ストックホルム中心部のホテルから見える風景。なんて美しいまちなのかと思い、朝食後に散策しました。バルト海に浮かぶ島の間が橋でつながれてできた町。水と緑、歴史的な建造物。空気も澄んでとても気持ちいいまちです。
自転車専用道が整備されていて、自転車で通勤する人々の姿も目立ちました。ホテルでの朝食の際には、日本人観光客の複数のグループがおられました。日本人にも人気の観光地です。
9:30から国会議事堂を視察。スウェーデンの女性国会議員の比率は43.6%(日本は13.1%)。議事堂の一角で女性の政界進出の歴史を紹介しており、並んだ写真は左からそれぞれ女性で初の国会議員、大臣、党首、議長です。
最後に椅子の上にある鏡に女子生徒などの見学者が顔を映すと、その下には、「スウェーデンの初の女性首相は誰でしょう?それは鏡に映っている貴女かも」と書いてあり ます。さすがです。
ビョーン・フォン・シドウ国会議員(元議長・社民党)と懇談。2014年総選挙で社民党と環境党による少数左派政権が成立する一方、移民規制強化を主張するスウェーデン民主党が第三党に躍進。
移民問題は来年の総選挙でも大争点になるとのこと。少数与党政権の運営の難しさのお話しも。
在留の日本企業の方々と昼食懇談の後、ケネス・フォシルンド外務委員長と懇談。スウェーデンは軍事非同盟の立場をつらぬきNATO非加盟で、先日の核兵器禁止条約の採択では賛成。私は国連会議に参加したことも紹介し、条約の意義をどう考えるか質問。
ケネス氏は、北朝鮮に核を持たせない対話を進める上でも条約で核兵器を禁止することは積極的だと述べられました。ロシアでもそうでしたが、国際北朝鮮の核・ミサイルについて国際社会の重大問題との認識が示される一方、米韓軍事演習などの軍事的対応に懸念が示され、対話による解決の必要性が語られたことは重要でした。
その後、ノーベル賞博物館へ。カフェの椅子の裏に受賞者がサインすることで有名。日本人観光客のために山中氏のサインが展示中。晩さん会で使う食器も展示されており、ナイフ等は新潟県燕市のものです!
午前中はホテルから徒歩で「赤の広場」へ。17世紀後半に名付けられ、「赤」は共産主義との意味ではなく「美しい」という意味です。
クレムリンの城壁に接してレーニン廟があります。39年前にも来ましたが、その時は外から眺めただけ。
今回、初めて中に入り、レーニンの遺体と対面。まるで寝ているかのようで、あまりにもきれいなため蝋人形ではないかという指摘もありますが、エンバーミングという、遺体の各部をプラスチックやほかの物質と取り換えて、防腐処理をして保存しているとのこと。
死後、遺体のまま、ずって展示され続けることをレーニンは望んでいたのでしょうか。疑問です。
お昼から、ディンキン世界経済国際関係研究所会長、コルトゥノフ国際問題評議会事務局長と昼食懇談会。2時間半にわたり、日露関係や米露、中露関係の現状と展望、北朝鮮問題、経済改革と格差など幅広い問題で貴重なご意見を聞けました。
違う二つの調査の比較になりますが、日本と「友好関係にある・どちらかというと友好関係にある」というロシア人は78%。ロシアに「親しみを感じない・どちらかというと感じない」という日本人は76.9%と逆。ソ連時代の印象と今のロシアの外交姿勢が一つの原因か。その下で両国関係をどう発展させるか。重要な課題です。

夕方にモスクワを出発し、空路二時間でスウェーデン・ストックホルムの空港に到着。沢山の島で成り立つ水と緑の自然豊かな美しい街です。夕食は、山崎大使の公邸で現地情勢のブリーフを兼ねていただきました。
時差で四時半には目が覚めました。朝食前に早朝のモスクワ市内を散歩。とてもきれいな街です。午前中はクレムリンを視察。クレムリンとは城壁という意味で、城壁で囲まれた中にかつての宮殿やたくさんの聖堂、大統領府などがあります。
写真の背景にあるのが大統領府。旗が上がっているときはプーチン氏が中にいるとのことでした。
今は、夏の観光シーズン中。中国人観光客が圧倒的に多いのに驚きました。
正午からマトヴィエンコ連邦院(上院)議長、エビファノヴァ国家院(下院9副議長を表敬し、懇談しました。ロシア政治では大統領、首相につづくナンバー3という位置になります。
日露間の経済関係の発展や地域間協力の強化、人的・文化的交流の発展、平和条約締結の問題など幅広い問題で有意義な意見交換ができ、議会間交流を一層発展させることで一致しました。
マトビィエンコ氏との懇談は、日露のマスコミの多数の取材があり、注目の懇談となりました。 日本でもNHKニュースで報道されました。
昼食はロシア在住の日本企業関係者と意見交換。様々なご苦労とともに、日露経済関係の発展についての貴重なご意見を伺うことができました。
夕食はコサチョフ連邦院国際問題委員長ら五人の議員と懇談。席上、日露平和条約について「領土不拡大という第二次世界大戦の戦後処理の大原則に立った解決が必要だというのが日本共産党の立場」と強調しました。
