活動日誌

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「外交安保・核廃絶」の記事

 午後から外交防衛委員会の理事懇談会が開かれ、佐賀での陸上自衛隊ヘリの墜落について防衛省から説明を受けました。民家に墜落という重大事故で、広範囲に部品も落下しており、住民の犠牲者がでなかったのは奇跡ともいえるものでした。

 事故の状況と共に、前機種の総点検、同型機の飛行中止など説明がありました。直接の事故原因とともに整備体制の問題など、徹底した捜査と調査を強く求めました。

 IMG_3497.JPG夕方に院内集会「独裁化するカンボジアと日本外交」に参加し挨拶。カンボジアでは、今年七月に国政選挙が予定されていますが、この間、野党・救国党が最高裁によって解散され、カンボジア・デイリー紙が閉鎖に追い込まれるなどの重大な事態が起きています。

 日本政府は同国に様々な経済支援をしており、選挙支援も行っています。日本外交はこれでいいのかと問うた集会。カンボジア・デイリー紙の元副発行人のクリッシャー氏も参加されました。

 その後、日中平和友好条約締結40周年記念の中国大使館と日中友好団体の新年祝賀会に出席しました。

 IMG_3462.JPG名護市長選で稲嶺さんを勝たせられなかったことは残念でなりません。夕方の議員団会議では赤嶺議員から、徹底した争点そらしと政権を挙げた水面下での組織戦の状況など報告を受けました。

 それを裏付けた、夜のNHKの『クローズアップ現代+』。放映された自公陣営の応援マニュアルは、「辺野古のへの字も言わない」「土俵に決っして乗らない」というもの。そして政権を挙げたバラマキによる票の掘り起こしの様子も。

 選挙結果は、市民は新基地を容認政したのでなく依然、反対が多数。今や合言葉になった「勝つ方法はあきらめないこと」。がんばろう。

 午前中には横須賀から呉藤弁護士と市民団体の新倉氏が来訪。この間相次ぐ、米軍横須賀基地所属の米艦船による事故について、海上保安庁による捜し権や事故の根本原因等について、お話しを伺いました。

あかみね.jpg 昨日、今日は衆院予算委で補正予算の質疑。日本共産党からは今日、赤嶺議員がテレビ質問に、藤野議員がしめくくり総括質疑に立ちました。

 赤嶺議員は沖縄の度重なる米軍機事故問題、藤野議員は核兵器禁止条約について質問。「米軍から説明を受けた」というばかりで、自ら検証しようとすらしない政府を赤嶺議員が厳しくただしました。

 夕方に本会議が開かれ、衆院を追加。明日から、参院の予算委員会です。日本共産党からは明後日のテレビ質問には辰巳、倉林議員が、締めくくり総括には田村議員が立ちます。

 

 午前中は参院、午後は衆院で本会議での代表質問が行われ、衆院では日本共産党の志位委員長が質問に立ちました。参院は、民進党と自民党の質問。

歯科保険医.JPG 13時から参院改革協議会、選挙制度専門委員会が連続して開かれました。14時から衆院の代表質問をテレビで視聴。総理の答弁は相変わらずでした。

  途中、 愛知県と三重県の保険医協会の皆さんから「保険で良い歯科医療」の実現を求める要請書と請願署名を受け取って懇談しました。「お金の心配をせず歯科医療が受けられるよう、窓口負担を引き下げてください」「保険のきく歯科医療を増やしてください」など。しっかり、受け止めました!

 IMG_3411.JPG17時からは気温零度の新宿駅西口で「安倍9条改憲NO! 3000万人署名」を呼びかけ。宮本徹衆院議員、原のり子都議とご一緒。衆参代表質問での憲法での議論を紹介して、九条改憲の狙いをお話ししました。毎週木曜17時から日本共産党中央委員会として取り組んでいます。

 8:15から国対会議。午前中は眼科へ。10:30からの予約だったのですが、込み合っていて、呼ばれたは12時過ぎ。終わったのは13時過ぎでした。やれやれ。

 午後は衆院の代表質問をテレビで視聴。今日は立民、自民、希望の質問でした。自民の幹事長の質問のなんと低調なこと。与党は、野党の質問時間が長すぎて一方的な議論になっているとして野党の質問時間の削減を主張していますが、こんな与党質問が長くなれば国会に何の緊張感もなくなります。

広島・長崎絵.jpg

 さて、議員会館の部屋に広島と長崎の絵が並びました。長崎の被爆者、故・原野宜弘さんの大浦天主堂界隈の絵が今日、届いたのです。先日、ご遺族と京都被爆二世・三世の会による作品展が開かれた際に、「原爆ドームの絵と並べて飾りたい」とお願いして頂いたもの。毎日眺めて、核廃絶への決意を日々新たにします。

 午前中は海上自衛隊の舞鶴基地内の要撃ミサイルSM-2、SM-3の整備を行っている施設の警備員を米軍が募集し、その書類の中で自衛隊施設内に「US-Only Area」とされている問題で防衛省から説明を聞きました。「米軍雇用の警備員が警備にあたっている事実はない」との説明ですが、ではなぜこのような募集が行われたのかなど納得のいく説明はありません。

