広大な敷地に300棟を超える収容所があり、一部残っている施設を回り説明をうけました。鉄道で各地から送られてきたユダヤ人で労働力にならない女性や子ども、老人はすぐにガス室に送られで殺されました。その中にも入りました。
収容所に入れられた人々も過酷な条件で大半は亡くなりました。おびただしい靴や衣類、カバンなどの遺品が積み上げられて展示されている。それでもごくごく一部。言葉を失います。収容者を銃殺した「命の壁」に献花し、黙とうを捧げました。
広島の原爆資料館とも連携しており、広島の館長も訪問されたとのお話も。