クレムリンの夜景が美しい。
党創立95周年の記念日。先日、核兵器禁止条約の採択という歴史的瞬間に国連本部で立ち会った余韻のなかで迎えました。格別の思いです。
そんな今日、京都で開かれた「核兵器廃絶国際署名(ヒバクシャ国際署名)を大きく広げる京都の会」の設立総会に参加しました。京都被爆者懇談会、被爆二世・三世の会、京都府生協連、原水協など28の団体の参加で発足。2020までに京都府で50万筆を目標に署名に取り組みます。
総会では、日本被団協の木戸事務局長が講演の。その後、各団体から発言。私も二世・三世の会として、国連会議での禁止条約採択の様子や、ヒバクシャの訴えと署名が国際社会を動かしたことなど報告。新婦人の澤田事務局長からも国連交渉会議参加の報告がありました。
今回の条約採択が、これまで草の根から原水爆なくせの運動を進めてきた皆さんに大きな確信を与え、よし、さらにがんばろうという激励になっていることを痛感します。私自身もさらにがんばりたい。
総会に先立ち、昼前に京都府職労連70周年記念行事に参加し、森委員長や歴代の役員の皆さんにもお会いできました。府内各地からの特産物が持ち寄られ、さすがです。とりわけ地鶏のやきとりはとてもおいしかった。
その後、京都AALA連帯委員会の美術班の皆さんのグループ展「頴展(えいてん)」に行きました。平和への思いを胸に、絵画、写真、版画、コラージュ、陶芸など様々な分野から出展されています。
昨日は、元京都市議団長の若宮修さんの夫人の喜久子さんのお通夜に参列し、お別れしました。合掌。
歴史的な核兵器禁止条約の採択から一夜明け、8日午前中に出発し14:00に成田に着きました。国連での活動は3日間でしたが、とても濃密で有意義な時間でした。
この場に被爆国日本の政府がいないことが残念であり悔しくてなりません。この条約を締結する政府へと変えたいと決意を新たにしています。
採択にあたり、志位委員長が「歴史的条約を力に、核兵器全面廃絶の実現を―核兵器禁止条約の採択を心から歓迎する」と題する声明を発表しました。http://www.jcp.or.jp/akahata/aik17/2017-07-09/2017070901_02_1.html
この中で、核兵器禁止から廃絶へと進む力として(1)史上初めて核兵器を違法化する核兵器禁止条約のもつ力(2)この流れを推進している多数の国々の政府と市民社会の力(3)核保有国とその同盟国での政治の変革―という3点を指摘しています。そのために力を尽くします。
この間、ツイッターやFBにたくさんの皆さんからコメントをいただき、ありがとうございます。多くの皆さんにこの感動と歴史的意義、今後の展望について報告したいと思います。ぜひ、各地で企画してください!
やった!国連核兵器禁止条約が10: 50に賛成122、反対1、棄権1の圧倒的多数で採択されました。会場は拍手と歓声に包まれています。抱き合う姿も。被爆者と市民の声が歴史を動かした瞬間に立ち合えたことは感無量です。
エレン・ホワイト議長はガッツポーズをし、「人類にとって歴史的」と涙を浮かべておられました。
採択後に各国からの「歴史的」「画期的」など発言に続き、中満・国連軍縮担当上級代表の演説。
中満さんが日本被団協の折り鶴バッチをつけている姿に、被爆者が果たした役割の大きさと会議全体が被爆者に敬意を捧げていることを実感しました。
午前の議事がおわったところで、志位委員長が、議長席に駆け寄ってホワイト議長と握手し、敬意と祝意を捧げました。
ベトナムのグェン・フォン・ガー国連大使と懇談。志位委員長が採択に対して発表した声明を手渡し、ベトナムからは「核兵器の使用の威嚇」を条文に盛り込むために努力したことなど語られました。
15時から会議が再開され、 発言の最後はカナダ在住の被爆者サーロー節子さんの発言。圧巻でした。会議場全体が立ち上がり、拍手が長い間続きました。
最後にホワイト議長が閉会を宣言すると再び全員が立ち上がり拍手。あちこちで抱き合う姿が。歴史が動く音が聞こえるようです。
終了後、サーローさんと日本被団協の藤森さんがインタビューにこたえ、「亡くなった多くの被爆者に報告したい」「一年前に被爆者国際署名を始めたときに、こんなに早く実現するとは思っていなかった」など語られました。
また、会議に参加さず、「条約に署名しない」と明言した日本政府を厳しく批判されました。
今回の会議には、イッセイミヤケのネクタイで参加しました。三宅一生さんは広島国泰寺高校の先輩。2007年、7歳の時に被爆したことを明らかにしニューヨークタイムスで、核なき世界を呼びかけた方。原爆で亡くなった先輩達を思い、被爆二世として採択を見届けました。
国連核兵器禁止条約交渉会議二日目。10時からの開会前に、国連本部前の非暴力を象徴するオブジェの曲がった銃の前で、笠井、大平議員とパチリ。
