京都を朝出て、舞鶴市で行われた浮島丸殉難68周年追悼集会に西山とき子元参院議員や党舞鶴市議団の皆さんとともに参加。改めて日本の植民地支配や侵略戦争がもたらしたものを見つめなおしました。決して風化させることも、歴史を捻じ曲げることもあってはなりません。
終戦直後に釜山に向かう浮島丸が、数千人の朝鮮人をのせたまま舞鶴湾で爆発し、多くの死者を出したこの事件。植民地支配のもとで、過酷の労働に従事させられていた多くの朝鮮人とのその家族が、希望をもって帰国する途中に起きました。
植民地支配と...結びつき、政府の確認でも500人以上が亡くなった重大事件あるにもかかわらず、ほとんど知らされてきませんでした。ご存じない方は、ぜひこの機会に知っていただきたい。http://www.asahi-net.or.jp/~un3k-mn/0815-ukisima.htm
さまざまな疑問点が指摘されており、いまだに260柱の遺骨は東京のお寺に残されたままです。
舞鶴では、追悼慰霊祭が市民の手で行われ、1978年に市民の運動で「追悼の碑」を建立。以降、沈没した事故現場の海を見渡せるこの碑前で追悼集会が開かれています。
朝鮮総連、韓国民団の代表の式辞、京都府知事(代理)、舞鶴市長の献花、厚生労働大臣のメッセージ朗読、献茶、慰霊の舞などが行われ、私も来賓として献花をさせていただきました。
厚労大臣のメッセージは西山元参院議員が、当時の菅大臣にこの問題で質問したことを契機に届けられるようになったもの。この九年間は、私が、実行委員会からのメッセージ以来を厚労省につなぐ役を担ってきましたが、毎年、日程があわず、やっと初めて参加することができました。
朝鮮中高級学校の女子生徒たちが歌う追悼歌「はまなすの花さきそめて」の哀愁をおびたメロディーが胸にしみました。最後に参加者全員で海に献花し、手を合わせました。終了後、民団の参加者のみなさんと記念撮影も。
大きな犠牲者を生んだ日本の植民地支配と侵略戦争。その歴史を改めてかみしめ、「侵略の定義は様々」などとのべ、反省の言葉すら述べない政権への憤りを新たにしました。
舞鶴市で浮島丸殉難68周年追悼集会
2013年8月24日(土)