明日の県民大集会の参加のため、羽田6:40の便で仁比議員とともに沖縄入り。中村重一北谷町議の案内で基地視察を行いました。
まずは、嘉手納基地。米兵の基地外居住の状況を見た後、基地を見渡す道の駅へ。来るたびに基地が増強されていると実感します。丁度、F15が4機連ねて発進。すさまじい騒音。沖縄の負担軽減だとして本土に移転した以上に外来機の使用が増えている実態など聞きました。
続いて、辺野古新基地建設現場へ。安保破棄実行委の皆さんと一緒に平和丸に乗って海上から抗議と視察。美しい海を遮るオレンジのブイ、海に投げ込まれたケーソンに怒、怒、怒。
県民を諦めさせようと、工事が順調にすすんでいるかのような大宣伝が行われましたが、様々な問題があり彼らの思うように進んでいないのが実態。その点も詳しくお聞きしました。
続いて辺野古のテント村を訪問し、交流。京都市伏見区の皆さんとあいました。糸数参院議員を招いての集会で寄せられた30万円のカンパを届け、県民集会に参加されるとのこと。
伏見区では同じ時間に連帯街宣も行われます。全国で熱い連帯と闘いが広がっています。「勝つ方法はあきらめないこと」
テント村には、原水禁大会に参加された外国代表の皆さんも来訪。
米国の平和団体「平和、軍縮、共通の安全保障キャンペーン」代表のジョセフガーソンさん、国際平和ビューロー共同代表のリサ・クラークさんと懇談。トランプ氏と金氏の応酬による緊張の高まりに危機感を述べられました。
夜は自由法曹団の皆さん懇談。基地をめぐる訴訟やオール沖縄のたたかいの現状と課題、など、たっぷりと意見交換ができました。
衆院安保委、参院外防委の閉中審査が開かれました。午前中は衆院の質疑を聞きながら、午後の質問原稿の仕上げ。
参院外防委は13:30から始まり、まずオスプレイ墜落事故について、菅官房長官が会見で「自粛要請」に「運用上必要な場合を除いて」と条件を付けたことを批判。すると小野寺防衛相は、自分は条件を付けていないと。
では、米軍が「運用上必要」とオスプレイを飛行させたことに抗議せよと求めてもまともに答えず。結局、「運用上必要」と言われれば、容認する姿勢。どこの国の大臣かといいたい。
続いてPKO日報隠ぺい問題。特別監察によれば隠蔽が最初に行われたのが昨年七月。駆けつけ警護の真任務付与が検討されていた最中です。新任務付与を行うために、日報に書かれた南スーダンでの「戦闘」の事態を隠したかったのではないかと質したが、監察本部は「確認されなかった」というばかり。
観察結果は、なぜ、日報を隠蔽したのかという問題にまともに不眠子でいません。特に、南スーダン情勢とPKOをめぐる国会論戦への影響と日報隠蔽との関係にはまったく触れていません。身内調こ査の限界。国会に真相解明の責務があります。そのためにはやはり、稲田前大臣はじめ関係者の出席が不可欠だ!問題
長崎への原爆投下72年目。私も平和祈念式典に参列する予定でしたが、外防委員会の理事懇や閉会中審査が行われるため、テレビの前で核廃絶を祈りました。市民参加で作られた平和宣言を田口市長が読み上げました。
政府に対し、「核兵器のない世界を目指してリーダーシップをとると明言しているにも関わらず、交渉会議にさえ参加しない姿勢を到底理解できない」と強い表現で非難。「条約への一日も早い参加を目指し、核の傘に依存する政策の見直しを進めてください」と明確に批准を求めました。思わず拍手。安倍総理はまたも、一言も触れずじまい。この政権を変えるしかありません。
朝から、明日の外防委の質問準備。15時から理事懇が開かれ、質問時間や稲田前大臣ら日報隠蔽問題の関係者の出席についてき協議しましたが、与党はあくまで稲田前大臣らの参考人出席を拒否。しかし、真相解明には当時の関係者の出席は不可欠。野党は納得せず、引き続き協議することに。
