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私の自宅は、吉田神社がある京都市左京区の吉田本町。「徒然草」を書いた吉田兼好ゆかりの地です。同じ吉田のまちからつれづれなるままに思いをつづりました。


障害者の社会参加へ二つの質問

 障害者の社会参加の促進で連続して質問しました。

 一つは、成年後見人をつけると選挙権を失う問題。東京地裁が公選法の規定を違憲とする判決を出した直後、私は、「控訴せず、速やかに法改正して選挙権を回復すべき」と要求。国は控訴しましたが、世論の広がりの中で与党も法改正を打ち出し、月内にも成立して参院選挙での選挙権が実現する方向となりました。うれしいことです。

 もう一つは民事訴訟での障害者の裁判参加の保障です。今の民事訴訟手続きは、文書を読むのが困難な視覚障害者や、手話などが必要な聴覚障害者にとってはとてもハードルが高いもの。私は、障害者基本法で司法における障害者の意思疎通のための配慮や職員研修が定められていることを示し、法務省、最高裁に迫りました。

 まずは研修の拡充。役所や学者の講演にとどまらず、障害の当事者を講師にしての研修や関係団体との意見交換を求めました。最高裁から前向きの答弁がありました。ぜひ、実現させたい。

 さらに、視覚障害者への点字文書の送付の拡充や手話通訳費の公的負担を求めました。現状では、通訳費は当事者の負担。多くの自治体で手話通訳の派遣事業を行っていますが、うち3分の1では裁判は派遣対象外で、聴覚障害者の裁判参加を困難にしています。

 法務相は消極的でしたが、アメリカや韓国で実現するなど、手話通訳費の公的負担は世界の流れです。実現へ、さらにがんばります。

赤旗東海北陸信越版 2013年5月12日付

立党の精神ここにあり

 二月のこの欄に、豪雪対策の質問の際、政府に「豪雪はそれ自体災害」という立場を必ず確認することを書きました。それを読んだ、党の参院新潟選挙区候補など務められた丸山久明さんが、昨年暮れに出版された「自分史」を送って下さいました。そこに綴られた豪雪対策での日本共産党の先輩のたたかいに胸が熱くなりました。

 たたかいの中心舞台の一つが旧松之山町。合併で十日町市になっています。同市の市議選勝利のために六日に開かれた演説会の弁士に立った時、丸山さんの本から学んだことをお話ししました。

 新潟県で、「冬季保安要員」を行政の嘱託として孤立集落に配置する制度が実現したのが一九七五年。冬季の出稼ぎで男たちが駆り出され、雪下ろしなどを女性と高齢者だけが担う豪雪地域住民の悲痛な叫びをまとめ、農村労組の皆さんと日本共産党県議らが働きかけたことによるものでした。このたたかいを背景に、近藤忠孝参院議員(当時)が、「豪雪はそれ自体災害」という「豪雪対策の憲法」ともいうべき答弁を引き出したのが八一年です。

 それからも全国でも先進的な制度を実現してきました。災害救助法が適用されると県が除排雪のための重機を借り上げて集落に貸し出す制度。十日町市では一昨年、融雪屋根の燃料費負担に対する市独自の見舞金制度も。さらに今年から旧十日町市での市道除雪費の負担がゼロに。

 「国民の苦難解決」という日本共産党の立党の精神ここにあり!

赤旗東海北陸信越版 2013年4月11日付


パネル掲げTPPで質問

 TPP問題を追及した予算委員会のテレビ質問に多くの激励をいただきました。特に注目を浴びたのが、質問で使った、「ウソつかない TPP断固反対 ブレない 自民党」と書かれたポスターのパネル。掲げた時には委員会室でもどよめきがおきました。

  「このポスターの通り、ウソつかないで」と釘をさし、「聖域無き関税撤廃が前提でないことが確認された」という総理発言のごまかしを追及。日米合意は、「すべての物品を対象に」「関税を撤廃する」ことを確認した上で、「協議で日本が例外を主張することを妨げない」という程度のものだとただすと、総理も関税撤廃の例外実現には何の保証もないことを認めました。

  この写真はフェイスブックで拡散されていましたが、小さすぎる上、「いつ、どこで撮影したか」が不明。これでは、理事会でパネル提示の合意が得られません。たどっていくと、日本共産党の高橋・米沢市議が撮影したものだと判明。質問前夜の遅くに電話がつながりましたが、「消去したかもしれない」との返事。その後、「ありました」と電話があった時、思わず事務所で拍手しました。

  メールされてきた写真で、総選挙中に、衆院山形二区候補の名前入りの掲示板に張り出されものだとわかりました。

  こうして、動かぬ証拠をつきつけての質問が可能に。ネットと、全党の連係プレーの力です。

愛知民報 2013年3月17日付


「戦争のはじまりはいつも『秘密』から」。

 THE BEGINING OF THE WAR WILL BE SECRET―「戦争のはじまりはいつも『秘密』から」。国会内で開かれた「Stop!秘密保全法共同行動」院内集会に掲げられたスローガンです。私も参加し、挨拶をしました。

 第一次安倍内閣で検討が始まり、民主党政権が進めてきた秘密保全法制。安倍新政権は法案提出を狙っています。国が指定する「秘密」を漏らした公務員も、民間人も、さらに知ろうとする記者や市民も処罰するという重大なもの。憲法九条改悪の流れとも結びついています。

