自衛隊中東派兵問題で第一回の野党合同ヒアリングが開かれました。昨日の野党国対で、派兵の閣議決定の撤回を政府に求めることで一致。野党で「中東合同調査会」を立ち上げ、今日のヒアリングとなりました。
外務省、防衛省、内閣府から説明をうけ質疑応答を行いましたが、米国が行ったイラン高官の殺害について、「アメリカは自衛権の行使と言っている。当事国でないので評価する立場にはない」と繰り返すばかり。米政府自身が「先制攻撃」と述べているにもかかわらず、国際法違反をただすことなく米国の要請にこたえて派兵することは許されません。
午後からは、防衛省の軍学共同推進の資金制度である「安全保障技術研究推進制度」について、本年度の採択状況等についてレクを受けました。引き続き、明日のBSの討論番組出演に当たっての打ち合わせ。さらに、全労連役員の皆さんと今国会の課題とたたかいについて国会議員団との懇談。
夜は静岡市内で党静岡県委員会の旗開き。無所属の県議や市民連合の代表の方々、労組・民主団体の皆さんにも参加いただき、安倍政権を倒して野党連合政権に道を開く年にと大いに交流。本村、武田両議員、島津前衆院議員と共に挨拶し決意を述べました。東京にとんぼ返り。
午前中は、京都府委員会の「党旗開き」視聴会に参加しました。志位委員長が冒頭述べたのが、トランプ大統領の指示によるイラン高官の殺害。先制攻撃は明らかな国連憲章違反であり、中東の緊張をいっそう高めるもの。安倍政権が国会審議もなしに閣議決定した中東への自衛隊派兵の中止を強く求めました。
17日には中東派兵について衆参で閉会中審査が行われます。参院外交防衛委員会では私が質問に立ちます。閣議決定の撤回を求め、九条持つ国にふさわしく、アメリカに対し、問題の出発点である「イラン核合意」撤退をやめ、復帰するよう求める外交的努力こそ行えと迫ります。
午後は、自宅のすぐそばの吉田神社前で福山和人市長予定候補を迎えての街頭演説会に参加。地域から多くの皆さんが参加してくださいました。その後、左京区選出の光永府議、加藤、樋口、富樫各市議、中村市議補選予定候補とそろって区内五ケ所で街頭から新年あいさつとイラン問題、市長選勝利の訴え。
政府は朝九時からの閣議で、自衛隊の中東派兵を決めました。それに先立つ夕方8時から官邸前で抗議行動に参加し挨拶しました。昨日は、第二次安倍政権発足七年。八年目の最初の閣議決定が憲法を踏みにじり、自衛隊員命を危険にさらすものです。
その後開かれた野党国対委員長連絡会議で、この問題での閉会中審査を求めることで一致。その後の与野党国対会談で1/17に衆参の委員会での開会に合意。その後、参院での筆頭間協議が行われ。17日の午後に外交防衛委員会の閉会中審査を行うことで合意したとの連絡。厳しく追及します。
今日は最後の国会。朝の抗議行動の後、国会報告ハガキの宛名整理や資料整理、日程調整などなど。夕方の新幹線で京都に帰りました。
日本がODA事業としてモザンビークで進めている大型農業開発事業「プロサバンナ」について、国会議員9人の主催による公開の勉強会を院内で開きました。NGOの皆さんから問題提起や外務省、JICAから説明を受け、質疑応答。3時間以上にわたる議論となりました。
立憲民主党の石橋通宏議員と私が最初から最後まで参加し、川田龍平、福島みずほ両議員も参加されました。この事業については、同国最大の小農運動(UNSC)が世界に反対声明を発信しており、「土地収奪が行われている」「小農の反対の声が無視され、分断が持ち込まれている」など声が上がってきました。
私も参院のODA特別委委員会で二度にわたり質問をしていますが、この間、現地行政裁判所でプロサバンナに違法判決もでています。にもかかわらず、大きく見直されることなく国民の税金がつぎ込まれ、現地で住民への分断工作がしつように行われています。そうした状況の下で議員主催の形で勉強会を開きました。
