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「外交安保・核廃絶」の記事

 462560392_1557067352354730_6240606952385980963_n.jpgポーランド2日目。約160万人が虐殺されたアウシュビッツ強制収容所ミュージアムへいき、27年のガイド歴の中谷剛さんの案内で回りました。
 広大な敷地に300棟を超える収容所があり、一部残っている施設を回り説明をうけました。鉄道で各地から送られてきたユダヤ人で労働力にならない女性や子ども、老人はすぐにガス室に送られで殺されました。その中にも入りました。
 462545516_939213884932411_858000879838058650_n.jpg収容所に入れられた人々も過酷な条件で大半は亡くなりました。おびただしい靴や衣類、カバンなどの遺品が積み上げられて展示されている。それでもごくごく一部。言葉を失います。収容者を銃殺した「命の壁」に献花し、黙とうを捧げました。
広島の原爆資料館とも連携しており、広島の館長も訪問されたとのお話も。
 アウシュビッツ記帳.jpg被爆二世であり、核兵器も戦争もない世界をめざす政治家として一度は訪れたい場所だった。この世界に二度とホロコーストを起こしてはならない。核兵器も戦争も無くさなくてはならない。思いを新たにしながら、決意を込めて記帳しました。
 457030449_550416110887402_6292531011096108722_n.jpg今日はスロバキアからポーランドへの移動日。市場を視察後、再び車で国境を越えてウィーンに行き、空路でポーランドの京都とも呼ばれる古都クラクフ市へ到着しました。
 1320年から約200年間、ポーランド王国の首都として栄えた街。第二次世界大戦では奇跡的に戦火を免れ、ヴァベル城はドイツ占領時に総督府の本部となりました。この城を含む旧市街は最初に登録された世界遺産の一つで、中央広場はヨーロッパで一番の広さです。
 457047432_1636160957230253_284517466576791604_n.jpgいったんホテルに入った後、旧市街の町並みを歩き日本藝術技術博物館(Manggha館)へ。同市のヤジェンスキ氏が保有する欧州有数の浮世絵コレクションを展示するために映画監督のアンジェイ・ワイダ氏が、夫人のクリスティナと共にが建設に尽力されたもの。稲盛財団の「京都賞」を受賞したワイダ氏がその賞金も基金として費やし、様々な支援をえて建設されました。
 亡くなったワイダ氏の94歳となる夫人からその経緯や展示の内容について直接お話を聞き、館長に案内していただきました。浮世絵は約4600枚も保有されており、北斎や広重の作品も。最近の漫画も展示されていました。
 457740736_1162019341544617_5722681614571682588_n.jpg旧市街を歩いているときに日本人の若者の団体とあいました。声をかけると、岐阜県八百津町から来た高校生の皆さんでした。同町は「命のビザ」の杉原千畝氏の出身の町。HPを見ると、同町ではアウシュビッツ記念館やリトアニアの杉原氏の記念館を訪ねることが継続的に取り組まれています。大事ですね。 
 夜は在留邦人の皆さんとの夕食会。様々なご苦労や課題をお聞きしました。
 24.9.5 外交委員長2.jpgスロバキア2日目。午前中は、ケリー委員長をはじめ国会外務委員会の皆さんと懇談しました。ケリー氏は国際法順守が大事であり、小国にとって死活問題だと述べ、ロシアのクリミアやウクライナ進攻は重大な国際法違反だと指摘。スロバキア政府がウクライナ避難民の受け入れと住宅、教育、就労などの支援を行っていることを紹介されました。
 その上で、米国のイラク侵略やNATOのユーゴ空爆は国際社会の批判が弱かったとのべて「判断基準が違ってはならない」と強調されました。委員長主催の昼食会にもお招きいただき、さらにさまざまな問題で意見交換ができました。
24.9.5 本会議場.jpg 昼食会前に、国会内やブラスチラバ城を視察。国会のすぐそばをドナウ川が流れ、対岸のオーストラリアの町並みがよく見えます。首都でありながら、二つの国と接している都市は世界でブラチスラバだけとのことです。
 昼食会後にはUNHCRのスロバキア事務所を訪問してウクライナ避難民支援のご苦労や課題、要望をお聞きしました。ウクライナの成人男性は国外に出られないので避難民の81%は女性と子どもです。