 「秘密の範囲が無限定だ」という批判に、政府の有識者会議は、自衛隊法にある別表形式を推奨するとしています。しかし、この別表には自衛隊の活動の全範囲が網羅され、しかも、別表の下にさらに秘密の範囲を指定する「指定事項」が設けられており、その項目は毎年増えて234項目に達し、その名称は秘密とされ公開されていません。

 「秘密」の範囲が無限定で、何が「秘密」かも秘密。しかもその項目が国民の知らないところで増殖しているのです。こんな危険な秘密保全法制は許してはなりません

 安倍総理は先日、自民党内の会合で改めて憲法九条を変えて国防軍とすることに意欲を表明しました。戦争への道は許さない。全力を挙げます。

愛知民報 2013年2月24日付


豪雪は、それ自体災害

 「豪雪は、それ自体災害」―災害対策の基本姿勢として日本共産党が繰り返し政府に確認しているものです。豪雪は放置すれば危険なのはもちろんですが、家屋や人的被害に至ってなくても除排雪や道路の寸断等で莫大な財政的、時間的負担があるからです。2日に、新潟県上越市に二年連続で豪雪調査に入り、改めて実感しました。

 党市議団の橋爪法一、上野公悦、平良木哲也各議員と一緒に吉川区の上川谷地域と大島区の竹平地区へ。いずれも3mを超える積雪です。吉川区では一人暮らしの80歳の女性と、冬季保安要員の方からお話しを聞きました。女性は、除雪や急病時の苦労を語り、「保安要員がいなければ生きていけねえ」と述べられました。冬季だけ地方自治体の臨時職員となり、集落の雪かきなどを担当する保安要員制度。国の制度とするよう求めてきましたが、その必要性を改めて実感しました。

 暖かくなると雪崩が心配。急斜面には道路の安全確保のために雪崩防止策が設置されていましたが、未設置のところもかなりあります。小型除雪機も初めて運転。家庭用より大きい23馬力のもので、230万円とのこと。費用負担は重く、けがをされる方も少なくありません。豪雪地帯で住み続けるには大きな負担が必要です。

 五日には都内で開かれた豪雪地帯町村議会議長会と国会議員との懇談会に出席。この豪雪調査について紹介し、「豪雪はそれ自体災害の立場で、支援の拡充へ全力を挙げます」と挨拶しました。

「赤旗」東海北陸信越版 2013年2月15日付


毒を食らわば皿まで

  「毒を食らわば皿まで」--悪事を重ねる時に使う言葉ですが、皿を食べるという意味ではなく、毒を盛った皿までなめるという意味。しかし、消費税の大増税の「三党合意」に大飯原発の再稼働の決定を重ねた野田総理の姿は、「なめる」だけでなく、まるで皿までバリバリと食べているかのように見えてきます。

 自らの政権公約や国民多数の反対の声も無視して突き進む姿は異様です。

 自民党幹部が衆院の特別委で、消費税増税は民主党の公約違反だと批判し、「提案する権限があるのは、総選挙の際に国民に正直に申し上げてきた自民党だけだ」とのべました。冗談じゃありません。その自公政権に国民はノーの審判を下したのです。公約違反の民主と、国民の審判うけた自公が、国民多数の反対の声を無視して増税談合。これほどまでに民意に背く姿はありません。

 二大政党政治が「中身が同じ」にとどまらず、「悪政の競い合い」であることも浮き彫りになりました。自公政権ではやりたくてもできなかった消費税増税に加え、社会保障ももっと削減することで合意。抜け道があったものの40年たった原発は原則廃炉という方針も削除の方向です。ひどすぎる。悪政阻止へ参院で全力をあげます。

愛知民報 2012年6月24日付


五月五日を歴史的な日に

 サザエさんの父親、磯野波平は何歳かご存知ですか。定年一年前の五十四才という設定。実は私は、五月五日の誕生日で、その五十四歳になります。

 「ついに波平と同じ年になる」と複雑な心境でしたが、この日が歴史的な日になる可能性が出てきて、早く来ないかと待ち遠しくなっています。五月五日は、ただ一つ稼動している北海道の泊原発が定期点検のために停止する期日で、それまでに福井県の大飯原発の再稼働を許さなければ稼働する原発がゼロになるのです。

 振り返れば昨年の七月、佐賀県の玄海原発は安全確認できたとして再稼働寸前でした。それを止めたのが、日本共産党の笠井議員による「やらせメール」の暴露でした。

 そこで政府はストレステストを条件としましたが、国会での私の質問に経産相は「ストレステストで安全は確認できない」を認めざるを得なくなり、今度は暫定基準を条件にしました。しかし、これには「即席基準であり、拙速だ」との不信がいっそう広がっています。

 日本共産党の国会論戦と国民の世論と運動が結び付いて、稼動ゼロになるまでに大飯原発を再稼働させたい政府を追い詰めています。

  五月五日を全原発が止まる日にしましょう。さらに「止まる」から「やめる」、そして自然エネルギーへ「変える」へと進め、子どもたちに放射能の危険のない未来をプレゼントする大きな一歩の「こどもの日」にしましょう。

 五十四歳の誕生日を五十四基の原発が止まる日に!

