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「外交安保・核廃絶」の記事

  長崎に原爆が投下された日。市田、赤嶺、仁比、田村各議員と長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典に参列しました。

 式典で田上市長が読み上げた「日本政府に被爆国としての原点に返ることを求めます」と迫った平和宣言も、「今、平和憲法が変えられようとしています」と危機感を表明した被爆者の訴えも素晴らしいものでした。安倍総理の挨拶はこの宣言にも訴えにも全くこたえないものでした。情けない。

 長崎市の平和宣言は市民参加の起草委員会での論議を通じて作られます。被爆者の思い、市民の思いをしっかり踏まえたものだけにすごい説得力があります。http://www.city.nagasaki.lg.jp/peace/japanese/appeal/

 日本共産党国会議員の席の隣はオリバーストーン監督一行!田村さんがまず話しかけ、「私たちは日本共産党の国会議員です」と話すと、監督は「グレート!」との返事でした。私もようこそと挨拶し、握手しました。

 オリバー監督に同行されている歴史学者のピーター・カズニック氏が「NPT会議の時に志位委員長の話を聞きました」と田村さんに声をかけられました。2010年5月のNPT再検討会議で志位さんが日本共産党委員長として初めて訪米した際に、「21世紀の日米関係のあるべき未来」と題して話した全米法律家協会ワシントン支部による講演会に参加されていたのです。

 思わぬ再会でした。「私も志位さんに同行して、その講演会に参加してました」とお話ししました。

 式典終了後、ホテルに戻り、近くの新地中華街で皿うどんの昼食。長崎空港から羽田へ。安倍総理、田村厚労大臣と同じ便だったため機内は同行者でいっぱい。17時すぎに羽田に到着。議員会館で今後の日程等について打ち合わせ。オリバーストーン.jpg

宿舎を早朝に出て空路長崎へ。田村、吉良両参院議員も同じ便でした。昼前に長崎市内に入り、赤嶺衆院議員、田村議員、堀江県議とともに原爆病院、恵の丘原爆ホームを訪問しました。

 長崎原爆病院では朝長院長から概要説明をお聞きし、懇談した後、患者さんをお見舞い。朝長院長は広島国泰寺高校の大先輩になります。核兵器の非人道性について、専門家としてオセロの国際会議に派遣されたが、その後、政府が共同声明に賛同せず梯子を外された形と述べられましたた。 被爆国政府として恥ずかしいことです。

 続いて恵の丘長崎原爆ホームを訪問。いつも入所者の皆さんが歌で迎えてくださり感激。ホームが出来て10年位は入所者の皆さんが被爆体験を語らなかったが、ローマ法王が訪問され、「あなた方は生きた平和アピールだ」と話されて以来、語られるようになったとのこと。被爆者は高齢で、語り部の活動も困難になってきています。次世代に語り継がねばとの思いを新たにしました。

 続いて「伝えたいこと、受け継ぐこと~被爆者と二世と市民の交流のつどい」に参加。全国の被爆者、二世と共に高校生も参加して熱心に語り合いました。私も被爆二世の国会議員として決意をのべました。 高校生たちのはつらつとして発言が印象的でした。

 被団協の役員の皆さんや全国の方から当選と躍進を喜んでいただきました。ありがとうございます。

 

 臨時国会最終日。開会前の朝、11人の参院議員団揃っての記念撮影をしました。各常任委員会の委員長の選出や特別委員会の設置を会派間の合意のもとで行うのが今国会の課題。ところが民主党は会派内の人事が整わないとして先延ばしを主張し、自民党は民主党の三常任委員長の解任決議案を提出し、合意されていない調査会についても多数で設置をねらう乱暴なやり方に出ました。

 そのため、10時から予定されていた本会議の開会が2時間も遅れました。結局、解任決議は取り下げらて民主党から辞任願いが出されるなかで常任委員長選挙は正常に行われましたが、新たな調査会の設置は多数で強引に行われました。

 私は引き続き倫理選挙特別委委員会に所属するとともに、新たに設置された原子力問題特別委員会にも所属することになりました。

 17時からこの間の各地の豪雨災害の対策で、高橋、仁比両議員とともに政府申し入れ。対応した亀岡政務官は、激甚災害の指定見込みについて政務官が明言。また本日、①農地・農業用施設・林道は全国を対象②局激は山形県西川町、島根県津和野町、山口市(旧阿東)萩市について指定見込みと発表しました。

 18時からは「5.3憲法集会実行委員会」主催による、集団的自衛権容認のための内閣IMG_0136.JPG法制局長官交代や麻生発言に反対する、議員会館前の緊急行動に参加し挨拶しました。

 

原爆ホーム.JPG 京都を朝出て広島へ。倉林明子、吉良よし子参院議員や広島の党の皆さんとともに原爆病院、原爆養護ホーム神田山やすらぎ園、広島県被団協・被爆者相談所を訪問してお見舞い・慰問や懇談。吉良さんが花束を渡すと高齢の被爆者が満面の笑みになりました。