夕方に質問通告。
日本の排他的経済水域内である能登半島沖の漁場「大和堆」、北朝鮮等の船舶が違法なイカ漁を行っている問題で水産庁、海上保安庁に対応を申し入れました。
写真は水産庁長官に要請書を渡す、藤野、堀内両衆院議員、武田参院議員、佐藤正幸石川県議、鈴木宏太石川3区予定候補と私。
日本の漁船が安心して漁業が行われるように、取り締まりの強化など万全の対策を求めました。
午後にはオーストラリアでの在沖米軍のオスプレイ墜落問題で防衛省から説明を聞きました。小野寺大臣は国内でのオスプレイ飛行の自粛を求めましたが、米側は「運用上の必要性」だとして要請を無視して飛行を行いました。にもかかわらず、抗議もしない政府。どこの国の政府でしょうか。
その後は、国対、議員団会議。
京都を朝出て東京へ。京都駅で、原水禁長崎大会に向かう、京都や滋賀の皆さんとお会いしました。私も広島に続いて長崎に行く予定でしたが、PKO日報隠蔽問題での閉中審査が行われることになりキャンセルに。残念です。
京都は早朝から台風の影響で強い風雨。東京に向かうにつれ青空が広がりました。各地での被害が心配です。
議員会館で、10日に行われる閉中審査に向けた準備など。3日の内閣改造を受け、今日は副大臣、政務官が決まりました。朝から、新任大臣をはじめ新任挨拶で次々と部屋に来られました。
原爆投下72年目の今日。朝6時に志位委員長をはじめ日本共産党中央委員会として平和公園の原爆慰霊碑に献花しました。昨日の高橋、大平議員に加え、笠井、藤野、本村議員もご一緒です。朝早くから、お参りの人々でいっぱいでした。
8:00から平和記念式典に出席。開会前に、挨拶のために参加されていた中満泉国連軍縮担当上級代表に「先日の国連会議ではありがとうございましま」と握手。和服で参加されており、核兵器禁止条約に触れながらの素晴らしい挨拶でした。
式典で広島市長、市議会議長、県知事、国連事務総長代理がそれぞれ核兵器禁止条約に触れ「核兵器は『絶対悪』」などと述べたのに安倍総理はまったく触れず。党派を越えて条約を歓迎する広島の声と相容れない姿が浮き彫りになりました。
10時からは県被団協(坪井理事長)主催の原爆死没者慰霊祭に参列、午後からは原水禁大会広島集会に参加しました。挨拶にたった志位委員長の核兵器禁止条約にサインする政府を作ろう!との訴えにひときわ大きな拍手がありました。
14:30からは県被団協(佐久間理事長)の皆さんと懇談。安倍総理との懇談で、被爆者相談所の吉岡署長さんが「核兵器禁止条約に反対したことを満腔の怒りをもって抗議する」と発言したことの紹介もあり、禁止条約にサインする政府を作るためにも国際署名を広げようと盛り上がりました。
充実した2日の行動を終え、京都へ。
明日の平和祈念式典に参列するために京都を朝出てに広島へ。まずは、お好み焼きで腹ごしらえをした後、母校、広島国泰寺高校に行きました。
正門のそばの広島一中原爆死没者慰霊碑にお参りし、先輩たちに核兵器禁止条約採択の報告をしました。
午後からは高橋、大平両衆院議員、辻県議、近松広島市議と共に原爆病院、原爆養護ホーム神田山やすらぎ園を慰問。
原爆病院では有馬副院長から原爆投下時の必死の医療活動を原点としてきた歴史や現況などお聞きし、養護ホームでは入所者の皆さんにご挨拶。お見舞い金や花束をお渡ししました。
続いて広島被団協・被爆者相談所を訪問し、佐久間理事長さんや吉岡所長さんらと懇談。核兵器禁止条約採択の時の様子をお話しし、今後の課題や明日、被爆者7団体として安倍総理と懇談する意気込みなどお聞きしました。
17;20から本通り交差点での志位委員長の核兵器禁止条約報告の街頭演説会へ。暑いなか千人を越える人が足をとめ聞いて下さいました。
