活動日誌

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「外交安保・核廃絶」の記事

 IMG_2893.JPG被選挙権年齢を一律18歳に引き下げることの実現へ、日本若者協議会の皆さんと懇談しました。日本共産党は若者の政治参加の促進のためにも大賛成で政策にもずっと掲げています。

 午前中は参院政倫審の経緯や規定な度を事務方から聞き取りをしながら、いかに裏金問題の真相解明を進めていくか山下よしき議員と打合せ。

 夜は広島国泰寺高校の東京鯉城同窓会。日本被団協へのノーべル賞受賞が決まった後に各地で被団協の活動をされてきた先輩たちがマスコミインタビューに登場していることを紹介し、「先輩たちの訴えがノーベル賞につながった。誇りであり、自らの役割の重さを痛感しています」とあいさつしました。最後は恒例、応援団。

 462546083_1931574607336336_6825188422422633022_n.jpg朝から会合が続きました。8時から、ミャンマーからタイへの難民を医療支援するメータオ・クリニックのシンシア マウン医師を迎えての議員連盟の学習会に参加。
 貧困等で医療を受けられない国境付近での難民の深刻な現状と医療支援の役割について講演され、日本に対し医薬品・医療器具や医療従事者の養成など人道支援の強化の要請をいただきました。
 続いて国会対策委員会に出席した後、半島振興対策促進大会に出席し来賓として挨拶しました。能登半島地震は半島の様々な課題と共に、独自の歴史・文化や農業・自然エネルギーなどの重要な役割を浮き彫りにしましした。
  半島振興.jpg大会決議では、今年度末に期限を迎える半島振興法を延長し「半島防災」の理念を位置付けることなど求めました。
 夕方には党議員団の「水俣病問題早期全面解決をめざすPT」として、水俣病不知火患者会の元島事務局長、ノーモア・ミナマタ東京弁護団の尾崎俊之団長と懇談しました。
 京都1区、2区、3区を駆け巡り、街頭や個人演説会で訴えました。10.21 2区.jpg午前は2区の堀川候補者カーに乗り込み左京区内で街宣。スーパー前で街宣中に自転車にのった若い男性が堀川さんに「投票しました」と握手を求めてくる場面も。
 午後は、1区の井坂博文候補と街宣。井坂さんも広島育ちの被爆2世。なんとアナウンサーも被爆2世で高校の一年先輩の堀さん。日本被団協のノーベル平和賞受賞に感激。核兵器禁止条約に参加する政府を!日本共産党と井坂候補を!との訴えに力がこもりました。
 10.21 1区.jpgその後、向日市に移動し、西山のぶひで3区候補と東向日駅前で街頭演説会。途中で抜けて左京区に戻り、堀川さんの2か所の個人演説会で訴えました。
 朝刊では自公が後退、自民党単独過半数割れもという報道。日本共産党はいずれもブロックも激戦の中にあり、これからのもう奮闘にかかっています。がんばろう!
 10.18愛知11区.jpg愛知10区の一宮市、11区の豊田市の街頭と演説会で「比例は日本共産党。東海ブロックで本村さんの議席確保し、さらに須山さんも押し上げて」と訴え。夜は愛知県国家公務関連労働組合共闘会議の役員の皆さんと懇談しました。
 10区では市民団体の皆さんと共に話し合いを重ねてきた、立憲の藤原のりひささんの支援を表明。 11区では植田和夫候補と共に豊田市駅前で街頭演説をした後、個人演説会へ。元豊田市議で日本被団協の二世委員会の副会長である大村よしのりさんが、ノーベル平和賞受賞の意義を語り日本共産党への期待を述べてくださいました。
 夜は「『公共の再生』を目指す 日本共産党議員との懇談会」。医療、国土交通、労働、司法、法務の各労組の方から、職場の現状や課題、要望などをお聞きし、日本共産党の政策とこの間の国会での増員と処遇改善に関する質問も紹介。総選挙後の国会論戦にいかします。
 日本被爆者団体協議会にノーベル平和賞--夕方にビッグニュースが届きました。今日の午前中は被団協からの各党への要請行動に参加しました。その場では誰もノーベル平和賞など予想もしていませんでした。どんなに、喜んでおられるか。
 被団協の皆さんが被爆の実相と核兵器の非人道性を世界に訴え、核兵器禁止条約の制定を実現させたことが評価されました。核兵器禁止条約を採択した国連会議に参加した時に、採択後に各国代表が次々に登壇し、被爆者への敬意を感謝を述べた感動的場面は忘れられません。政府は「核抑止力」論から抜け出し、核兵器禁止条約に参加の決断をすべきです。
 午前中の日本被爆者団体協議会の皆さんから各党への要請行動には、与野党から7党(自民は「忙しい」からと欠席!)が参加し「核兵器廃絶」「原爆被害への国家補償」を求める要請書を受け取りそれぞれ挨拶しました。
 私は「国家補償は当然の要求」「石破総理の言う『核共有』などとんでもない。核兵器の非人道性を一番知っている日本の政府こそ、『核抑止』から抜け出し、禁止条約に参加を」とお話しました。
 10.11被団協.jpg写真は、愛友会の金本理事長、大村副理事長、神奈川県原爆被災者の会の網埼副会長と。金本さんは広島私立庚午中学の、網埼さんは広島国泰寺高校の先輩です。要請書の実現へ力を尽くします。
 

