京都を朝出て国会へ。建設アスベスト訴訟の早期解決を求める「9・25国会集会」に、倉林、畑野、武田各議員とともに参加しました。
大阪高裁の連続勝利で国の10連敗となりました。関西での提訴からすでに七年がたち、多くの原告が亡くなりました。集会では京都訴訟の原告団長で地裁判決を見ることなく亡くなられた寺前さんの娘さんが遺族原告として挨拶されました。
寺前さんは京建労東山支部の役員をされ、当時の梅田勝衆院議員事務所のすぐそばがご自宅でした。梅田さんの秘書をしていた私は当時も国政候補者になってからも随分お世話になりました。闘い半ばに亡くなられたことはどんなに無念だったでしょうか。
他の原告方々も、病気の重篤化と高齢化が進み「命ある間に解決を」の声は切実です。国は被害の早期全面救済を!
午後からは国会内で三つの会議。夜はプールでひと泳ぎ。