活動日誌

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「外交安保・核廃絶」の記事

 原爆病院.jpg明日の8/6を前に広島原爆養護ホーム「舟入むつみ園」、第二日赤原爆病院、広島県被団協を訪れ慰問と懇談。被爆者が高齢化されている中、被爆の実相と核兵器の非人道性を次世代に語り継ぐ大切さがどこでも語られました。「非核の政府を求める会」の交流会にも参加。

 24鯉城関西.jpg大阪市で開かれた広島国泰寺高校の関西同窓会の「トーク&昼食会」へ。午後は、京都の「鴨川納涼」で広島県人会の皆さんと語らいました
 同窓会の冒頭、前身の旧制広島一中の原爆犠牲者に黙祷を捧げました。先週、母校の正門横の「一中原爆犠牲者追悼の碑」で行われた式典の報告もありました。94歳の大先輩は被爆当時の一中の二年生。建物疎開の作業のために登校してい一年生や勤労動員で市内の工場にいた二年生はほぼ全滅したが、市外にいた自分は生き残ったとして「先ほど黙祷を捧げたが、自分が捧げられる側になったかもしれない」と語られました。​
 私もトークに立ち「原爆犠牲者に黙祷を捧げ、追悼式の様子や先輩のお話を聞くと、核兵器のない世界を作ることがこの同窓会出身の国会議員である私の使命だと改めて実感した」とお話しました。
8.3.jpg「自民党ひどすぎる。がんばってや」と先輩方から声をかけていただきました。明日、明後日は広島に行き、平和記念式典や原水爆禁止世界大会に参加し、母校の「追悼の碑」にも立ち寄ります。
 京都に帰り、夜は「鴨川納涼」へ。猛暑の中ですが、河川敷には時折風も吹き、すごい人出でした。各道府県人会のテントもずらり並びます。広島県人会のテントでお好み焼きをいただきながら、県人会の役員の皆さんらと語らいました。

 IMG_5086.jpg午前中は歯医者で虫歯の治療。閉会中に体のメンテナンスも大事です。午後から京都にもどり立命館大学の国際平和ミュージアムでの「平和のための京都の戦争展」に行きました。

 長年、実行委員会の皆さんがこの会場で開いてこられましたが、建物のリニューアルのためにここ数年は場所を変えての開催でした。入口には「わだつみ像」があります。やっぱり戦争展はここ。

 展示では、戦争中の京都の軍事施設や戦争推進ポスターなどと共に祝園弾薬庫の強化など、岸田軍拡のもとで京都ですすむ戦争する国づくりの実態や反対する住民の運動が紹介されていました。

 

 1722376911428-664836a2-1039-4532-aa8b-2f50d6d7c58b_1.jpg 京都から東京へ。日米2+2、核抑止の閣僚会合や米軍による性暴力隠蔽問題、防衛省で連続する不祥事について、衆院安保委、外防委で閉中審査が行われ、日本共産党から赤嶺、山添議員が質問に立ち、厳しく追及しました。

 午後から日米2+2、核抑止の閣僚会合についての外務省からのレク。事務局を務める「非核の政府を求める会」として抗議の声明を発表しました。国対会議、議員団会議に参加しました。

