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訪米日誌
2010年5月5日

オランダ国会議員/ドイツ国会議員/コスタリカ大使

 ニューヨークでの最終日。オランダ国会議員との朝食懇談会を皮切りに午前中、ドイツ国会議員、コスタリカ大使との会談と3つの会合を持ちました。情勢の変化を実感できる会談となりました。

 オランダの国会議員との会談には三党の議員が出席。最初に「オランダ政府からは、日本政府は核抑止力からのがれたくないと考えていると聞いている。なぜか」との質問がありました。やはり、日本政府の立場は被爆国でありながら世界からも遅れたものと見られています。

 同国に配置されている戦術核の撤去が大きな世論になっており、三党で一致して、政府に対し撤去のための交渉を求めるとともにNATOにも提起するという内容の国会決議を実現したこともお話されました。

 つづいてドイツの国会議員との会談(写真上)。いくつかの党から9人が出席されました。ドイツでも米の戦術核兵器の撤去が大きな問題で、連立政権が米に要求しているとのお話でした。

 特徴的だったのは、「核兵器禁止条約は今まで疑念を持っていた。部分的措置をステップ・バイ・ステップで積み上げ、その先に核兵器廃絶があるという考えだった。しかし、ドイツ国会は変わってきた」「政府はまだその立場にないが議会の多数は禁止条約支持となっている」との発言。

 変化の理由を聞くと、ある議員は「私もステップ・バイ・ステップの立場だったが、コスタリカのモデル条約についてNGOの皆さんと意見交換し、今は、ステップ・バイ・ステップと条約をセットで行うという立場。核兵器禁止条約は、差別の無い同等の条約体制を作れる」と述べられました。

 我が意を得たり!という感じでした。部分的措置と核廃絶の国際交渉を開始することと同時並行で行うべき、という私たちが強調している立場は国際政治のなかで大きく広がっています。

 続いてコスタリカのホルヘ・ウルビナ国連大使と会談(写真下)。NPT会議での演説直前という多忙な中で時間をとっていただきました。

 志位さんが、ドイツの国会議員との会談の内容をお知らせし、「核廃絶の部分的措置と同時並行で核廃絶への交渉にとりくむべき。コスタリカの主張は世界の流れになっている」と強調。

 大使は、「コスタリカは核兵器禁止条約の分野を積極的に進めてきた」と強調され、「前回のNPT会議の失敗を繰り返してはならない。今回も最後まで何があるかわからない」としつつ「コスタリカは人間としてのモラルを確立し、歴史を作るために努力する」と述べられました。

第一委員会委員長/ブラジル公使/記者会見/ワシントンへ

 午後には、NPT会議の核軍縮を議論する第一委員会の委員長をつとめる、ジンバブエのボニフェス・シディヤウシク国連大使、ブラジル国連代表部の公使と会談。

 シディヤウシク国連大使は、志位さんの要請に対し、「核兵器が存在する限り、人類にとって脅威です」とのべ、「核兵器禁止条約を支持します」と応じました。

 さらに、「若い世代に核兵器の恐ろしさを伝える教育の分野でも力を入れていく必要があります」と強調されました。

 さらにブラジルの国連代表部でパトリコタ国連公使と会談。同公使は、軍事独裁政権時代に核兵器開発の計画があった同国の歴史についてのべ、「われわれは88年に核兵器開発をしないと明記しました」と説明。

 核兵器をなくすときめたことで、核兵器廃絶を主張するブラジルの国際的立場が強くなったことを紹介されました。

 と、いうことで、一日で5つの会談を行った後、16時からホテルでニューヨーク行動を終えるにあたっての記者会見。

 その後、列車でワシントンに向かい、約三時間で到着。ワシントン-ニューヨーク間の特急はビジネスで使う方が多く、車内は無線ラン完備。パソコン作業や会議に便利な机のついた席もありました。

 日本と違いとどまったのは、発車10分前ならないと何番ホームから出発か分からないこと。表示が出てあわててホームに移動しなくてはなりません。そして列車指定はできますが、座席指定はありません。座席分しか発券されないので、座ることはできますが、ちょっとびっくりでした。


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