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2012年8月1日(水)

決算委員会

  • 大津市の中学生いじめ、自殺問題で対策等について質問

井上哲士君

 日本共産党の井上哲士です。

 大津市での中学生自殺問題についてお聞きいたします。

 背景に深刻ないじめがあったことが明らかになっておりまして、まず、心から哀悼の意をささげたいと思います。

 いじめは、人間の尊厳を傷つけて、長期にわたって相手の心身を痛め付け、大人になってもその心の傷に悩み続ける方もいらっしゃいます。絶対に許されないと。

 この大津の事件で、学校、教育委員会、そして警察の対応に様々な不満や批判の声も広がっております。学校や教育行政というのは子供のために存在をするものであって、そこでは子供の命が第一のはずなのに、学校がいじめをいじめと把握していなかった。そして、生徒の自殺後の全校生徒アンケートで、お金を取られていたとか、自殺の練習などの記述があったにもかかわらず、学校も教育委員会も調査を打ち切ってしまったわけですね。警察も三度にわたる父親の訴えをまともに聞かなかったと。いずれも弁明できるものではないと私は思います。

 このようなことを二度と繰り返さないためにも徹底して問題点を洗い出すということが今求められていると思いますが、まず、大臣は、今回の事件をどう受け止めていらっしゃるか、そして、学校や教育委員会の対応についてどういう問題があったと認識をされているでしょうか。

国務大臣(平野博文君=文部科学大臣)

 当委員会におきましても、同じような御質問も先生方からいただいてございます。

 改めて、私は、この事案、特に昨年十月、当時、中学二年生の生徒、自ら命を絶ったと、こういうことについては、教育委員会の調査におきまして、背景にいじめがあるということの事案であると承知していますが、こんなことが起こったことは、私、大変極めて遺憾であると、こういうふうに思っております。

 それから、いじめの問題に関して私はどういう認識にあるのかということですが、私も、幼いころあるいは学生のころ、軽微なものからいろんなものがやっぱり子供の社会においては私はあるんだという、こういう認識にやっぱり立たなければいけないと思っております。

 したがいまして、その兆候をいち早くやっぱり把握する、あるいは迅速に対応する、このことが必要なのであるというふうに思います。まず、だから学校では子供の兆候を見逃さないようにする、このことが一番必要不可欠なことであるという認識を取って、私自身は思っております。

 学校現場の教員等におきましては、未然に防ぐという、このことの意識の下に、しっかりとそういう子供の動向のアンテナを張って、きっと私、児童生徒が何らかのサインを送っておるんだろうと、こういうふうに思いますので、感性をやっぱり現場で高めていただく、こういうことが大事であろうというふうに思います。

 したがって、そういう私の視点から見ますと、今回の事案は、いじめの実態把握が適切に行われていたのか、こういうところに私は課題があると、こういうふうに認識をいたしているところでございます。一番大事なことは、こういう事案を二度と起こさないと。このために、私、文科省としては、子ども安全対策支援室を今日から、この委員会が終わり次第部屋を立ち上げる、こういうことで、文科省としてもこの問題を重く受け止めていると、こういうふうに御理解をいただいたら結構かと思います。

井上哲士君

 これ、個別の問題とともに、やはり全国的な問題なわけですね。やっぱり真剣に調査し、見直す必要があると思うんです。

 幾つかお聞きしますが、まずいじめの定義の問題なんですね。これまで、一般的には、自分より弱いものに対して一方的に、身体的、心理的な攻撃を継続的に加え、相手が深刻な苦痛を感じているものとされた上で、個々の行為がいじめに当たるか否かの判断は、表面的、形式的に行うことなく、いじめられた児童生徒の立場に立って行うことに留意すると、こういうふうになっておりました。いじめられた子の立場に立つということは、この間、発展させられてきたことだとは思うんですが、しかし、本人は自分はいじめられていないと言った場合には、これ除外されるおそれがあるんですね。今回のケースはそうだったわけです。

 いじめの被害者にはプライドもあります。それから、報復を恐れるということもあって、自分がいじめられていないとか苦痛でないと言うことが間々あるということは、間々というかよくあるということは、研究者などの中では常識なわけですね。だから、そういう場合もあるということを定義に付記するなど、やはり実態に合わせて見直す必要があると思うんですけれども、いかがでしょうか。

