本文へジャンプ
井上哲士ONLINE
日本共産党 中央委員会へのリンク
トップ >
つれづれぐさ つれづれぐさ
>> 目次

私の自宅は、吉田神社がある京都市左京区の吉田本町。「徒然草」を書いた吉田兼好ゆかりの地です。同じ吉田のまちからつれづれなるままに思いをつづりました。(参考:吉田山JCP京都府委員会


写真

初めての両院協議会

 新しい首相を指名する本会議での選挙。衆参で結果が食い違ったため、首相指名としては9年ぶりの両院協議会が開かれ、私も日本共産党を代表して参加しました

 両院協議会は衆参それぞれ十人で構成されます。参院では決戦投票で小沢一郎氏に投票した会派から選ばれ、衆院では福田康夫氏に投票した会派から選ばれるため、参院では日本共産党にも割り当てられたのです。場所は議事堂の三階の中央にある両院協議会室。衆参それぞれが議決内容を報告した後、協議に入りました。私も発言にたち、首相指名は直近の選挙で示された民意にそって行なわれるべきものであり、参院選挙で示された自公政治ノーの審判に従うべきだと主張。協議では成案は得られず、衆院の議決が優先するため、福田氏が首相になることが決まりました。協議会への参加はもちろん初めてのこと。憲法に直接定められた二院制の手続きに参加できたことは憲法の重みを直接実感できましたし、与野党逆転国会のもとでの参院の議決の重みを実感することができました。波乱に満ちた臨時国会の第二幕の始まりです。これからも次々おこるであろう新しい事態に国民の立場で正確に対応する必要があります。その中で新しい政治の流れをつくる日本共産党の真価を発揮して総選挙勝利へ。全力でがんばります。

(「赤旗」東海北信越版 9月27日付け)


写真

子ども達のために!―各自治体でのアトピー対策強化を求めて

  先日の文部科学委員会で、小中学校でのアトピー対策の強化について質問したことに、何人かの地方議員の方から問い合わせがありました。うれしいことです。

 この質問は、文科省が始めて実施した「アレルギー疾患に関する全国調査」の結果が発表されたことを受けて行なったもの。調査結果によると児童生徒の有病率は、ぜんそくは五・七%、アトピー性皮膚炎は五・五%にものぼります。文科省としては、「どのクラスにもアレルギー疾患をもつお子さんがいる」という前提で、今後、必要な対応を学校に周知徹底するとしています。

 そこで、私は具体的に求めました。まず、温水シャワーの設置の促進です。アトピー性皮膚炎の子どもに効果が高いと文科省も認めているにも関わらず、学校への設置は一四・八%にとどまっています。文科省は「先進的事例を紹介し、各学校に対応を促していきたい」と答弁しました。

 さらに、養護教員の増員や学校給食での食物アレルギーへの対応と教育的配慮、父母にたいする情報提供、アレルギー疾患の学校病への指定なども求めました。そのうち情報のホームページ掲載については、文科省で立ち上げるとともに、教育委員会等にも要請したいとの答弁。父母向けの冊子も検討中とのことです。

 今後、各自治体での対策強化を求めて父母や地方議員の皆さんと力をあわせていきます。子ども達のために!

(京都民報 5月20日付け)


写真

新たな一歩―能登半島地震で大きな被害を受けた輪島塗等の地場産業に、初めて融資以外の公的支援制度ができました。

 創設された地場産業復旧支援事業は、「放置すれば消滅するおそれのある業種(漆器、商店街、酒造)の復興を図るため」に助成や金融支援をするもの。国と県で基金を作り、全壊の場合、施設・整備の復旧費として二百万円を限度に助成します。

 被災地の住宅再建支援については、運動を積み重ねて国の制度を拡充させてきましたが、被災した事業所については金融面での支援しかありません。しかし、大きな被害を受けた輪島塗は、輪島市の基幹産業であり、その再建なしに地域の復興はありえません。しかも、生産は年々減っており、融資をうけられる事業所は限られています。

 なんとかならないか−調べてみると、福井豪雨の際に、県が、被災した越前漆器等の生産設備の復旧に補助する制度を作ったことがわかりました。そこで災害対策特別委員会での質問で、福井の例も紹介し、「地域の再建に欠かせない地場産業の復旧に、国としても、融資だけでなく踏み込んだ支援を」と求めました。

 答弁は「産地の今後一刻も早い復旧を図る観点から支援等に万全をつくしたい」というもので、今回の制度に実りました。ただちに現地調査し、地方議員団と連携した質問の成果。よかった! 

