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訪米日誌
2010年5月7日

ピートライ下院議員/リンカーン記念館

 午前中はピートライ下院議員と会談。ウィスコンシン州6区選出で、なんと16期目! 下院では三番目に議員歴が長い方です。終了後、リンカーン記念館を訪れました。

 ピートライ氏は共和党の議員で、来日経験もあり、日本の国会議員と交友を広げてきた方です。懇談では、核兵器廃絶と普天間基地問題で日本共産党の立場と沖縄県民の声を率直に伝えて意見交換。

 共和党出身の最初の大統領がリンカーン。志位さんは会談の最後に、リンカーンの再選にマルクスが祝辞を送り、合衆国を「偉大な民主共和国の思想が初めて生まれた土地…」と読んだことを紹介しました。

 さらに、翌年、リンカーンが礼状を送り、合衆国はすべての国会に対し「平等かつ厳格に公正な」関係を打ち立てることによって「世界中の尊敬」を求めるという立場を表明したことも紹介し、「私たちの偉大な先輩が19世紀に交流があった。今回の訪米を機に、交流を広げたい」と述べ、しっかり握手して会談を終えました。

 会談終了後、リンカーン記念館を訪れました。リンカーン大統領を称えて作られたもので、ローマのパルテノン神殿を模した大きな建物です。たくさんの観光客が訪れていました。

 中には高さ約6メートルのリンカーンの石像があり、両脇の壁には有名な1863年のゲティスバーグの演説が刻まれています。

 私が写真で指差しているのが、一番有名な、「government of the people, by the people,for the people」というフレーズ。この演説は短いものですが、150年近くたった今日も民主主義の政府の基本を表したものとして輝いているのはすごいことです。アメリカの民主主義の歴史を感じさせます。

国務省でメア日本部長/全米法律家協会/記者会見

 午後から国務省を訪れ、同省のケビン・メア日本部長と会談。日本共産党として同省と会談するのは歴史上初めてのこととなり、入口にはたくさんのテレビカメラが構えていました。

 この会談でも志位さんは、核兵器廃絶と普天間基地の問題での日本共産党の立場や沖縄の情勢を伝え、意見交換をしました。

 志位さんは、県民の怒りが「沸騰点を超えた」沖縄の情勢を伝え、党の判断として「県内移設には県民の絶対得られない。問題解決の展望はない。普天間基地の無条件撤去しかない」と提起。

 メア氏は、安保条約が日本の防衛と極東の平和を目的とし、普天間基地移設の合意は抑止力の維持と沖縄の負担軽減のためになされたものだとして、現行案で進めるべきとの立場を示しました。

 これに対し志位さんが、「抑止力というのは沖縄では通用しなくなった」とのべ、現に沖縄の海兵隊がイラクやアフガニスタンに出動していると指摘。さらに、沖縄の怒りの根源には歴史的な痛みの累積があると強調しました。

そして、かつて世論の広がりの中でサンフランシスコ条約3条の規定を超えて、沖縄の施政権返還に合意したことに触れ、「当時、県民世論について後戻りできない情勢という認識があった。今、同じような決断が求められている歴史的岐路だ」と強調しました。

会談は1時間15分も行われ、最後にメア氏が「意見交換自体は評価したい。民主主義の基本だ」と述べたのに対し、志位さんが「その点は合意できた。これからも意見交換を続けよう」と応じました。

終了後、ワシントン市内で全米法律家協会ワシントン支部の開いた講演会で志位さんが「21世紀の日米関係のあるべき未来」と題して講演。参加者からの様々な質問にも丁寧にこたえました。日本共産党の委員長が米国内で講演したのも初めてのこと。参加者からも歴史的な第一歩だとの声が上がりました。

続いてホテル内で記者会見。メア氏との会談の内容を中心にワシントンで活動、訪米活動全体の内容についてアメリカの印象などについて発言するとともに記者からの質問に答えました。この会見には、17社が参加し、注目ぶりを示しました。

その後、深夜まで仕事が続きましたが、手が空いたメンバーで21:30からモロッコ料理を食べに行きました。乾杯! とっても美味でした。


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