「赤旗」東海北陸信越版 2012年4月26日付


豪雪対策の願いを国政につなぐ

 災害救助法による除雪の対象はどうなっているのか。雪に埋まり、二階の窓から出入りしている1人暮らしの78歳の女性が「市内に息子がいるから」と対象にならない。屋根の上に2mもの雪がつもったままなのに、住民票がないからと対象にならない−こんなおかしな話はないと、新潟県上越市で調査をした時に痛感しました。

  なぜこんなことに。新潟県委員会にお願いして調べると、各市長村には通常の除雪支援事業があります。その対象者は高齢者や障害者で、資力要件や市内に親戚がいないなどの条件があります。豪雪による住宅の倒壊で身体・生命の危険があるから災害救助法が適用されているのに、その対象を通常の除雪事業の枠内に限定していることに問題があることが分かりました。

  二十七日の参院災害対策特別委員会でこの問題を取り上げました。実例を示し、「危険な状態なのに除排雪できないでいる世帯は、救助の対象とするべきだ」と質問。厚労省は「資力・親戚の有無にかかわらず、真に救助が必要な方は災害救助法による除雪の対象」「住民票がなくても対象」と答えました。現場の改善に役立つ答弁です。

  上越市で、ある自治会長さんが「広域合併で市からの情報が少なくなっているが、橋爪市議の『市政リポート』のおかげで市につながっている」と語られました。「市議と一緒に、あなたの声は国政にもつなげましたよ」−またお会いできれば、ぜひ、そう伝えたい。

「赤旗」東海北陸信越版 2012年3月1日付


「国民総幸福量」をご存知ですか?

 「国民総幸福量(GNH)」という言葉をご存じでしょうか?

 これは、ヒマラヤ山脈の中腹の人口七〇万人弱の国、ブータン王国が政治の目標としているものなのです。先日、来日された同国のペンジョール上院議長一行を歓迎する参議院議長主催の歓迎夕食会に出席して直接お話聞くことができました。

 同国は二〇〇八年に憲法を制定して立憲君主制に踏み出したばかりの国。第四代国王が七〇年代に、「重要なのは国民総生産(GNP)ではなく、国民総幸福量(GNH)の増大である」と発言したのが始まりです。日本でも、政治家や財界から「人の幸せは物質的豊かさだけではない」との発言がありますが、もっぱら、国民の賃上げや生活向上の要求を抑えるための理屈です。

 ブータンでは違います。政府は、GNHの柱として持続可能で公平な社会的、経済的開発、自然環境の保護、伝統文化の保護と発展、よりよい統治の促進を挙げています。ですから、暮らしや自然、文化を犠牲にして開発をすすめことはありません。

 私は、隣の席になった上院議員に、「GNHの向上を政治の目標とすることは国民に支持されているのですか」と聞くと「国民も、経済成長だけではない幸福があることを知っている」と確信に満ちた返事でした。同国の一人当たりの国民総所得は二〇〇〇ドル程度ですが、教育と医療は基本的に無料とのこと。

 大震災と福島原発事故をうけ、日本の社会と政治の在り方が問い直されている今、もっと学びたい国です。

(愛知民報、2011年10月9日付)


原点の夏

 「ノーモア・ヒバクシャ」を訴えてきた被爆国の私たちが、どうして再び放射能の恐怖に脅えることになってしまったのでしょうか―八月九日の長崎平和宣言のこの一節は、今年の夏は、原点を見つめなおそうと決めていた私の思いと一緒でした。

 八月六日の広島平和祈念式典に参列し、長崎で原爆病院や原爆老人ホームを訪問。十九日には、再上映運動が行われている映画「ひろしま」を鑑賞しました。

 一九五三年製作のこの映画。原作は文集「原爆の子」。広島の市民ら九万人近くが出演し、被爆直後の惨状を再現しています。その舞台の一つが、私の母校、広島国泰寺高校の前身の広島一中です。

 高校一年の時に学校の集団鑑賞でこの映画を見た時、昔話だった原爆が現実のものとして迫ってきました。先輩たちが、崩れた校舎の下敷きになり、声をかけあいながらも亡くなっていく様子、人間の姿で死ぬことすらできなかった無念。「なぜこんなことが許されたのか」「理不尽なことには決して屈せず、立ち向かう生き方をしよう」―十六の夏の誓いでした。

 それから三十七年目のこの夏、命と尊厳を脅かす理不尽なもの、核兵器も原発もゼロを目指して訴えています。ノーモア・ヒバクシャ。

(赤旗東海北信越版、2011年8月25日付)


原発撤退へ国民的議論を

 先日の予算委で菅総理に対し「原発からの撤退の決断を。そうしてこそ自然エネルギーの本格的開発・普及もできる」と迫りました。総理は「再生エネルギーを成長させ、将来国民にゆだねる」と述べました。順序が逆です。まず撤退の決断をし、そのうえで代替エネルギーをどうするかなど撤退プログラムを作成することこそが必要です。

 国民世論もはっきりしてきました。「朝日」の世論調査で、「原子力発電を利用すること」の賛否は、原発事故直後の四月半ばは、賛成50%、反対32%。こんな大事故を目の当たりにしても半数が「賛成」とは意外に感じました。しかしその後、五月は43対36となり、六月は37対42と逆転、七月は34対46にまで差が広がりました。

 しかも六月の調査で初めて「原発を段階的に減らし将来やめること」への賛否も聞いていますが、原発の利用賛成という人の6割が将来やめることに賛成し、全体は賛成74%に達しました。さらに七月では77%にまでなっています。

