2日は日本共産党京都府委員会の地方議員研究集会で挨拶。京都では地方議員の五人に一人が日本共産党。ずらり揃うと壮観です。会場のロビーで、京都民報でPKOの日報問題での国会追及について取材。その後、静岡県三島市に移動しました。
3日の朝、三島駅前で島津衆院議員、中野比例候補と合流し、御殿場市で東富士演習場での「2017年日米共同訓練反対県民集会」に参加。自由党の日吉雄太氏も来られました。
挨拶では、戦争法のもとで米国の戦争への支援、参加の体制が急速に強まる中での15年ぶりの日米共同訓練であり、これまで以上に危険と強調。さらに北朝鮮の核・ミサイル開発問題の対話による政治的解決に逆行する軍事的悪循環に陥るものであるとしては中止を求めるとともに、危険なオスプレイ来るなと訴えました。
その後、17日投票で町議選がたたかわれる長泉町の演説会へ。開会直前に北朝鮮の核実験のニュースが飛び込んできて、演説の冒頭で厳しく糾弾。
同町では、4年前に初当選された杉沢町議が半年で急逝され、日本共産党議員のいない議会に。以来、討論も行われなくなりました。予定候補の福田昭さんは、30年間、障害児学校に勤務して来られた方。町民の声届き、生かされる議会めざして立候補を決意。なんとしても勝利をと訴えました!
午後から参院改革協議会の選挙制度専門委員会が開かれました。合区を含む一定の一票の格差の是正をおこなった2014年参院選挙に対する評価について、専修大法科大学院教授の棟居快行、一橋大大学院教授の只野雅人両参考人からご意見をいただき、質疑応答をしました。
参院を「地方の代表」として、都道府県選挙区間の一票の格差を温存する考えについての質疑が多く行われました。最高裁は9/27に14年選挙に対する違憲訴訟の判決行うことを明らかにしたところ。さらに議論を進めていきます。
終了後、新幹線で京都へ帰る途中です。今夜はサッカーW杯出場を決めるオーストラリア戦。これまで、ドーハの悲劇、ジョホールバルの歓喜などW予選の重要な試合は真夜中でも見てきました。今日はホームゲーム。負けられない闘いがある!
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昨日、命がけで核兵器廃絶の先頭に立ってこられた、被爆者の谷口稜曄(すみてる)さんが核兵器禁止条約の採択を見届けるように、亡くなられました。
2010年の国連のNPT再検討会議での演説は参加者の心を大きく揺さぶりました。当時、国連本部前でお合いし、ご挨拶をしたことを思い出します。
多くのメディアが死去について報じました。今朝の中日新聞のコラムが心を打ちます。遺志を継いでがんばります。合掌
【中日春秋】
谷口稜曄(すみてる)さんと栄子さんが結婚したのは、一九五六年の春。新婚旅行の夜、新郎は「風呂で背中を流して」と頼んだ
▼風呂場で、新婦は泣きだしてしまったという。目の前にあったのは、長崎に落とされた原爆で焼かれ、赤くただれて健康な皮膚を失い、筋肉の上に薄い膜が張っているだけの異様な背中だったのだ
▼栄子さんは「だまされた」と思い、怒りもおぼえた。だが、涙を流すうち「原爆とはなんてひどいものか」との思いがわいてきたという
▼稜曄さんの背中の皮は、ちょっと太ると裂けてしまうほど、もろかった。だから食事に気を配り、毎日、その背中に保湿クリームを塗るのが、栄子さんの日課となった。そして、核廃絶運動に奔走する稜曄さんの背中を、こう言って押したそうだ。「裸になってみんなに見せてこい」(舘林愛著『生きているかぎり語りつづける』)
▼稜曄さんは国連本部で、背中が赤くただれた自らの写真を掲げて、核廃絶を訴えた。「私はモルモットではありません。もちろん見せ物でもありません。でも、私の姿を見てしまったあなたたちは、どうか目をそらさないで、もう一度見てほしい」
▼稜曄さんはきのう、八十八歳で逝った。今は昨春八十六歳で逝った栄子さんに背中をさすってもらっているかもしれぬ。しかし、その背中のうずきが消え去るのは、核が廃絶されるその日だろう。
午前中に外交防衛委員会の理事懇が開かれ、昨日、持ち回りで決めた今日午後の閉会中審査について確認しました。午後、衆院安保委に続いてひらかれた外防委。
私は、北朝鮮の弾道ミサイル発射を厳しく批判した上で、困難はあっても、経済制裁と一体に対話による解決の道を粘り強く追求するべきだと強調。政府は「対話のための対話は意味がない。今は圧力」との姿勢に終始。意味ある対話を引き出すための対話、緊張緩和のための対話に踏み出せと迫りました。
