活動日誌

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「外交安保・核廃絶」の記事

IMG_0237.JPG 京都を朝出て東京へ。午後から、滋賀県高島市の自衛隊饗庭野演習場で、オスプレイを使った日米合同演習を行うと報道された問題について、滋賀、京都の地方議員や近畿ブロックの皆さんと共に防衛省に反対の申し入れ。

 こくた衆院議員、倉林参院議員がご一緒でした。防衛省は、「沖縄以外の地へのオスプレイの訓練移転を検討している。具体的に決まってはいないが、あらゆる可能性を検討している。移転した場合は安全、生活への配慮が前提だと日米で確認している」との回答。

 参加者からは「報道で突然知り...、自治体は驚き、住民は怒っている」「沖縄でもオスプレイの運用の合意は守られていないが、防衛省は違反の事実も認めていないではないか」と声が次々と上がりました。
 沖縄県民の総意は、「オスプレイの配備の撤回」「普天間基地の閉鎖、撤去。県内移設断念」です。オスプレイの訓練を全国に広げることは許されませんし、それを口実に沖縄に新基地建設の協力を求めるなど言語道断です。

 夕方に銀座で今日から開かれているフルイミエコさんの個展「ひかりのありか」を鑑賞。京都在住のフルイさん。6年前の参院京都選挙区候補の成宮さんは美大の後輩。選挙事務所の看板に絵を書いていただき大評判でした。「臨床美術士」でもあり、やさしい色合と柔らかなタッチ、心が温かくなる作品が並びます。http://blog.canpan.info/atelier_nae/category_5/1
 
 
 
 中央区八重洲2-8-10 松岡八重洲ビル3F T-BOXにて31日まで。ぜひ、足をお運びください。銀座で開かれているフルイミエコさんの個展を鑑賞。
 明日の静岡県長泉町議選第一声参加のために、三島市内のホテルに前泊です。

IMG_0224.JPG 京都を朝出て、舞鶴市で行われた浮島丸殉難68周年追悼集会に西山とき子元参院議員や党舞鶴市議団の皆さんとともに参加。改めて日本の植民地支配や侵略戦争がもたらしたものを見つめなおしました。決して風化させることも、歴史を捻じ曲げることもあってはなりません。

 終戦直後に釜山に向かう浮島丸が、数千人の朝鮮人をのせたまま舞鶴湾で爆発し、多くの死者を出したこの事件。植民地支配のもとで、過酷の労働に従事させられていた多くの朝鮮人とのその家族が、希望をもって帰国する途中に起きました。

 植民地支配と...結びつき、政府の確認でも500人以上が亡くなった重大事件あるにもかかわらず、ほとんど知らされてきませんでした。ご存じない方は、ぜひこの機会に知っていただきたい。http://www.asahi-net.or.jp/~un3k-mn/0815-ukisima.htm

 さまざまな疑問点が指摘されており、いまだに260柱の遺骨は東京のお寺に残されたままです。

 舞鶴では、追悼慰霊祭が市民の手で行われ、1978年に市民の運動で「追悼の碑」を建立。以降、沈没した事故現場の海を見渡せるこの碑前で追悼集会が開かれています。

 朝鮮総連、韓国民団の代表の式辞、京都府知事(代理)、舞鶴市長の献花、厚生労働大臣のメッセージ朗読、献茶、慰霊の舞などが行われ、私も来賓として献花をさせていただきました。

 厚労大臣のメッセージは西山元参院議員が、当時の菅大臣にこの問題で質問したことを契機に届けられるようになったもの。この九年間は、私が、実行委員会からのメッセージ以来を厚労省につなぐ役を担ってきましたが、毎年、日程があわず、やっと初めて参加することができました。

 朝鮮中高級学校の女子生徒たちが歌う追悼歌「はまなすの花さきそめて」の哀愁をおびたメロディーが胸にしみました。最後に参加者全員で海に献花し、手を合わせました。終了後、民団の参加者のみなさんと記念撮影も。