街宣後、平和公園にある「原爆の子の像」へ。2才で被爆し12才で白血病でなくなった佐々木貞子さんの同級生が全国に呼びかけ、平和を築こうと建立したものです。
完成した1958年5月5日は私の誕生日です! この碑の前にくると、平和のバトンをついでがんばってとさだ子さんの声が聞こえるような気がします。今日も沢山の千羽鶴が捧げられている碑を前に、二度と悲劇を起こさせない誓いを新たに。
12時から参院外交防衛委員会の理事懇談会。10日の午後に、衆院に続いて日報隠ぺい問題について閉会中審査を行う方向を確認しました。与党は、安倍総理や稲田前大臣、陸幕長等の出席、陸自の調査報告書の提出要求について検討するというのみで引き続き協議することに。
稲田氏出席拒否なら、改造内閣は「疑惑隠し内閣」そのものと言わなければなりません。夕方の新幹線で京都へ。
昨日は、「第37回平和のための京都の戦争展」と「第32回反核・平和のための小品展」に行きました。京都の夏に欠かせない取り組み。今年は、核兵器禁止条約の採択を喜び、核廃絶をめざす展示や作品が目立ちました。
写真はキューバに移民した日系人に光を当てた本を出版し、戦争展でパネル展示されたジャーナリストの中野健太さんと。
午前中は、日本共産党福井県委員会の政府要請に藤野、武田両議員と共に同席。福井から金元、猿橋両衆院候補と地方議員の皆さんが参加。朝から8ラウンドの行動で、私は農水省と国交省に同席。鳥獣被害対策や北陸新幹線延伸と並行在来線問題などで政府に迫りました。現場の実態を示しての発言には説得力がある!
午後から、PKO日報隠ぺい問題で防衛省からレク。一つの焦点となっている陸自に日報のデータが残っていたことが2月の時点で大臣に報告されていたのかどうかということは、あいまいな説明に終始。やはり、稲田前防衛相をはじめ関係者の出席の上で委員会で質疑するしかない。このまま幕引きは許されない。
夕方の新幹線で京都へ。内閣改造で「内定」のニュースが次々。萩生田官房副長官の自民党幹事長代行内定とのニュースには驚きました。政権浮揚のために「お友達」色を払拭するという話がありましったが、自分の側近を加計学園獣医学部新設の功労者として、国会に出席しなくてよいポストにつけるもの。
期待などしていませんでしたが、やはり首相に反省なし。
京都を朝出て国会へ。参院本会議場で11時から開かれた「参議院70周年記念子ども国会」を傍聴しました。全国から小5、6生の子ども国会議員150人が参加。昨日は6つのこども会で議論し、今日の本会議では各委員会の報告と「子ども国会宣言」の採決が行われました。
6つの委員会は、「家族やふるさとを大切にするために」、「ことばや暮らしが違う人と仲よくしていくために」、「みんなが安心して生活できる社会にするために」、「オリンピック・パラリンピックを成功させるために」、「いのちや環境の大切さを知ってもらうために」及び「便利な社会にするための発明、発見を行うために」。
本会議では、各子ども委員長からそれぞれの委員会の経過報告を聴取した後、子ども委員会での議論を基にまとめあげた「子ども国会宣言」が採択されました。全会一致になる予定でしたが、押しボタン投票の結果は、賛成145、反対5。議場が少しどよめきました。
それにしても、国会議員だって緊張する本会議の檀上で堂々と発言する姿は頼もしい!終了後、みんなで記念撮影しました。
衆院で自民・民進間の国対委員長会談や安保委員会の理事懇が開かれ、PKO日報問題の閉会中審査について協議。野党は内閣改造前に稲田前防衛相ら関係者の出席のもとでの開催を求めましたが、与党は改造後で、しかも稲田前大臣の出席を拒否。「辞任」で最大の責任を取ったといいますが、真相解明なしに幕引きなど許されません。