(「赤旗」東海北信越版 5月17日付け)


続いて参議院選挙/成宮さんと全力で

 いっせい地方選挙後半戦の開票結果を期待しながら、最終の新幹線で東京に向かっている途中。日本共産党京都府委員会の渡辺委員長からの携帯電話が鳴りました。

 福知山市議選の三選挙区でそれぞれ定数二で勝利し、和束町ではトップ当選という朗報でした。幸先のよい結果に期待が膨らみます。

 零時前に宿舎につくと再び電話。激戦の宇治市、城陽市、八幡市、久御山町は全員当選。良かった!さらに深夜に、木津川も全員当選、京田辺では青木さんが届きませんでした。向日市長選挙も大善戦です。皆さん、本当にご苦労様でした。 

 激戦の宇治市には告示前日と最終日に応援に入りました。一週間で反応もさらに大きくなり、候補者の訴えでも宣伝物でも日本共産党の議席の値打ちがいっそうキラキラと光っていました。老人ホーム勤務や保育所保護者会運動等の経験を生かし、徹底した調査研究に基づく二十二本もの条例提案が住民とともに市政を動かしてきた――磨けば磨くほど光るのは、党の議員団が住民にとって宝物のような活動をしてきたから。強く磨けばメッキがはがれるような議員とは大違いだと、誇りを感じながら最後の訴えをすることができました。

 さあ、続いて参議院選挙。大増税と改憲をストップ、いのちを大切にする政治へ成宮さんとともに全力疾走します。

(京都民報 4月29日付け)


写真

能登半島地震、一刻も早い復旧へ

 家もお寺も、軒並み崩れ落ちた姿に思わずうめき声を上げました。二十五日の朝に能登半島地震に襲われたのを聞き、京都から八時間半かけ、その日の夜に被災地の輪島市に入った時のことです。

 石川県入りし、まずは県庁の震災対策本部を訪問した後、輪島市へ。被災地に近づくと、道のあちこちにひび割れや陥没があり、思うように走れません。

 到着後、尾西洋子県議、近松みき子参院石川選挙区候補、山口典久衆院北信越比例候補、あぶみ邦夫輪島市議らとともにただちに輪島市役所の対策本部に向い、助役さんにお見舞いを告げ、概況をお聞きしました。その後、市内の全壊した工場を見に行き、工場主の方からお話を聞き、さらにもっとも被害の大きい同市門前町の状況を視察しました。

 翌日は予算の採決の日でもあり、後ろ髪を引かれるような思いで夜中に金沢に戻り、翌朝、国会に向かいました。午後には現地で調査を続けている山口典久さんから電話。「避難所や医療機関訪問すると事態はさらに深刻。水も情報の不足している」という報告です。

 日本共産党は市田書記局長を本部長とする「能登半島地震対策本部」を設置し、私は副本部長に。早速、国会内で開いた本部会議で、前夜の現地入りの様子や、被災地からの電話の内容について報告し、党としての対応を協議しました。一刻も早い復旧へ力を尽くします。

(「赤旗」東海北信越版 3月29日付け)


写真
国民大運動実行委の請願行動を激励する井上議員(中央)ら=25日、国会前

国会開会 党の出番

 いよいよ第百六十六通常国会が開会。二十五日の開会日の様々な動きは、今国会の重要争点を浮き彫りにしました。

 第一は貧困と格差の打開。昼休みに早速、到着した請願デモで目立ったのが、「残業代ゼロ法案許すな」「消費税の大増税反対」などのスローガンでした。総理は残業代ゼロ法案の今国会見送りを表明しましたが、あきらめたわけではありません。この法案の息の根をとめ、人間らしい働き方を実現するためのたたかいを大きく広げます。

 第二は憲法問題。二十三日の参院与野党国対委員長会談で、与党は国民投票法案の審議を行う憲法問題調査特別委員会の設置を提案してきました。私は、改憲のための手続法は必要ないと反対しましたが、開会日の本会議で与党は、多数決で設置をごり押ししました。

 改憲にかける安部政権の執念を示したもの。正面から対決し、廃案へ力を尽くします。

 第三は「政治とカネ」の問題。教基法審議であれほど「規範意識」を強調した伊吹文科大臣が、事務所費問題では居直りを続けています。また、政治資金に関わる疑惑が問題になっている角田副議長はマスコミからガードするために十数人の衛視に取り囲まれて本会議場を出ました。