 党本部での「総選挙勝利をめざす全国決起集会・三中総」に参加。午前中は幹部会でした。田村委員長は「日本共産党の躍進のチャンス」として、その国民的意義を五つの角度から報告。討論では各地の街頭宣伝での激励の声や予定候補の皆さんの各地での奮闘と決意が続き、よし、勝つぞ! と意気高い会議になりました。 

 朴大使.jpg三中総の前に、都内で日韓議員連盟の主催で開かれた、新しい駐日韓国大使の朴喆熙(パクチョルヒー)さんの歓迎会に出席。朴さんは日本政治の研究者であり、大変な知日派。日本語はペラペラ。30年くらい前に「代議士の作られ方」という文春新書を出版されています。実は、当時、日本共産党の活動を知りたいと京都府委員会に要請があり、お話をしたことがあります。 

 その時に、日本語でしかも私よりもうんときれいな字でメモを取っておられ、「すごいなあ」と思ったのが印象に残っています。会場でお会いし「覚えますか」とあいさつすると、にっこり笑って「お久しぶりです」との返事。これからのご活躍を期待しています。 

 夕方には災害対策特別委員会に理事懇に出席。能登半島豪雨災害について、政府から報告を受けて質疑応答。私は、金曜日に聞いた被災者の声を紹介しながら、例をみない二重災害のもとで、被災者が物理的にも精神的にもダメージを受けていること、地震の復旧が遅れ、崩れかけた斜面や倒壊した家屋のがれきが放置されていたことが豪雨災害を広げたことを指摘し、被災者に希望を与える支援を直ちに強化すべきと強調しました。 

 そのうえで、被災自治体の人的支援の強化や、仮設入居の際の家電の支援が地方自治体の裁量で、石川県は義援金で対応していると指摘し、自治体任せにせず国として災害救助法による支援に家電を加えるべきと求めました。

 核廃絶.jpg今日9/26は、国連「核兵器廃絶のための国際デー」です。世界での行動に連帯して、有楽町駅前での日本原水協や東京被団協の皆さんの宣伝・署名行動に参加しました。
 この日に先立ち24日、インドネシア、シエラレオネ、ソロモン諸島が条約を批准し、署名国は94 、批准国は73か国になりました。インドネシアは人口世界4位の約2億7,000万人の人口を有する国です。人口では、これまでで最大の 核兵器禁止条約 締約国となりました。
14225.jpg 一方、日本は「核抑止論」にしがみついて条約に背を向け、自民党の総裁選挙では非核三原則の見直しを口にする候補者も。唯一の戦争被爆国で、本来、核兵器の非人道性を一番知っている日本こそ核兵器禁止条約に参加して役割を果たすべきと強調し、日本政府に条約への参加を求める署名を呼びかけました。
  今日は「命を守る総行動」が取り組まれ、日比谷音楽堂で集会が開かれました。参加された愛知保険医協会、富山県医労連の皆さんが来訪され、要請書を受け取り懇談。
富山医労連.jpg「保険証をなくすなんてとんでもない」「人手不足で仕事がきつい。子育ての費用を考えると今の給料で続けらない。人員増と処遇改善を」――医療・介護をめぐる切実な声をお聞きしました。
 
