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「災害・環境・地方自治」の記事

jz.jpg松村防災担当大臣に、能登半島地震について「生活再建へ希望を持てる対策を」と要請。特に、ガレキ処理や公費解体について、なぜ4ヶ月半経っても進まないのか、いつまでに、どうやって改善しようとしているのかについて、今後の見通しを被災者と共有することを強く求めました。

 松村防災大臣は熊本選出。私からは、「熊本地震などこれまでの災害で実態に応じて積み上げられてきた支援の制度やその運用が能登で生かされていない」と述べて抜本改善を求めました。

 IMG_2575.JPG午前中の本会議は、地域デジタル基本法案の審議。伊藤岳議員が質問にたちました。

 原田完・元京都府議ら、京都の治安維持法同盟の皆さんが来訪れ請願署名を受け取って懇談しました。

 

◎以下、申し入れ書です。

内閣総理大臣 岸田文雄 様

防災担当大臣 松村祥史 様
日本共産党国会議員団
能登半島地震による被災者支援に関する申し入れ
能登半島地震の発災から4ヶ月半が経過したが、被災地では地震直後とまったく変わらない光景が至るところに存在している。多くの被災者が、再び能登で生きていきたいと強く願い、必死の努力を続けているものの、事実上の「自立」を迫られ、被災者を取り巻く環境は日を追うごとに厳しさを増している。
被災者に対するアンケート調査では2020年ごろからの相次ぐ地震による「多重被災で再建への気持ちがそがれた」という回答が約6割に上っている。4カ月半経っても倒壊・焼失した家屋などのガレキが手つかずのまま放置されている現実は被災者をさらに追い込むことになりかねない。
被災者に能登で生きていく希望を示せるのかどうかが厳しく問われている。被災者の生活再建の現実をふまえた柔軟できめ細かな対策を講じること、そのために必要な知恵と力を集中することが求められており、以下の事項の速やかな実行を申し入れる。
1、ガレキ処理、被災家屋の公費解体が進んでおらず、生活と生業再建の大きな障害となっている。公費解体申請中の旅館の建物が住民の目の前で倒壊する事態も発生している。上水道が復旧しても、下水道や宅地内配管の損傷等により事実上水が使えないところが多数残されている。
なぜ4ヶ月半経ってもこれらの事態が改善されないのか。いつまでに、どうやって改善しようとしているのか。液状化被害地域を含め現状と今後の見通しを被災者と共有すること。
2、地域の復興は計画・制度を一方的に押し付けるのではなく、コミュニティの再生を含めた被災者の生活・なりわい再建に係る障害を一つひとつ確実に打開することで、被災者自身による元の暮らしを取り戻すことを支援すること。
 同時に、建物などの被害だけでなく、多重被災に苦しむ被災者をはじめ全ての被災者を対象にした相談・見守りなど心のケアを重視すること。
3、仮設住宅後の住まいの展望が持てるよう、意向調査など被災者の希望に寄り添った対応をおこなうこと。2007年や2023年の過去の能登半島における震災の際に実施された支援制度(これまで住んでいた土地での「能登ふるさと住宅」や自宅跡地を活用した戸建ての公営住宅、被災者生活再建支援金の支援対象の拡大や支援金の上乗せ)などを生かし、能登の風土・文化にふさわしい住宅再建への支援を抜本的に強化すること。
 地域福祉推進支援臨時特例交付金による最大300万円の給付金については、石川県6市町に限定せず支援を拡大すること。あわせて、被災者生活再建支援法の支給限度額や対象を拡大すること。
4、仮設住宅への入居が始まったが、「家財道具は自分で買えと言われた」「電気やガスの契約も自分でやれと言われた」「建て付けがずさんで傾きがある」「防音機能が低く隣の音が聞こえる」「ベッドを置くと狭すぎる」などの声が寄せられており、入居者が安心して暮らすことができるよう必要な改善をおこなうこと。
 仮設住宅に入居すると食事支援が打ち切られるケースが頻発し、「食糧難民」が生み出されている。熊本地震の際に行った政府備蓄米の活用など、避難者のニーズに応じた支援を行うこと。
5、一次避難所における食事の改善、プライバシー確保、ジェンダー視点での対応強化などをおこなうこと。二次避難所でも北陸新幹線延伸を受けて「居づらい」などの声が増えており、心のケアも含めた支援強化が必要である。在宅、みなし仮設、親戚・知人宅への避難者の実態を把握し、支援を届けること。
6、大規模な海底隆起という未曾有の事態に直面している漁業、世界農業遺産の白米千枚田、輪島塗、珠洲焼、酒造など地場・伝統産業、観光業などへの支援制度の柔軟な運用を図り、きめ細かく支援を行うこと。漁港や農地などの被害の全貌を把握し、再建の見通しを早期に示すこと。能登半島のインフラ復旧に全力を尽くすこと。
7、奥能登において医療・介護施設や雇用が維持できるよう支援を強化すること。避難者を受け入れている周辺自治体の医療・介護施設に対しても人的・財政的支援を行うこと。教育、福祉、保育の現場への支援を強めること。
8、被災自治体が被災地域の実情や特性に応じて生活・生業再建、地域の復興に被災者や住民と力を合わせて取り組むことができるよう、被災地域全体を対象にした復興基金の設置など人的・財政的に支える体制を抜本的に強化すること。ボランティアの活動を最大限支援すること。被災者などから寄せられる要望や課題について、国の持つ知恵や力を被災地の現場で、被災自治体とともに解決することを重視すること。
以上