24.9.5 UNHCR.jpgそれに伴う困難を質問しました。親と離れ離れになった子どもが人身売買の被害にあうことや、保育施設に入れなかったり、一人での子育てのためにフルタイムでの就労が困難で、在宅での仕事を探すなどしているとのことでした。
 夜は在留邦人の方との夕食会。
 首相.jpgルーマニア2日目。午前中はチョラク首相との面会。午後視察したウクライナ避難民支援センターは、NHCRが中心になり、WHOやユニセフなど国際機関、NGO、ルーマニア政府機関などが支援を行っています。避難民向けのワンストップサービスで登録、就労や教育、医療、現金給付などを行っています。
 この間のべ195万人のウクライナ避難民が入国していますが、言葉の関係等もあり、残留しているのは約7.8万人とのこと。それぞれの団体からご苦労や課題をお聞きしました。資金不足が問題になっており、日本のこの間の支援への謝意と共に要望もいただきました。
2ユニセフ.jpg 隣接するブカレスト市の生活必需品の配布所も視察。ここでウクライナで日本語教室の先生していたという女性の避難民にお会いしましたが、日本の漫画がきっかけで、日本語を勉強したとのこと。
 首相との面会の前にオポール市場を視察。野菜や果実が豊富で、肉、魚、日用品など巨大な市場。庶民の生活の一端がわかります。午後には、日本のODAで行っている地下鉄の工事現場の視察。夜は在留邦人の方々らとの夕食会。商社や製造業、日本人学校、避難支援のNGO、旅行会社の方々らから様々お話を聞けました。
  チウカ首相2.jpg長浜博之参院副議長一行の一員としてルーマニアの首都、ブカレストに来ています。羽田からフランクフルト経由で昨日の深夜に到着。ロシア上空を飛べないので、大回りとなり、宿舎を出てホテルまで約24時間かかりました。
 今日は午前中、片江学巳在ルーマニア大使から現地情勢のブリーフィングを受け、午後から議会宮殿内でチウカ上院議長と面会しました。チウカ議長は前首相で、12月に行われる大統領選に国民自由党の代表として立候補を表明されています。
 議会宮殿.jpg日本とルーマニアは伝統的友好関係にあり、チウカ議長からは日本のODAへの謝意があり、会談の中で両国の経済関係の強化や文化交流のいっそうの発展が語られました。
 ウクライナ支援も重要な話題に。同国は避難民の積極的な受け入れを行い、ウクライナの穀物の輸出の6割は同国経由となるなど支援を行っています。日本は国際機関や日本のNGOへの人道支援を行ってきました。
 議会宮殿は行政府と建物として世界第三位の大きさ。チャウシェスク大統領の時に着工されたもので、権力誇示のためと言われています。体制転換後、一時放置されましたが、工事が再開されて完成し現在は上下両院の他、会議場や展示場、コンサートホールなどにも利用されています。
 462536761_1232700518002251_416161802776081397_n.jpg面談後、旧市街地を視察。美しく保存された建物と魅力的な石畳の道が続き、歴史的な建物の正ルーマニア教会もあります。「世界で最も美しい書店の一つ」と言われている書店に行くと、日本の漫画がずらり。日本漫画・アニメの同人会が参加する今年の催しの来場者数は6万人で、コスプレの人も多数あったとのこと。すごい人気です。
 夕方に時差ボケから強烈な眠気に襲われましたが、何とか乗り切り、夜は上院議長主催の夕食会。副議長や環境大臣、上院事務局長の皆さんらも参加くださいました。ウクライナ問題でさらに突っ込んだ意見交換ができ、予定を大幅にオーバーしました。
 明日、9/1から長浜博之参院副議長一行の一員としてルーマニア、スロバキア、ポーランド各共和国を訪問し、各国の政治経済事情を視察します。12日に帰国します。
 各国の国会議長・副議長、外務委員長との会談やウクライナ避難民の支援施設の視察、商工・文化関係者との懇談、日本との友好議員連盟や在留邦人の皆さんとの懇談を行い、アウシュビッツ強制収容所も視察します。
 昨年は副議長一行としてバルト三国を訪問し、旧ソ連、ドイツの抑圧下にあった歴史を持つ各国が「明日の我が身」の思いでロシアによるウクライナ侵略に危機感を持って支援を行っていること各地で聞くことができました。今回の三国には立場の違いもありますが、現地の状況をしっかりつかみたいと思います。
 台風10号による今後の被害が心配ですが、有意義な視察にするために、今日は、議員宿舎で渡航準備をしながら、関係の本や資料を読み込んでいます。
 一行は長浜副議長と与野党各会派から松山政司(自民) 、斎藤嘉隆(立憲)、谷合正明(公明)、榛葉賀津也(民主)各議員と私です。現地から、できるだけ発信しますのでご覧ください。
