ヒロシマの心国会へ
今年は被爆六十周年。この一ヶ月は、核廃絶と被爆者援護の拡大を求めて駆け回りました。 五月に核不拡散条約(NPT)の再検討会議が開かれますが、五年前の会議での「核廃絶への明確な約束」がアメリカによって反古にされることへの危惧が広がっています。二月十九日はこの問題の市民集会に参加し、パネリストを務めました。 三月一日のビキニデーは久保山愛吉さんの墓前際で挨拶し、その日の夕方は韓国やブラジルに住む在外被爆者の方とともに在外被爆者援護の拡大を求めて厚労相に申し入れ。翌二日は「在外被爆者へ援護法適用を実現させる議員懇談会」の総会。そして九日の予算委員会で地中貫通核兵器の問題で質問しました。 私は広島で育ち、卒業した高校は爆心地のすぐ近く。先輩が原爆でほぼ全滅したことを知り、「二度とこんな理不尽なことを許してはならない」と胸に刻んできました。二月の市民集会でこのことをお話しすると、会場から「私は井上さんの先輩で、被爆のときの一年生の生き残りです」と男性が発言され、びっくり。八月六日は学校を休んでおり、死を免れたとのこと。「がんばってください」と熱い激励をいただきました。 その思いを予算委員会でぶつけましたが、外相の答弁のひどいこと。「使える核兵器」としてアメリカが開発をすすめている地中貫通核兵器について、開発中止を迫れと求めると「いろいろな国のいろいろな研究にいちいちいう立場にない」と答弁。私は、「被爆国の外相の資格は無い」と厳しく批判しました。 (しんぶん赤旗 関西版 2005 年 3 月 16 日付け) |