私の質問の時、河野外相は豪外相などとの電話会談が急遽入り、答弁は外務副大臣対応。その後、委員会に戻ってきましたが、諸外国との会談内容について「北朝鮮に対話の意思がないことを共通認識とした」などと報告。
対話による解決を模索する国際社会に対し、「対話するな」と説得しているようなもの。あまりにも特異な態度です。
委員会が始まる前に、参院公明党の新役員の皆さんが控室にあいさつに来られ、山下よしき団長と共に懇談。
早朝、北朝鮮が弾道ミサイルを発射。日本共産党は志位委員長が「北朝鮮の弾道ミサイル発射に厳しく抗議するー対話による解決に逆行する行為を中止せよ」とする談話を発表しました。
午後に与野党国対委員長会談や参院の自民・民進の国対会談が行われ、明日、衆院安保委、参院外防委で閉中審査を行い、委員会決議をあげることを確認しました。
午後には参院自民党の新役員の皆さんが挨拶に来られました。15時から国対会議。中座して16時発の新幹線で京都へ。3日告示の城陽市長選挙・岡本やすよ候補必勝の決起集会で「共同広げ新しい政治を」と訴えましたた。会場一杯の参加で熱気にあふれ、大西・元市長も応援弁士に立ってくださいました。
明日の委員会のために東京にとんぼ返り。新幹線内で質問原稿を書きました。
28日は京都を朝出て東京へ。午後に、9/8から東富士演習場で行われる日米共同訓練について防衛省からレク。
8/10の閉中審査以来の久しぶりの国会。午後から議員会館前で開かれた「朝鮮半島に平和を!核もミサイルもいらない! 市民・宗教者緊急集会」で挨拶。その後、国対会議、議員団会議と続きました。
会館前の集会では、福島みずほさんと並んで挨拶し、米朝の軍事的恫喝の応酬は軍事衝突につながりかねないと指摘。危機打開へ、北朝鮮は軍事的挑発行動をやめよ、米朝は無条件で直接対話を、日本政府は米朝対話の実現と平和的解決に力を尽くせと訴えました。
京都を朝出て長野県松本市へ。日本共産党長野県後援会の総会に出席しました。藤野やすふみ衆院議員、武田良介参院議員と私の長野から送ってもらっている3人の国会議員とにしざわ博比例候補、必勝区の毛利栄子四区候補・県議をはじめ5人の小選挙区候補が勢ぞろいして衆院選挙勝利への決意を述べました。
私は核兵器禁止条約についての特別報告。採択の瞬間の感動や条約の内容と意義と共に、長野が果たしてきた役割をさらに発揮し、条約にサインする政府を作り、核兵器廃絶を進めようと呼びかけました。
国連会議の冒頭で被爆者を代表して演説した藤森さんは長野県茅野市在住。長野県では三月にヒバクシャ国際署名の推進委員会が結成され、すでに県内の自治体の首長77人全員が署名されています。
8/6の「信濃毎日」は核兵器廃絶に向けた課題について社説を掲げ、長野県の被爆者の会が広島、長崎と同時期の1956年にに全国で先駆けて結成されたことや、以来その中心で奮闘された松本氏の信大正門前で食堂『ピカドン』を営んでおられた故・前座良明会長を紹介しています。
そして今後、核兵器廃絶の運動を若い世代にも広げていくうえでの指針として、前座さんの口癖だった「今日の聞き手が明日の語り手」という言葉を紹介しています。私も前座さんんが亡くなる前にいただいた冊子のタイトルでこの言葉を知り、以来、演説会でも紹介してきました。今日の報告でも改めてこの言葉を示して締めくくりました。
「今日の聞き手は明日の語り手 その輪が広がっていくことが戦争をなくす最大の力」――この言葉、大好きです。そして、私自身の指針です。
京都を朝出て、三重県内2ヵ所でお話ししました。まずは、10/22投票で市議選がたたかわれる伊勢市へ。黒木きよはる、楠木ひろひこ両現職の勝利をめざす後援会の決起集会で訴えました。
近鉄の宇治山田駅で降りると、正面に「伊勢で生まれた大投手 沢村栄治生誕百周年」の垂れ幕がありました。
沢村について訴えておられた市田副委員長の話を思い出し、「巨人軍で三度ノーヒットノーランを達成しながら、三度目の応召で戦死した沢村をはじめ、多くの無念が込められた憲法九条。改悪許さない声は日本共産党へ」と演説しました。
4年前の選挙は告示日に応援に来て土砂降りでした。元国会議員秘書の楠木さんの当選で現職の黒木さんと8年ぶりの複数議席を回復。黒木さんは、「2人になれば、こんなに市民の願いを実現できると驚いている」とお話しされましたが、市民とともに実績を重ねてきた4年間。なんとしても引き続く二人の勝利を!