政府参考人(布村幸彦君=文科省初等中等教育局長)

 いじめの定義についてお答えいたします。

 文部科学省におきましては、いじめの問題は早期発見、早期対応が重要であると。このため、平成十八年度の調査から、今先生からお話しいただきましたけれども、一方的、継続的、深刻なという要件を除き、よりいじめられている児童生徒の立場に立って、いじめをより認知しやすくするようにいじめの定義を変更させていただきました。この変更につきましては、先ほど申し上げました一方的、継続的、深刻なという言葉のとらえ方が様々であるために、いじめの実態を適切に反映していないのではないかという御指摘を踏まえたものでございます。

 そして、いじめの認知に当たりましては、いじめられている本人が自らいじめを認めないという場合でありましても、教職員などが児童生徒を取り巻く状況を的確に判断をし、認知をしたり、あるいはアンケート調査、個別面談という方法、また保護者からの訴えというものを基にいじめの状況を把握することが重要であるというふうに認識しております。

 このような新しい定義の下で、現在、各学校現場におきまして教員がしっかりアンテナを張って、感性を高めて、子供たちの兆候をいち早く把握することが重要であるというふうに認識して対応していただくようお願いしていきたいと思っております。

井上哲士君

 やっぱり今回の事態を見れば、より実態に即した見直しが更に必要だと思います。

 その上で、いじめの実態をどう把握するのかと。国立教育政策研究所がいじめ追跡調査というのを行っております。二〇〇七年から二〇〇九年の報告書によりますと、どんな学校でも、どんな学年でもいじめは起き得るというのが正しい事実認識、客観的な事実認識だと強調しておりまして、ある年度の中学校一年生が三年間でどういう被害に遭っているかというのを年二回の追跡調査をしております。毎回の調査でクラスに三人から六人程度の割合の子供が被害に遭っているというのがこの追跡調査の結果でありますが、この大津市の当該中学校の場合、過去五年間では毎年何件のいじめが報告をされていたんでしょうか。

政府参考人(布村幸彦君)

 お答えいたします。

 いじめの全国調査においては、各学校ごとの件数は報告がございませんので、今回お尋ねの当該中学校における過去五年間のいじめの状態につきまして、大津市の教育委員会を通しまして確認をいたしました。平成十九年度はゼロ件、平成二十年度は一件、平成二十一年度は三件、平成二十二年度が七件、平成二十三年度が四件という報告でございました。

井上哲士君

 これは結構なマンモス校でありますから、先ほど言ったようなクラスで三人から六人程度ということからいえば、実態に即したものなんだろうかということもありますし、なぜ二十二年に急増したのか、二十三年は四件認知されながら、なぜ自殺につながったケースは認知されていなかったなど、私は検証する必要があると思うんですね。

 一方、いじめの認知件数に関する文科省の統計をお手元に配付をしております。県ごとに千人当たりの認知件数が出ておりますが、最大が熊本県の二十七・六件です。最小は佐賀県の〇・六件ですね。隣の県でありますけれども、四十六倍の開きがあるわけです。なぜこういうふうなアンバランスがあるのか、極めて不思議なんですが、どうなんでしょうか。

政府参考人(布村幸彦君)

 先生御指摘のいじめの認知件数に各県に差があることにつきましてでございますが、御指摘のとおり、近年の調査では熊本県の認知件数が極めて多い実態が報告されておりまして、その段階では、全国的な面から見て、熊本県の各学校におかれましてアンテナを高くしていじめの状況をしっかり把握されているのであろうというふうな認識を共有したところでございます。

 改めまして、文科省におきましては、毎年度、児童生徒の問題行動等、生徒指導上の諸問題に関する調査を行っております。国公私立の小中高、特別支援学校等におけるいじめの認知件数を県教育委員会を通じて報告をいただいております。この調査は学校からの報告を教育委員会を通じて集計したものであり、都道府県、市町村、学校における実態や状況の違いのほか、地域や学校の実情に応じて行われているアンケート調査の頻度や個別面談の頻度など、いじめの把握の取組の状況が一様ではないということから、都道府県ごとの認知件数にも差が出ているのではないかというふうに考えております。

