10時からの外防委でイラク日報調査報告について質問。日報は誰の指示でどこに報告されたか、宿営地への攻撃が頻発した04年の日報がなぜほとんどないのかとただしました。
防衛省は「陸幕長指示だが、報告先は資料がなく不明」「なぜ04年日報がないか個別答えるのは困難。保存期間完了で廃棄したものもあるのでは」と答弁。
驚くべきずさんさ。信じがたい。イラクの実態を隠したかったのではないか。
委員会の途中の10:30から急遽参院野党国対委員長会談。森友・加計問題での徹底審議野在り方について意見交換。午後には京都のきょうされんから、施設職員の仲間の皆さんが来訪。請願署名を受け取り、懇談しました。
障害者の皆さんが高齢化する中、グループホームのニーズが高まってますが、施設が足りず、人手不足も深刻。職員の給与改善などの支援が必要です。
衆院厚労委員会が明日、野党合意のないままに職権でセットされ、与党は「働き方」法案強行採決の構えです。
19:30からのエキタス東京の国会正門前行動で「高プロ許すな」「過労死なくせ」「強行採決反対」と訴え、みんなでコール。怒りの声を集中しよう!
今日、国会に森友問題と、イラク日報問題の防衛省の調査報告書が提出されました。午後からの外防委理事懇で、イラク日報問題報告書について防衛省人事局長から説明を聞きました。
昨年3月に陸自内で発見されたのに1年間も大臣に報告されなかった「組織的隠ぺい」疑惑について、情報共有や事務処理が不適切だったとする内容。意図や動機には踏み込まず、「戦争の真実」を隠したかったのではとの疑惑は晴れません。
明日の外交防衛委員会の一般質疑で、この問題を質します。夕方に通告を終えました。
午前中は本会議。気候変動適応法案の質問に武田良介議員が立ちました。
京都を朝出て長野県岡谷市での演説会へ。穀田恵二衆院議員をメイン弁士に、長瀬ゆき子参院選挙区候補、毛利栄子前県議、備前光正県議と共に日本共産党の躍進を訴えました。金井忠一知事候補もご挨拶。
実は、国対委員長コンビの穀田さんとは京都以外での演説会でご一緒することはほとんどありません。 と、いうことでレアな写真。
会場のロビーでは、なんと沖縄の「平和丸」の船長の相馬由里さんが辺野古支援のグッズをロビーで販売中。辺野古連帯の企画で当地にきて、演説会にも参加してくれたのこと。翁長知事や赤嶺衆院議員など「オール沖縄」の政治家の似顔絵入りタオルとともにパチリ。
終了後、京都へ。今日から二日間、被爆二世・三世の全国交流会が京都市内で開かれており、その夕食交流会に参加しました。京都を中心に神奈川から広島、福岡まで10府県から参加があり、昼間に講演をされた日本被団協の木戸事務局長も参加してくださいました。
7:30から日弁連・弁政漣役員の皆さんと日本共産党との朝食懇談会。弁護士の社会貢献活動から、働き方改革、改憲問題なと幅広く意見交換ができました。
10時から外交防衛委員会。中東問題と、多国籍企業の課税逃れ対策について質問しました。中東では、イラン核合意からの一方的撤退、米国大使館のエルサレムへの移動、シリア空爆など、トランプ政権の施策が重大な事態を生んでいます。
米大使館のエルサレム移転では、抗議する市民へのイスラエルによる発砲で多数の犠牲者が出ています。私は、従来から二国家の平和共存を支持してきた日本として批判を表明すること、和平促進のためにパレスチナの国家承認をするよう求めました。
終了後、日報隠ぺい問題の特別監察に関して防衛省から説明。愛知の社保協の皆さんが請願署名をもって来訪してくださいました。
続いて、日本がODAで支援しているインドネシアのインドラマユ火力発電所に反対している市民団体の代表や弁護士の方が来訪。建設計画の問題点や反対運動への弾圧についてお話しを伺いました。
この問題について三月のODA特で質問した時の答弁など
も紹介しながら、今後の連携を確認しました。夕方は新宿西口で、日本共産党中央委員会としての定例3000万人署名行動で訴えました。
夜は久しぶりにプールへ。嗚呼、爽快!
