2005年5月2日
①NPT再検討会議を傍聴/ゲルニカ
いよいよ今日から第7回NPT再検討会議が国連総会議場で始まりました。午前中はドゥアルテ議長、アナン事務総長、エルバラダイ国際原子力機関(IAEA)事務局長の演説を総会議場内で傍聴しました。
ホテルを9時前に出て、まず国連本部近くのパスオフィスに行き、国連パスを作ってもらいました。その後、開会まで国連本部内を案内してもらい、ゲルニカの絵の前で記念写真。開会前の総会議場でも写真をとりましたが、メモも許されない日本の国会傍聴と比べてかなりの自由があるのは驚きでした。
10:30から開会し、ドゥアルテ議長(ブラジル大使)は、難しい情勢の下での開会だが、前回の「明確な約束」がどれだけできているか点検し、合意を実効あるものにするために各国政府の英知を結集して、世界に歓迎されるものを生み出そうと呼びかけ。続いてアナン事務総長が、北朝鮮のNPT脱退を非難し、核拡散に懸念を表明。核軍縮は一定の前進をしてきたが、一方で新たな核兵器の研究・開発が進んでいる現状は楽観できないと指摘。広島・長崎の名前をあげて核兵器は人類の脅威になっているとのべました。
さらにエルバラダイ・IAEA事務局長が、「2000年、核兵器保有国は核兵器の全面廃絶を達成する『明確な約束』に合意した。その決意を具体的な行動で示していくことが重要だ』と指摘し、人類の英知でこの会議を成功させようと呼びかけました。
ここで昼の休憩に入り、午後から一般討論演説。まず、新アジェンダ連合を代表してニュージーランドのホッブス軍縮軍備管理相が「一部の核兵器国が新型核兵器の開発や現存核兵器の強化を研究どころか計画している」とし、核兵器国に核廃絶の「明確な約束」の実行を求めました。
続いて日本の町村外相が演説。町村氏は、「21世紀に向けた21の措置」を提案し、核軍縮と核不拡散それぞれについて示しました。その中で、「すべての核兵器国に核軍縮に向けたいっそうの措置をとるよう呼びかけました。しかし、前回会議での「明確な約束」には触れず、アメリカの進める地中貫通核兵器についても言及しませんでした。
私は、3月の予算委員会で町村外相に質問した時にも指摘しましたが、現にアメリカが進めている新しい核兵器の開発に中止をもとめないのでは、唯一の被爆国としての役割が果たせません。
その後、アメリカも演説しましたが、イランや北朝鮮をあげて核拡散阻止を中心課題とし、前回会議での合意にはまったく触れないもの。核廃絶の願いに背を向ける内容でした。
会議は、まだ議題そのものが合意されていないという困難がありますが、これから約1ヶ月間続きます。前回会議も討論を通じて、当初は困難とされていた核廃絶への「明確な約束」が実現しました。これからの討議が注目されますし、国際的世論の集中が必要だと痛感しました。
②国連ロビーでの原爆展/青年のつどい
国連のロビーの2ヶ所で、日本被爆者団体協議会による原爆パネル展が開かれました。国連内での原爆展は初めてのこと。「NO MORE」と書かれた垂れ幕がロビーでひときわ目立ち、国連関係者やNPT会議傍聴の人々、国連見学者などが次々と訪れ、メディアからも注目を集めていました。
パネルでは、広島・長崎の被爆の実相とともに、今日も被爆者を苦しめる原爆症についても紹介。東京原爆被害者団体協議会の常任理事の平田道正さんからお話を聞きましたが、「もうあとがない、という被爆者の思いで初めて実現した」と語っておられました。「もしニューヨークに核爆弾が落ちたら……」というパネルも出され、より具体的に原爆の恐ろしさを明らかにする工夫もされていました。
夕方5時半からは、「核兵器をなくそう世界青年のつどい in New York」に参加。会場の国際サービス労組ホールはNPT行動に参加した日本の青年でいっぱい。冒頭、広島での被爆者の児玉さんが、七歳の時に被爆した時の恐ろしさや、自分の結婚の時も娘の時も、被爆を理由に相手の親族に反対された体験も紹介し、「60年たってもなお私たちを苦しめるのが原爆。人類とは決して共存できない。若い皆さんの力で無くしてほしい」と訴えられました。
その後、日本やアメリカの青年が発言に立ち、各地の活動を交流しながら今回の行動に参加しての思いを語り合いました。確実に新しい運動の担い手たちが広がっていることを感じました。
夜は近くのコリアンタウンに行き、韓国料理。キムチパワーで明日もがんばります。
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