活動日誌

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「外交安保・核廃絶」の記事

 議運仁比.jpg衆参の議運委員会で、国葬問題について岸田総理出席、TV中継入りでの質疑が行われました 総理自身が「丁寧に説明する」と述べていたのですから十分な審議時間を求めましたが、衆参共にわずか1時間半。わが党の持ち時間は衆院10分、参院9分という短さでした。
 衆院は塩川議員、参院は仁比議員がバッター。仁比議員は参院に復帰後の初質問です。13時からの衆院の質疑を参院国対で集まって視聴し、総理答弁を踏まえて議論して仁比議員の質問を練り上げました。
 岸田総理が統一協会との関係を断つとしながら、統一協会ともっとも深い関係にある安倍元総理を国葬にすることに国民の強い批判があります。にもかかわらず、衆院の質疑で総理が、統一協会と安倍元総理との関係について「当時の安倍元総理の判断であり、調査は困難」と答弁。
 仁比議員は、「その判断に基づき行われた事実については調査可能ではないか」と追及。「やるべきことは国葬ではなく調査だ」と迫りました。
 さらに「国葬」は「敬意と弔意を国全体であらわす儀式」という総理の発言について、「国全体に国民は入るのか」と質問すと「国民とともに弔意を示すことは重要」と否定しない答弁。総理は弔意を「強制的に求めるものではない」というが、「国全体で」としてすべての国民を巻き込んでいます。内心の自由を保障した憲法19条違反は明らか。国葬は中止しかありません。
 自民党は所属国会議員と統一協会との関係についての点検結果を議運質疑の後に発表しました。内容自身が極めて不十分なものですが、それを議運質疑の後にぶつけて発表することにより、報道を小さくすることができます。まったく反省がありません。
 午前中はミャンマーの民主化を進める議員連盟の役員会。ASEAN加盟国の国会議員でつくられているASEAN人権議連とのコンタクトがとれ、今後、共同して取り組んでいくことなど今後の活動方針を確認しました。

 IMG_2862.JPG昨年7月に発刊された『「黒い雨」訴訟ーなぜ、被爆者たちは切り捨てられたのか』の発刊記念講演会が開かれました。主催は京都被爆二世三世の会です。筆者は毎日新聞者の小山美砂さん。27歳です。

 「黒い雨」問題での初めての通史であり今の課題を明らかにした本を若い小山さんが出してくれたことは驚きであり、感謝です。一時間あまりの講演の後、京都の「会」や共催である神奈川県の二世三世のメンバーからお祝いと感謝の言葉や感想が述べられました。
 私も最後に時間をいただき、この問題で厚生労働省要請をしたことについて発言しました。一つは国の責任で周知・広報すること。国は新たな原爆手帳の対象者は13000人程度してきましたが、申請はまだ3500程度です。知らされていません。
 もう一つは審査の遅れ。まだ申請者のうち認定された人は1200人強。昨年11月に申請しながらいまだに認定されず、亡くなられた申請者は33人に及びます。広島県・市などが申請のために増員する場合に全額国が負担することを検討すると厚労省はいい、実際、広島県は9月1日から担当者を3人増やしました。さらに、強化することが必要です。
 党京都府委員会で府委員会三役の皆さんらと、穀田、倉林両議員と私で会議。統一地方選、次の国政選挙勝利へ意見交換をしました。

   毎日新聞に「『黒い雨』救済制度 広島県、審査迅速化へ担当者3人増員」の見出しの記事。今日から担当者を3人増やし19人にするとのこと。先日、仁比議員や大平元衆院議員らとともに厚労省に要請をしたことです。全額、国の負担によるもの。一歩前進です。

 記事によれば、審査に時間がかかっており、審査を待たずして33人の申請者が亡くなったとのこと。広島市や他県でも担当者を増やして迅速な審査を行うとともに、国の責任で救済制度を周知することが必要です。