谷中みよし衆院4区予定候補の決意表明もありました。
終了後、四日市に移動し、核兵器禁止条約を採択した国連会議の報告集会。衆院2区の内藤こういち、3区の野村まさひろ候補の挨拶に続き、約1時間、お話ししました。皆さん、とても集中して聞いて下さり、条約採択をとても喜混んでおられることが実感できました。
この条約にサインする政府をつくろう! 終了後、京都へ。
終戦記念日を前後して、さまざまな特集番組が放映されています。昨夜のNHKスペシャル「731部隊の真実~エリート医学者と人体実験」は見ごたえがありました。
京大医学部の医師も関与し、細菌兵器開発のために中国で行った人体実験の具体的証言が、ロシアに残っていた裁判の音声記録で明らかになったもの。大スクープです。そしてあまりにもおぞましい証言内容。
人体実験を行った医師は、自殺をした人もいれば、戦後、医学界の幹部になった人も。医学者、科学者の在り方を鋭く問うものです。最後には防衛省が大学等に軍事研究のために資金を提供する制度に関する学術会議の議論も紹介されました。
今、戦争と科学者の問題は鋭く問われています。医学者、大学の戦争協力を再び許してはならない
京都市山科区の西本願寺山科別院で開かれた「核兵器禁止条約締結したニューヨーク国連会議報告会」で報告しました。
山科戦争展実行委員会と山科平和を守る会と日本共産党京都東地区委員会の共催。用意した資料が足りなくなる60人を超える皆さんが参加しました。
ちさか拓晃衆議院京都2区候補の挨拶に続き、私から、広島に育った被爆二世としての思いも紹介しながら、約50分間の報告。
できるだけ国連会議の様子をリアルにお話しするよう努めましたが、「その場にいるようだった」という感想もいただきました。ありがとうございます。
若干の質疑応答の後で原水禁世界大会長崎大会に山科から参加された二人の青年からの報告もありました。
那覇市内のホテルで琉球新報一面をみて驚きました。なんと政府はオスプレイ自粛要請を撤回。安全だとするアメリカの説明を「理解できる」とのこと。連続して墜落したのになぜ安全なのか!国民は理解できない。怒、怒、怒、怒??。の佐古忠彦監督の舞台挨拶に会場みんなで「ありがとう」を送りました。今後、全国上映があります、ぜひ、ご覧ください!
14時から、「翁長知事を支え、辺野古に新基地を造らせない8.12県民大会」が、肌を焼く日差しの中で始まりました。暑さに負けず沢山の皆さんが怒りをこめて集まっています。国会議員団から赤嶺、笠井、田村、真島、仁比各議員と私が参加。九州ブロックの松岡さんもご一緒です。
集会は、4万5千人の参加で大成功! 稲嶺進名護市長、翁長雄志沖縄県知事が辺野古新基地建設反対、オスプレイ配備撤回・飛行禁止を訴えて力強い挨拶。最後に「NO 辺野古新基地」「我々はあきらめない」のメッセージボードを掲げてアピールしました。暑い!そして熱い!。
集会を終え、水分補給と休憩の後、那覇空港から関空に降り自宅へ。自宅着は22:30でした。充実した2日間の沖縄入りでした。