活動日誌

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「外交安保・核廃絶」の記事

 核廃絶.jpg今日9/26は、国連「核兵器廃絶のための国際デー」です。世界での行動に連帯して、有楽町駅前での日本原水協や東京被団協の皆さんの宣伝・署名行動に参加しました。
 この日に先立ち24日、インドネシア、シエラレオネ、ソロモン諸島が条約を批准し、署名国は94 、批准国は73か国になりました。インドネシアは人口世界4位の約2億7,000万人の人口を有する国です。人口では、これまでで最大の 核兵器禁止条約 締約国となりました。
14225.jpg 一方、日本は「核抑止論」にしがみついて条約に背を向け、自民党の総裁選挙では非核三原則の見直しを口にする候補者も。唯一の戦争被爆国で、本来、核兵器の非人道性を一番知っている日本こそ核兵器禁止条約に参加して役割を果たすべきと強調し、日本政府に条約への参加を求める署名を呼びかけました。
  今日は「命を守る総行動」が取り組まれ、日比谷音楽堂で集会が開かれました。参加された愛知保険医協会、富山県医労連の皆さんが来訪され、要請書を受け取り懇談。
富山医労連.jpg「保険証をなくすなんてとんでもない」「人手不足で仕事がきつい。子育ての費用を考えると今の給料で続けらない。人員増と処遇改善を」――医療・介護をめぐる切実な声をお聞きしました。
 
 午後には、全日本ろうあ連盟の久松事務局長と吉良議員と一緒に懇談。大深度地下法の廃止法案について、東京外環道、リニア、京都の北陸新幹線延伸問題に取り組んでる皆さんとZOOMで意見交換会。貴重なご意見や提案をいただきました。
 
 終了後、明日の能登半島地震・大雨被害の調査のため金沢へ。
 大学.jpgポーランド6日目。午前中にポーランド日本情報工科大学を訪問。日本が援助し、コンピューター技術の開発を目的として1994年に創立され、2007年には日本文化学部もできました。現在の学生数は約4000人。日本文化学部の入り口にはポーランド国家を訳した書が飾られていました。いろんな場所に「一期一会」と書かれ、お土産にもこの文字が。
 ノバァツキ学長らとの懇談に続き、日本文化学部長や学生と懇談。「なぜ日本を」と聞くと「日本語の美しさにひかれた」「アニメがきっかけ」「日本人が好き」などのうれしい返事でした。
ポーランド工科大学.jpg これがルーマニア、スロバキア、ポーランドの三か国訪問の最後の日程。午後にワルシャワを出て、フランクフルトから約13時間で日本へ戻ります。
上院2.jpgポーランド5日目の午前中にグルビンスキ上院副議長と面会。両国の政治的・経済的友好のいっそうの発展へ議会間交流の深化が強調され、上下両院のポーランド・日本友好議連には約一割の50人が参加していることの紹介も。
ウクライナの復旧・復興への協力、日本企業の参入の期待も表明されました。
 午後はウクライナ避難民の子どもたちを支援するUNICEF教育開発センターを訪問。就学支援の状況などをユニセフ.jpgお聞きし、アートセラピールームで交流。当初、暗い絵ばかりだったのが、笑顔での明るい絵を描くように変化したとのこと。日本からの漫画入りのノートなどのお土産に歓声があがりました。
 その後、日本大使館で松田在ウクライナ大使からネットでのブリーフィング。戦況や国民世論と暮らしのリアルな状況などお聞きし、日本の優先支援分野として地雷・がれき処理やエネルギー、インフラ支援などを上げられました。
 ポーランド議連.jpg夜はポーランド・日本友好議員連盟の上院の皆さんのご招待で夕食会。来日経験のある議員に「一番良かったのは何ですか」と聞くと「日本人」とうれしい答え。ポーランド人の気質は日本人によくにていて、私たちにとっても居心地のよい国です。
 ポーランド4日目の朝、ワルシャワ市内で無名戦士2.jpgまず無名戦士の墓に献花しました。
 続いて、在留邦人によるワルシャワ及びウクライナ商工会との昼食会。ウクライナ商工会の皆さんは赴任しても入国できず、ワルシャワから現地従業員を指揮されています。キーウの暮らしや経済の状況、ロシアとの停戦合意をしてもプーチンが守るのか、などの市民の生の声、日本が復興で貢献すべき分野などをお聞きできました。
 ワルシャワ蜂起.jpg午後はワルシャワ蜂起博物館を視察。大戦末期のナチス占領下にレジスタンスや市民が立ち上がり激しい戦闘が行われたが失敗し、街は焼け野原になりました。その様子を展示しています。忘れてはならない歴史です。
 その後、ワルシャワ大図書館にある日本学科へ。なんと、お茶席があります。学生のお点前で一服いただきました。続いて学生の皆さんと懇談。夜は在留邦人を中心に文化・教育関係者との夕食会でした。
 457515425_1250832922599751_7520151450581427174_n.jpg市内を移動中に、ノーベル賞学者のキューリ夫人の資料館(写真)やコペルニクスの像もありました。いずれもワルシャワ出身。ショパンと共に日本でも有名ですが、必ずしもポーランドと結びついていないことが残念。
 