 いじめにつきましては、子供が一人で悩みを抱え込まず、信頼して相談できる体制を整備するということとともに、いじめはどの学校でも、どの子供にも起こり得るという認識の下で、いじめの兆候をいち早く把握し、問題を隠すことなく対応することが必要であると思います。

 また、文部科学省としては、引き続き、各都道府県の教育委員会などを通じまして、各学校に対して、この調査から得られた趣旨をしっかり徹底をし、いじめの実態把握が適切に行われますよう促してまいりたいと考えております。

井上哲士君

 いろいろな事情は言われましたけれども、しかし、これだけのアンバランスがそのまま出されている、果たして本当にきちんと実態を把握したことになっているのかという疑問を持つわけですね。

 さらに、いじめを認知した学校の割合も出ておりますけれども、小学校で三五・五%、中学校で五五・七%、高校で四一%というのが統計ですね。つまり、六五%の小学校は一年間に一度もいじめがないという報告になっているわけですね。先ほどの国立教育政策研究所のいじめ調査で毎回、クラスに三から六人程度の割合の子供が被害に遭っているということからいっても、随分差があるわけですね。私はやっぱり、この一年間にいじめが一件もないというような大量の報告を各教育委員会や文科省が結局公然と認めて、それが長年許されてきたと、そこに学校や教師がいじめに無感覚になる理由の一つがあると思うんですね。

 文科省としてそういう点をどう考えているのか、そして、こういう問題について正式に問題提起を行ったことがあるのか、いかがでしょうか。

政府参考人(布村幸彦君)

 学校におけるいじめの認知の感度についてのお尋ねかと認識いたしました。

 先生御指摘いただきました、平成二十二年度の先ほど申し上げました全国調査によりますと、いじめを認知した国公私立の小学校が三六%、一方で認知していない小学校が六四%と、そういう事実になってございます。この六四%をどう認識するかというのが大きな課題と受け止めてございます。そのためにも、先ほども申し上げましたけれども、いじめの問題が、その早期発見、早期対応が重要ということから、いじめをより認知しやすくするよう平成十八年度の調査からいじめの定義を変更し、先ほど申したような形の、一方的なという言葉などの定義で迷わないように、それらを外した、子供の立場に立った定義に見直したところでございます。

 また、平成二十一年度の調査の結果を受けて、いじめを認知した学校と比較をして、いじめを認知していない学校の方がいじめの日常的な実態把握のための取組の状況が低いということが得られたところでございます。また、数年を比較すると、アンケート調査の実施状況が低下しているという実態も浮かび上がってまいりました。これらのことからいじめの認知件数が減少している可能性があろうということから、学校がいじめを認知できない、できていないケースがあるということが懸念されるため、平成二十二年の九月に改めて全ての学校に対しましてアンケート調査の実施を求めたということがございます。これらを通じていじめの実態の取組強化に努めてきているところでございます。

 また、今回の大津市の事案も受けまして、児童生徒の間に不安が広がっているということが懸念されるところでございまして、二十四時間いじめ相談ダイヤルの相談件数が七月四日の報道があった以降は大きく増加しているという実情もございます。

 先ほど大臣からも答弁されたところでございますけれども、改めて全国の学校において緊急調査を本日依頼をするという取組も行ったところでございます。

井上哲士君

 私は、また結局、報告、報告漬けで現場が大変になる、これも間違いだと思うんですね。ただ、全然ないよということが上がっていても、平気でこれがずっと統計で出されているということがやっぱり現場の感覚も鈍らせていくということを助長することになってきたんじゃないかということは、改めて申し上げておきたいと思うんですね。

 いじめの克服や子供の命と尊厳にかかわる仕事より優先させる仕事は本来学校にないと思いますが、それに逆行する今事態があるんですね。その一つがいわゆる評価システムであります。

 今、文科省が全国で教員評価、学校評価システムというのをやってきました。教員評価システムは、教員をランク分けをして処遇や給与に反映をされるものでありますが、お手元にある新聞の投書を配付をしておきました。