 7.19福井駅前.jpg毎月第三金曜日は北陸信越ブロックのいっせい宣伝。昨日は福井県で訴えました。朝一番は福井駅前で、比例代表のたいらさん、福井一区のかねもとさんの両予定候補とともに街宣。新幹線で敦賀に移動し、山本、松宮両市議と共に市内三カ所で訴えました。
 昨日の参院国交委員会の能登半島地震被害状況について報告。志賀原発のトラブルや珠洲原発予定地だった付近の海底の隆起の状況もお話して、地震大国日本に安全な原発はなく、避難計画も絵にかいた餅であること明らかになった。福井県内の老朽原発の再稼働ではなく原発ゼロをと呼びかけました。
 7.19敦賀.JPG政府による敦賀港の「特定利用港湾」への指定を県が受け入れたことに対し、前日に戦争する国造り反対福井県連絡会」が申し入れをしたこともお話ししました。自衛隊などが有事(戦時)に使用することを前提に国が改修や整備をする空港・港湾。戦時に加え平時から自衛隊が訓練や人員・物資の輸送などで軍事利用しやすくするのが目的です。岸田政権が進める「戦争国家づくり」の一環であり、有事には攻撃の対象となる恐れがあります。
 敦賀マンホール (2).jpg敦賀市内三カ所に、広島国泰寺高校の後輩のイラストレーターの松尾たいこさんのイラストのマンホールがあります。気比神宮前でパチリ。イラストは、「敦賀港ムゼウム」をモチーフにしたもの。
 敦賀は1920年代にポーランド難民が、1940年代に「命のビザ」を手にナチスから逃れたユダヤ人の人々が上陸した日本で唯一の港。当時の建物を復元した資料館が「人道の港 敦賀港ムゼウム」です。特定利用港湾の受け入れは、「人道の港」としてきたこととも相いれません。
 午後に京都の自宅に戻り、非核政府を求める会のZOOMによる事務局会議に参加しました。

 1721110533319.jpg韓国の尹徳敏(ユン・ドクミン)駐日大使の日韓議員連盟主催の歓送会に参加。挨拶に立った志位議長は、五月に大使と会談し、党の「東アジアの平和構築への提言」について説明したことなどを紹介。両国の友好の発展に尽力された大使に感謝の意を表しました。

 夕方には議員団会議が開かれました。

 

今日は日本共産党の102回目の誕生日。そんな日に許しがたいニュースが。アメリカ西部ワシントン州のシアトルで、広島の「原爆の子の像」をモデルに建てられた少女の銅像が、足の部分から切断され、なくなっているのが見つかり、警察は窃盗などの疑いで捜査しているとのこと。

 広島育ちの被爆二世の私の入党の一番の動機は、核兵器のない世界をつくること。1990年に建立さたシアトルの「サダコ像」がモデルにしたのは広島の平和公園にある「原爆の子の像」。被爆して白血病によって12歳で亡くなった佐々木禎子さんをしのぶために同級生らがカンパを募って建立したものです。

 「原爆の子の像」が建立された1958年5月5日は私の誕生日。私にとって特別の思いがあります。悲しい。銅が高騰していることで売買目的ではないかとされていますが。いかなる理由であれ許されません。

 議員宿舎で本日〆切の原稿の執筆などなど。

 

 

24026.jpg議員会館で開かれた「日本政府に核兵器禁止条約の署名・批准を求める署名」の共同提出のつどいに昨日、参加。第4次分の14万7918人分累計156万5317人の署名を全国から集まった皆さんが一言ずつ自分の思いを発言して外務省に手渡しました。
 同条約が採択された七年前の国連会議の時と同じネクタイを締めて参加。広島国泰寺高校の先輩であり、被爆者であるデザイナーの三宅一生さんのネクタイです。挨拶で、国連会議で、世界を動かした被爆者の訴えへの敬意が次々と示されたことを紹介しながら、「被爆者の声を一番知っている日本政府こそ、条約に参加して役割を果たすべき」と強調しました。
 日本原水爆被害者団体協議会の児玉三智子事務局次長は「両親、ふたりの弟、娘を次々がんで亡くした。次は自分の番か」と不安を語り、地獄を見た被爆者の実相を日本政府が世界に訴えていただきたいと要請されました。児玉さんは広島市立古田小学校の先輩。その思いは胸に刺さりました。
優性保護1.jpg 旧優生保護法fは憲法違反――障害などを理由に不妊手術を強制した同法について最高裁判所大法廷が判断を示し、国に賠償を命じました。直後に院内で開かれた報告集会に参加。原告や支援の皆さんの喜びにあふれました。
 同法を我が党を含め全会一致で成立させた国会の責任も問われています。臨時国会が開かれれば、すべての被害者を救済する法的措置を行う必要があります。
 今日は偶然にも、2013年に違憲判決が示された法律が直ちに改正された経緯について米国の大学で学ぶ日本人女性からインタビューを受けました。成年被後見人になると選挙権を奪われるのは違憲だとの訴えでの判決です。原告や弁護団からも直接お話を聞き、法務委や倫選特で四度にわたり質問。判決後すぐに全会派一致の議員立法で法改正が行われました。改めて当時を振り返りました。
 午前中は男女共同参画の視点に立った災害時の避難所運営等につて、能登半島地震での取り組みと課題等について内閣府よりレクを受けました。
 土地規制2.jpg続いて土地利用規制法について「市民と議員の合同ヒアリング」と市民集会に参加。今回が第八回目。指定が一巡したことを受け、住民への説明が行われていない問題をはじめ運用面で明らかになった問題を政府の担当者にただしました。
 悪法成立後に運動が下火になることが少なくありませんか、法施行後もこうした系統的に粘り強くただしていく取り組みは重要です。参加した党の地方議員の皆さんらとパチリ。
 