 午後には、全日本ろうあ連盟の久松事務局長と吉良議員と一緒に懇談。大深度地下法の廃止法案について、東京外環道、リニア、京都の北陸新幹線延伸問題に取り組んでる皆さんとZOOMで意見交換会。貴重なご意見や提案をいただきました。
 
 終了後、明日の能登半島地震・大雨被害の調査のため金沢へ。
 大学.jpgポーランド6日目。午前中にポーランド日本情報工科大学を訪問。日本が援助し、コンピューター技術の開発を目的として1994年に創立され、2007年には日本文化学部もできました。現在の学生数は約4000人。日本文化学部の入り口にはポーランド国家を訳した書が飾られていました。いろんな場所に「一期一会」と書かれ、お土産にもこの文字が。
 ノバァツキ学長らとの懇談に続き、日本文化学部長や学生と懇談。「なぜ日本を」と聞くと「日本語の美しさにひかれた」「アニメがきっかけ」「日本人が好き」などのうれしい返事でした。
ポーランド工科大学.jpg これがルーマニア、スロバキア、ポーランドの三か国訪問の最後の日程。午後にワルシャワを出て、フランクフルトから約13時間で日本へ戻ります。
上院2.jpgポーランド5日目の午前中にグルビンスキ上院副議長と面会。両国の政治的・経済的友好のいっそうの発展へ議会間交流の深化が強調され、上下両院のポーランド・日本友好議連には約一割の50人が参加していることの紹介も。
ウクライナの復旧・復興への協力、日本企業の参入の期待も表明されました。
 午後はウクライナ避難民の子どもたちを支援するUNICEF教育開発センターを訪問。就学支援の状況などをユニセフ.jpgお聞きし、アートセラピールームで交流。当初、暗い絵ばかりだったのが、笑顔での明るい絵を描くように変化したとのこと。日本からの漫画入りのノートなどのお土産に歓声があがりました。
 その後、日本大使館で松田在ウクライナ大使からネットでのブリーフィング。戦況や国民世論と暮らしのリアルな状況などお聞きし、日本の優先支援分野として地雷・がれき処理やエネルギー、インフラ支援などを上げられました。
 ポーランド議連.jpg夜はポーランド・日本友好議員連盟の上院の皆さんのご招待で夕食会。来日経験のある議員に「一番良かったのは何ですか」と聞くと「日本人」とうれしい答え。ポーランド人の気質は日本人によくにていて、私たちにとっても居心地のよい国です。
 ポーランド4日目の朝、ワルシャワ市内で無名戦士2.jpgまず無名戦士の墓に献花しました。
 続いて、在留邦人によるワルシャワ及びウクライナ商工会との昼食会。ウクライナ商工会の皆さんは赴任しても入国できず、ワルシャワから現地従業員を指揮されています。キーウの暮らしや経済の状況、ロシアとの停戦合意をしてもプーチンが守るのか、などの市民の生の声、日本が復興で貢献すべき分野などをお聞きできました。
 ワルシャワ蜂起.jpg午後はワルシャワ蜂起博物館を視察。大戦末期のナチス占領下にレジスタンスや市民が立ち上がり激しい戦闘が行われたが失敗し、街は焼け野原になりました。その様子を展示しています。忘れてはならない歴史です。
 その後、ワルシャワ大図書館にある日本学科へ。なんと、お茶席があります。学生のお点前で一服いただきました。続いて学生の皆さんと懇談。夜は在留邦人を中心に文化・教育関係者との夕食会でした。
 457515425_1250832922599751_7520151450581427174_n.jpg市内を移動中に、ノーベル賞学者のキューリ夫人の資料館(写真)やコペルニクスの像もありました。いずれもワルシャワ出身。ショパンと共に日本でも有名ですが、必ずしもポーランドと結びついていないことが残念。
 
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