京丹後市の米軍Xバンドレーダー基地の二期工事で基地の敷地外の掘削が発覚したことを受け、倉林参院議員、穀田衆院議員秘書とともに防衛省に抗議。防衛省は「米軍に安全対策を求めていく」とするのみでしたが「安全の問題にとどまらない、米軍が敷地外の使用を進めるものであり、主権の問題だ」と指摘しました。
昨日の国民民主党の発足を受け、参議院の会派構成が大きく変わりました。これまでは民進党・新緑風会が41 、立憲民主党が7でしたが、国民民主党・新緑風会24、立憲民主党・民友会23というのがあらなた構成。これまで全体では第二党となる一定の大きさを持つ野党第一党が存在してきましたが、新たな構成では25議席の与党・公明党が第二党となり、野党第一党、第二党がほぼ同規模というこれまでにない構成となりました。
参院の民主的運営を確保するためにもこれまで以上に野党の連携が重要になります。また、常任委員長や理事の配分なども変わります。午後3時からの議運で新たな配分を確認。明日10時からの本会議で常任委員長選挙を行い、午後には各調査会も行われる予定。明後日の各常任委員会の開や催についても明日、それぞれ協議が行わます。
各委員会で隠ぺい、改ざん、ねつ造問題の真相究明や外交問題、働き方改悪の問題など徹底追及していきます。
午前中は、国対会議の後、イラク日報問題、幹部自衛官暴言問題についての野党合同ヒアリングに出席しました。
今日、5月5日、60才の誕生日を迎えました。マルクスと同じ誕生日というのがちょっぴり自慢ですが、還暦を迎えるにあたり、被爆二世としての自らの原点を改めてかみしめようと連休のはじめに広島に帰ってきました。
広島平和公園では2ヵ所を訪れました。一つは、国立広島原爆死没者追悼平和祈念館で開催中の企画展「星は見ている 全滅した広島一中一年生・父母の手記集」。同校はわが母校国泰寺高校の前身。建物疎開へ動員されていた先輩達は原爆に命を奪われました。
我が子を失った遺族は追悼集をまとめ、『星は見ている』として出版されました。企画展では、それを題材に展示と映像が行われ、悲しみと無念と憤りがあふれていました。
広島に育ち、原爆の惨禍は小さい時から身近で聞いてきましたが、何か遠い話でした。それが高校1年の時、学校で映画「ひろしま」をみて、自分がいる同じ場所で先輩たちの若い命が奪われたことに身近に落ちてきたような衝撃をうけました。
私は高校時代は応援団長を務め、いつもみんなで応援歌であり、広島一中の校歌であった「鯉城の夕べ」を大声で歌っていました。映画の中では、がれきの下敷きになった先輩たちがこの「鯉城の夕べ」を歌って励まし合いながら、だんだんと声が聞こえなくなり、1人だけになってしまう場面がありました。
応援歌にこんな無念も込められている――当時、映画を見て、驚きました。企画展では、最後の一人になって生き残り、すでに他界された先輩が当時を語る映像もありました。映画の通りだったのです。
家族に「鯉城の夕べ」を歌ってくれと頼み、それを聞きながら亡くなったという先輩のこと、被爆した我が子を探し回り、変わり果てた姿に衣類に書かれた名前でやっと確認できたこと――父母たちの手記の朗読に涙がとまりませんでした。
もう一つは「平和の子の像」。2歳で被爆し、外傷はなかったのに小6の時に白血病と診断され、回復への願いを込めて折り鶴を折ながら翌年に亡くなった佐々木禎子さんをしのび、友人たちが平和願いをこめて呼びかけ、全国の募金で建立されたたもの。
毎年、一千万羽もの折り鶴が捧げられているこの像。この日も多くの人々がこの像に祈りをささげていました。 実はその建立日は1958年5月5日で、私の誕生日と全く同じです。
そのことに気づいたのは、2010年のNPT再検討会議で国連本部を訪れたときでした。「サダコの折り鶴」の語り部をされている若い女性僧侶にニューヨークでお会いした際に知りました。