 

 参考人・井原2.jpg経済秘密保護法案の参考人質疑でした。参考人の井原聰東北大名誉教授は、四月の日米首脳会談も示し「軍事研究に日本を取り込もうとしているのは明らかだ」と指摘。政府の有識者会議の報告では、軍需産業に参入を希望する企業からセキュリティークリアランス(SC)を求める声が上がっていることを紹介されました。
 それを受け、経団連の原参考人に「SCが必要な国際的な共同研究・開発とは軍需産業への参入を想定しているのか」と聞くと、「ご指摘の点も含まれる」と認めました。いよいよ法案の本質は明らかです。終了後の会館前の行動で報告し、廃案を呼びかけました。その後、参院の野党国対委員長会談。今後の本会議開催などの国会運営について協議しました。
 朝参考人・井原.jpgの内閣委員会理事会で明後日の9日の審議日程について提案があり、対政府質疑4時間半の後に岸田総理に対する質疑を各会派10分ずつ行うことを確認しました。自民党からは、それで審議を衆列し採択したいと考えているが、審議日程については筆頭間協議を続けたいとの発言がありました。
 午後は明後日の質問準備等。夜は能登半島地震対策本部の会議と議員団会議。5日の能登被災地入りについて小池書記局長と私が報告し、この間、各委員会で行ってきた質問を交流。笠井さんからはなりわい補助金の改善を求めてきたが、一定の改善があったことが報告されました。
 珠洲焼.jpg今日5月5日は66歳の誕生日。小池書記局長、藤野前衆院議員と共に能登の被災地に来ています。 金沢市内で輪島の出張朝市や珠洲焼の展示会を訪問し、羽咋市の支援共同センターに立ち寄った後、輪島市、珠洲市の被災現場を回り被災者の声を聞きました。
 ちょうど1年前の5/5にも能登では大きな地震があり、珠洲市では震度6強となりました。その時も、翌6日に珠洲市に入り、被災地を調査しましたが、1/1の地震により2年連続のGWの能登入りとなりました。
5.5共同センター.jpg 出張朝市と珠洲焼展示会の場で、全国の党員と党組織が呼びかけた「能登半島地震災害募金」の一部を、「輪島市朝市組合」の冨水長毅(とみず・ながたけ)組合長と「珠洲焼 創炎会」の篠原敬会長に手渡しました。
 篠原会長は1年前の地震で窯が倒壊、ようやく再開したところに今年1月1日、震度7の地震が襲いました。作陶再開のはじめの一歩として「珠洲焼復興を地域再生の光へ」と開かれたのが今回の特別展。「珠洲焼は平安から室町時代の日本海文化を代表する伝統工芸の一つ。ぜひ支援してほしい」と話されました。
 