 多くの皆さんが、福島原発事故が四カ月たっても収束せず、その被害が空間的にも時間的にも限定されないという「異質の危険」を感じ取り、意見を変化させています。今こそ国民的討論を巻き起こす時。がんばります。

(愛知民報、2011年7月24日付)


役立たない身内による取調べの監督

 虚偽の自白を強要された二人が、二十九年間も獄中に囚われた布川事件の再審無罪判決が確定しました。この事件の控訴期限の日の法務委員会で、捜査機関による自白の強要や証拠の隠ぺいは、今日も重大問題だと法相をただしました。

  この間、大阪東署、関空署での警察官による取調べ中の脅迫、暴行事件が続き、脅迫罪の有罪判決まで出ています。さらに、埼玉深谷市議選、福岡川崎町議選での選挙違反容疑での供述強要など相次ぎ、自殺者まで出ています。

 なぜ、無法な取調べが続くのか--警察庁は08年から各警察署に取調べ監督官を置き、取調べ室の外から視認することにより取調べを適正化するとしてきました。ところが私の質問に警察庁は、年間167万8000件の取調べのうち、問題行為が発見されたのはわずか30件だと答弁。つまり、問題のある取調べは0.0018%だけ-誰が信じるでしょうか。さらに、監督官による視認時間が平均一〜二分だという答弁には、委員会室に驚きの声が上がりました。

 身内による監督では取調べの是正されないことはもはや明らか。外部の目をいれる取調べの全過程の録音・録画-可視化しかありません。検察の手持ち証拠の全面開示の制度化とともに待ったなしの課題です。

(愛知民報、2011年6月26日付)


闘いこそが歴史を動かす

 最近、裁判闘争に関わる機会が相次ぎました。二十九年間の獄中に囚われながら再審無罪を勝ち取った布川事件。ノーモアミナマタ新潟訴訟。アスベスト被害の京都集団訴訟。そして熱海で開かれた全国裁判闘争交流集会。

  そのうち新潟水俣病では、新潟市内で開かれた解決報告集会に参加しました。昭和電工によって引き起こされ、第二の水俣病といわれてきた新潟の水俣病。阿賀野地域の皆さんが提訴したのが〇九年六月。その特徴は原告だけでなくすべての被害者の救済を掲げたことです。

  なぜか。提訴の前にお話しを聞きました。「足だけでなく、手がこむら返りする」「視野狭窄で家の中でもしょっちゅうぶつかる」「働けなくなるのが怖くて、検査もうけてこなかった」-水俣病に苦しみながらも差別と偏見を恐れてこれまで声をあげられなかった皆さんの悲痛な叫びでした。だからこそ、自分たちの補償だけでなく、すべての被害者の救済を掲げ、勇気をもって提訴されたのです。

  今年三月に国・昭和電工との間に和解が成立し、百七十三人の原告全員が救済対象となり、さらに昭和電工は原告だけでなくすべての被害者を対象に介護保険利用料の一部を負担する制度を作ることを約束しました。画期的なことです。さらに原告や支援のみなさんは、行政と企業の責任で地域の全住民を対照にした健康調査を行うよう求め、自力での調査を続けられています。

  闘いこそが歴史を動かす--このことを実感しています。

(赤旗東海北陸版、2011年6月24日)


危険な「もんじゅ」は中止を

 「直近に活断層。危険で採算もとれない、『もんじゅ』は中止を」―先日、決算委員会で、福井の高速増殖炉「もんじゅ」を取り上げました。運転開始直後の九五年のナトリウム漏れ事件で停止して以来、十四年五か月ぶりに運転再開したのは民主党政権下の昨年五月。ところがトラブル続きで、八月には3.3トンの中継装置が炉内に落下し抜けなくなるという事故で再び停止したままです。

 質疑の中で、運転開始以来、正常に運転できたのはわずか五千三百時間と判明。総投資額からいえば運転一時間当たり一億七千万円になり、停止中も一日当たり五千五百万円も維持費がかかっています。ところが原子力研究開発機構の鈴木理事長は、もんじゅは研究のための炉であり、「運転して特性をとり、停止を繰り返して調べている」と言い訳。「繰り返してなんかいない、ほとんど止まっているではないか」と切り返すと、他党議員からも「そうだ」の声があがりました。

 ナトリウム漏れ事故や中継装置落下事故の復旧の困難さは、高速増殖炉が、空気や水と爆発的反応を起こすナトリウムを冷却材に使うという根本問題を浮き彫りにしています。さらに毒性の強いプルトニウムを燃料に使う問題や採算の見通しのなさから欧米各国が撤退したのに、日本だけがしがみついています。

 文科省は、「国民の意見やエネルギー政策の見直しを踏まえ検討する」との答弁。危険で壮大な無駄遣いは直ちに中止をと求めました。

(赤旗東海北陸版、2011年5月29日付)


被成年後見者に選挙権を

 認知症や知的障害の人が財産管理や契約で不利益を被ることがないように成年後見人をたてると選挙権を奪われてしまう問題を法務委員会で取り上げました。

  2005年には、「選挙の公正を確保することが著しく困難な場合」以外に国民の選挙権を制限することは憲法違反だという厳しい最高裁判決が下されています。これを示して政府をただすと、総務副大臣は、「被成年後見人には、行政上の判断能力を期待できない」と答弁しましたが、法相は、「成年後見と選挙の能力は関係ない」と明確な答弁。総務省の道理のなさが浮かび上がりました。