 上のやつですが、高校教師の方、教師の力を弱める数字での評価と。もう教師の日常は、行政側から学校現場に下ろされてくる数値目標の達成にどれだけ貢献できているかに注がれがちだと。学力テストの点数や有名校への進学者数、センター試験の得点率云々。一方で、いじめなど地道な取組は数字に表せずに教師にとって見栄えのしない仕事になってしまっていると、こういう訴えであります。

 教育の評価というのは本来短期的に数値では出るものではないと、にもかかわらず、教員を数値目標で縛る、その数字の方がいじめの克服など子供の命と尊厳にかかわる仕事よりも大事だというふうに強制するような制度は、私はこれは間違いだと思うんですけれども、大臣、いかがでしょうか。

国務大臣(平野博文君)

 私はやっぱり、教員の評価システムということで今先生から御質問がありましたけれども、現在の教員の評価というのは能力評価と業績評価を行う、こういう視点で仕組みができ上がっております。能力評価というのは、やっぱり職務能力としてどれだけ力を発揮したかという部分、あるいは業績評価というのは、自らのあらかじめ設定された目標にどれだけ達成をしたかという、こういうことでございます。

 したがいまして、例えば生徒指導上の問題対応にしても、問題の有無その他の数ではなくて、学校の状況を十分に把握をした上でその課題に対してどれだけ校長の求めに能力を発揮したかと、こういうことに評価されるべきものだと思っております。したがいまして、学校運営上の問題が起こらないことなどが短期的な数値で直接評価されるべきものではないと、しちゃいけないと、こういうふうに思っています。

井上哲士君

 しかしながら、実際には短期的数字評価が横行するということが、思い切って命の尊厳にかかわるような仕事に取り組める、それを邪魔するということになっていると思うんですね。

 もう一点、教員の多忙化という問題があります。

 これもお手元に投書を配っておきましたけれども、小学校の元校長さんの投書であります。事件起きた後に腰上げる文科省というタイトルで、学校現場の忙しさはすさまじいと。授業研究の細かい指導案作りや多くの研修、パソコンで様々なデータや成績処理、朝食抜きでの朝の部活云々。小学校では教師の本務であるテストの作成さえできず、市販のテキストに頼り切りと。学校に来て見てほしい、小学校の校庭で子供と遊ぶ教員の姿があるのかと、多くの教員は子供と一緒に遊びたい、でもその時間が取れないんだと、これは叫びのような声だと思います。

 本当に仕事を多忙な中でこなし切れず、持ち帰り残業があって、子供と触れ合うことがないと。そういう中で、どうしていじめを発見し、解決をできるのかという問題があると思うんですね。私は、やっぱりこういう問題を解決をしていく、多忙化の解消、いじめ解決のための人的支援など直ちに取り組むべきだと思いますが、いかがでしょうか。

国務大臣(平野博文君)

 今資料で配付されましたように、事件が起きた後に腰を上げる文科省と、こういうことを言われないようにしっかりやらなきゃいけないと、こういうふうに思っています。

 そういう観点で、教員が現場で多忙であるということは私否定するつもりはございません。子供の状況の変化等々、保護者、社会からの要請が多様化している、また高度化している。こういう中でやっぱり質の高い教育を行うためには、やっぱり教員が子供と向き合う時間をもっと多く取っていかなきゃいけないと、このことの認識は私は同じでございます。

 そういう意味で、文科省としては教員の定数の改善をやっぱりしていかなきゃならないと、こういうふうに思っていますし、もっと地域住民の方々のボランティアによる学校への支援のお願いもしていかなければならないと思っておりますし、学校を対象として行う調査の見直し等々の事務の負担等々の軽減をすることによって、教員が子供に向き合う時間をいかに確保できるかという環境づくりに私ども文科省としては努めなきゃならないと思っています。

 この資料をお配りされましたので、私ショックでございますが、今までの文科省はこういうふうにしておったのであるならば、こういうことのないようにしっかりやりたいと思っています。

委員長(山本順三君)

 井上哲士君、時間が来ています。

井上哲士君

 時間ですので終わりますが、是非今回の事件を徹底究明して、子供の命が一番の学校、行政、社会をつくっていきたいと、そのことを申し上げて、質問を終わります。

 ありがとうございました。


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