 462560392_1557067352354730_6240606952385980963_n.jpgポーランド2日目。約160万人が虐殺されたアウシュビッツ強制収容所ミュージアムへいき、27年のガイド歴の中谷剛さんの案内で回りました。
 広大な敷地に300棟を超える収容所があり、一部残っている施設を回り説明をうけました。鉄道で各地から送られてきたユダヤ人で労働力にならない女性や子ども、老人はすぐにガス室に送られで殺されました。その中にも入りました。
 462545516_939213884932411_858000879838058650_n.jpg収容所に入れられた人々も過酷な条件で大半は亡くなりました。おびただしい靴や衣類、カバンなどの遺品が積み上げられて展示されている。それでもごくごく一部。言葉を失います。収容者を銃殺した「命の壁」に献花し、黙とうを捧げました。
広島の原爆資料館とも連携しており、広島の館長も訪問されたとのお話も。
 アウシュビッツ記帳.jpg被爆二世であり、核兵器も戦争もない世界をめざす政治家として一度は訪れたい場所だった。この世界に二度とホロコーストを起こしてはならない。核兵器も戦争も無くさなくてはならない。思いを新たにしながら、決意を込めて記帳しました。
 457030449_550416110887402_6292531011096108722_n.jpg今日はスロバキアからポーランドへの移動日。市場を視察後、再び車で国境を越えてウィーンに行き、空路でポーランドの京都とも呼ばれる古都クラクフ市へ到着しました。
 1320年から約200年間、ポーランド王国の首都として栄えた街。第二次世界大戦では奇跡的に戦火を免れ、ヴァベル城はドイツ占領時に総督府の本部となりました。この城を含む旧市街は最初に登録された世界遺産の一つで、中央広場はヨーロッパで一番の広さです。
 457047432_1636160957230253_284517466576791604_n.jpgいったんホテルに入った後、旧市街の町並みを歩き日本藝術技術博物館(Manggha館)へ。同市のヤジェンスキ氏が保有する欧州有数の浮世絵コレクションを展示するために映画監督のアンジェイ・ワイダ氏が、夫人のクリスティナと共にが建設に尽力されたもの。稲盛財団の「京都賞」を受賞したワイダ氏がその賞金も基金として費やし、様々な支援をえて建設されました。
 亡くなったワイダ氏の94歳となる夫人からその経緯や展示の内容について直接お話を聞き、館長に案内していただきました。浮世絵は約4600枚も保有されており、北斎や広重の作品も。最近の漫画も展示されていました。
 457740736_1162019341544617_5722681614571682588_n.jpg旧市街を歩いているときに日本人の若者の団体とあいました。声をかけると、岐阜県八百津町から来た高校生の皆さんでした。同町は「命のビザ」の杉原千畝氏の出身の町。HPを見ると、同町ではアウシュビッツ記念館やリトアニアの杉原氏の記念館を訪ねることが継続的に取り組まれています。大事ですね。 
 夜は在留邦人の皆さんとの夕食会。様々なご苦労や課題をお聞きしました。
 24.9.5 外交委員長2.jpgスロバキア2日目。午前中は、ケリー委員長をはじめ国会外務委員会の皆さんと懇談しました。ケリー氏は国際法順守が大事であり、小国にとって死活問題だと述べ、ロシアのクリミアやウクライナ進攻は重大な国際法違反だと指摘。スロバキア政府がウクライナ避難民の受け入れと住宅、教育、就労などの支援を行っていることを紹介されました。
 その上で、米国のイラク侵略やNATOのユーゴ空爆は国際社会の批判が弱かったとのべて「判断基準が違ってはならない」と強調されました。委員長主催の昼食会にもお招きいただき、さらにさまざまな問題で意見交換ができました。
24.9.5 本会議場.jpg 昼食会前に、国会内やブラスチラバ城を視察。国会のすぐそばをドナウ川が流れ、対岸のオーストラリアの町並みがよく見えます。首都でありながら、二つの国と接している都市は世界でブラチスラバだけとのことです。
 昼食会後にはUNHCRのスロバキア事務所を訪問してウクライナ避難民支援のご苦労や課題、要望をお聞きしました。ウクライナの成人男性は国外に出られないので避難民の81%は女性と子どもです。
24.9.5 UNHCR.jpgそれに伴う困難を質問しました。親と離れ離れになった子どもが人身売買の被害にあうことや、保育施設に入れなかったり、一人での子育てのためにフルタイムでの就労が困難で、在宅での仕事を探すなどしているとのことでした。
