自衛隊による自衛官募集活動の強化の問題について午前中、議員会館で週刊誌から取材受けました。この間、この問題を連続して質問してきたことを見て、取材を申し込んでこられました。
自衛隊が、自衛官の適齢者について住民基本台帳の閲覧にとどまらず、自治体にたいし名簿提出要求を強めている問題や自衛官への応募を増やすために学校に「安全保障教育」の導入を狙っていることなど、質問で使った自衛隊の全国募集担当者会議の資料も示しながらお話しました。
自衛隊に応募する若者の多くは災害救援で役に立ちたい、国を守りたいという思いです。ところが戦争法の成立で、アメリカの行う戦争に支援、参加して「殺し、殺される」ことが現実のものになろうとしています。それを覆い隠して自治体や学校を通じての募集活動を強めることは大問題です。
午後の新幹線で京都へ。新幹線内で日曜日に行う戦争法の講演の準備など。
京都を朝出て静岡県御殿場市で開かれた日本平和大会に参加しました。13時に会場前からバスにのり、参加者による陸上自衛隊東富士演習場の視察。米軍のキャンプ富士まで行きましたが、演習時用の中を通る道路が通行できず、全体を見れなかったのが残念。
16時から全体集会。全労連副議長の長尾ゆりさんの開会挨拶に続き、「戦争をさせない1000人委員会」の清水雅彦日体大教授と私が来賓挨拶。先日の憲法共同センターの総会には平和フォーラムの福山さんが挨拶にこられたいましたが、来賓の顔ぶれにもこの間の共同の広がりを実感できます。
海外代表挨拶、主催者報告の後、沖縄、横須賀、あいば野、東富士演習所、北富士演習所、横田など、各地の基地問題でたたかう皆さんが横断幕やブラカードを持って登壇して報告。沖縄からは東村の伊佐村議が報告されました。
全労連会館で開かれた憲法共同センターの総会で挨拶。来賓として「総がかり行動」を共にする平和フォーラムの福山新劫氏も参加されました。画期的です!
元自治労書記長でもある 福山氏は、「緊張とている」と切り出し、先日、「国民連合政府提案」に関する志位委員長との懇談で日本共産党本部に初めて入ったことも紹介されました。そして、安倍暴走を止めるためにはこれしかないと立場を超えて共闘を決断した思いを語り、戦争法廃止へ「本気度で皆さんに負けられない」と決意を表明されました。
私は、運動団体の共同による「総がかり行動」の結成が、かつてない国民運動の土台になったことを強調。日本共産党の国民連合政府の提案は、こうした国民運動とそれに背中を押された野党共闘の発展があってこそだとのべ、いっそうの運動と共同の強化を呼びかけました。
26日の朝から27日午前まで人間ドック。長くて激しい通常国会でしたので、しっかり健康をチェックしてもらいます。
10時半に病院を出て国会に戻り、11:30から国会対策委員会。13時からは日本共産党岐阜県委員会の政府要請行動に同席。高木光弘参院選挙区候補を先頭に地方議員の皆さんが参加され、本村伸子衆院議員、武田良介比例候補もご一緒でした。
朝から夕方まで様々な省庁への要請でしたが、私は経産省への原発問題の要請のみの同席。13:30からはTPP問題での議員団学習会。萩原伸次郎横浜国大名誉教授からお話を聞き質疑応答。オバマ政権がなぜTPPを推進したのかという点のお話が特によくわかりました。
終了後、日本原水協の核廃絶署名提出行動に参加し、501万人分の署名を議員団で受け取りました。
続いて議員団会議。山下書記局長、高橋衆院議員が宮城県議選について報告。安倍暴走許すなと、保守の皆さんを含めた勝手連の応援が広がったことなど語られました。資料に配られた今朝の「河北新報」の『自民逆風 共産追い風』の見出しがぴったりです。
この記事では自民党は一候補あたり1000票、公明党は600減らし、日本共産党は1700票増やしたと指摘しています。安倍暴走や冷たい県政への怒りの票が日本共産党候補に寄せられました。
京都市西京区、右京区でそれぞれ議会報告演説会。西京区の会場には同区在住の元予科練生で、86歳の加藤敦美さんが弁士に立ってくださいました。
予科練で特攻隊をめざしていた加藤さんはシールズの活動を見て、特攻で死んでいった先輩や同輩の無念が今、若者の心に生きると「朝日」に投書され、大きな話題と感動を呼びました。加藤さんは自らの投書読み上げ、そこに込められた思い、自宅を訪ねてきたシールズの奥田氏との語らいについて紹介され、「立憲主義を取り戻すという志位さんの国民連合政府の提案はシールズの皆さんの願いと同じ。嬉しい」と語ってくださいました。
会場では涙をふきながら話を聞く人の姿も。私も胸が熱くなり、握手をしてもらいました。この思いに応えねば。
その後、市役所前の地下街で開催中の、辺野古につながる大浦湾の生き物たちの写真展へ。こんなにも多様な生き物があることに驚きました。美ら海を守れ!の思いを新たにしました。
続いて三条京阪の駅前で、戦争法廃止めざす青年トークに大河原としたか参院選挙区候補とともに参加。青年の質問にも答えながら、ハンドマイクで訴えました。
終了後、東京へ。
8月6日に58歳の若さで急逝した京都法律事務所の高山利夫弁護士を偲ぶつどいに参列しました。高山さんは京大法学部の一年先輩。当時、教養部が赤ヘルボ力集団により「バリケードストライキ」と称して封鎖され、講義破壊も横行する中、暴力一掃、大学の自治を守る運動を共にしました。
笑顔を絶やさず、理不尽には厳しく立ち向か う姿は当時から変わらす、依頼人の皆さんにも信頼されていたことがこもごも語られました。私も一言、思いでを語らせていただきました。引き続く昼食会では、久しぶりに会えた大学の先輩とも思い出や近況を語ることができました。
高山さんがなくなったことは残念ですが、私たちの心に中に生き続けます。合掌
午後は京都の憲法共同センターの戦争法の学習交流集会。自由法曹団の岩佐弁護士、平和委員会の片岡さんと私が報告。戦争法廃止へ世論と運動を広げることが京都総評の梶川議長から提起されました。がんばろう!
