議員会館で資料整理や報告準備など。午後から千代田区の九段生涯学習館開かれている写真展「重慶大爆撃を知っていますか」に行きました。1938年以降、日本軍が、中国の臨時首都であった重慶市中心に行い多くの被害者を出した無差別爆撃です。
被害者や遺族が日本政府を提訴し、昨年二月、東京地裁判決は賠償をは認めなかったものの176回の爆撃事実と被害を認定し、市街地への爆撃は国際法違反であることも認定しました。
2日まで開かれています。
地元の住民団体「吉田コミュニティ」のサマーコンサートに参加。太鼓からフォーク、ジャズ、クラッシックまで楽しめ今年で四回目。会場の地塩寮(京大YMCA会館)は建築家ヴォーリズによる大正時代のもので雰囲気も抜群。心地よいひとときでした。
その後、京都市内のホテルで行われた京建労の拡大出陣式へ穀田、倉林両議員とともに参加し、穀田さんが代表して挨拶。府内全支部から集まった数百人の幹部の皆さんとともに、世論と運動で仕事とくらし守り、安倍政権を追い詰めようと誓い合いました。
東京に行く途中に名古屋の金山駅での原爆パネル・絵画展に立ち寄りました。二日間で五千人が見てくださったとのこと。若者の姿も目立ちました。広島市立庚午中の後輩で愛知原水協の横江さんとパチリ。
平和を考え、交流する夏。オリンピックに続き高校野球も始まり、応援の夏でもあります。
昼前に立命大平和ミュージアムで開かれている「第36回 平和のための京都の戦争展」へ。日中戦争や太平洋戦争の実相を伝えるパネルや遺品、京都の宗教者の皆さんの墨跡などが展示され、様々な文化行事も取り組まれています。
夕方には鴨川の三条~四条間で開かれている鴨川納涼祭へ。京都にある各県の県人会の出店が並び、お国自慢の食べ物を売る声が響きます。
京都広島県人会のお店はもちろん「お好み焼き」。 美味しく食べながらの話題は、やはりカープ。ぶっちぎりの首位だったのに4連敗で2位巨人との差は4.5に。「ちょっといけんねえ」「よお打たんのじゃけえ」と思わず広島弁。
そしたら今日は逆転サヨナラ勝ち!やっぱり優勝間違いなしじゃぁ!
5日の深夜23:25から「朝まで生テレビ」に出演。少し仮眠をとり、24時すぎに迎えの車でテレ朝に入りました。
今日のテーマは「改憲と日本の未来」。田原総一郎さんの司会で、パネリストは、片山さつき(自民党・参議院議員) 國重徹(公明党・衆議院議員) 辻元清美(民進党・衆議院議員) 足立康史(おおさか維新の会・衆議院議員) 青木理(ジャーナリスト) 伊藤真(弁護士) 潮匡人(評論家) 三浦瑠麗(国際政治学者) 百地章(日本大学教授) 吉木誉絵(作家)と私の10人。
衆参ともに改憲勢力が三分の二となったことから、「憲法のどこをどう変えるのか」がテーマになりましたが、私は「今、憲法をかえなれば国民の願いにこたえられないような問題があるのか。必要なのは憲法に立ち遅れた現実を変えること」と強調。自民党改憲草案の緊急事態条項、九条改正、お維新が主張する教育無償化のための改憲などが論議になりました。
4:25に終了。朝生の第一回からカメラマンを務めてきた方が、50年にわたる勤務の最終日だということで、田原さんから花束が贈られ、みんなで記念撮影。こんな場に同席さしていただき、とてもうれしく思いました。
テレ朝から外にでるともう明るくなっていました。宿舎に戻り、少し睡眠。8時前に目覚め、8時から広島の平和祈念式典をテレビで見ながら、8:15に一緒に黙とうをささげました。
三日間の会期の臨時国会は今日で閉会。朝から、各委員会の会期末処理が行われ11:30から短時間の本会議でした。
午後には衆参35人の議員団で写真撮影。前回の参議院選挙の前までは衆参14だった議員団ですが、今は参院だけで14人。衆参でカバーしあって、やっと全委員会に委員を配置していたのが、多くの委員会で複数配置が可能になり、論戦の場も大きく広がりました。
午後から議員団で昨日閣議決定された政府の経済対策のレクを受けました。引き続き、部屋で米軍属の範囲を縮小するとした日米合意の内容について外務省からレクを受けました。
さて今日は内閣改造が行われました。引き続き外交防衛委員会に所属する私の論戦相手の防衛大臣になんと稲田議員が就任。南スーダンPKOを見ても、自衛隊が「殺し殺される」事態が現実のものになろうとし、不安の声が上がっている時に、「国民は、自分の国を守るためには血を流す覚悟を」と叫んできた人が防衛相とは。厳しく対峙します。
