対応が必要なときは、天皇は法律に代わるべき勅令を発することができるという規定がありました。治安維持法の最高刑を死刑にして野蛮な弾圧を可能にしたのも、この緊急勅令によるものでありました。緊急事態が宣言されると、一時期的とはいえ、政府は独裁的な機関となり得、その活動内容については何の保証もなくなり、多くの国民が望まない方向に政府が暴走する可能性もあります。
憲法制定議会での憲法担当大臣の金森徳次郎氏が、行政当局にとっては緊急権は重宝だが、国民の意思をある期間有力に無視し得る制度であり、民主政治の根本原則を尊重するかの分かれ目だと答弁していることについて、参考人からは、この答弁の背景に、憲法制定の基本理念に民主主義の強化、とりわけ議会の強化、その下での統治システムの整備があったと述べられたことは重要だと考えます。緊急時だといって国会の権限も政府に集中すればうまくいくのか、このことは私たちの現実からも乖離をしていると思います。
本震災に当たっては、国会は一定期間審議は中断をいたしましたけれども、各党議員がそれぞれの調査に基づいて行政の間違いや足らざるところを指摘し、是正をしたり、また議員立法で様々実現をしてきたことを見ても明らかだろうと思います。
最後に、今後の議論について、私は、審査会の議論はこれで区切りとし、災害復興に憲法価値をどう生かすかに国会は全力を挙げるべきだと考えます。議論を続けるとしても、今入口の段階であり、特定のテーマに絞って幾つかの小委員会をつくって議論をするようなやり方はやるべきじゃないと考えております。
以上です。