 原爆と人間.jpg暑い~と叫びながら動いた一日。午前中は京都六区の城陽市、宇治市でそれぞれ演説会。堀川明子比例予定候補、かみじょう亮一六区予定候補らとともに訴えました。
 終了後、名古屋市の金山駅コンコースで行われている「戦争と人間」展へ。高校生が被爆者の証言を聞いて書いた「原爆の絵」に多くの足が止まり、じっくり見つめる若い人の姿も。部活の試合の帰りで真っ黒に日焼けしたの男子高校生三人が案内ビラを配ってくれました。うれしいなあ。
 兒玉さん.jpg高校の先輩(旧制広島一中生)の兒玉光雄さんの証言による絵も三枚ありました。倒壊した一中の校舎から脱出した兒玉さんが学友たちを助けようと必死の努力をしたときの絵。
 そのあと、名古屋から米原、敦賀と乗り換えて金沢市へ。石川県医療労働組合連合会50周年祝賀会に出席しました。冒頭、輪島市名舟地区に伝わり、県の無形文化財に指定されている御陣乗太鼓が演じられました。
 能登半島地震で集落全体が避難をしましたが、太鼓の道具は真っ先に避難させたとのこと。絶対に復興し、次世代につなぐという魂にあふれた太鼓でした。
 石川医労連.jpg南雅子委員長のあいさつで始まり、乾杯した後、全国や石川県内の各界からの祝辞。日本共産党から佐藤県議、鐙輪島市議が参加し、私が代表してあいさつしました。コロナ禍でも能登半島地震でも住民の命を守って大奮闘し、「再び白衣を戦場の血で汚さない」と運動の先頭に立ってきた医労連の皆さん。感謝と期待の声が相次ぎました。 最後は南委員長の音頭で「ガンバロー」を参照しました。
 明日は朝から能登半島地震の被災地に入ります。

 24.8非核の会.jpg今日は「非核の政府を求める会」のZOOMによる事務局会議。原水爆禁止世界大会の成果や核抑止力論を厳しく批判した広島・長崎の市長の訴えの重要性、自民党の総裁選めぐる情勢などについて議論し、国連総会に向けた政府申し入れの内容な今後の取り組みなど常任世話人に提起する内容について確認しました。

 朝は歯医者。夕方、京都へ。

 24.8八幡.jpg京都府八幡市で開かれた、やわた「平和つどい」に参加。会場一階のミニギャラリーでは、広島市立基町高校の生徒たちが被爆者の証言を聞いて描いた「原爆の絵」が展示されています。
 同校の卒業生の方が、描いた時の思いや苦労を話してくれるという企画を楽しみにして参加したのですが、急遽来れなくなったとのこと。残念ですが、スタッフの方が本人が用意されていた原稿を読み上げて下さり、思いはしっかり伝わってきました。
 私も一言「基町高校の隣の国泰寺高校を卒業しました。被爆した先輩の証言に基づく絵も描かれています。被爆二世として核兵器廃絶にがんばる」と発言させてもらいました。
 小畑.jpg会場には、京大の大先輩で、戦後直後に全国で初めて学生自治会による「原爆展」を開催し、昨年のNHKの「歴史探訪 消えた原爆ニュース」でも大きくとりあげられた小畑さんにお会いしてお話することができました。97歳になられましたが、とてもお元気そうでした。
 小畑さんについては、昨年、非核の政府の会のニュースに書きました。ご覧あれ。https://www.inoue-satoshi.com/newspaper/2023/10/nhk231015.html
 24献花.jpg被爆79周年の8月6日。早朝に原爆慰霊碑に献花。田村智子委員長、国会議員団、広島の皆さんとご一緒でした。
 その後、母校・広島国泰寺高校の一中原爆犠牲者追悼の碑、平和記念式典、核兵器廃絶世界大会広島デーと核兵器廃絶への国を超え、世代を超えた願いと運動を交流し、核兵器廃絶への確信と誓をいっそう固めた一日でした。
 24国泰寺.jpg平和記念式でも世界大会でも、核廃絶を「夢物語」として、安全保障のために核軍拡を進める核抑止力の現実性が大きく問われました。記念式の市長の平和宣言や知事、国連事務総長の挨拶でもそのことに触れ。ウクライナやガザなど核兵器使用のリスクが高まる現実こそ直視し、核兵器廃絶を求めるものでした。
 岸田総理の挨拶は、核抑止力に依拠する立場で、核兵器禁止条約にも触れない空虚なものでした。
 式典での小学生の誓いや世界大会での高校生をはじめとした若者たちの発言は、核兵器無き世界への希望を大きく広げるものでした。大会では田村委員長が挨拶。国会議員も壇上で紹介され、最後は恒例のフィナーレ。
庚午中.jpg 世界大会での発言した広島と愛知の被爆者団体の各理事長の佐久間さん、金本さんは広島市立庚午中の同級生で私の先輩。思いを一つスリーショットをとりました。
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