京都を朝出て京丹後市へ。「米軍レーダー基地問題報告会」で国会報告のためです。報告会の前に、経ヶ岬の米軍Xバンドレーダー基地を京丹後市議団や地元の皆さんと視察しました。
京都で初めての米軍基地として本格運用が開始されて四年近くになりますが、住民の安心安全を脅かす地元との約束違反が次々と生じています。第二期工事の中では、主権侵害である敷地外掘削が行われ、原則実施しないとされた休日工事が強行されています。
報告会では、この間の取り組みや府議会、京丹後市議会、基地の現地からの報告が行われました。私は、米軍が、ドクターヘリ運行のための停波要請を受けたにも関わらず停波しなかった問題を国会でとりあげ、防衛省が「米軍の運用上やむを得ない場合を除き、要請を認めるもの」と回答したことを紹介。
京都府と防衛省との合意内容が何の条件も付けず「緊急時のヘリの運行に支障が無いよう、米側は停波要請があれば速やかにレーダーを停波する」としていることと、明らかに食い違うと指摘しました。
そして、沖縄での米軍オスプレイ配備の際の日米の合意文書で、飛行経路は「できる限り学校や病院を含む人口密集地域を避ける」とされながら、人口密集地上空での飛行が繰り返されていることも紹介。
「結局、日米地位協定の下で、米軍の運用が国民の安全や命より優先されている」といると指摘し、「米軍は約束を守る気がないし、政府も守らせる気がない、基地撤去しかない」と強調しました。
終了後、地区委員長から参加した90歳の男性を「入党をお勧めしている方です」と紹介されました。男性は「もう九十だからできることはない」と言われましたが、田中角栄元首相が「戦争を知っている世代が政治の中枢にいるうちは心配ない。だが戦争を知らない世代が政治の中枢となったときにはとても危ない」と述べていたことを紹介。
自民党の元総理も危惧をしていた事態が今。戦争を知る世代として、できることで力を貸してほしいとお話しました。
その後、舞鶴市で演説会があったため、すぐに出発しましたが、「入党していただきました」とのメールをもらいました。嬉しい!
舞鶴市では田村智子副委員長を迎えての演説会。11月の市長選候補の、現職の伊田悦子、小杉悦子、石束悦子の「三人悦子」と新人の小西洋一さん、4月の府議選候補の後野市議と共に訴えました。その後、京都を経由して東京へ。
朝から富樫豊前京都市議と共に左京区内の台風による強風被害を見て回りました。松ヶ崎では木が倒れて電線に寄りかかり停電になったり、屋根が剥がれて飛んだ現場でお話しを聞きました。
下鴨神社では巨木が根こそぎ倒れたり幹が折れている光景に驚きました。吉田神社でも大木が折れています。お聞きした要望はすぐ生かさねば。我が家もテレビアンテナが倒れて写らない状況ですが、修理にはしばらくかかりそうです。
午後は愛知県大府市での「第十回大府飛行場中国人強制連行殉難者追悼式」に立民、社民代表と共に参列し挨拶。労働力補充のための中国人強制連行の閣議決定から76年。当時の商工大臣は総理の祖父の岸信介氏。総理がやるべきことは、侵略戦争への反省が込められた九条を改悪することではなく、国策として行われた強制連行への政府の責任を認め、謝罪・補償をすることです。
今朝の「赤旗」東海北陸信越版に書いた「翁長さんが問うたもの」。
韓国の雑誌『時事IN』が送られてきました。ジャーナリストの洪相鉉さんから先日受けたインタビューが掲載されています。
南北・米朝首脳会談で朝鮮半島の非核化への新しい流れが展開されているのに安倍政権は依然として軍備拡大に没頭していることについて日本共産党の見解や国会論戦についてお話ししました。
今日は午前中は党本部で幹部会。この九月が、日本の政治にとっても日本共産党の前途にとっても正念場の月との認識で、沖縄県知事勝利と党勢拡大特別月間の目標達成をいかに実現するか議論しました。各地での教訓と共に率直な反省も述べられ、突っ込んだ議論が行われました。
午後からは全国都道府県委員長会議が開かれました。国会では午後から、国会対策委員会、議員団会議を開催しました。
台風による強風被害は深刻。京都市左京区の我が家に電話するとテレビのアンテナが折れて、映らなくなったとのこと。電気店などに問い合わせても電話が殺到しているようで、修理のめどがついていません。
幸い、我が家は停電などはなく、周りの被害からみれば軽微に終わっています。被害全体を掌握し、迅速な対応が求められます。
午前中はノルウェー国会の外務防衛常任委員会訪問団と参院外交防衛委員会の懇談会に出席。同国はNATO加盟・EUは非加盟で独自の仲介外交などで存在感を発揮しています。
明日は広島で原爆資料館を訪問予定。同国は、2013年に最初の「核兵器の非人道性に関する国際会議」を開催しています。意見交換の中で、「広島訪問を歓迎します。さらに非人道性への認識を深めてほしい」と発言しました。
ノルウェー政府は、NATO加盟国の立場から核兵器禁止条約に署名しない立場を表明し増していますが、議会は今年二月に、同条約への署名の可能性の調査を求めることを決議しており、今後の動向が注目されています。
京都に帰る新幹線の車内の電光掲示板に嬉しいニュースが連続。一つは、京都の建設アスベスト訴訟の大阪高裁判決で全面勝訴。ネットでも、「国の責任9たび断罪」「一人親方も救済」「建材メーカーを厳しく断罪」など垂れ幕を掲げた写真がアップされました。おめでとう!