朝、最終案が提案され、10:25から始まった会議でエレン・ホワイト議長が、明日10時からの会議で採択する議事日程を宣言。 この後、オーストラリアの緑の党の国会議員(写真)など市民社会の代表三人が発言し、今日は散会。
一部の報道で、核兵器禁止条約に「使用の威嚇」が盛り込まれたことで、核兵器国等の参加を困難になったとの論評もあるようです。しかし、ドゥアルテ氏も昨日、懇談で述べられたように、武器による威嚇は国連憲章で控えるとしているものであり、核兵器の使用の威嚇を認めることは国連憲章に反するものです。
しかも、条約には核兵器国の今後の参加に二つの道が盛り込まれており、門戸を開いたものとなっています。禁止条約制定という歴史的事態に対し、核兵器国の真剣な検討が求められています。
終了後、アイルランドの軍縮・不拡散局のバーンスタイン副局長と懇談。同国が核兵器廃絶に熱心に取り組んでいる理由について、イギリスから独立した同国がその精神を外交に生かしていること、広島・長崎の惨状を見て紛争の平和的解決の必要性を感じていると語られました。
午後は米国の平和団体「ピースアクション」や「ピース&ジャスティス」の若者、ピースボートの川崎哲さん、国連軍縮担当特別代表の中満泉さんらと懇談。
中満さんは核兵器禁止条約の採択について、市民社会の取り組みに謝意を表し、核兵器国との対話の促進に期待を寄せられました。
さあ、明日は歴史的な採択の日です。写真はレキシントン通に面したホテルの近くの市街地の様子。
国連の核兵器禁止条約交渉会議に参加のために志位委員長、緒方副委員長、笠井政策委員長、大平衆院議員らと共に羽田10:45発の便でニューヨークへ。
志位さんは、空港での出発前の会見で「条約案は国際社会の英知を集めた最良のもの。採択へ最後まで力を尽くしたい」と語りました。
* * *
約12時間のフライトでニューヨーク・ケネディ空港に到着。時差は13時間のため、出発と同じ日時に到着し、妙な気分です。ホテルに荷物を置いてすぐに出て、会議参加のIDカードの発行手続き。
これに時間がかかって昼食をとる間もなく、交渉会議が行われる第一会議室へ。会議の正式構成員である「市民社会」の席に座りました。
会議の前後に、ドゥアルテ元国連軍縮担当上級代表、キューバのベルソン軍縮大使(写真)との懇談。お2人とも2010年のNPT再検討会議の際にも懇談。今条約の歴史的意義や核廃絶へのプロセスなどつっこんだ懇談に。ベルソン氏の「この条約は70年間の国際社会の取り組みの結実」との言葉が印象的 でした。
交渉会議の午後の議事は15時から18時過ぎまで行われました。最終案には核兵器の「使用の威嚇」の禁止を盛り込み核抑止論を認めないことを明確にするなど、熱心な議論を通じて練り上げられています。
食事できたのはやっと21:30。空腹を忘れるぐらい充実した会議参加、懇談ができた初日でした。発行してもらったIDカードの写真です。
都議選躍進から一夜。朝のニュースは自民党の歴史的惨敗で持ち切り。私は選挙の最終日、2012年総選挙で安倍自民党総裁が繰り返したスローガンは「日本を取り戻す」だったことを紹介し、政権奪還して「日本は自分のものになった」と勘違いして国政私物化が始まったと演説しました。
すると今日の午前中、安倍総理は都議選結果について「大変厳しい審判。政権奪還のときの初心にたち戻る」と述べたとのこと。「日本を取り戻す」という初心が間違っていたのでは? この総理はまだ、何が厳しい批判をあびているのかわかっていないようです。
昼過ぎの新幹線で東京へ。今朝の今日との「赤旗」は日本共産党の議席は九の時点のものでしが、東京では特別の態勢を取り、19議選となっていました。
党本部で、5日からの核兵器禁止条約交渉会議に参加する党代表団の打ち合わせ会。志位委員長、緒方副委員長、笠井政策委員長、大平衆院議員、田川・小林両国際委員会委員、そして私。平和運動責任者の川田さんは一足先に訪米しています。歴史的瞬間に立ち会えることは誇り。これを核廃絶にどうつなげていくか、各国の皆さんとしっかり交流してきます。
ウェブスター大学講師のリオネル・ファットン博士から「日本の軍隊と米国のアジア政策:新たな態勢への移行か?」との本の執筆に当たり、インタビューを受けました。関係省庁や学者・専門家、自民、民進、公明の議員から話を聞き、このテーマでは日本共産党の立場も取り上げることが不可欠と考えたとして依頼がありました。
北朝鮮、中国、東シナ海、南シナ海の各問題、日米ガイドラインなど様々な点で質問を受けお話をしました。
午後には議員団会議。都議選情勢の報告を受け、この間の取り組みを交流。告示以降を日を追って反応が大きくなり期待が広がっていること、同時に攻撃・妨害も熾烈になっていてことなどそれぞれから発言があり、残された期間のもう奮闘で必ず勝利しようと誓い合いました。
がんばるぞ!