  時間をぬって母校広島国泰寺高校を訪問。校門横にある広島一中の原爆慰霊碑にお参りし、原爆への憤りを原点にたたかった参院選での勝利を報告。今年、校内に新築された同窓会館も訪ね、久保木・鯉城同窓会事務局長に八木会長からの祝電に感謝を申し上げました。

夕食は、明日の平和祈念式典参加のために広島入りした小池、笠井両議院も合流して、「お好み村」でお好み焼き。途中の道端やお店でも、原水禁大会に参加した全国の皆さんから呼び止められ記念撮影ラッシュでした。

IMG_8834.JPG 京都を朝出て富士山の世界遺産登録で沸く静岡県へ。静岡市内でのつどいと街宣で訴えた後、藤枝市でも演説会。いずれも森大介選挙区候補と一緒でした。
 城東公民館で「井上さとしさんと語る集い」。会場から溢れる盛況でした。森さんに続いて30分ほどお話しをした後、会場からの質問に答えました。「「アメリカの基地をなくして日本を守れるのか」などなど。
 続いて、女性後援会の皆さんとともに商店街でハンドマイクでの街頭演説。その後、駅近くで昼食。駿河湾名物のしらすと桜えびがたっぷりのって、黒はんぺんも添えられた丼。美味でした。
 藤枝市に移動して演説会。藤枝駅で降りると地元出身のサッカー日本代表「長谷部誠」を激励するのぼりがたくさん立っていました。さすがサッカーどころです。
 森大介選挙区候補も藤枝市の出身。地元の皆さんの温かい声援がありました。お母さんも演説会に参加されていました。
IMG_8833.JPG 演説会を終えて東京へ。残念ながら曇りで富士山は見えませんでした。
 富士山の世界遺産登録で静岡市では地元紙の号外も発行されていました。今朝のテレビで、登録を決めた各国の代表が富士山を「神聖な場」「特別の存在」と語っていたのをみて誇らしく思いました。
だからこそ、富士山のすそので行っている軍事演習を中止することは世界への責任だと思います。ましてやキャンプ富士へのオスプレイ派遣などとんでもないこと。「富士にオスプレイは似合わない」。

『女性のひろば』の7月号に、「被爆二世として 命と平和守る政治を」と題する私のインタビューが8ページにわたり掲載されています。聞き手は民青同盟京都府委員会の中根葉月さん。写真は、インタビュー後に散策した西陣の路地。ぜひ、お読みください。


4245_1.jpgのサムネイル画像 10時から予定されていた本会議は、昨日の議運理事会が、衆院選挙の定数に関する自公の法案、みんなの党の法案の取り扱いをめぐって決裂し、開かれないことに。

 空いた時間を利用して午前中は来週論戦準備。1:30から参議院第二別館歯科診療所へ。待合室に入ると目付きの鋭い人が先客。そこへ自民党の石破幹事長が診療室から出てくるとさっと立ち上がったので胸元をみるとSPバッチ。なるほど。

 何年か前に、議員宿舎の近所のスーパーの入り口にSPが立っていて、誰かなと思いながら入ると防衛大臣をしていた石破氏が買い物をしていたことがあります。四六時中警察が随行しているのはなんとも窮屈でしょうね。

 15:30から佐々木憲昭議員や東海ブロック事務所とともに参院選挙に向けての会議。終了後は、明朝からのりんごや野菜などの凍霜害調査や松本城公園での演説会のため長野県の松本市へ。

 今夜の宿の到着は21時ごろ。久しぶりの温泉が楽しみ♪。

4228_1.jpg 婦人団体連合会の、日本軍「慰安婦」問題解決、民法改正、女性差別撤廃条約選択議定書批准の三つの請願署名提出集会に紙さんと出席。昨日の予算委で、橋下氏の慰安婦問題での発言への総理の見解をただしたことを紹介しながら、署名を受け取りました。

 朝の国対の後、10時から東京土建の皆さんの院内での学習決起集会で、憲法をめぐる国会情勢を報告。続いて、事務所で、愛知保険医協会の代表のみなさんから要請を受け懇談。11:30からは法務理事懇で今後の委員会日程について協議。

 13時過ぎに婦団連の皆さんの署名提出行動。二度目の法務理事懇。続いて歯医者。15:30から岡山県津山市で米軍の低空飛行訓練で住宅や土蔵が壊れたことへの補償を求めている井口さんや支援の皆さんと院内で懇談しました。

 さて、「靖国派」による橋下発言を擁護する動きが始まっています。昨日の社説では「女性の尊厳損ね 許されぬ」と書いた産経新聞は、今日は一転、橋本発言について「大筋正しいものの 舌足らず」という全く逆の内容の記事を掲載。

 維新の会も、片山氏は会見で「筋が通っている」といい、党を全体として擁護する態度を鮮明にしました。国民との矛盾はますます広がっています。

本会議が10時から開かれ川口環境委員長解任決議案を可決。自民党は最後まで居直り続けました。その後、与党も審議拒否をやめ、法務委員会が開かれ、予算委嘱審査、裁判所職員定員法案で2回の質問をしました。