 大徹さん.jpgその後、羽咋市の被災者救援共同センターへ。全国から支援物資が寄せられボランティアが駆けつけている様子や被災者の現状と要望などお話を伺いました。明日行われる救援物資の「お渡し会」の準備もされていました。
 つづいて輪島市へ移動し、漆塗り「大徹」さんの仮設工房を訪ねました。仮設工房については、二月に輪島塗の工業組合を訪ねた際に、分業制で住宅の中に小さな工房がある輪島塗の特徴に合わせたものにできるよう要望があり、すぐに国会質問で求めました。
 朝市通り.jpgお訪ねすると、一定の生活スペースが確保されており、「作業所がないと仕事ができないので助かりました」とのお声。「一番困っているのは資金面」と話され、公費による支援の要望がありました。
 続いて朝市通りへ。1/3訪れ、2月初めにも田村委員長とともに訪れましたが、がれきや焼け跡はほぼそのまま。被災直後には黒かったところがさびで赤茶けた色にかわっているだけでした。
 その後、珠洲市に移動し、ほとんどの住宅が倒壊した地域を回りましたが、こちらも道は通れるようになっているものの倒壊した建物はほぼそのまま。液状化で1メートル半も隆起したマンホールもありました。
 珠洲市.jpgいずれも、まるで4ヶ月時間が止まったような感じです。人命救助やインフラ整備、仮設の建設が優先ということが言われてきましたが、それにしても4か月たってこの状態は政治の責任が問われていると痛感した1日でした。
 IMG_2547.JPGフ~。拉致特と災害特で質問。2日で4回の質問というハードワークを終えました。災害特では、災害ゴミを集積所や仮置き場に運ぶことが車を失った被災者や高齢者に大きな負担だと指摘。熊本震災時のように家の前に出した災害ゴミを市や町が収集運搬する方法が国の補助金制度の対象となることを確認しました。
 家屋の公費解体について、解体前の家具の持ち出しが困難な場合はしなくてもよいことや部分解体が可能であることを確認。相続人全員の同意を得ることが困難で公費解体が遅れていることへの柔軟対応と、人的、実務的支援も求めました。
 拉致特では、ASEANに学びながら北東アジアでの外交戦略をもって日朝平壌宣言にもとづいた拉致を含む諸問題の解決についてただしました。
 午前中は本会議で農業基本法の質疑に紙議員が立ちました。衆院では政治改革特別委が開かれ各党の意見表明が行われました。参院では同委の理事懇談会が開かれ、来月10日に意見表明を行うことを決め、自由討議については筆頭間協議になりました。
 今週は計5回の質問でした。明日からGW。メーデー、憲法記念日、さらに能登地震被災地訪問もあります。
 IMG_2533.JPG内閣委で経済秘密保護法と日本学術会議問題で質問しました。前回に続いて、軍事転用の可能性を持った科学・技術の情報を秘密指定を拡大して米国の情報保全制度と同等性を確保することにより、武器の共同開発を推進するものだと指摘しました。
 さらに、政府が学術会議の法人化方針を打ち出し、有識者懇談会で検討を進めている問題について質問しました。
 政府方針に対し学術会議が懸念を示し、今後の在り方について満たされるべき五点を明らかにしていることを紹介。昨年の予算委での岸田総理の「期限ありきではなく、学術会議と意思疎通を図りながら検討を進める」を踏まえるよう求めました。内閣府の笹川室長は、総理答弁通り進めていくと答えました。期限ありきで進めさせてはなりません。
 ミナマタ.jpg午後には「ノーモア・ミナマタ第二次新潟訴訟」の原告団・弁護団の皆さんらが来訪され懇談。地裁判決は国の責任を認めなかったものの、26人を水俣病と認め、現在の認定制度では救済されない水俣病被害者がいまだに多数存在することを大阪・熊本地裁判決に続いて浮きぼりにしました。
 新潟の原告169人のうち既に31人が亡くなっており、平均年齢も71歳を超えています。国と被告企業は全被害者を救済しうる新たな制度を作るべきです。
 能登町.jpg参院災害対策特別委員会の委員派遣で能登地震の被災地である珠洲市、能登町を訪問しました。
 羽田からのと里山空港へ。空港には支援者用の宿泊施設が建てられ、隣接した日本航空学園の学生寮や施設も応援職員等の宿泊施設になっていました。
 空港からバスで能登町へ。副町長さんの案内で、地震、津波、火災の被害が襲った白丸地区を歩いて視察。亡くなった方のお宅に全員で黙礼を捧げました。津波被害で一階が壊れた住宅が多数ですが、瓦礫はまだそのまま。様々な困難があり公費解体はまだ3軒とのこと。一層の支援強化が必要です。
 能登町2.jpg続いて珠洲市総合病院へ。院長先生から、発災以来のご苦労と課題をお聞きしました。被害により退職した看護師も少なくなく、今後避難者が戻ってくる時の受け皿が困難になることへの対策や経営困難への支援の要請などありました。
 終了後、上下水道の復旧支援を視察。破損した下水道の仮圧送管の工事について、応援派遣されている名古屋市上下水道局の職員から話を聞きました。その後、最大4mの津波があり大きな被害を受けた飯田港や災害廃棄物の仮置き場を視察。移動の途中、多くの倒壊住宅がそのままの状態でした。
 能登町3.jpg最後に珠洲市役所で泉谷市長、刀祢珠洲商工会議所会頭、石巻のNPOの阿部代表らと意見交換会。市長から、建物の解体・撤去を迅速に進めるための支援、災害公営住宅に対する財政措置の嵩上げ、農地、漁港の迅速な復旧などの要望書を受け取りました。
 15時半ごろに終えて、バスで約三時間かけて富山県の新高岡駅へ。新高岡から東京へは三時間弱。東京着は22時過ぎです。視察でお聞きした要望を今後の取り組みに生かしていきます。