  私が、「能力を選挙権の条件にするべきでないし、成年後見で問われる財産を管理する能力と選挙で判断する能力とは別物だ」とただすと、総務副大臣は「委員の意見も理解できる」、法務大臣は「重要な指摘と受け止めている」と述べました。

  この問題で先日、四十八歳の女性が東京地裁に違憲訴訟を起こしています。成年後見制度は本来、「自己決定の尊重」と「本人の保護」の制度であり、早急に解決が求められていると質問の最後に各党に呼びかけました。

  質問を終えた後、裁判を起こした女性のお父さんや弁護士さんからお礼のメールが届きました。がんばります。

(愛知民報、2011年5月1日付)


アメリカにモノいえる党でこそ

 国民を次々と裏切り、怒りの包囲のなかで退陣した鳩山前総理。後を継いだ菅総理が普天間問題で最初にやった仕事はオバマ米大統領と電話会談し、辺野古沖への新基地建設を合意した日米共同発表を守ることでした。

 この政権がいかに沖縄の心を踏みにじっているか。再任された岡田外相は先日の外交防衛委員会での私の質問に「普天間の危険性除去のためになのに、地元の市長が県内は駄目というのは納得できない」と答弁しました。私の「ひどい発言だ。宜野湾市民は自分たちの痛みは県内移設しても痛みだと反対している」という反論とともに、沖縄の地元紙は「本音が出た/沖縄の心踏みにじる」と大きく報道し、宜野湾の伊波市長は抗議の談話を出しました。

 世論調査でも宜野湾市民の九六%が県内「移設」反対、七五%が無条件撤去を求めています。「痛みのたらいまわしはまかりならない」――これこそ沖縄の声です。この政権が沖縄の声を重く受け止めるといいながら、アメリカの前ではモノがいえない政権であることが浮き彫りになりました。

 七日に沖縄を訪問した志位委員長に、基地の町、嘉手納の宮城町長さんはこう語りました。「沖縄県民に立派すぎることをいう国会議員がずらっといるが、アメリカにいっても何もいいませんでした。公党のトップが、苦い話を率直に語られた。共産党の訪米が一番いい」。

 アメリカに堂々とモノいえる党でこそ、沖縄の心、国民の願いにこたえることができる――参院選で訴え抜きます。

(「赤旗」東海北信越版、2010年6月11日付)


恥を知れ!

 「強欲トヨタよ恥を知れ!」――トヨタ車の大量リコール問題でのアメリカ議会の公聴会での被害女性の言葉が世界中で報道されました。トヨタ車の国内でのリコールは01年には4万6000台だったのが、05年には193万台と一気に40倍以上になり、世界中では昨年来でリコール対象となったトヨタ車は実に一千万台をうわまわりました。

 品質より儲けを最優先のやり方が拡大させ、深刻な雇用破壊と下請け企業の経営難をもたらした上、ものづくりの基盤をも壊していることがはっきりしました。トヨタの社長は「量の急拡大に追われるあまり、品質を支える現場の人材の育成に十分な時間をとってこなかった」と反省していましたが、本気でこれまでのやり方に反省するのかが問われます。

 衆院の予算委員会で日本共産党は、リコールが会社の届け出まかせになっているもとでリコール隠しも行われていることも追及し、トヨタの関係者の参考人招致を求めました。ところが米議会はトヨタの社長を証人に呼んだのに、日本の国会では招致は実現していません。儲け優先で社会的責任を投げ捨ててきた企業の体質とともに、それを後押ししてきた政治も問われています。引き続きがんばります。

(愛知民報、2010年3月7日付け)


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「うばすて山」以下の後期高齢者医療制度廃止法案の成立へ全力を

 長野県千曲市議選に向けた演説会で同市を訪れた十五日。「平成のうばすて山を許すな」の声が広がる中、話題となっている同市内の姨捨山にある長楽寺を訪ね、佐野昇純住職と懇談しました。

 「うばすて山伝説」とは、働けなくなったお年寄りを山に捨てる決まりがある国の話。ある息子が泣く泣く母親を背負い山に捨て帰ろうとすると、「道に迷わないように枝を折って置いた、たどって帰りなさい」と母親が言い、それを聞いた息子は、母親を家にかくまうことに。しばらくして隣国が難題をふっかけてきた時に、それを聞いた母親が解決法を伝授し、それを殿様に伝え国の危機が回避。息子から「かくまっている母親に聞いた」と聞いた殿様はお年寄りの知恵の大切さに気づき、うば捨てのお触れを撤回したというもの。

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 ご住職も、「うばすて伝説は本来お年寄りを大切にする教え」と強調されました。お年寄りを差別する後期高齢者医療制度はまさに「うばすて山」以下です。民主党などが、自ら提出し参院で可決した後期高齢者医療制度廃止法案の衆院での審議ボイコットという無責任な対応をしていますが、あらゆる手を尽くして廃止法案の成立へ全力を挙げます。

(愛知民報、2009年6月22日付け)


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魂の叫びを胸にたたかう

 岡部伊都子さんの訃報に接した四月二十九日の夜。初めて岡部さんと対談した九年前の「京都民報」の記事を読み直しました。

 当時私は、小選挙区二区に二回目の挑戦をする候補者活動の真っ只中でした。京都民報の記者さんから、「岡部伊都子さんが、井上さんとの対談をOKして下さった」という連絡を受けてビックリしました。