運命的なものを感じました。禎子さんの無念と、この像に込められた平和への思いを受け継ぐのはお前の使命だと突きつけられた思いでした。今回、改めて像の前で自分の使命を確認しました。
若い命を一瞬の光で奪い、人間の形で死ぬことすら許さなかった原爆。長い間、原爆症で被爆者を苦しめ続ける原爆。この理不尽な核兵器をこの世からなくし、誰もが亡くなる瞬間まで人間らしく生きられる世の中にしたい――先輩たちの無念をかみしめつつ、「原爆の子の像」と一緒に還暦を迎え、決意を新たにした60歳の誕生日です。
昨日の朝、京都を出て広島県三次市へ帰省。年始に帰省して以降、歩くのが少し難しくなっていた母ですが、ふつうに歩けるようになっていて一安心でした。今日は、朝に三次を出て広島市の平和公園へ。
まずは、平和の子の像にお参り。被爆後に白血病で亡くなった佐々木貞子さんをしのび、平和願いをこめて友人たちが建立したのは1958年5月5日で、私の誕生日です。
続いて国立広島原爆死没者追悼平和祈念館で開催中の企画展「星は見ている 全滅した広島一中一年生・父母の手記集」に行きました。同校は母校国泰寺高校の前身。建物疎開へ従事中の先輩達は原爆に命を奪われました。遺族による追悼集からの展示と映像に溢れる悲しみと無念と憤りに接し誓いを新たにしました。
福井駅前のホテルを朝出て、金沢へ。石川県の党会議で挨拶しました。その後、京都に戻り、京都被爆二世・三世の会総会で、名大大学院法学研究科の高橋博子研究員の講演「アメリカ公文書から迫る原発と核兵器推進体制の闇:ABCCと核開発」を聞きました。
被爆者の情報が次なる戦争の準備に使われたこと、被曝の影響を重視した研究を抑え込む体制で国際原子力ムラが強化されたことを強調。重要な内容でした。
終了後、東京へ。
12:30から参院外交防衛委員会の理事懇談会。冒頭、豊田硬防衛事務次官が、一昨日夜の小西参院議員に対する幹部自衛官による暴言に対し、謝罪と厳正な対処の発言がありました。実力組織である自衛官による国会議員への暴言は文民統制にも反する重大なもの。厳しい対応を求めました。
終了後、ノーモア・被爆者訴訟全国原告団や日本被団協による「裁判の全面解決と認定制度の抜本的改善を求める院内集会」に参加し挨拶。今後は訴訟の場で争うことのないよう交わした08年の「確認書」を政府が守っていません。集会には与野党の議員が参加し、解決への努力を約束しました。待ったなしです。
16:30から野党書記局長・幹事長会談。衆参の国対委員長も同席しました。これだけ深刻な事態が連続しているにもかかわらず、加計問題での柳瀬元首相秘書官の証人喚問に応じないなど、野党国対委員長連盟による要求に全くのゼロ回答。
書記局長・幹事長会談としてこれを厳しく批判し、改めて与党に要求を示し、回答があるまでは新たな日程協議に応じないことを確認しました。
午前中の本会議はいわゆる「生産性革命」に関する法案の趣旨説明・質疑。日本共産党から岩渕友議員が質問に立ちました。
外交防衛委で質問。まずは、シリア空爆問題。化学兵器使用は許されません。一方、河野外相は、米英仏の空爆を「理解する」としながら、国際機関による「事実解明に期待している」とのべ、事実が未解明だと認めました。
空爆の国際法上の根拠については「評価は差し控えたい」として答弁できず。これでなぜ「理解」などできるのか。国際法と国連検証を踏みにじるものです。
続いてイラク日報問題。小野寺防衛相の「散発的発砲事案があった」との答弁に「戦闘」が8回記載され「戦闘が拡大」とも書かれているとして、非戦闘地域ではなかったと指摘。「サマーワは比較的安定と記述」との答弁に、「当時、全土で戦闘が継続。『比較的安定』と戦闘が無いことは別だ」と反論しました。
午後に、視覚障害者の皆さんが、点字図書や音声読み上げ図書などをより利用しやすくするための取り組みの現状や課題についてレクを受けました。