 いずれも問われているのは、自ら疑惑についての事実を明らかにする自浄能力。閣僚の疑惑には総理の任命責任も問われています。

 どの問題でも日本共産党の出番。全力でがんばります。

(しんぶん赤旗 関西版 2007年1月26日付け)


写真

世論が特定高金利をやめさせた

 夕暮れのJR有楽町駅前に日本共産党の衆参七人の国会議員がズラリ。通行する人々から注目を集めました。十九日に行った 党国会議員団の高金利引き下げキャンペーンの街頭演説です。

 自殺者まで生み出してきたサラ金の高金利の引き下 げを求める世論と運動のなかで最高裁も金利引き下げを求め、日本共産党の追及に政府も法改正を表明してきました。ところが、これに危機感をもったサラ金業 界が自民・公明に献金攻勢を行い、自民党は、期限付きで特例高金利を導入するほか、利息制限法の金利を事実上引き上げるなど業界に有利な「改正案」を打ち 出しました。

 これには大きな怒りが広がりました。私の部屋にも京 都や全国の弁護士会や司法書士会、消費者団体、業者の皆さんから、「消費者の立場に立って特例なしに高金利引き下げを」とたくさんの要請がありました。こ の声に応えて取り組んだ街宣。「サラ金の暴利をこれ以上許してはならない」「献金で政治が業界優先にゆがめられていいのか」の訴えに大きな反応がありまし た。

 この街宣の五日後の二十四日、自民、公明は特例上 乗せ金利や上限金利の引き上げを撤回することを決めました。国民の世論と運動が与党を動かしたのです。業界からの再度の巻き返しを許さず、高金利の引き下 げへ最後まで全力尽くします。

(京都民報 2006年10月29日付け)


写真

海くん、がんばるよ

 「海くん」をご存知でしょうか?一歳半の時に事故で低酸素脳症による重い障害を持った西原海くんです。彼と家族の毎日をつづった「海くん おはよう」などの本はずいぶん評判になりました。

 その海くんが事務所に来てくれました。ご両親と一緒に、「全国訪問教育・親の会」の国会要請行動に参加したのです。

 訪問教育とは、障害が重くて学校へ行けない子の家庭や病院に先生が訪問して勉強するもの。義務教育でしか認められていませんでしたが、親の会の皆さんが「高校でも訪問教育を」と運動をつづけ、二〇〇〇年から完全実施となりました。ところが、今、新たな困難が生じています。障害者自立支援法で応益負担が導入されたことにより、施設の利用費や医療費の負担が大幅に増えたのです。負担が十倍にもなった人、利用回数を減らさざるを得なくなった人など、様々な問題をお聞きしました。この悪法はやはり抜本的に見直さなくてはなりません。

 そのうえ、高校卒業後の行き場が圧倒的に不足しています。現在は養護学校に通っている海くんも卒業後に大きな不安を抱えています。お母さんは、「十七歳になればヒゲも生えてくるし、私のことウザいと思っているじゃないかな」と笑って語っておられましたが、そのご苦労は大変です。

 誰もが命を輝かし続けられる政治の実現へ。海くん、がんばるよ。

(しんぶん赤旗 東海北陸版 2006年10月19日付け)


写真

北朝鮮核実験問題の解決へ全力

 北朝鮮の核実験をめぐって国際社会と日本の対応が問われた一週間。私も急遽、十一日の参院予算委の外交集中審議に立ちました。

 日本共産党は北朝鮮の暴挙に厳しく抗議し、その解決のためには国際社会の結束した対応と外交的・平和的解決の立場を堅持することが重要だと強く主張しました。この立場は国際世論の中心であり、国連でも粘り強い努力が続けられました。

 ところが日本の国会では異質の議論がありました。自民党や民主党の一部からは「六カ国協議は崩壊した」「日朝平壌宣言は破綻した」として、交渉をうちきり、制裁のエスカレートを求める論調が繰り返されました。しかも自民・民主が提案した本会議決議の案文には「外交的・平和的解決」の文言は無く、自民案には「国際社会の一致した対応」の言葉すらなかったのです。

 これに対し私は、外交的解決の努力をのべた米中韓の首脳の発言も示しながら軍事衝突と戦争は絶対に起こしてはならないと総理にせまりました。安倍総理も、国際社会が認識を一つにしており、外交的・平和的解決が必要だと認めました。さらに、日本共産党の修正要求が取り入れられ、衆参の本会議決議には「国際社会が結束した外交を展開し、平和的な解決を模索すべき」という文言が入りました。