今日、憲法53条に基づく野党連名の要求書を衆院は午前中、参院は午後にそれぞれ提出しました。戦争法、TPP、沖縄、原発、改造内閣の所信など議論すべきことは山積みです。にもかかわらず、外交日程など理由にならない理由で臨時国会を開こうとしない安倍内閣。逃げるな! と言いたい。
午後に国会を出て、18:30から三重県津市で戦争法廃止めざす学習会。一時間の講演をしました。話し終えたら、JRに間に合うように急いで退席し、ぎりぎりセーフ。ところが「鹿と衝突し25分の遅れ」のアナウンス!
近鉄に切り替えましたが予定した新幹線には遅れ、一本後の便に。東京には23時前に到着ですが、同じ車両に他に二人の参院議員が乗車。皆さん、ご苦労様です。
明日は宮城県議選応援で仙台へ。
国会で開かれた原爆被爆者の院内集会に出席。与野党から参加し、日本共産党からは小池、大平、畑野、田村各議員と私が出席し、小池議員か挨拶。
核兵器廃絶、被爆者援護法改正、戦争法撤回、原発再稼働中止など被爆者の願いのこもった要望書と署名を受け取りました。司会者は、被爆者で高校の先輩の大岩さん。終了後にご挨拶をしました。千葉からは小学校の先輩も参加されていました。
日本共産党県委員会主催「戦争法のたたかいと日本共産党を語るつどい」で講演。日曜日の朝10時からのつどいでしたが、250人が参加してくださいました。
土井由三元小杉町長や広瀬妙子新日本婦人の会県本部会長、水谷敏彦弁護士、青年代表の4人の皆さんがあいさつ。共同の広がりを実感しました。
私は、戦争法案がやり方も内容も憲法違反、民主主義破壊であることを国会論戦、強行採決の状況を紹介しながら、日本共産党の戦争法廃止の国民連合政府の提案の「要」の内容や各界の反響などについてお話しました。その後、参加者と質疑応答。とても熱心に聞いてくださいました。
終了後、京都へ。
昨日は、デスクワークとともに国対の会議、議員団会議など。
今日は、戦争法案の強行採決をした9月19日の参院安保特の会議録の問題で参院事務総長に申し入れ。速記による未定稿には「聴取不能」とし書かれていなかったにも関わらず、「可決すべきものと決定した」と書き加えられたことは「認められない」として、、民主、無所属、社民の各代表とともに参院事務総長に申し入れました。
特別委員会は会期毎に設置されるもので、閉会中審査の手続きも取らなかったため、参院安保特は現在、存在していません。議事録に「追記」するという判断は、鴻池委員長が、会期中に行ったとされています。
私は、違憲の法案を強行採決したことは議会制民主主義を壊すものであり、この議事録の問題は暴挙を重ねるものだと指摘。「テレビを見ていた多くの国民が"なぜ、これで採決なのか"と批判し、委員会室の委員にも速記者にも何が行われていたのか聞き取れず、採決の事実を示すものは何も残っていない。にもかかわらず与党の判断で議事録に書き込めることになれば何でもありになり、議事録の信頼性も根底から損なう」指摘。
議事録の取り扱いについて与党から協議の呼びかけもなかったことも示し、「このような追記は認めるわけにいかない。経緯を調査し明らかにせよ」と述べました。
その後、共同記者会見。申し入れには都合で参加できませんでしたが、維新や生活も同様に立場であることも民主党から報告がありました。