 24.6.24被団協3.jpg日本原水爆被害者団体協議会の皆さんと田村委員長はじめ党国会議員団の懇談会。「『原爆被害への国家補償』を実現すること」「核兵器の禁止、廃絶を実現すこと」などの要請書をうけとり、参加された全国の被爆者の役員の皆さんから被爆体験や要望をお聞きしました。

 私は懇談の中で、最近読んだ1963年の「原爆裁判(下田事件)」の判決について触れました。判決では被爆者である原告個人の損害賠償請求権は認めなかったものの、「アメリカ軍による広島・長崎への原爆投下は国際法に違反する」とした最初の判決として有名です。

 24.6.24被団協2.jpgさらに判決は、「被爆者個人は損害賠償請求権を持たない」が、「国家は自らの権限と責任において開始した戦争により、多くの人々を死に導き、障害を負わせ、不安な生活に追い込んだのである。しかもその被害の甚大なことは、とうてい一般災害の比ではない。被告がこれに鑑み十分な救済策を執るべきことは、多言を要しないであろう。それは立法府および内閻の責務である。本訴訟をみるにつけ、政治の貧困を嘆かずにはおられない」と述べている。

 この判決が、その後の被爆者援護施策や原水爆禁止運動の前進につながつた意義については何度も聞いてきましたが、判決そのものを読んだことがありませんでした。しかし、大評判のNHKの「虎に翼」のモデル三淵嘉子さんが判事として担当したしたことを知り、それについて書いた本を最近読みました。その本に掲載された判決文を初めて読んで驚きました。国は原告の訴えに対して反論していますが、その中でこう述べているのです。

  広島・長崎での原爆投下で多数支障の結果を生じたことは「まことに痛恨事」としたうえで、原爆投下を直接の契機として日本国はそれ以上の抵抗をやめてポツダム宣言を受諾して無条件降伏し、第二次世界大戦が終結したとし、「このように原子爆弾の使用は日本の降伏を早め、戦争を継続することによって生ずる交戦国双方の人命殺傷を防止する結果をもたらした。かような事情を客観的にみれば、広島長崎両市に対する原子爆弾の投下が国際法違反であるかどうかは、何人も結論を下し難い」。

 なんと、投下直後から米国政府が述べ、今も続く「原爆投下が戦争終結を早め、人々の命を救った」という原爆正当化論と同じことを日本政府が裁判の中で述べているのです。そこには、核兵器は人類と共存できない非人道的兵器であるという立場はありません。

 今も続く、原爆の被害を過小評価し、米国の「核の傘」を容認して核兵器禁止条約に参加しない日本政府の姿勢の土台はこの時から変わっていないのではないかと憤りを感じたことをお話しし、「『原爆被害への国家補償』を実現すること」「核兵器の禁止、廃絶を実現すこと」にご一緒に全力を挙げることを誓いました。

  午前中は志位議長のオンライン講義「自由に処分できる時間」と未来社会論を視聴しました。

 

 

 

 

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