 岡部さんは随筆家として、沖縄、差別、環境など社会問題対に弱者の立場から発言をされてきましたが、日本共産党の候補者との対談に応じて下さったのは私が始めてのことでした。広島に育ち、被爆二世でもある私が、戦争と核兵器を無くすことを訴え続けていることに共感し、対談に応じて下さったと民報記者が教えてくれました。

 対談は、聖護院門跡のお部屋を借りて行ないました。私は、卒業した高校の先輩が原爆で全滅したことを十五の春に知った時のショックと「こんな理不尽なことを許さない生き方をしたい」と誓ったことを語りました。岡部さんは沖縄戦で亡くなった婚約者のことを語られました。

 出征する直前の婚約者と初めて二人だけになった時のこと。彼は「自分はこの戦争は間違っていると思う。こんな戦争で死ぬのはいやだ。天皇陛下のためになんか死ぬのはいやだ。君や国のためなら死ねるけど」とはっきり語り、岡部さんは「私やったら喜んで死ぬけど」と答えたのです。

 岡部さんは以来、自分があんな答えをしたために彼が沖縄で戦死したと悔やみ続けてこられました。まるで昨日のように彼とのことを語る岡部さん。病弱で小柄な岡部さんは小さな声には深く、重いものがこめられていました。

 あの戦争で多くの若者を戦場に送り、アジアの人々の命を奪いながら、反省もせずに権力の座に座っている連中がいる。その一方、自分のたった一言に「加害の女」だと半世紀以上も悔やみつづけてきた人がいる。その理不尽さに憤りを覚えました。

 昨年、戦争推進勢力に連なる人々は歴史教科書から沖縄戦での集団自決の強制の歴史を消し去ろうとしましたが、沖縄の人々はみごとにこの野望を打ち砕きました。岡部さんも病床で心配もし、喜ばれていたことでしょう。

 「腹が立つのは立派な憲法はつくっただけで、魂を入れていないことなの」と語り、日米安保やガイドラインを日米による世界への宣戦布告よと断じられた岡部さん。私は、「岡部さんの思いを国会に届けられるようがんばります」とのべて対談を終えました。

 憲法を守り、「魂」を入れる。改めて、岡部さんの魂の叫びを胸にたたかい続けます。

(京都民報、2009年5月18日付け)


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初めての両院協議会

 新しい首相を指名する本会議での選挙。衆参で結果が食い違ったため、首相指名としては9年ぶりの両院協議会が開かれ、私も日本共産党を代表して参加しました

 両院協議会は衆参それぞれ十人で構成されます。参院では決戦投票で小沢一郎氏に投票した会派から選ばれ、衆院では福田康夫氏に投票した会派から選ばれるため、参院では日本共産党にも割り当てられたのです。場所は議事堂の三階の中央にある両院協議会室。衆参それぞれが議決内容を報告した後、協議に入りました。私も発言にたち、首相指名は直近の選挙で示された民意にそって行なわれるべきものであり、参院選挙で示された自公政治ノーの審判に従うべきだと主張。協議では成案は得られず、衆院の議決が優先するため、福田氏が首相になることが決まりました。協議会への参加はもちろん初めてのこと。憲法に直接定められた二院制の手続きに参加できたことは憲法の重みを直接実感できましたし、与野党逆転国会のもとでの参院の議決の重みを実感することができました。波乱に満ちた臨時国会の第二幕の始まりです。これからも次々おこるであろう新しい事態に国民の立場で正確に対応する必要があります。その中で新しい政治の流れをつくる日本共産党の真価を発揮して総選挙勝利へ。全力でがんばります。

(「赤旗」東海北信越版、2008年9月27日付け)


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子ども達のために!―各自治体でのアトピー対策強化を求めて

  先日の文部科学委員会で、小中学校でのアトピー対策の強化について質問したことに、何人かの地方議員の方から問い合わせがありました。うれしいことです。

 この質問は、文科省が始めて実施した「アレルギー疾患に関する全国調査」の結果が発表されたことを受けて行なったもの。調査結果によると児童生徒の有病率は、ぜんそくは五・七%、アトピー性皮膚炎は五・五%にものぼります。文科省としては、「どのクラスにもアレルギー疾患をもつお子さんがいる」という前提で、今後、必要な対応を学校に周知徹底するとしています。

 そこで、私は具体的に求めました。まず、温水シャワーの設置の促進です。アトピー性皮膚炎の子どもに効果が高いと文科省も認めているにも関わらず、学校への設置は一四・八%にとどまっています。文科省は「先進的事例を紹介し、各学校に対応を促していきたい」と答弁しました。

 さらに、養護教員の増員や学校給食での食物アレルギーへの対応と教育的配慮、父母にたいする情報提供、アレルギー疾患の学校病への指定なども求めました。そのうち情報のホームページ掲載については、文科省で立ち上げるとともに、教育委員会等にも要請したいとの答弁。父母向けの冊子も検討中とのことです。

 今後、各自治体での対策強化を求めて父母や地方議員の皆さんと力をあわせていきます。子ども達のために!