  大きな犠牲者を生んだ日本の植民地支配と侵略戦争。その歴史を改めてかみしめ、「侵略の定義は様々」などとのべ、反省の言葉すら述べない政権への憤りを新たにしました。

 滋賀県饗庭野の陸自演習場を使ってオスプレイを使用した日米の訓練を行うことで日米政府が調整している重大計画が明らかになりました。今朝の京都新聞の一面で大きく報道しています。

 富山市内のホテルを出て京都に戻ろうと富山駅に到着すると、朝からの豪雨で徐行運転や運休となっており、構内はごった返していました。運転再開のめどがつかない中、途方に暮れているところに国会議員団IMG_0194.JPG近畿ブロックの林氏から京都新聞の報道について電話。

 国会事務所とも連絡を取り、滋賀、京都の地方議員も東京に来て、政府からレクを受け取るとともに抗議と撤回の申し入れをすることで調整。政府は沖縄の負担軽減を理由にしていますが、事故続きの欠陥機はアメリカに持って帰ってもらう以外ありません。ましてや戦争する国になる訓練など許されません。

国会で二つのインタビューを受けた後、国対の会議。空路石川県入りし、夜は羽咋市議選勝利の演説会で北川まち子候補とともに訴えました。

 午前中のインタビューは安保破棄実行委員会の機関紙用。東森英男事務局長、大河原貞人次長揃ってこられ、選挙後の安倍内閣の暴走ぶりや防衛大綱の改定、今後の闘いの豊富などについてお話しました。

 午後には韓国の民間テレビMBCの取材。昨日、「明日12時に羽田に着くので、午後から『日本の右傾化』についてインタビューしたい」と、電話があったもの。日曜日放送の人気番組の時事問題のコーナーで放映したとのことで、Rhee,Ho-Chan氏からインタビューを受けました。

 最初に「なぜ、私に申し込まれたのですか?」と聞くと、春の予算委員会で、橋本氏の慰安婦発言に対する安倍総理の認識をただした私の予算委員会質問の映像が韓国で何度も放映されたのを見たからとのこと。韓国で流されていたなど知らなかったのでまずびっくり。

 さらに「各党にインタビューされるのですか」と聞くと、「井上議員と自民党の平沢議員だけです」と返事があり。もう一度びっくり。韓国から見ても日本の政界は自共対決が鮮明になっているようです。

 インタビューでは、8.15式典での安倍総理の式辞で戦争への反省や不戦の誓いが欠落したことをどう見るか、なぜ日本の右傾化が進んでいるのかなどについて問われました。

 私は、憲法九条の改悪や集団的自衛権行使の解釈改憲の動きを強めている安倍内閣は極めて危険であり、その土台には侵略戦争への反省という戦後国際政治の出発点を否定する歴史認識があることを指摘。

 同時に、こうした歴史逆行は国際的にも批判が広がっており、国際社会で認められるものではないこと、国会では自民党が多数を占めたが、国民はこうした右寄り路線を支持したわけではなく、世論調査でも憲法九条守れは過半数であることなどお話しました。

 日本のマスコミも韓国の一部の過激な動きばかりを大きく報道する傾向があります。韓国内でも日本の国民世論や政治状況が正確に伝えてほしいとお願いしましたMBS取材.JPG

 インタビュー終了後、国会対策委員会。予定より長引いたため、福島第一原発汚染水漏れに関する議員団としてのレクは残念ながら参加できず、羽田へ。小松空港から車で約1時間半で羽咋市の演説会場へ。夕食は車内で弁当。

 8月25日告示の羽咋市議選では、5期20年の白田議員が健康上の理由で引退し、北川まち子さんがその後を継ぐために立候補されます。

民医連の看護師として39年。「命は平等」を原点に゜介護ホームやグループホームの所長を務めてこられました。自公政権が社会保障の全面的削減を進めている時だけに、ぜひ市議会で活躍していただきたい人。参院選の躍進や日本共産党の議席の値打ちを合わせて訴えました。

 終了後、金沢市にもどり駅前のホテルに泊まり。明日は新潟です。

 

 

  長崎に原爆が投下された日。市田、赤嶺、仁比、田村各議員と長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典に参列しました。