 日本共産党の主張がなければ、国際社会の努力とはかけ離れた対応になりかねなかった−これが実感です。北朝鮮核実験問題の解決へ、さらに力を尽くします。

(愛知民報 2006年10月22日付け)


写真
中島さんと懇談する井上さとし参院議員、中野早苗参院長野選挙区候補、山口のりひさ衆院北信越ブロック候補

満州開拓団

 長野県泰阜(やすおか)村の中島多鶴さんを八日、訪問して満州開拓団についてお話を聞きました。

 泰阜村は戦時中、村民の約三分の一にあたる千二十人が満州開拓分村団として現在の中国東北部に渡りました。敗戦のなかで筆舌に尽くしがたい苦難を経験し、約六割の人が現地で死亡し、今も中国に残留している人もいます。そのほとんどは女性です。

 中島さんも開拓団の一員として命からがら帰国されました。妹四人をなくされ、戦後二十六回も中国に行って、残留孤・婦人の帰国と生活支援を行っています。そのお話は、ずっしりと重いものでした。

 敗戦後、開拓地から逃げる途中に、足でまといになるわが子を見捨てざるをえなかった親たちのこと。収容所での飢えと寒さ。今も残留している人々の望郷の念。小泉総理の靖国参拝が、墓参にも困難をもたらしていること……。

 同時に忘れてはならないのは、開拓団といっても開墾したのではなく、中国の人々の農地も家も奪ったという事実です。「私たちもひどいことをした」と中島さんもつぶやかれました。それは紛れもない領土拡張主義であり、侵略戦争であったことの証です。

 間違った戦争が、中国の人々にも日本の国民にも筆舌に尽くしがたい苦難を与えました。「戦争の性格は後世の歴史家が判断する」などと侵略戦争を否定することは許されない。その思いを新たにしました。

(しんぶん赤旗 東海版 2006年9月14日付け)


写真

61回目の広島の原爆の日に

 「ちちをかえせ ははをかえせ…わたしをかえせ わたしにつながるにんげんをかえせ」―初当選の直後、被爆者である詩人、峠三吉の詩にこめられた思いを胸に初登院したことをこの会報に寄稿しました。

 あれから五年。被爆地広島で原爆の悲惨さを胸に刻んで育ち、「憲法といのち輝く日本を」めざしてきた自分の原点を再確認しようと、六十一回目の広島の原爆の日に平和祈念式典に参加しました。

 その前日、広島市内で原爆症認定広島訴訟を支援する報告集会に出席したときのこと。「人間を返せ」の詩をアメイジンググレイスのメロディにのせて横井久美子さんが歌われました。その声が胸にしみ、新たな決意がわいてきました。

 その集会では、勝利判決を聞く前に亡くなった原告の一人、萬膳ハル子さんの裁判での陳述が朗読されました。九歳で被爆し、顔のやけどで一ヶ月も目が開けられず、結婚しても卵巣を切り取る手術で子どもを生めないからだに…。次々と病魔に襲われ、病床から原爆症の申請をしても却下され集団訴訟に踏み切りました。「もし私が被爆していなかったら、子どもを生んで、孫ができて…と想像するだけで涙がでます。夢でした」。

 被爆から六十一年間、被爆者にこんな思いをさせながら政府は原爆症認定基準を改善せず、被爆者を冷たく切り捨てています。それだけではありません。昨年の予算委員会では、米国が、「使える核」として地中貫通型核兵器を開発していることに対し、唯一の被爆国として中止を求めるべきだと外相に迫りました。答弁は、「一々この研究はいいの悪いのということを言う立場にはない」というもの。「それでも被爆国の外相か」―私は思わず言い返しました。

 この冷たい政治を変え、憲法といのち輝く日本をつくるため、がんばりぬきます。

(06年8月、日本共産党文学後援会会報「転形期」に寄稿)


写真
憲法9条について上口さん(左)と懇談する井上さん(右から3人目)=7月28日=

九条はダイヤモンド

 「九条はダイヤモンド」―山中温泉観光協会会長の上口昌徳さんとの言葉です。

 上口さんは、元自民党石川県連幹事長で県議会議長も務めた方ですが、「九条の会・石川ネット」の呼びかけ人になられています。先月二十八日、上口さんの旅館を訪ね、その思いをお聞きすることができました。

 上口さんは終戦直前の福井の空襲で九人の親戚のうち七人を失われました。「その悲しく厳しい思い出は、口にすることさえできず六十年間封印してきた」という上口さんが、その封印を解いて、今年の憲法記念日の石川集会で話され、大きな感動を呼びました。

