活動日誌

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参院選挙制度専門委員会/谷口さんの遺志を継いで

 午後から参院改革協議会の選挙制度専門委員会が開かれました。合区を含む一定の一票の格差の是正をおこなった2014年参院選挙に対する評価について、専修大法科大学院教授の棟居快行、一橋大大学院教授の只野雅人両参考人からご意見をいただき、質疑応答をしました。

 参院を「地方の代表」として、都道府県選挙区間の一票の格差を温存する考えについての質疑が多く行われました。最高裁は9/27に14年選挙に対する違憲訴訟の判決行うことを明らかにしたところ。さらに議論を進めていきます。

 終了後、新幹線で京都へ帰る途中です。今夜はサッカーW杯出場を決めるオーストラリア戦。これまで、ドーハの悲劇、ジョホールバルの歓喜などW予選の重要な試合は真夜中でも見てきました。今日はホームゲーム。負けられない闘いがある!

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 IMG_2104.JPG昨日、命がけで核兵器廃絶の先頭に立ってこられた、被爆者の谷口稜曄(すみてる)さんが核兵器禁止条約の採択を見届けるように、亡くなられました。

 2010年の国連のNPT再検討会議での演説は参加者の心を大きく揺さぶりました。当時、国連本部前でお合いし、ご挨拶をしたことを思い出します。

 多くのメディアが死去について報じました。今朝の中日新聞のコラムが心を打ちます。遺志を継いでがんばります。合掌

【中日春秋】

谷口稜曄(すみてる)さんと栄子さんが結婚したのは、一九五六年の春。新婚旅行の夜、新郎は「風呂で背中を流して」と頼んだ

▼風呂場で、新婦は泣きだしてしまったという。目の前にあったのは、長崎に落とされた原爆で焼かれ、赤くただれて健康な皮膚を失い、筋肉の上に薄い膜が張っているだけの異様な背中だったのだ

▼栄子さんは「だまされた」と思い、怒りもおぼえた。だが、涙を流すうち「原爆とはなんてひどいものか」との思いがわいてきたという

▼稜曄さんの背中の皮は、ちょっと太ると裂けてしまうほど、もろかった。だから食事に気を配り、毎日、その背中に保湿クリームを塗るのが、栄子さんの日課となった。そして、核廃絶運動に奔走する稜曄さんの背中を、こう言って押したそうだ。「裸になってみんなに見せてこい」(舘林愛著『生きているかぎり語りつづける』)

▼稜曄さんは国連本部で、背中が赤くただれた自らの写真を掲げて、核廃絶を訴えた。「私はモルモットではありません。もちろん見せ物でもありません。でも、私の姿を見てしまったあなたたちは、どうか目をそらさないで、もう一度見てほしい」

▼稜曄さんはきのう、八十八歳で逝った。今は昨春八十六歳で逝った栄子さんに背中をさすってもらっているかもしれぬ。しかし、その背中のうずきが消え去るのは、核が廃絶されるその日だろう。

 

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