歴史的な核兵器禁止条約の採択から一夜明け、8日午前中に出発し14:00に成田に着きました。国連での活動は3日間でしたが、とても濃密で有意義な時間でした。
この場に被爆国日本の政府がいないことが残念であり悔しくてなりません。この条約を締結する政府へと変えたいと決意を新たにしています。
採択にあたり、志位委員長が「歴史的条約を力に、核兵器全面廃絶の実現を―核兵器禁止条約の採択を心から歓迎する」と題する声明を発表しました。http://www.jcp.or.jp/akahata/aik17/2017-07-09/2017070901_02_1.html
この中で、核兵器禁止から廃絶へと進む力として(1)史上初めて核兵器を違法化する核兵器禁止条約のもつ力(2)この流れを推進している多数の国々の政府と市民社会の力(3)核保有国とその同盟国での政治の変革―という3点を指摘しています。そのために力を尽くします。
この間、ツイッターやFBにたくさんの皆さんからコメントをいただき、ありがとうございます。多くの皆さんにこの感動と歴史的意義、今後の展望について報告したいと思います。ぜひ、各地で企画してください!
やった!国連核兵器禁止条約が10: 50に賛成122、反対1、棄権1の圧倒的多数で採択されました。会場は拍手と歓声に包まれています。抱き合う姿も。被爆者と市民の声が歴史を動かした瞬間に立ち合えたことは感無量です。
エレン・ホワイト議長はガッツポーズをし、「人類にとって歴史的」と涙を浮かべておられました。
採択後に各国からの「歴史的」「画期的」など発言に続き、中満・国連軍縮担当上級代表の演説。
中満さんが日本被団協の折り鶴バッチをつけている姿に、被爆者が果たした役割の大きさと会議全体が被爆者に敬意を捧げていることを実感しました。
午前の議事がおわったところで、志位委員長が、議長席に駆け寄ってホワイト議長と握手し、敬意と祝意を捧げました。
ベトナムのグェン・フォン・ガー国連大使と懇談。志位委員長が採択に対して発表した声明を手渡し、ベトナムからは「核兵器の使用の威嚇」を条文に盛り込むために努力したことなど語られました。
15時から会議が再開され、 発言の最後はカナダ在住の被爆者サーロー節子さんの発言。圧巻でした。会議場全体が立ち上がり、拍手が長い間続きました。
最後にホワイト議長が閉会を宣言すると再び全員が立ち上がり拍手。あちこちで抱き合う姿が。歴史が動く音が聞こえるようです。
終了後、サーローさんと日本被団協の藤森さんがインタビューにこたえ、「亡くなった多くの被爆者に報告したい」「一年前に被爆者国際署名を始めたときに、こんなに早く実現するとは思っていなかった」など語られました。
また、会議に参加さず、「条約に署名しない」と明言した日本政府を厳しく批判されました。
今回の会議には、イッセイミヤケのネクタイで参加しました。三宅一生さんは広島国泰寺高校の先輩。2007年、7歳の時に被爆したことを明らかにしニューヨークタイムスで、核なき世界を呼びかけた方。原爆で亡くなった先輩達を思い、被爆二世として採択を見届けました。
国連核兵器禁止条約交渉会議二日目。10時からの開会前に、国連本部前の非暴力を象徴するオブジェの曲がった銃の前で、笠井、大平議員とパチリ。
朝、最終案が提案され、10:25から始まった会議でエレン・ホワイト議長が、明日10時からの会議で採択する議事日程を宣言。 この後、オーストラリアの緑の党の国会議員(写真)など市民社会の代表三人が発言し、今日は散会。
一部の報道で、核兵器禁止条約に「使用の威嚇」が盛り込まれたことで、核兵器国等の参加を困難になったとの論評もあるようです。しかし、ドゥアルテ氏も昨日、懇談で述べられたように、武器による威嚇は国連憲章で控えるとしているものであり、核兵器の使用の威嚇を認めることは国連憲章に反するものです。
しかも、条約には核兵器国の今後の参加に二つの道が盛り込まれており、門戸を開いたものとなっています。禁止条約制定という歴史的事態に対し、核兵器国の真剣な検討が求められています。
終了後、アイルランドの軍縮・不拡散局のバーンスタイン副局長と懇談。同国が核兵器廃絶に熱心に取り組んでいる理由について、イギリスから独立した同国がその精神を外交に生かしていること、広島・長崎の惨状を見て紛争の平和的解決の必要性を感じていると語られました。