 式典で田上市長が読み上げた「日本政府に被爆国としての原点に返ることを求めます」と迫った平和宣言も、「今、平和憲法が変えられようとしています」と危機感を表明した被爆者の訴えも素晴らしいものでした。安倍総理の挨拶はこの宣言にも訴えにも全くこたえないものでした。情けない。

 長崎市の平和宣言は市民参加の起草委員会での論議を通じて作られます。被爆者の思い、市民の思いをしっかり踏まえたものだけにすごい説得力があります。http://www.city.nagasaki.lg.jp/peace/japanese/appeal/

 日本共産党国会議員の席の隣はオリバーストーン監督一行!田村さんがまず話しかけ、「私たちは日本共産党の国会議員です」と話すと、監督は「グレート!」との返事でした。私もようこそと挨拶し、握手しました。

 オリバー監督に同行されている歴史学者のピーター・カズニック氏が「NPT会議の時に志位委員長の話を聞きました」と田村さんに声をかけられました。2010年5月のNPT再検討会議で志位さんが日本共産党委員長として初めて訪米した際に、「21世紀の日米関係のあるべき未来」と題して話した全米法律家協会ワシントン支部による講演会に参加されていたのです。

 思わぬ再会でした。「私も志位さんに同行して、その講演会に参加してました」とお話ししました。

 式典終了後、ホテルに戻り、近くの新地中華街で皿うどんの昼食。長崎空港から羽田へ。安倍総理、田村厚労大臣と同じ便だったため機内は同行者でいっぱい。17時すぎに羽田に到着。議員会館で今後の日程等について打ち合わせ。オリバーストーン.jpg

宿舎を早朝に出て空路長崎へ。田村、吉良両参院議員も同じ便でした。昼前に長崎市内に入り、赤嶺衆院議員、田村議員、堀江県議とともに原爆病院、恵の丘原爆ホームを訪問しました。

 長崎原爆病院では朝長院長から概要説明をお聞きし、懇談した後、患者さんをお見舞い。朝長院長は広島国泰寺高校の大先輩になります。核兵器の非人道性について、専門家としてオセロの国際会議に派遣されたが、その後、政府が共同声明に賛同せず梯子を外された形と述べられましたた。 被爆国政府として恥ずかしいことです。

 続いて恵の丘長崎原爆ホームを訪問。いつも入所者の皆さんが歌で迎えてくださり感激。ホームが出来て10年位は入所者の皆さんが被爆体験を語らなかったが、ローマ法王が訪問され、「あなた方は生きた平和アピールだ」と話されて以来、語られるようになったとのこと。被爆者は高齢で、語り部の活動も困難になってきています。次世代に語り継がねばとの思いを新たにしました。

 続いて「伝えたいこと、受け継ぐこと~被爆者と二世と市民の交流のつどい」に参加。全国の被爆者、二世と共に高校生も参加して熱心に語り合いました。私も被爆二世の国会議員として決意をのべました。 高校生たちのはつらつとして発言が印象的でした。

 被団協の役員の皆さんや全国の方から当選と躍進を喜んでいただきました。ありがとうございます。

 

 臨時国会最終日。開会前の朝、11人の参院議員団揃っての記念撮影をしました。各常任委員会の委員長の選出や特別委員会の設置を会派間の合意のもとで行うのが今国会の課題。ところが民主党は会派内の人事が整わないとして先延ばしを主張し、自民党は民主党の三常任委員長の解任決議案を提出し、合意されていない調査会についても多数で設置をねらう乱暴なやり方に出ました。

 そのため、10時から予定されていた本会議の開会が2時間も遅れました。結局、解任決議は取り下げらて民主党から辞任願いが出されるなかで常任委員長選挙は正常に行われましたが、新たな調査会の設置は多数で強引に行われました。

 私は引き続き倫理選挙特別委委員会に所属するとともに、新たに設置された原子力問題特別委員会にも所属することになりました。

 17時からこの間の各地の豪雨災害の対策で、高橋、仁比両議員とともに政府申し入れ。対応した亀岡政務官は、激甚災害の指定見込みについて政務官が明言。また本日、①農地・農業用施設・林道は全国を対象②局激は山形県西川町、島根県津和野町、山口市(旧阿東)萩市について指定見込みと発表しました。