 今日は明後日に講師を担当する京都の民青同盟の日本共産党綱領学習会の準備が中心でした。

 IMG_4220.JPG午前中は「黒い雨」被害者の原爆手帳候補について、仁比参院議員、藤井広島市議と共に国会と広島をつないで厚生労働省に要請。
 「黒い雨」にあった人で原爆手帳交付の新たな対象になるのは1万3千人とされていますが、今だにに申請者は3300人にとどまったうえ、交付は1200人にとどまっています。厚労省として全国の地方自治体と協力しながら十分な周知をすると共に、受付や審査をする自治体の体制を抜本的拡充するよう求めました。
 広島県に対してはすでに体制拡充のための追加の交付税措置を行っており、要望があればいっそうの措置を広島市を含めて行うことを検討するとの回答は前向きでした。根本的には高裁判決に従い、内部被ばくを認め、11疾病の要件をなくすことが必要です。
 IMG_2825.jpg午後に長野県上田市に行き、故羽田雄一郎参院議員の「お別れの会」に参列しました。一昨年の暮れ、コロナによる突然の訃報でした。その後もコロナ感染拡大が続く中、二度にわたり延期になっていました。
 会場のホールには県内外から多くの皆さんが参加されました。
亡くなった当時、お互い参院会派の幹事長で、私が所属する外防委の野党筆頭理事。お世話になりました。優しい笑顔を思い出しながら献花しました。
 IMG_2821.jpgコロナワクチン四回目接種の2日目。翌日に熱が出る場合も少なくないということで、用心して午後からの行動にしましたが幸い腕の腫れだけでした。
 まずは京建労の秋の拡大行動出陣式へ。全府から幹部が集まって意気高く開かれる予定でしたがコロナの急拡大のため、本部と各支部をオンラインで結んでの開催に。梶川・京都総評議長と共に来賓のあいさつをしました。平山・京建労委員長とパチリ。
 その後は名古屋市に向かい、JR金山駅すコンコースで開かれている愛知県原水爆被災者の会主催の「原爆パネル展」へ。本村伸子議員、すやま初美さんとご一緒。
 愛知被団協.jpg写真パネルと共に、広島市立基町高校の生徒が被爆者から証言を聞いて書いた原爆絵画が展示されています。一つ一つにその絵を描いた高校生の思いと証言し被爆者のコメントがつけられており、思いが伝わってきます。2日間で6000人の方が参加されたとのこと。
 東京に向かう新幹線で、岸田内閣の支持率が16ポイント急落して36%になったというニュースと岸田総理がコロナ陽性になったというニュースが! 統一協会・国葬問題で調査・議論を拒否し、コロナ急拡大には無策という姿勢が強烈な逆風になっています。
 総理、お大事に。療養期間が終わったらすぐに国会を開いてください。
 IMG_2738.jpg広島の「黒い雨」被害者はなぜ戦後、置き去りにされたのか――TBSラジオの番組「荻上チキ・Session」で、「『黒い雨』訴訟」を出版された毎日新聞の小山美沙記者が語りました。
 昨年の日本被団協代表委員の坪井直さんの広島での「お別れ会」でお会いしましたが、17年入社の若い記者さんですが、希望して広島支局配属となり、その後、原爆報道キャップとなって「黒い雨」問題を取材してこられました。
 著書は、「黒い雨」による被ばく問題、その訴訟の全容を記録した初めてのノンフィクション。被爆者として認められてこなかった多くの「黒い雨」被害者の実態と苦悩、残留放射能による影響を否定してきた国の姿勢の理不尽さなどが克明に描かれています。
 私がこの問題にかかわったのは当選後の2002年頃からですが、小山さんが100人近い取材を通じて書かれた内容は、私も初めて知ったことがたくさんありました。素晴らしい著作です。 
 番組では荻上さんの質問に45分間にわたり、小山さんが実に明快に答えられました。さすがです。多くの皆さんに読んでもらいたい。

  IMG_2775.jpg13~15日は広島県三次市に墓参りに帰りました。GWに帰った際は、足を痛めていて家の中を歩くのも大変だった母もずいぶんよくなり、ご近所のお店まで歩いて実に久しぶりに外食をしました。昔は、避暑に帰った田舎ですが、最近は、同じような猛暑です。汗をかきながらの墓参りと少しばかりの家の周りの草刈り。

 三次市内の本通りにある「辻村寿三郎人形館」にはじめて行きました。旧満州で生まれ終戦一年前に広島に引き上げ、原爆投下一か月前に広島市内から三次に移り、22歳で上京した寿三郎。私たちの年代では、出世作となった「新八犬伝」の人形が強く印象に残っています。

 IMG_2781.jpg館内には真田十勇士をはじめとした人形や衣装とともに、「原点」とされる作品「ヒシマより心を込めて」が展示されていました。小学校五年生の時のみっちゃんという同級生とそのお兄ちゃんの人形。二人は被爆し、一年後亡くなりました。三次に転居していなければ寿三郎も被爆していたことでしょう。

 「人形作りを始めてまもないころの作品です。私の原点なんです」という寿三郎の言葉が添えてありました。

 IMG_2773.jpg広島経済大学の学生たちが作成した「黒い雨」のドキュメンタリー作品「黒い雨から76年 短命村と呼ばれた里から」をユーチューブで見ました。6日の原水爆禁止世界大会ヒロシマデー集会で、二人の学生が作成の経緯や思いを発言し、「ネットで『黒い雨』と検索してぜひ、見てください」と呼びかけていたもの。
 学生たちは、「黒い雨」のことを大学の講義で知り、実際に体験した人たちのもとに何度も通いつめました。130時間に及ぶ取材時間をかけ、原爆投下直後の「黒い雨」を浴びた人たちの証言をまとめ、裁判を通じて被爆者として認められるまでを追い続けた40分弱の作品です。https://www.youtube.com/watch?v=_6LeGuoWiQk
 
 集会で、「(原爆の被害が)今でも続いていることを1人でも多くの人に知ってもらいたい」 とのべた二人に心からの拍手を送りました。上映会などを通じて同じ若い世代に「黒い雨」問題を伝え続けたいとしています。ぜひ、ご覧ください。
 