明日公示の東京都知事選。四野党が支援する鳥越氏と宇都宮さんとの話し合いがギリギリまで行われました。その結果、鳥越氏が宇都宮さんに敬意を表し、その政策を生かすことを表明されたことにより、宇都宮さんが立候補を取りやめられました。
前回選挙以降も都政にずっと取り組んでこられた宇都宮さんには断腸の思いでの決断だと思います。心から敬意を表します。これにより、都政の刷新とともに、憲法改悪の流れを東京から押し戻す審判を下す、大きな可能性が広がっています。何としても勝利したい。
午前中は赤嶺衆院議員とともに、南スーダン情勢と日本から派遣されているPKOの活動について内閣府、外務省、防衛省からレクを受けました。
首都での銃撃戦後、日本のPKO部隊は移動制限を受けており、国連の宿営地内での給水活動などを行っています。宿営地には1000人の住民が避難している状況。邦人の避難のためとしてにC130輸送機が小牧基地から那覇まで移動して待機しています。
このような事態でも政府は「武力紛争」は起きておらず、PKO参加五原則は維持されているという立場。あまりにも実態とかけ離れた認識です。
長野駅近くのホテルで目覚めました。今日は乗り物移動ばかりなので朝食前に付近を散歩し、善光寺にお参り。信州の朝は清々しい。さあ今日もがんばろうという気持ちになります。
9時過ぎに長野市の青木島団地で街頭宣伝。熱い中でしたが、たくさんの皆さんが聞きに来て下さました。阿部市議の司会で和田あき子県議と共に訴えました。その後、高速道で約二時間かけて飯田市へ。
演説会に先立ち、隣の阿智村にある満蒙開拓平和祈念館を訪れました。 「20町歩の地主になれる」「満州は日本の生命線」――夢がふりまかれ国策として全国で約27万人の満蒙開拓団が「開拓移民」として送り込まれました。貧しい地域であった長野県南部の飯田・下伊那地域は全国で最も多くの開拓団を送りだしました。
「開拓」といっても、多くは現地の人々の土地や家屋を収奪したものであり、侵略の加担でもありました。ソ連侵攻後は戦場と化し、開拓団の人々逃げまどい、難民収容所でも飢えと寒さで大勢亡くなりました。帰国できず残留孤児となった人も少なくありません。加害者であり、被害者でもあった開拓団。日中両国に多くの被害を生んだ悲劇を史実として残して過去から学び、二度と同じ過ちを繰り返さないようにと設立された記念館です。前から行きたかったのですが、念願がかないました。
演説会では、野党統一候補の元ニュースキャスターの杉尾ひでやさんと初めてお会いできました。唐沢ちあき比例候補、有坂ちひろ小選挙区候補とともに訴え。杉尾さんと四人で会場の声援に応えました。
私は、記念館を訪問してきたことに触れ、記念館のメッセージとして展示されていた「この歴史から何を学ぶのか、私たちは問われています」「歴史に学び、今を見つめ、未来をつくる。同じ過ちを繰り返さないために。平和な社会を築くために」という言葉を紹介し、「戦争による悲劇が深く刻み込まれたこの地域から、戦争法廃止、九条守れの声を参院選で示そう」と呼びかけました。
終了後、岐阜県中津川まで車で送ってもらい、中央線、新幹線と乗り継いで京都へ。
今日も沖縄市でカヨウ宗儀候補の車に一緒に乗り込み、終日、訴えました。昨日よりもさらに反応が上がり、手を振ってくれる人や激励の声をかけてくれる人がぐっと増えました。
夜には青年の皆さんとコザ十字路でアピール。一日中雨で、このときはかなり強くなりましたが、それにも負けずに訴え。若さがはじける行動になりました。
琉球新報の朝刊は世論調査の結果を報道。全基地撤去は4割を超えました。海兵隊の撤退は53%で、縮小があわせると実に84%です。辺野古移設反対も84%。県民世論は日本共産党の政策と一致。この声にこたえよと訴えました。
ところが、午後にネットでチェックすると、政府が今日、沖縄の犯罪防止対策を決めたとのこと。その内容は、警察官の100人増員、パトカーの20台増など防犯パトロールの強化や防犯灯の増設というもの。ふざけるな? 元をただすことなく、米兵犯罪におびえながら暮らせというのか、と怒りをこめて訴えました。
県民の怒りと全くかけ離れた安倍政権と自民・公明。にもかかわらず沖縄市では自民党が議席増を狙っており、絶対に負けられません。カヨウ勝利で県民の怒り示し、海兵隊撤去、新基地建設ストップで安心して暮らせる平和な沖縄を!
事務所に差し入れのあったニンニク酒を少しおすそ分けしてもらい、夜、ホテルで飲みました。強烈!