そうした中、先週3/19の連絡会で防衛省は突然、「今後は重大事故を除いて具体的内容は控え、事故件数のみを報告する」と発表し、地元住民から「約束と違う」との声が上がってきました。
その経緯をただすと、防衛省は、「昨年2月の連絡会以降、米軍から、軽微な事故まですべて報告するのは適当でないとの申し出があり、これを踏まえ、他の地域における事例や、事件事故発生時の通報手続きにかかる日米合同委員会合意との関係を整理したうえで、米側と協議をしてきた。その継続中は報告に時間がかかったが、このほど協議がまとまったので3/19の連絡会でこのような形で報告した」との答弁。
米側からの申し出であったことを初めて認めました。
また、「重大な事故」の基準は何で、誰が判断するのかとの問いには「日米合同委員会合意に基づき、第一義的には米軍が判断する」と答弁し、米軍まかせであることも明らかになりました。
さらに岩屋防衛省が、事故の報告について「明確な合意があったとは承知していない」とも述べました。
これらは、同基地の設置に関する経緯を全く無視したものです。米軍基地設置への住民の不安が広がる下で、住民、自治体、米軍、防衛省などで「安全・安心連絡会」が作られ、その規約には「地域住民の安全と安心を確実に実現することが大前提に求められており、我々はあらゆる努力を行うと誓う」と書かれています。
同連絡会の場で、米軍関係者の交通事故について、自治体から軽微な事故であっても報告するよう求め、昨年二月まで報告されてきたものです。
それを、アメリカ側の申し出だからと言って、一方的に反故にすることなど許されません。
岩屋防衛大臣に対し、従来通り速やかに事故概要を報告するよう強く要求。大臣は「改善の余地があるかどうか検討したい」とのべました。
午後から、ハンセン病家族訴訟の原告団、弁護団の皆さんと日本共産党議員団との懇談会に出席しました。国の隔離政策を断罪した熊本地裁判決をうけ、衆参両院での謝罪決議やハンセン病補償法の制定が行わてきました。その中で、私も、ハンセン病療養所入所者の皆さんとはは何度も懇談してきました。
しかしながら、ハンセン病病歴者の家族の方々の受けてきた偏見差別による苦しみについて直接お聞きするのは初めてのこと。要請書を受け取った後、名前も公表できない原告の方々が受けてきた被害についての訴えをお聞きし、これまで、この実態を知る事のなかった自らを恥じる思いでした。
原告からは、家族も隔離政策の被害者であり、学校で、「修学旅行で一人だけ押し入れで寝さされた」「風が吹くと風下に席を移された」などの差別やいじめを受け、結婚や就職でも差別されたこと、それを恐れて病歴者家族であることを秘密にしてきたことなど語られました。
同時に、自分が差別を受けるのは親がハンセン病だったからだと、自らが親に偏見を持ち、ゆがめられた親子関係のままだったことを悔やむ思いも吐露されました。重い、重い訴えでした。
私はその場で、「ご家族の皆さんのこのような被害を知りませんでした。家族の被害を放置したきた点で国会にも責任があるという、ご指摘を重く受け止め、今後取り組んでいきたい」と述べました。