 上口さんは、その集会で、「戦争が終わったとき、憲法の中にダイヤモンドのように埋め込まれた九条を私たちは文句なく受け入れてきた。自民党の中で青春を過ごしたが、この憲法を改正しようなどと考えたことは一度もなかった」と話され、「『野に直言なき国家は滅びる』。少数派がこの危機の時代を正しい方向に切り開くのです。皆さんと思いを共有し、勇気を持って進んでまいりたい」と呼びかけられました。

 私が、「まさに九条は世界の宝。『野に直言なき国家は滅ぶ』という言葉は、確かな野党としてがんばる私たちへの大きな励ましです」とのべると、「正義の味方としてがんばってください」と握手をしてくださいました。この九条をもっともっと輝かせるために。 

(京都民報 2006 年 8 月 6 日付け)


写真
諏訪・塩尻・木曾地域「冬の赤旗まつり」で郷土料理を楽しみながらの交流

充実した出会いの毎日

 来年の参院選挙の五人の比例候補の一人として、東海、北信越、京都の皆さんとご一緒にたたかうことになりました。

 候補者発表からの一週間で、豪雪調査、街頭演説、党会議や後援会まつりの挨拶など、東京→石川→福井→石川→東京→愛知→東京→長野→東京→京都→長野→岐阜→三重→静岡→東京と回りました。国会の会期中にこれだけの府県を一週間で駆け巡ったのは初めてのこと。

 安全軽視と格差拡大の小泉構造改革のゆきづまりが急速に広がるなかで、「なんとしても選挙での本格的前進を」という熱い思いがどこでもあふれていました。「被爆地広島で原爆の悲惨さ胸に刻んで育った。だからこそ憲法といのち輝く日本めざしてがんばりぬきます」との私の訴えに、各地でたくさんの激励をいただき、充実した日々でした。

 様々な出会いがありました。「テレビの質問見ました。期待してますよ」と力強く手を握る人、「一緒にがんばりましょう」と写真を撮った地方議員の皆さん、民青の活動でご一緒して以来、二十五年ぶりに再会した人などなど。

 様々な味との出会いも。諏訪、塩尻、木曾の「冬の赤旗まつり」では手づくりの郷土料理を堪能しました。静岡の県党会議では「うちのまちできたみかんだから」と両手一杯もらいました。小粒で濃厚な味。疲れも吹き飛びます。名古屋では、初めての味噌カツ。大いに訴え、握手し、そして食べてがんばります。

(しんぶん赤旗 東海・北信越版 2006 年 2 月 15 日付け)


写真
写真
国会内で開かれた医療保険改悪反対の決起集会で=23日

見えた小泉政治破たん

 通常国会が二十日から始まりました。

 この日、小泉総理の施政方針等が行われた衆参本会議の合間を縫って、BSE問題に関してアメリカからの牛肉輸入再開問題をどう、序盤の論戦で取り上げるかを議論しました。

 ところが、本会議後に部屋に戻ると、輸入再開されたばかりのアメリカ産牛肉にBSE危険部位である脊柱が混入していたことがわかり、再度輸入禁止にしたというニュースが飛び込んできました。

 昨年の総選挙では「小泉旋風」で、行き詰まりを覆い隠した自民党政治ですが、その破綻がどんどん加速していることを実感した一瞬でした。

 この一年を振り返ればますますその感を強くします。昨年春のJR福知山線の脱線事故は国鉄分割民営化が安全を犠牲にしたことを劇的に示しましたが、民営化からは二十年たっています。

 続いて耐震偽造問題。九八年の建築基準法改悪での規制緩和で住宅の安全より儲けを優先した結果であることを浮き彫りにしました。これは、改悪から七年後になります。

 さらに、ライブドア問題。証券取引の規制緩和は〇〇年代のことですし、自民党が堀江氏を「改革の旗手」と持ち上げたのは昨年の八月で、わずか五ヶ月前。

 そして、こんどは米産牛肉の輸入再停止。この問題にいたっては、昨年十二月に再開したばかり。わずか一ヵ月で破綻です。

 開会日の議員面会所には全国から百三万人分の様々な請願署名が積上げられ、熱気にあふれました。このたたかいと連帯し、行き詰まった暮らし破壊政治と正面から対決して、この国会をがんばりぬきます。

(しんぶん赤旗 関西版 2006 年 1 月 25 日付け)


>> 目次

リンクはご自由にどうぞ。各ページに掲載の画像及び記事の無断転載を禁じます。
© 2001-2005 Japanese Communist Party, Satoshi Inoue, all rights reserved.