 夜は在留邦人の方との夕食会。
 首相.jpgルーマニア2日目。午前中はチョラク首相との面会。午後視察したウクライナ避難民支援センターは、NHCRが中心になり、WHOやユニセフなど国際機関、NGO、ルーマニア政府機関などが支援を行っています。避難民向けのワンストップサービスで登録、就労や教育、医療、現金給付などを行っています。
 この間のべ195万人のウクライナ避難民が入国していますが、言葉の関係等もあり、残留しているのは約7.8万人とのこと。それぞれの団体からご苦労や課題をお聞きしました。資金不足が問題になっており、日本のこの間の支援への謝意と共に要望もいただきました。
2ユニセフ.jpg 隣接するブカレスト市の生活必需品の配布所も視察。ここでウクライナで日本語教室の先生していたという女性の避難民にお会いしましたが、日本の漫画がきっかけで、日本語を勉強したとのこと。
 首相との面会の前にオポール市場を視察。野菜や果実が豊富で、肉、魚、日用品など巨大な市場。庶民の生活の一端がわかります。午後には、日本のODAで行っている地下鉄の工事現場の視察。夜は在留邦人の方々らとの夕食会。商社や製造業、日本人学校、避難支援のNGO、旅行会社の方々らから様々お話を聞けました。
  チウカ首相2.jpg長浜博之参院副議長一行の一員としてルーマニアの首都、ブカレストに来ています。羽田からフランクフルト経由で昨日の深夜に到着。ロシア上空を飛べないので、大回りとなり、宿舎を出てホテルまで約24時間かかりました。
 今日は午前中、片江学巳在ルーマニア大使から現地情勢のブリーフィングを受け、午後から議会宮殿内でチウカ上院議長と面会しました。チウカ議長は前首相で、12月に行われる大統領選に国民自由党の代表として立候補を表明されています。
 議会宮殿.jpg日本とルーマニアは伝統的友好関係にあり、チウカ議長からは日本のODAへの謝意があり、会談の中で両国の経済関係の強化や文化交流のいっそうの発展が語られました。
 ウクライナ支援も重要な話題に。同国は避難民の積極的な受け入れを行い、ウクライナの穀物の輸出の6割は同国経由となるなど支援を行っています。日本は国際機関や日本のNGOへの人道支援を行ってきました。
 議会宮殿は行政府と建物として世界第三位の大きさ。チャウシェスク大統領の時に着工されたもので、権力誇示のためと言われています。体制転換後、一時放置されましたが、工事が再開されて完成し現在は上下両院の他、会議場や展示場、コンサートホールなどにも利用されています。
 462536761_1232700518002251_416161802776081397_n.jpg面談後、旧市街地を視察。美しく保存された建物と魅力的な石畳の道が続き、歴史的な建物の正ルーマニア教会もあります。「世界で最も美しい書店の一つ」と言われている書店に行くと、日本の漫画がずらり。日本漫画・アニメの同人会が参加する今年の催しの来場者数は6万人で、コスプレの人も多数あったとのこと。すごい人気です。
 夕方に時差ボケから強烈な眠気に襲われましたが、何とか乗り切り、夜は上院議長主催の夕食会。副議長や環境大臣、上院事務局長の皆さんらも参加くださいました。ウクライナ問題でさらに突っ込んだ意見交換ができ、予定を大幅にオーバーしました。
 明日、9/1から長浜博之参院副議長一行の一員としてルーマニア、スロバキア、ポーランド各共和国を訪問し、各国の政治経済事情を視察します。12日に帰国します。
 各国の国会議長・副議長、外務委員長との会談やウクライナ避難民の支援施設の視察、商工・文化関係者との懇談、日本との友好議員連盟や在留邦人の皆さんとの懇談を行い、アウシュビッツ強制収容所も視察します。
 昨年は副議長一行としてバルト三国を訪問し、旧ソ連、ドイツの抑圧下にあった歴史を持つ各国が「明日の我が身」の思いでロシアによるウクライナ侵略に危機感を持って支援を行っていること各地で聞くことができました。今回の三国には立場の違いもありますが、現地の状況をしっかりつかみたいと思います。
 台風10号による今後の被害が心配ですが、有意義な視察にするために、今日は、議員宿舎で渡航準備をしながら、関係の本や資料を読み込んでいます。
 一行は長浜副議長と与野党各会派から松山政司(自民) 、斎藤嘉隆(立憲)、谷合正明(公明)、榛葉賀津也(民主)各議員と私です。現地から、できるだけ発信しますのでご覧ください。
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