 若い皆さんの参加が目立った今年の集会。この広島経済大の学生と共に、核兵器禁止条約第1回締約国会議に参加した早稲田大学の学生、30人で参加した東京高校生平和ゼミナールと東京学生ツアーの青年たちも発言しました。東京の学生が、日本政府に核兵器禁止条約への参加を求める署名が1万人に達し、「次は私たちが核兵器廃絶への歴史を刻んでいくときです」と表明すると、会場は大きな拍手で包まれました。
 広島市立基町高校の生徒による原爆絵画の展示も各地で取り組まれ、大きな反響を呼んでいます。未来を感じます。
 22長崎式典.jpg長崎への原爆投下77年目。平和祈念式典をテレビで見ながら黙とう。グテレス国連事務総長の挨拶は核廃絶を訴える被爆者へのリスペクトに溢れていました。
 田上長崎市長は平和宣言の冒頭で1956年の原水禁世界大会の時、下半身不随の被爆者が母親に抱きかかえられた会場に入った際に会場から「写真に撮るのはやめよ」「見せ物じゃないぞ」との声が上がって騒然としたが、登壇した被爆者が、「世界の皆さん、どうぞ私を写してください。二度と私をつくらないでください」とのべたことを紹介しました。
 それを聞いて、2010年のNPT再検討会議での長崎の被爆者、谷口稜曄(すみてる)さんの訴える姿が浮かんできました。
 谷口さんは、背中全体が真っ赤に焼かれた被爆直後の自身の写真を掲げ「私はモルモットではない。見世物でもない。でも目をそらさず、もう一度見てほしい」「私を最後の被爆者とするため、廃絶の声を世界に届けたい」と訴え、スピーチが終わると万来の拍手1分近く鳴り響きました。
 この命がけの訴えが世界を動かしてできたのが核兵器禁止条約です。谷口さんは条約の採択後一か月半あとに、採択を見届けるように亡くなりました。
 平和宣言はさらに、「核廃絶こそ人類を守る唯一の現実的な道」と強調しました。日本は直ちに核禁条約に署名を。
 夕方に世界的なデザイナー、三宅一生さんの訃報が。広島国泰寺高校の先輩です。三宅さんは小一で被爆されましたが、そのことをほとんど語っておられませんでした。しかし、オバマ演説を聞いてニューヨークタイムスに被爆体験を寄稿され、オバマ氏に広島訪問を呼びかけられました。
 ネクタイ.jpg私は、原爆で亡くなった多くの先輩をはじめ、核兵器のない世界を願う先輩たちの思いを胸に刻み、イッセイ・ミヤケのネクタイをしめて国連本部で核兵器禁止条約採択の採択に立ち会い(写真)、核兵器に関する会合などの時も締めるようにしてきました。
 改めて核兵器廃絶への決意を新たにしています。合掌
 午後には国葬と統一協会問題での野党の国対ヒアリングに参加しました。
 IMG_3937.JPG広島の被爆77年の早朝。平和公園の原爆慰霊碑に志位委員長、仁比、山添議員、大平元議員、党広島県委員会の皆さんらと共に核兵器廃絶の思いを込めて献花しました。その後、母校・広島国泰寺高校に立ち寄り、広島一中原爆犠牲者の慰霊碑に仁比、山添議員と共に記帳し、核廃絶を誓いました。
 平和祈念式典はコロナ対策のため人数制限があり、宿所で視聴。原爆が投下された8時15分に黙とうを捧げました。広島市長が平和への誓いで、日本が核兵器禁止条約の締約国会議に参加して役割を果たすことを強調し、昨年亡くなられた日本被団協代表委員の口癖だった「ネバーギブアップ」という言葉で締めくくられました。改めて胸に刻みたい。
県被団協.jpg 湯崎県知事が、核兵器の危険こそ現実の問題だと強調し、核抑止論から脱却することを強調されたのは印象的でした。グテーレス国連事務総長は世界の指導者に核依存をやめよよう呼びかけました。
 広島出身の総理だとしながら、核兵器禁止条約に一言も触れない岸田総理のあいさつは残念でした。
 さらに県被団協(箕牧理事長)の追悼慰霊式、原水爆禁止世界大会ヒロシマデー集会、県被団協(佐久間理事長)との懇談と続きました。
 ヒロシマデー.jpgヒロシマデー集会では若い皆さんの発言がとても素敵でした。「黒い雨」の番組を作るために現地に何度も足を運んで話を聞いた広島経済大学の学生、一万人以上の署名を集めた高校生のとりくみ。未来を感じました。 集会では野党国会議員のリレートーク動画の中で私の一分発言も映されました。志位委員長のあいさつもありました。
 被団協との懇談では、「黒い雨」被害者の被爆者手帳の申請、認定が進んでいない状況や問題点を詳しくお聞きしました。今後、仁比さんや大平さんと共に政府をただしていきます。
 終了後、明日の新潟豪雨災害調査のため、新幹線で博多に行き、福岡空港から空路で新潟入り。
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