昨年7月に発刊された『「黒い雨」訴訟ーなぜ、被爆者たちは切り捨てられたのか』の発刊記念講演会が開かれました。主催は京都被爆二世三世の会です。筆者は毎日新聞者の小山美砂さん。27歳です。
毎日新聞に「『黒い雨』救済制度 広島県、審査迅速化へ担当者3人増員」の見出しの記事。今日から担当者を3人増やし19人にするとのこと。先日、仁比議員や大平元衆院議員らとともに厚労省に要請をしたことです。全額、国の負担によるもの。一歩前進です。
記事によれば、審査に時間がかかっており、審査を待たずして33人の申請者が亡くなったとのこと。広島市や他県でも担当者を増やして迅速な審査を行うとともに、国の責任で救済制度を周知することが必要です。
今日は明後日に講師を担当する京都の民青同盟の日本共産党綱領学習会の準備が中心でした。
13~15日は広島県三次市に墓参りに帰りました。GWに帰った際は、足を痛めていて家の中を歩くのも大変だった母もずいぶんよくなり、ご近所のお店まで歩いて実に久しぶりに外食をしました。昔は、避暑に帰った田舎ですが、最近は、同じような猛暑です。汗をかきながらの墓参りと少しばかりの家の周りの草刈り。
三次市内の本通りにある「辻村寿三郎人形館」にはじめて行きました。旧満州で生まれ終戦一年前に広島に引き上げ、原爆投下一か月前に広島市内から三次に移り、22歳で上京した寿三郎。私たちの年代では、出世作となった「新八犬伝」の人形が強く印象に残っています。
館内には真田十勇士をはじめとした人形や衣装とともに、「原点」とされる作品「ヒシマより心を込めて」が展示されていました。小学校五年生の時のみっちゃんという同級生とそのお兄ちゃんの人形。二人は被爆し、一年後亡くなりました。三次に転居していなければ寿三郎も被爆していたことでしょう。
「人形作りを始めてまもないころの作品です。私の原点なんです」という寿三郎の言葉が添えてありました。