会場にはたくさんの皆さんが参加され、外務省、JICAと国会議員、NGOの皆さんのやり取りを熱心に聞いてくださいました。関心の広がりを実感します。なかなかかみ合わない部分も相当ありましたが、年明けにも続けることを確認しました。
ベトナム公式訪問4日目。午前中は産業人材の育成をしているエスハイ社を訪問。ベトナムで不足している技術者の育成を目的にベトナム人に日本語や日本の労働文化を教え、日本の企業に技能実習生として派遣する事業を行っています。
社長のレ・ロン・ソン氏は技能実習生問題で衆参の法務委員会で参考人として出席をしたことのある方。概況説明を受けた後、教室に行って視察。しっかり力を身に着けて技能実習に行こうと高い意欲を持っている学生の皆さん。
同社は受け入れ先の企業から規定以上の管理料を受け取り、学生からは保証料を取っていません。受け入れ企業からも学生からも評価され、学生数も受け入れ企業も増加しているとのこと。
こうしたしっかりした会社の一方で、送り出すベトナム側も受け入れる日本側も悪質な企業があり、様々な問題が絶えません。問題解決のための政府の取り組みの強化が求められます。
昼食は総領事公邸で。和食をいただきながら、現地の事情や課題についてお話しを聞きました。
私からは、京都の皆さんが中心に取り組んでいるダイオキシン被害で障害を持つ皆さんの就業教育のための施設「オレンジ村」の取り組みの状況や政府の支援についてお聞きしました。
中心で取り組んでいる京都の鈴木元さんも何度も現地に来られており、総領事館も協力しているとのこと。いっそうの協力をお願いしました。
後には統一会堂へ。南ベトナム時代の大統領官邸です。1975年4月30日に人民解放軍の戦車が門から突入したサイゴン陥落でベトナム戦争が終結しました。
当時の大統領の執務室や地下の作戦指揮室などが当時のまま保存され、公開されており、突入した二台の戦車も展示されていました。「あのアメリカにベトナムの人々が勝ったんだ」と感動してニュースを見たことを思い出しながら戦車の前で記念撮影。
その後、市内で買い物をし、夕食の後、23:30発の飛行機で羽田に向かいました。
ベトナム公式訪問3日 目。午前中はハノイ大学内にある名古屋大学法制国際教育協力研究センターを訪問。アジア各国への法整備支援の一環としての人材育成を行っており、日本語で日本法を教育しています。
概況説明を聞いた後、一年生の授業の様子と三年生の発表の様子を見学。9割ぐらいが女性。男性は技術系を学ぶ多いとのこと。三年生の男子学生の企業に対して障害者雇用を義務付けることの法的問題についてのプレゼンを聞きました。なかなかのもの。
その後はグループに分かれての懇談。日本法を学ぶのか、将来の希望はなどなぜ話を聞かせてくれました。最後に、記念な撮影。若さがはじけてますね。
続いて日本企業によるハノイ商工会の皆さんと昼食懇談会。さまざなご苦労とともに、大きな可能性についてもお話しを聞かせてもらいました。
その後は、昨日に続いて国会を訪ね、グェン・ティ・キム・ガン議長と会談。議長からは両国関係の発展を喜びながら、今後の課題について言及。特に詳しく述べられたのがベトナム戦争時の米国による空爆に伴う不発弾とダイオキシンの被害。
40 年たった今も300万人がダイオキシンの被害に苦しみ、何世代もわたると強調され、ダイオキシンやは不発弾の除去に対する日本による支援の一層の強化を要望されました。
会談後、空港に向かい、空路で約二時間でホーチンミン市へ。空港で河上総領事の出迎えを受け、夕食をとりながらのブリーフィング。ホテル到着は22時でした。