午後は米国の平和団体「ピースアクション」や「ピース&ジャスティス」の若者、ピースボートの川崎哲さん、国連軍縮担当特別代表の中満泉さんらと懇談。
中満さんは核兵器禁止条約の採択について、市民社会の取り組みに謝意を表し、核兵器国との対話の促進に期待を寄せられました。
さあ、明日は歴史的な採択の日です。写真はレキシントン通に面したホテルの近くの市街地の様子。
国連の核兵器禁止条約交渉会議に参加のために志位委員長、緒方副委員長、笠井政策委員長、大平衆院議員らと共に羽田10:45発の便でニューヨークへ。
志位さんは、空港での出発前の会見で「条約案は国際社会の英知を集めた最良のもの。採択へ最後まで力を尽くしたい」と語りました。
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約12時間のフライトでニューヨーク・ケネディ空港に到着。時差は13時間のため、出発と同じ日時に到着し、妙な気分です。ホテルに荷物を置いてすぐに出て、会議参加のIDカードの発行手続き。
これに時間がかかって昼食をとる間もなく、交渉会議が行われる第一会議室へ。会議の正式構成員である「市民社会」の席に座りました。
会議の前後に、ドゥアルテ元国連軍縮担当上級代表、キューバのベルソン軍縮大使(写真)との懇談。お2人とも2010年のNPT再検討会議の際にも懇談。今条約の歴史的意義や核廃絶へのプロセスなどつっこんだ懇談に。ベルソン氏の「この条約は70年間の国際社会の取り組みの結実」との言葉が印象的 でした。
交渉会議の午後の議事は15時から18時過ぎまで行われました。最終案には核兵器の「使用の威嚇」の禁止を盛り込み核抑止論を認めないことを明確にするなど、熱心な議論を通じて練り上げられています。
食事できたのはやっと21:30。空腹を忘れるぐらい充実した会議参加、懇談ができた初日でした。発行してもらったIDカードの写真です。
都議選躍進から一夜。朝のニュースは自民党の歴史的惨敗で持ち切り。私は選挙の最終日、2012年総選挙で安倍自民党総裁が繰り返したスローガンは「日本を取り戻す」だったことを紹介し、政権奪還して「日本は自分のものになった」と勘違いして国政私物化が始まったと演説しました。
すると今日の午前中、安倍総理は都議選結果について「大変厳しい審判。政権奪還のときの初心にたち戻る」と述べたとのこと。「日本を取り戻す」という初心が間違っていたのでは? この総理はまだ、何が厳しい批判をあびているのかわかっていないようです。
昼過ぎの新幹線で東京へ。今朝の今日との「赤旗」は日本共産党の議席は九の時点のものでしが、東京では特別の態勢を取り、19議選となっていました。
党本部で、5日からの核兵器禁止条約交渉会議に参加する党代表団の打ち合わせ会。志位委員長、緒方副委員長、笠井政策委員長、大平衆院議員、田川・小林両国際委員会委員、そして私。平和運動責任者の川田さんは一足先に訪米しています。歴史的瞬間に立ち会えることは誇り。これを核廃絶にどうつなげていくか、各国の皆さんとしっかり交流してきます。
ウェブスター大学講師のリオネル・ファットン博士から「日本の軍隊と米国のアジア政策:新たな態勢への移行か?」との本の執筆に当たり、インタビューを受けました。関係省庁や学者・専門家、自民、民進、公明の議員から話を聞き、このテーマでは日本共産党の立場も取り上げることが不可欠と考えたとして依頼がありました。
北朝鮮、中国、東シナ海、南シナ海の各問題、日米ガイドラインなど様々な点で質問を受けお話をしました。
午後には議員団会議。都議選情勢の報告を受け、この間の取り組みを交流。告示以降を日を追って反応が大きくなり期待が広がっていること、同時に攻撃・妨害も熾烈になっていてことなどそれぞれから発言があり、残された期間のもう奮闘で必ず勝利しようと誓い合いました。
がんばるぞ!
朝起きたらうれしいニュース。昨日投開票の愛知県西尾市議選は、牧野、前田両候補の勝利で1から2議席へ倍加しました! 前回、3人立候補で1議席にとどまりましたが、今回は候補者2人で、合計得票数で前回を上回りました。
愛知県ではさらに、南知多町の内田たもつ候補が当選しバトンタッチ成功。新潟県でも魚沼市議選で現職二人が再選。さあ、都議選も勝利へ!