 IMG_2401.JPG石川県の馳浩知事が田村智子委員長事務所を訪れ、能登半島地震に関する「要望書」を手渡して懇談。私も同席しました。

 馳知事はこの間の共産党の取り組みに謝意を示し、仮設住宅への入居状況や、倒壊した家屋の解体・撤去作業の見通しなどを報告し、5月中にも県の「復興プラン(仮称)」を取りまとめたいとされました。

 田村氏は、「超党派はもちろん、国を挙げて復興・復旧を支援していかなければならない」と発言。「自宅で暮らす方への食料配布が止まるなど、悲痛な声が寄せられている」として、「復興に向けた街づくりと同時に、取り残されている被災者に『生きることを支えていくよ』というメッセージを伝えていくことが求められている」と強調しました。

IMG_4786.jpg 私は「故郷に帰りたいと思っているみなさんが戻れる条件を整えることが何よりも優先されるべきだ」と伝えました。

 午前中は内閣府から共生社会の実現と同姓パートナーの権利保障についてヒアリング。その後、明日の内閣委員会の質問を仕上げて通告。夕方は議員団会議でした。

 国会周辺の桜も満開。お昼に、散策しました。

 24.4.1.jpg能登半島地震発災から3か月の今日、党国会議員団は対策本部会合を開催。現地の「被災者共同支援センター」の責任者の藤野保史前衆院議員から報告を受け、国会での質問や視察について交流しました。
 依然として避難所の劣悪な状況が続いているのに、人的支援が縮小され、下水が復旧できないために上水道が通っても水が使えず、それでも給水所が縮小されている。自立の条件が作れなてないのに、知事は「自立」を強調するばかり。被災者のいまの命を支え、希望を示す支援こそ必要です。
 