 18時からは「5.3憲法集会実行委員会」主催による、集団的自衛権容認のための内閣IMG_0136.JPG法制局長官交代や麻生発言に反対する、議員会館前の緊急行動に参加し挨拶しました。

 

原爆ホーム.JPG 京都を朝出て広島へ。倉林明子、吉良よし子参院議員や広島の党の皆さんとともに原爆病院、原爆養護ホーム神田山やすらぎ園、広島県被団協・被爆者相談所を訪問してお見舞い・慰問や懇談。吉良さんが花束を渡すと高齢の被爆者が満面の笑みになりました。

  時間をぬって母校広島国泰寺高校を訪問。校門横にある広島一中の原爆慰霊碑にお参りし、原爆への憤りを原点にたたかった参院選での勝利を報告。今年、校内に新築された同窓会館も訪ね、久保木・鯉城同窓会事務局長に八木会長からの祝電に感謝を申し上げました。

夕食は、明日の平和祈念式典参加のために広島入りした小池、笠井両議院も合流して、「お好み村」でお好み焼き。途中の道端やお店でも、原水禁大会に参加した全国の皆さんから呼び止められ記念撮影ラッシュでした。

IMG_8834.JPG 京都を朝出て富士山の世界遺産登録で沸く静岡県へ。静岡市内でのつどいと街宣で訴えた後、藤枝市でも演説会。いずれも森大介選挙区候補と一緒でした。
 城東公民館で「井上さとしさんと語る集い」。会場から溢れる盛況でした。森さんに続いて30分ほどお話しをした後、会場からの質問に答えました。「「アメリカの基地をなくして日本を守れるのか」などなど。
 続いて、女性後援会の皆さんとともに商店街でハンドマイクでの街頭演説。その後、駅近くで昼食。駿河湾名物のしらすと桜えびがたっぷりのって、黒はんぺんも添えられた丼。美味でした。
 藤枝市に移動して演説会。藤枝駅で降りると地元出身のサッカー日本代表「長谷部誠」を激励するのぼりがたくさん立っていました。さすがサッカーどころです。
 森大介選挙区候補も藤枝市の出身。地元の皆さんの温かい声援がありました。お母さんも演説会に参加されていました。
IMG_8833.JPG 演説会を終えて東京へ。残念ながら曇りで富士山は見えませんでした。
 富士山の世界遺産登録で静岡市では地元紙の号外も発行されていました。今朝のテレビで、登録を決めた各国の代表が富士山を「神聖な場」「特別の存在」と語っていたのをみて誇らしく思いました。
だからこそ、富士山のすそので行っている軍事演習を中止することは世界への責任だと思います。ましてやキャンプ富士へのオスプレイ派遣などとんでもないこと。「富士にオスプレイは似合わない」。

『女性のひろば』の7月号に、「被爆二世として 命と平和守る政治を」と題する私のインタビューが8ページにわたり掲載されています。聞き手は民青同盟京都府委員会の中根葉月さん。写真は、インタビュー後に散策した西陣の路地。ぜひ、お読みください。


4245_1.jpgのサムネイル画像 10時から予定されていた本会議は、昨日の議運理事会が、衆院選挙の定数に関する自公の法案、みんなの党の法案の取り扱いをめぐって決裂し、開かれないことに。

 空いた時間を利用して午前中は来週論戦準備。1:30から参議院第二別館歯科診療所へ。待合室に入ると目付きの鋭い人が先客。そこへ自民党の石破幹事長が診療室から出てくるとさっと立ち上がったので胸元をみるとSPバッチ。なるほど。

 何年か前に、議員宿舎の近所のスーパーの入り口にSPが立っていて、誰かなと思いながら入ると防衛大臣をしていた石破氏が買い物をしていたことがあります。四六時中警察が随行しているのはなんとも窮屈でしょうね。

 15:30から佐々木憲昭議員や東海ブロック事務所とともに参院選挙に向けての会議。終了後は、明朝からのりんごや野菜などの凍霜害調査や松本城公園での演説会のため長野県の松本市へ。

 今夜の宿の到着は21時ごろ。久しぶりの温泉が楽しみ♪。

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