(京都民報、2008年5月20日付け)


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新たな一歩―能登半島地震で大きな被害を受けた輪島塗等の地場産業に、初めて融資以外の公的支援制度ができました。

 創設された地場産業復旧支援事業は、「放置すれば消滅するおそれのある業種(漆器、商店街、酒造)の復興を図るため」に助成や金融支援をするもの。国と県で基金を作り、全壊の場合、施設・整備の復旧費として二百万円を限度に助成します。

 被災地の住宅再建支援については、運動を積み重ねて国の制度を拡充させてきましたが、被災した事業所については金融面での支援しかありません。しかし、大きな被害を受けた輪島塗は、輪島市の基幹産業であり、その再建なしに地域の復興はありえません。しかも、生産は年々減っており、融資をうけられる事業所は限られています。

 なんとかならないか−調べてみると、福井豪雨の際に、県が、被災した越前漆器等の生産設備の復旧に補助する制度を作ったことがわかりました。そこで災害対策特別委員会での質問で、福井の例も紹介し、「地域の再建に欠かせない地場産業の復旧に、国としても、融資だけでなく踏み込んだ支援を」と求めました。

 答弁は「産地の今後一刻も早い復旧を図る観点から支援等に万全をつくしたい」というもので、今回の制度に実りました。ただちに現地調査し、地方議員団と連携した質問の成果。よかった! 

(「赤旗」東海北信越版、2008年5月17日付け)


続いて参議院選挙/成宮さんと全力で

 いっせい地方選挙後半戦の開票結果を期待しながら、最終の新幹線で東京に向かっている途中。日本共産党京都府委員会の渡辺委員長からの携帯電話が鳴りました。

 福知山市議選の三選挙区でそれぞれ定数二で勝利し、和束町ではトップ当選という朗報でした。幸先のよい結果に期待が膨らみます。

 零時前に宿舎につくと再び電話。激戦の宇治市、城陽市、八幡市、久御山町は全員当選。良かった!さらに深夜に、木津川も全員当選、京田辺では青木さんが届きませんでした。向日市長選挙も大善戦です。皆さん、本当にご苦労様でした。 

 激戦の宇治市には告示前日と最終日に応援に入りました。一週間で反応もさらに大きくなり、候補者の訴えでも宣伝物でも日本共産党の議席の値打ちがいっそうキラキラと光っていました。老人ホーム勤務や保育所保護者会運動等の経験を生かし、徹底した調査研究に基づく二十二本もの条例提案が住民とともに市政を動かしてきた――磨けば磨くほど光るのは、党の議員団が住民にとって宝物のような活動をしてきたから。強く磨けばメッキがはがれるような議員とは大違いだと、誇りを感じながら最後の訴えをすることができました。

 さあ、続いて参議院選挙。大増税と改憲をストップ、いのちを大切にする政治へ成宮さんとともに全力疾走します。

(京都民報、2008年4月29日付け)


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能登半島地震、一刻も早い復旧へ

 家もお寺も、軒並み崩れ落ちた姿に思わずうめき声を上げました。二十五日の朝に能登半島地震に襲われたのを聞き、京都から八時間半かけ、その日の夜に被災地の輪島市に入った時のことです。

 石川県入りし、まずは県庁の震災対策本部を訪問した後、輪島市へ。被災地に近づくと、道のあちこちにひび割れや陥没があり、思うように走れません。

 到着後、尾西洋子県議、近松みき子参院石川選挙区候補、山口典久衆院北信越比例候補、あぶみ邦夫輪島市議らとともにただちに輪島市役所の対策本部に向い、助役さんにお見舞いを告げ、概況をお聞きしました。その後、市内の全壊した工場を見に行き、工場主の方からお話を聞き、さらにもっとも被害の大きい同市門前町の状況を視察しました。

 翌日は予算の採決の日でもあり、後ろ髪を引かれるような思いで夜中に金沢に戻り、翌朝、国会に向かいました。午後には現地で調査を続けている山口典久さんから電話。「避難所や医療機関訪問すると事態はさらに深刻。水も情報の不足している」という報告です。

 日本共産党は市田書記局長を本部長とする「能登半島地震対策本部」を設置し、私は副本部長に。早速、国会内で開いた本部会議で、前夜の現地入りの様子や、被災地からの電話の内容について報告し、党としての対応を協議しました。一刻も早い復旧へ力を尽くします。

(「赤旗」東海北信越版、2008年3月29日付け)


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国民大運動実行委の請願行動を激励する井上議員(中央)ら=25日、国会前

国会開会 党の出番

 いよいよ第百六十六通常国会が開会。二十五日の開会日の様々な動きは、今国会の重要争点を浮き彫りにしました。

 第一は貧困と格差の打開。昼休みに早速、到着した請願デモで目立ったのが、「残業代ゼロ法案許すな」「消費税の大増税反対」などのスローガンでした。総理は残業代ゼロ法案の今国会見送りを表明しましたが、あきらめたわけではありません。この法案の息の根をとめ、人間らしい働き方を実現するためのたたかいを大きく広げます。

 第二は憲法問題。二十三日の参院与野党国対委員長会談で、与党は国民投票法案の審議を行う憲法問題調査特別委員会の設置を提案してきました。私は、改憲のための手続法は必要ないと反対しましたが、開会日の本会議で与党は、多数決で設置をごり押ししました。

 改憲にかける安部政権の執念を示したもの。正面から対決し、廃案へ力を尽くします。

 第三は「政治とカネ」の問題。教基法審議であれほど「規範意識」を強調した伊吹文科大臣が、事務所費問題では居直りを続けています。また、政治資金に関わる疑惑が問題になっている角田副議長はマスコミからガードするために十数人の衛視に取り囲まれて本会議場を出ました。