 決算委員会の総括質疑を応援傍聴。吉良よし子議員が裏金問題と子どもの意見表明権について岸田総理をただしました。
 24.3.30伏木駅.jpg高岡駅前のホテルを出発して午前中は高瀬あつ子前市議の案内で能登半島地震で大きな液状化被害のあった伏木地区でお声を聴いて回りました。伏木駅前で隣の氷見市の穴倉陽子市議から震災対策についての要望書をいただきました。
 国は3/22の震災対策本部会議で、エリア一体の液状化対策について国の補助率を2分の1に引上げると共に、液状化で傾斜した住宅の補修に、最大120万円の補助となる既存の液状化防止対策の制度を使えることを明らかにしました。富山県も27日の会議で国の新しい対応を確認していますが、肝心の被災者の皆さんには十分に伝わっていませんでした。
 中には、今月初めに「最大120万円の液状化防止対策補助を使いたい」と市に申請したら、「これは防止対策なので被害の修繕には使えません」と断られ、あきらめたという人も。「使えるようになりました」と速やかに被災者に連絡すべきですが、後手後手だと感じました。様々な不安やご意見を伺いました。今後、政府に求めていきます。
 24.3.30魚津市.jpgその後、鉄道移動で魚津市へ。駅前の食堂に入ると女将さんが、議員バッチを見て「あら県会議員の方が来てくださった」と言われたので「国会議員です」といって名刺を渡しました。すると「国会議員が来るなんて初めて」とお客さんに「この人、国会議員ですよ」と声をかけられたのでびっくり。お客さんにも名刺を渡し、「今日は来月の市議選で共産党の岡田さんの応援の演説会に来たんです」というと、ある男性客が「岡田さんはいい人や」と言ってくださいました。「よろしくお願いします」と握手をしてお店を出ました。
 演説会では、泉野和之衆院2区予定候補、岡田たつろう市議予定候補(現・3期)から訴えの後、私がお話。地元地域では、自民党衆院議員の秘書だった新人候補が、自民党県議の案内で「国、県との太いパイプがある」と挨拶周りをしています。私は裏金への国民の怒りを示し「こんな時に裏金自民党とのパイプを自慢するなんて。今必要なのは住民との太いパイプだ」と強調。
 自民党が来週にも裏金議員への処分を行って幕引きを図ろうとしていることに触れ、「その直後にたたかわれる市議選。幕引き許さず、真相徹底解明、金で動く政治を終わりにする声をこぞって日本共産党、岡田さんへ」と呼びかけました。終了後、京都へ。新幹線の敦賀延伸後、初めての利用でした。

 午前中は先週金曜日の政府の能登半島地震復旧・復興支援本部で決められた液状化被害と医療・高齢者施設への支援強化について政府から聞き取り。自治体が宅地や隣接する道路などを一体として液状化対策をする場合の国の補助率を4分の1から2分の1に引き上げます。

 被災者が液状化で傾斜した住宅の修復を行う費用は、最大120万円補助するこれまでの住宅耐震支援の制度を活用できることを明確にしました。面的な液状化対策は地域での合意に一定の時間がかかることもあり、傾いた住宅のジャッキアップなどの対策を個別に進められる支援策を予算委で求め来ました。それに沿うものではありますが、120万円をおおきくうわまわるケースも聞いており、さらに拡充が必要です。

 39108.jpg午後には韓国の元徴用工訴訟の原告・遺族、弁護団の皆さんと小池書記局長とともに懇談。16時過ぎから予算委集中質疑の紙智子議員の質問を応援傍聴。その後、参院の四党の国対委員長会談。予算委最終盤の対応や政倫審について協議しました。続いて議員団会議でした。

 

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