4220_1.jpg  予算委嘱審査では、伊達判決が最高裁によって取り消される経過で、当時の田中最高裁長官とマッカーサー2世米駐日大使が話し合いを繰り返していたことを示す新たな米解禁資料を使って質問。

 最高裁は、当時の事実関係は資料がなく確認できないとしつつ、長官が米大使と個別的に会うこと自体が異例であること、利害関係者に公判日程などをあらかじめ知らせることは裁判の公正さに疑念をもたらすこと、判決後に「全員一致で喜ばしい」などと裁判長が発言したのは他に例がないことなどを認めました。

 一連の解禁文書で明らかになった事実が司法の独立を侵す重大問題であることが浮き彫りになりました。

 2回目では、民事訴訟での障害者の裁判を受ける権利の保障について質問。障害者に対する配慮をすすめるための研修の拡充、視覚障害者への点字文書の送付の拡充、手話通訳者の費用を裁判所が負担することなどを求めました。

 障害の当事者を講師にしての研修や関係団体との話し合いなどは、前向きの答弁がありましたが、他については「公平性」を理由に慎重な答弁でした。しかし、裁判においての一方の当事者のみに支援を求めているのではなく、裁判に参加する以前にあるハードルを取り除けといっているのです。引き続き、求めていきたいと思います。

4209_1.jpg京都を午前中に出て、日本共産党静岡県委員会が主催したオスプレイ問題シンポジウムにパネリストとして参加。

 パネリストは伊波洋一・元宜野湾市長、裾野市在住の佐々木さん、そして私の三人で森大介参院選挙区候補がコーディネーターでした。会場は満席。地元のテレビ局や新聞社も取材にきており、感心の高さを示しました。


4209_2.jpg 報告のトップは伊波・元宜野湾市長。パワーポイントを使い、オスプレイの下降気流で木がなぎ倒され、多くのけが人が出たアメリカでの出来事の動画の紹介もありました。私も初めて見ましたが、そのすさまじいこと。

 普天間の危険な実態も実にリアルに報告され、それにオスプレイが加わっていることがいかに深刻なことか、迫ってくるものがありました。圧巻でした。

 富士山を世界遺産にしようという運動にも参加しておられる佐々木さんは市民の目から見た率直な思いや運動についてお話ししていただきました。

 私からは、米軍の侵略力強化のために日本国民を騒音と墜落の危険にさらす不当さや東富士演習場が闘いの歴史から、自衛隊との使用協定を結んでいるという特別な条件があることを力に運動を進めることの重要性などについてお話ししました。

 3人の報告の後、会場からの発言が次々。キャンプ富士の地元の御殿場市の高木市議の発言をはじめ、「オスプレイ配備反対」の大看板を設置進めていることなどの報告がありました。

 また、「オスプレイの欠陥ぶりを詳しく聞かせてほしい」「東富士演習場で訓練が行われる場合、新入経路に限定がないのではないか」「まだ、危険性が十分知られていない」などの声が出されました。

 最後に三人からそれぞれ発言。私は命と安全守る立場からの配備反対の一点での共同を広げつつ、根っこにある安保の問題についての国民的討論を行うことについて強調しました。

 とてもいいシンポジウムでした。

4197_1.jpg  院内集会「中国残留孤児の配偶者に支援を!」で挨拶。全国から300人を超える残留孤児、配偶者、支援の皆さんが参加され、会場からあふれるほどでした。
 超党派の運動で2008年から残留孤児の皆さんに生活保護とは異なる新たな支援策が施行され、生活保障は大きく前進しました。しかし、残留孤児が死亡した後は中国人の配偶者にはその支給が継続されず、かつての貧困生活に戻る結果となっています。
 今日の集会には与野党を超えて国会議員が参加。私も、残留孤児の問題は誤った国策の結果であり、苦難を分かち合った配偶者の皆さんへの支援は当然だとのべ、実現に党派を超えて力を合わせたいと挨拶しました。
4197_2.jpg 13時から野党国対委員長会談。参院への予算送付後の審議の在り方等につて協議しました。14時から議員団の予算委論戦会議。15時から赤旗東海北陸信越総局のインタビュー。16時から全教より、障害児学校の大規模化等について説明を受けました。
 私が07年に愛知の過大校について質問した後、文科省から改善のための通知が出されましたが、在籍者が急増し、一つの教室をカーテンで仕切って使うなど異常な事態が常態化。「設置基準」がないことが整備を怠る抜け道になっています。
 18時からは日弁連主催の「給費制復活を含む司法修習生への経済的支援を考える市民集会」に参加して挨拶。
 さて、「中国新聞」が日曜に続き、今日の社説で、防衛省が私に開示した自衛隊訓練空域の米軍の使用実態資料について書きました。広島や島根の自治体に「大きな衝撃をもたらした」「情報を隠していたといわれても仕方あるまい」と指摘しています。
 今回の資料をさらに闘いを広げる契機にしたいと決意しています。
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