午後から中国大使館で開かれた「香港返還20周年記念写真展」の開幕式に日中友好議連の一員として参加。程永華駐日大使と挨拶を交わし、テープカットの後、写真展を鑑賞しました。
通常国会の会期は18日の日曜日までなので、金曜日の今日が事実上の最終日。各委員会で請願の採択を議論し、閉会中審査を行う会期末手続きを行います。
請願の採択は委員会での全会一致で行われます。外防委では、01年以降18回にわたり採択されてきた、個人通報制度を認める「女性差別撤廃条約選択議定書の速やかな批准」を求める請願が、採択されないことに決定。日本維新の会が「大阪市の姉妹都市の三フラシスコで慰安婦像を設置が問題担っている。設置する動きを応援することになる」と「保留」を表明したため。
私は「長年にわたり採択してきた請願。法務委員会としては後退することになる。議定書は個々の問題に触れているわけではなく、慰安婦像とは関係ない」と述べましたが、態度は変わらず「保留に。本当に残念です。
午後から予算委の集中審議。加計問題での文科省の再調査結果が昨日明らかにされ、急遽、今日の予算委員会が決まったもの。小池議員が、文科省発表の資料を示して「加計ありき」の実態を厳しく追及しました。
許せないのは委員会室に衛藤晟一参院議員・総理補佐官が来て、大声で妨害ヤジを飛ばしたこと。私が厳しく抗議していると自民党理事もとんできて「政府の一員がここに来ちゃだめだ」と注意した程、前代未聞のこと。政府の危機感を示しています。
17:30から最終の本会議。
10:00から本会議。昨日提出された、山本国家戦略特区担当大臣、金田法務大臣問責決議の採決等が行われ、田村副委員長、本会議デビューである山添議員が賛成討論に立ちました。
本会議はお昼を挟んで開かれ、昼休み中に民進・棒葉参院国対委員長から「自民党から共謀罪法案の中間報告を求められた」と驚きの電話。中間報告とは、委員会で審議中の議案について委員長に本会議で報告させ、そのまま採決を可能にするもの。委員会から審議権・採決権をとりあげて強行する「禁じ手」ともいえるやり方です。
過去、野党が委員長の場合に悪法強行のためにおこなわれたことが何度かありますが、法務委員長は公明党であり、与党委員長に対して行われたのは初めてのことです。都議選前に委員会で強行採決して影響がでることを公明党が嫌がったのでしょう。そのためにこのような議会制民主主義をこわすうよなやり方を行うことは許されません。
緊急に対応を協議し、野党四会派で議長、副議長にこうした暴挙を行わせないよう申し入れ。私は各派の幹事長とともに郡司副議長に申し入れました。議運理事会でも激しい協議が続き、本会議の再開は18:20になりました。
中間報告の暴挙に応じた山本議運委員長の解任決議案を民進が提出。再開された本会議では金田法務大臣問責決議案を採決した後、議運委員長の解任動議を議題とし、日本共産党から山下よしき議員が賛成討論に立ちました。
一方、衆院には野党四党で内閣不信任案を提出。参院本会議は、21:40に延会手続きをしたうえで休憩に。衆院本会議は23過ぎにに延会手続きをしたうえで、0:10から不信任案を議題とし、日本共産党から志位委員長が賛成討論。決議案は与党等の反対多数で否決にされました。
2:40に再開された本会議では、中間報告を議題にすることを与党の多数で決めた後、中間報告が行われ、それを審議する動議に対しての討論・採決。日本共産党から私が討論に立ち「採決はやめ法務委員会でさらに審議を」と訴えました。動議を可決した後、再び休憩。
5:40に再開され、中間報告に対する質疑を行った後、いよいよ共謀罪法案の討論・採決。仁比議員が質問と討論に立ち、怒りの演説を行いました。法案の記名採では、怒りをこめて反対の青色票を投じました。与党と維新の多数により憲法違反の共謀罪が可決・成立したのは8時前。この怒りの瞬間は絶対に忘れません。
ただちに議員団控室に戻り、見守っていてくれた衆院議員の皆さんと合流。志位委員長が、「国民の怒りに追い詰められるなかでの暴挙」「共謀罪廃止に向け、ただちに戦いを始めよう」と訴え、まずは目前の都議選で必ず勝利をと誓い合いました。
昨日から完全徹夜で、休憩をはさんで9時間半の本会議。全国の皆さんがネットで見守り、議員会館前にもたくさんの皆さんが徹夜で声を上げ続けてくださいました。いっそう、市民と野党の共同を強め、安倍政権打倒、戦争法も共謀罪も廃止へ力を尽くします。
NHK日曜討論を見てから、京阪淀駅前のまちかど街頭演説会に向かういました。丹波橋駅で「中書島駅で人身事故のため運転見合せ」とのアナウンス。電車を降りてやっとタクシーを見つけたけど周辺の京阪の遮断機が閉まったままで大渋滞。
結局、街宣は断念。一緒に訴えるはずだった金森3区候補、集まって下さった皆さんすいませんてした。
午後は京都AALAの総会で、韓国問題研究会代表で同志社大嘱託講師の康宗憲(カン・ジョンホン)氏の講演を聞きました。在日二世の康さんは韓国の大学に母国留学していた時に北のスパイ容疑で逮捕され死刑囚に。その後無期懲役に減刑、仮釈放、再審、無罪確定という経歴をお持ちです。
「緊張高まる!? 朝鮮半島の今」と題してのお話しは、朝鮮半島危機の要因と本質、トランプ政権、韓国・文在寅政権の外交政策、日本の平和運動の課題など示唆に富んだものでした。