活動日誌

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66歳の誕生日。能登半島地震被災地へ

 珠洲焼.jpg今日5月5日は66歳の誕生日。小池書記局長、藤野前衆院議員と共に能登の被災地に来ています。 金沢市内で輪島の出張朝市や珠洲焼の展示会を訪問し、羽咋市の支援共同センターに立ち寄った後、輪島市、珠洲市の被災現場を回り被災者の声を聞きました。
 ちょうど1年前の5/5にも能登では大きな地震があり、珠洲市では震度6強となりました。その時も、翌6日に珠洲市に入り、被災地を調査しましたが、1/1の地震により2年連続のGWの能登入りとなりました。
5.5共同センター.jpg 出張朝市と珠洲焼展示会の場で、全国の党員と党組織が呼びかけた「能登半島地震災害募金」の一部を、「輪島市朝市組合」の冨水長毅(とみず・ながたけ)組合長と「珠洲焼 創炎会」の篠原敬会長に手渡しました。
 篠原会長は1年前の地震で窯が倒壊、ようやく再開したところに今年1月1日、震度7の地震が襲いました。作陶再開のはじめの一歩として「珠洲焼復興を地域再生の光へ」と開かれたのが今回の特別展。「珠洲焼は平安から室町時代の日本海文化を代表する伝統工芸の一つ。ぜひ支援してほしい」と話されました。
 
 大徹さん.jpgその後、羽咋市の被災者救援共同センターへ。全国から支援物資が寄せられボランティアが駆けつけている様子や被災者の現状と要望などお話を伺いました。明日行われる救援物資の「お渡し会」の準備もされていました。
 つづいて輪島市へ移動し、漆塗り「大徹」さんの仮設工房を訪ねました。仮設工房については、二月に輪島塗の工業組合を訪ねた際に、分業制で住宅の中に小さな工房がある輪島塗の特徴に合わせたものにできるよう要望があり、すぐに国会質問で求めました。
 朝市通り.jpgお訪ねすると、一定の生活スペースが確保されており、「作業所がないと仕事ができないので助かりました」とのお声。「一番困っているのは資金面」と話され、公費による支援の要望がありました。
 続いて朝市通りへ。1/3訪れ、2月初めにも田村委員長とともに訪れましたが、がれきや焼け跡はほぼそのまま。被災直後には黒かったところがさびで赤茶けた色にかわっているだけでした。
 その後、珠洲市に移動し、ほとんどの住宅が倒壊した地域を回りましたが、こちらも道は通れるようになっているものの倒壊した建物はほぼそのまま。液状化で1メートル半も隆起したマンホールもありました。
 珠洲市.jpgいずれも、まるで4ヶ月時間が止まったような感じです。人命救助やインフラ整備、仮設の建設が優先ということが言われてきましたが、それにしても4か月たってこの状態は政治の責任が問われていると痛感した1日でした。

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