ベトナム公式訪問2日目。昨夜ラオスのビエンチャンからハノイ入り。午前中はホーチンミン廟に献花。廟内に入り、永久保存されている遺体に手を合わせました。
市内でお買い物の後、午後は国会を訪問し、越日友好議連会長であるファム・ミン・チン議員と会談。チン氏はこの間の両国友好関係の発展について歓迎し、いくつかの課題に触れられました。
最初に強調されたのが南シナ海の問題。国際法、海洋条約に基づく平和、法理、外交に基づく解決への支援を要請されました。小川副議長も南シナ海で問題の平和的解決は重要だと応じました。
会談後に握手し、日本共産党とベトナム共産党との理論交流でグエン・スアン・タン書記が12月初めに来日され、志位委員長とも懇談されたことにお礼を述べると「私もその会議にこれまで二回出ました」との返事。交流団長として党本部に来られている一番の知日派の議員です。
その後、国会内を見学。歴史資料館を見た後、本会議場へ。五年前に建て替えられた国会はドイツのデザイン。本会議場の大きな円天井は太陽をイメージしたものとのこと。議長席とひな壇に並んでパチリ。さらに国会地下にあるタンロン遺跡も見学しました。
続いてトン・ティ・フォン国会副議長と会談。少数民族であるタイ族出身。少数民族出身の副議長は初めてとのことです。様々な分野で両国関係が発展していることや留学生、実習生問題での課題などを具体的に述べられました。
そのうえで、国会の要人の相互訪問のいっそうの活発化、国会議員の能力向上への経験交流、行政府の監督などで様々な交流をとの定期があるなど、大変率直で友好的な会談となりました。
終了後、国会内で歓迎夕食会。隣の席になった法務部門で重要な役割を担っておられる議員と、ダイオキシン被害の問題、技能実習生問題からベトナムで人気のサッカーの問題など様々な交流ができました。
舞台では、ベトナムの民族舞踊や歌が披露され、和やかで心温まる交流の場となりました。少数民族の舞踊もいくつか披露され、少数民族の権利や文化を守る姿勢を感じさせられました。
最後はみんなが輪になって「ホーチミン師」の歌を合唱。学生時代に歌った「ベトナム、ホーチンミン♪」という歌をベトナムの地で一緒に歌えたことは感激でした。
最後に出てきた、「フォー」がおいしかった!
参院ラオス公式訪問4日目。午前中は、ラオス国立大学へ。副学長と懇談した後、日本語学科の教室へ。2004年から国際交流基金が日本語専門家の派遣を始め、2010年には草の根文化無償資金で教育棟が作られました。
生徒数は112人。今年度の日本語学科への入学希望者は倍増したとのこと。
授業の様子を後ろから拝見していましたが、日本の国会議員に質問したいという話になり、教室の前で質疑応答。目をキラキラ輝かせて質問する学生たちの姿が印象的でした。
これからの両国の友好関係のいっそうの発展を確信しました。その後、副議長や今回の訪問でお世話になった国会職員の方などをお招きして昼食会。心温まる歓迎に心から感謝しました。
その後、空港に移動し、空路一時間でベトナムの首都ハノイに到着。ホテルに向かう途中で驚いたのが、バイクの凄まじい量。一方通行を逆走するバイクも。ラオスではほとんど鳴らす人のいなかったクラクションがしょっちゅう鳴っています。
まず、大使館で梅田大使からのブリーフィング。大変、興味深いお話しを聞くことができました。明朝から要人会談など続きます。
参院ラオス公式訪問3日目。朝食の前にホテル周辺を散歩。昼間は30℃を超えますが、朝は15℃くらいで湿気もなくとても爽やかです。午前中に昨日に続き国会を訪ね、ブンポーン副議長と会談。ブンポーン氏と小川副議長がそれぞれ挨拶し、両国の友好関係発展について述べました。
