田上長崎市長は平和宣言の冒頭で1956年の原水禁世界大会の時、下半身不随の被爆者が母親に抱きかかえられた会場に入った際に会場から「写真に撮るのはやめよ」「見せ物じゃないぞ」との声が上がって騒然としたが、登壇した被爆者が、「世界の皆さん、どうぞ私を写してください。二度と私をつくらないでください」とのべたことを紹介しました。
それを聞いて、2010年のNPT再検討会議での長崎の被爆者、谷口稜曄(すみてる)さんの訴える姿が浮かんできました。
谷口さんは、背中全体が真っ赤に焼かれた被爆直後の自身の写真を掲げ「私はモルモットではない。見世物でもない。でも目をそらさず、もう一度見てほしい」「私を最後の被爆者とするため、廃絶の声を世界に届けたい」と訴え、スピーチが終わると万来の拍手1分近く鳴り響きました。
この命がけの訴えが世界を動かしてできたのが核兵器禁止条約です。谷口さんは条約の採択後一か月半あとに、採択を見届けるように亡くなりました。
平和宣言はさらに、「核廃絶こそ人類を守る唯一の現実的な道」と強調しました。日本は直ちに核禁条約に署名を。
夕方に世界的なデザイナー、三宅一生さんの訃報が。広島国泰寺高校の先輩です。三宅さんは小一で被爆されましたが、そのことをほとんど語っておられませんでした。しかし、オバマ演説を聞いてニューヨークタイムスに被爆体験を寄稿され、オバマ氏に広島訪問を呼びかけられました。