 午後には、犬猫の殺処分ゼロをめざす動物愛護議員連盟の総会。幼齢犬猫の販売制限について、「8週令規制」の実現を求め、参加議員や市民団体、専門家の皆さんから声が上がり、環境省が行った調査に対して異論が相次ぎました。

 夕方の議員団会議では、沖縄南城市長選挙勝利の意義について赤嶺議員から報告。本土のマスコミは現職への多選批判があったとの報道だが、実際は、反「オール沖縄」の急先鋒だった現職に対し、オール沖縄勢力が勝利したものだと意義を語られました。

 自民党などは、逆に名護市長選は絶対に負けられないと引き締まり、取り組みをさらに強めており、全国的な支援の強化も呼びかけられました。

DSC_0648.JPG 夜は、東京広島県人会の新春懇親パーティーに参加。広島からも多くの首長や経済界から参加されました。経済界から参加された鯉城同窓会の細川会長や東京鯉城同窓会の皆さんと交流しながら、お好み焼きや尾道ラーメン、広島のお酒に三次ワインとふるさとの味を堪能しました。

 IMG_3322.JPG京都の日本共産党南地区委員会主催の国会報告会「憲法、北朝鮮、自衛隊 ~井上参院議員画なんでも答えます」に参加。

 30分お話をした後、約1時間のQ&Aコーナー。3000万署名の活動に取り組む中で寄せられる意見を中心に「北朝鮮が攻めてきたらどうする、といわれる」「若者に無関心が多いのではないか。どう訴えるか」「戦争で儲けている軍需産業のことをもっと話すことが必要ではないかけ」などなど、途切れなく質問が続き、汗をかきながらお答えしました。

現場でいろいろと苦労をされている皆さんに、少しはお役に立てたと思いますが、相手の方の思いにかみ合って、端的にどうこたえるか、まだまだ、自分自身の研究、工夫が必要だと感じました。

 終了後、名古屋市に移動し、愛知国公の旗開きに参加し挨拶。参加者に皆さんと交流し、明日の市議選第一声に備え、三重県津市へ。

DSC00713.JPG 希望の党との統一会派結成について議論する民進党の両院議員総会が開かれましたが、異論が続出して結論は見送り。これを受け、希望の党は民進党との統一会派協議は打ち切ることを明らかにしました。

 安保法制を容認する希望の党との統一会派は筋が通らない、市民への裏切りだという大きな声が広がる中、踏みとどまった!

 民進党は、この間の野党の党首会談での合意を踏まえ市民と野党の共同をしっかりと進んでほしいと思います。

 午前中は、防衛省の来年度予算についてのレク。予算額は過去最高を更新し、内容でも攻撃的兵器を多く盛り込んだもの。厳しく論戦していきます。

 IMG_3295.JPG国会内で開かれた、ノーベル平和賞を受賞したICANのベアトリス・フィン事務局長を迎えての討論集会「核兵器禁止条約と日本の役割」に出席。外務副大臣と政府と与野党10党が出席し共産党からは志位委員長、吉良議員が発言し、笠井、本村、武田議員と私が出席しました。

 フィンさんが「核抑止力は神話であり北朝鮮の核開発は進んでいる」とのべ、核を違法化する条約への日本の参加を強く求めました。国会としての、調査や議論も呼びかけられました。

ICAN.jpg終了後に日本共産党からの出席者で挨拶し、握手。会場には被爆者の皆さんも参加。高校の先輩で長崎原爆病院の名誉院長の朝長万左男さんにもお会いできました。

 前後して国対会議と、議員団会議に出席。来週月曜日の国会召集に向けて議論。民進党と希望の党の統一会派で基本的合意したことは、まったく筋の通らない話。党内では相当の議論がありそうです。国民の信頼を裏切らない結論を期待したい。

 IMG_3268.JPG京都市内で昨日の夕方からちらついていた雪。夜中に降り、今朝の吉田神社はうっすら雪化粧。センター試験の受験生が大丈夫だったか心配に思いながら、試験会場の京大の前を通り、京都駅へ。 

名古屋市千種区日本共産党後援会の餅つき大会に参加するために向かいました。関ケ原の積雪で新幹線は減速運転で四分遅れましたが、名古屋は雲一つない快晴でした。

 会場に着くと、まずは、開幕太鼓。その後、後援会長の挨拶に続き、私と酒井ケンタロー市議候補が挨拶し、二人とも早速杵を持って餅つき。

 IMG_3262.JPGつきたてをきな粉で頂きましたが、自分でついたのは、とりわけ美味です。「お餅のように粘り強くがんばる」と決意を新たにしました。名東区の斉藤愛子市議もご一緒でした。

 京都に帰り、東本願寺のしんらん交流館でひられている、京都被爆二世・三世の会などが共催している「原爆の戦禍、生きてきた証、そして平和への願いを絵に託す原野宜弘作品展」へ。

 生後10か月で長崎で被爆された原野さんは、病気のリハビリかねて50歳のころから絵をはじめ、長崎の風景や原爆の告発、平和を求める心、母親への愛情などをこめた作品を残してこられました。

 IMG_3269.JPG一昨年亡くなられ、このほど、ご遺族と被爆二世の会などの共催で作品展が開かれたもの。原爆や平和を描いたものはとても大きい絵で、原野さんの思いが伝わってきます。会場でご子息と記念写真。

 

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