質疑応答の時間が取れたので、私は、被爆二世であることを紹介し、ラオスが核兵器禁止条約に署名し、原水禁世界大会に毎年ブンニャン国家主席のメッセージを寄せておられることに謝意を表明。
その背景にはベトナム戦争時に受けたクラスター弾などの空爆の不発弾による被害が今も続いており、残虐兵器禁止の必要性を痛感されているからではないかと問いかけ、日本ではあまり知られていないラオスにおける空爆と不発弾の被害の実態について質問しました。
ブンポーン氏は「素晴らしい質問をありがとう」と述べ、ベトナム戦争時、人口3百万人のラオスに米国が落とした爆弾は3百万トンで、戦場だった地域では経済開発や農業の際には今も不発弾処理が必要だと強調。
子どもが森の中で焚火した時に地中の不発弾が爆発するなどし、死亡したり障害者になることも続いているとのべ、「のちほど詳しい資料を届ける」と言ってくださいました。
ベトナム戦争時に「ホーチミンルート」があったため「世界で最も空爆された国」ともいわれるラオス。遺されたクラスター弾の不発弾は8000万発以上と言われており、被害者への支援活動は日本でも行われています。
昼食は青年海外協力隊でビエンチャンで活動している6人の青年と会食。活動内容ややりがい、苦労、要望など様々な話を聞くことができました。
日本の青年海外協力隊の最初の派遣地がラオス。午後にはパンカム国家副主席との会談を行いましたが、席上、パンナム氏からも協力隊の皆さんの活動ぶりに感謝の意が述べられた上、「ラオス国民は日本国民を愛しています」ともいわれ、とても和やかな会談となりました。
市内で買い物をした後、ホテルに戻り、夜はブンポーン副議長主催の夕食会。民族音楽や舞踊もあり、みんなで踊る場面も。いっそう親交を深めることができました。
参院副議長一行ラオス公式訪問2日目。朝一番でラオス国会を訪ね、バーニー議長と会談。バーニー氏は2010年から議長をされており、以来3回訪日されています。この間の日本から経済・社会インフラの整備や、農業の発展、教育環境の整備と人材育成などへの支援に対しての謝意と共に、両国関係をいっそう発展させたいとの意欲を述べられました。
小川副議長は今回の招待に対するお礼と共に、参院としても両国関係を発展させることに参院としても努力したいと表明され、和やかな懇談となりました。
続いて、日本のODAとして取り組まれている、ビエンチャン郊外のタゴン灌漑農業改善計画の現地を視察。同地区での農業支援は1966年から続けられており、灌漑施設整備が行われましたが、この間施設の老朽化が進んだため用排水ポンプや水門改修が現在行われています。
現地で、JICAや日本企業の皆さんから事業の概要や進行、ご苦労をお聞きし、引き続き昼食をとりながら懇談しました。
なんと、この地区での農業支援に最初から関わったのが、松沢議員の祖父で、初代の農場長は叔父さんだったとのこと。当時移住し、現在も住まわれている親戚の方も視察現場に来られ、改めて農業支援の歴史を振り返る場面となりました。
市内に戻り、タートルアン仏教寺院に立ち寄りました。1566高さ年にセタティラート王によって建立され、30メートルを超える金色の仏塔が印象的。仏塔の内部にはお釈迦様の遺髪が納められているといわれています。
続いて近くの凱旋門へ。フランスからの独立を果たした後の1960に年代に建てられたの、最上階まで登ると市内を一望でき、メコン川の対岸のタイも望むことができました。
夜は、大使公邸で、JICAや進出企業で仕事をされている在留邦人の皆さんとの夕食会。現地での喜びやご苦労、課題などをお聞きしました。
若干、時間ができたので夕食前にホテルのプールでひと泳ぎ。気温は31℃。真っ青な空と澄んだ空気。実に爽快でした。