もう一つは、「沖縄県が辺野古基地の埋め立て承認を撤回」のニュース。車内で、思わずヨシッと声をあげました。明日、選挙応援に沖縄に向かいます。
『女性のひろば』10月号が届きました。「市民連合みえ」の呼びかけ人の1人、岡歩美さんと私の対談「安倍政権の〝やりたい放題〟を止める力」が掲載されています。是非、お読みください!
京都から名古屋市へ。赤旗日曜版の企画で名大名誉教授・愛知原水協理事長の沢田昭二先生と対談しました。先生は広島国泰寺高校の先輩で、前身の広島一中の2年生の時に被爆されました。
1977年に発刊された「広島一中 国泰寺高校百年史」には当時の1年生は建物強制疎開の作業のために校内や現場で被爆し287人が死亡したことが書かれています。2年生は郊外の工場への勤労動員でしたが、先生はその日、体調不良で休んでおられ、自宅で被爆されました。
がれきの中で動けなくなったお母さんを必死で助けようとする中、火が迫り「母さんはいいから逃げなさい。立派な人間になりなさい」と話す母を置いて泣きながら走ったことを、まるで昨日のように語られました。
その後、物理学を学ぶ学生時代から原水爆禁止の運動に取り組み、以来、研究者として平和運動の先頭にいっかんして立ってこられた先生のお話しは圧巻でした。私も原爆で亡くなった先輩たちの思いを胸に刻んで国会で活動していることをお話ししました。
「井上さんのような若い人に、これからは頑張ってほしい」とも述べられました。60歳になっても、被爆者から見れば若手。思いを新たにしました。
対談は、日曜版に掲載されます。少し先になりそうですが、ぜひ、ご覧ください。
東京を朝出て、愛知県江南市で開かれた国政報告会に参加し、市議団、すやま初美参院候補とともに訴え。
午後からは、金山駅で開かれている「原爆と人間」パネル展を須山さんとともに訪問。広島私立基町高校生が被爆者から話を聞いて書いた原爆の絵を中心に展示されています。
わが母校、広島国泰寺高校(広島一中)が被爆し、がれきの中で先輩たちが校歌「鯉城の夕べ」を歌って励まし合いながらもなくなってい行った様子も描かれています。
続いて、愛知県司法書士会館で開かれた「IRってカジノなの?市民学習会」に参加し、挨拶しました。「愛知カジノを考える会」の主催で、鳥畑与一静大・教授が講演されました。
愛知県は21日に中部国際空港周辺で進める国際観光都市計画の事業者向け説明会を開催。カジノ誘致の動きが強まっています。
私はあいさつで、「法律は強行されたが、実際作るには県が議会の議決をへて申請することが必要。これからの地域でのたたかいが重要」とのべ、カジノを許さないために力を合わせようと呼びかけました。
その後、京都に帰り、京建労の拡大出陣式に参加し挨拶。府内各支部から幹部が集まり、拡大運動の成功に向けて、各支部や主婦の会、青年部など次々と決意表明。勢いがありますね。
夜は綾部市と名張市の市議選開票でした。綾部は四人全員当選おめでとうございます! 名張市は2i人の現職がいずれも投票を伸ばしながらも16票差で三原じゅん子さんの当選にとどまりました。
酷暑の中の選挙、本当にお疲れ様でした
広島に帰省中。今日、終戦記念日の中国新聞テレビ欄。広島カープの試合を中継するRCC中国放送は毎年、縦読みの工夫をしいます。今年は、「野球ができる平和に感謝!」
「京都民報」の7/12、18合併号に、ジャーナリストの布施祐仁さんとの「平和対談」が掲載されています。自衛隊「日報」問題など国会質疑で連携してきたことや、朝鮮半島での非核化と平和の流れと日本の外交について語り合いました。
長崎市の原爆被害者追悼平和祈念式典に参列しました。国会から市田副委員長、紙、仁比、田村、本村各議員が参列し、岡山大の小松教授もご一緒です。各界からの献花があり、日本共産党から市田さんが献花。原爆が投下された11時2分に黙とうをささげました。
長崎の式典に初めて国連事務総長が参列されました。グテレス総長の挨拶、田上市長の平和宣言、被爆者代表の田中被団協代表委員の「平和への誓い」、いずれも素晴らしいものでした。田上、田中両氏は総理を目の前にして核兵器禁止条約に反対する政府に対し、条約への賛同を強く求めました。
総理の挨拶は広島と同じで、禁止条約にも朝鮮半島での非核化の流れにも全く触れない異様なもの。会場の反応は明確でした。田上、田中、グテレス各氏へは長い拍手がありました。とくに田中さんには長い拍手が続きました。これに対して総理への拍手はごく短い、儀礼的なものでした。
終了後、中心公園にいき爆心地の慰霊碑に手を合わせ、原爆資料館にも立ち寄りました。平和宣言でも、長崎の運動を牽引してきた2人の被爆者、土山、谷口両氏が昨年亡くなったことが触れられました。被爆者の高齢化の中、禁止条約の早期発効が強く求められています。
さまざなま思いを胸に、空路で伊丹を経由し京都へ。