 いずれも問われているのは、自ら疑惑についての事実を明らかにする自浄能力。閣僚の疑惑には総理の任命責任も問われています。

 どの問題でも日本共産党の出番。全力でがんばります。

(しんぶん赤旗 関西版 2007年1月26日付け)


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世論が特定高金利をやめさせた

 夕暮れのJR有楽町駅前に日本共産党の衆参七人の国会議員がズラリ。通行する人々から注目を集めました。十九日に行った 党国会議員団の高金利引き下げキャンペーンの街頭演説です。

 自殺者まで生み出してきたサラ金の高金利の引き下 げを求める世論と運動のなかで最高裁も金利引き下げを求め、日本共産党の追及に政府も法改正を表明してきました。ところが、これに危機感をもったサラ金業 界が自民・公明に献金攻勢を行い、自民党は、期限付きで特例高金利を導入するほか、利息制限法の金利を事実上引き上げるなど業界に有利な「改正案」を打ち 出しました。

 これには大きな怒りが広がりました。私の部屋にも京 都や全国の弁護士会や司法書士会、消費者団体、業者の皆さんから、「消費者の立場に立って特例なしに高金利引き下げを」とたくさんの要請がありました。こ の声に応えて取り組んだ街宣。「サラ金の暴利をこれ以上許してはならない」「献金で政治が業界優先にゆがめられていいのか」の訴えに大きな反応がありまし た。

 この街宣の五日後の二十四日、自民、公明は特例上 乗せ金利や上限金利の引き上げを撤回することを決めました。国民の世論と運動が与党を動かしたのです。業界からの再度の巻き返しを許さず、高金利の引き下 げへ最後まで全力尽くします。

(京都民報 2006年10月29日付け)


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海くん、がんばるよ

 「海くん」をご存知でしょうか?一歳半の時に事故で低酸素脳症による重い障害を持った西原海くんです。彼と家族の毎日をつづった「海くん おはよう」などの本はずいぶん評判になりました。

 その海くんが事務所に来てくれました。ご両親と一緒に、「全国訪問教育・親の会」の国会要請行動に参加したのです。

 訪問教育とは、障害が重くて学校へ行けない子の家庭や病院に先生が訪問して勉強するもの。義務教育でしか認められていませんでしたが、親の会の皆さんが「高校でも訪問教育を」と運動をつづけ、二〇〇〇年から完全実施となりました。ところが、今、新たな困難が生じています。障害者自立支援法で応益負担が導入されたことにより、施設の利用費や医療費の負担が大幅に増えたのです。負担が十倍にもなった人、利用回数を減らさざるを得なくなった人など、様々な問題をお聞きしました。この悪法はやはり抜本的に見直さなくてはなりません。

 そのうえ、高校卒業後の行き場が圧倒的に不足しています。現在は養護学校に通っている海くんも卒業後に大きな不安を抱えています。お母さんは、「十七歳になればヒゲも生えてくるし、私のことウザいと思っているじゃないかな」と笑って語っておられましたが、そのご苦労は大変です。

 誰もが命を輝かし続けられる政治の実現へ。海くん、がんばるよ。

(しんぶん赤旗 東海北陸版 2006年10月19日付け)


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北朝鮮核実験問題の解決へ全力

 北朝鮮の核実験をめぐって国際社会と日本の対応が問われた一週間。私も急遽、十一日の参院予算委の外交集中審議に立ちました。

 日本共産党は北朝鮮の暴挙に厳しく抗議し、その解決のためには国際社会の結束した対応と外交的・平和的解決の立場を堅持することが重要だと強く主張しました。この立場は国際世論の中心であり、国連でも粘り強い努力が続けられました。

 ところが日本の国会では異質の議論がありました。自民党や民主党の一部からは「六カ国協議は崩壊した」「日朝平壌宣言は破綻した」として、交渉をうちきり、制裁のエスカレートを求める論調が繰り返されました。しかも自民・民主が提案した本会議決議の案文には「外交的・平和的解決」の文言は無く、自民案には「国際社会の一致した対応」の言葉すらなかったのです。

 これに対し私は、外交的解決の努力をのべた米中韓の首脳の発言も示しながら軍事衝突と戦争は絶対に起こしてはならないと総理にせまりました。安倍総理も、国際社会が認識を一つにしており、外交的・平和的解決が必要だと認めました。さらに、日本共産党の修正要求が取り入れられ、衆参の本会議決議には「国際社会が結束した外交を展開し、平和的な解決を模索すべき」という文言が入りました。

 日本共産党の主張がなければ、国際社会の努力とはかけ離れた対応になりかねなかった−これが実感です。北朝鮮核実験問題の解決へ、さらに力を尽くします。

(愛知民報 2006年10月22日付け)


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中島さんと懇談する井上さとし参院議員、中野早苗参院長野選挙区候補、山口のりひさ衆院北信越ブロック候補

満州開拓団

 長野県泰阜(やすおか)村の中島多鶴さんを八日、訪問して満州開拓団についてお話を聞きました。

 泰阜村は戦時中、村民の約三分の一にあたる千二十人が満州開拓分村団として現在の中国東北部に渡りました。敗戦のなかで筆舌に尽くしがたい苦難を経験し、約六割の人が現地で死亡し、今も中国に残留している人もいます。そのほとんどは女性です。

 中島さんも開拓団の一員として命からがら帰国されました。妹四人をなくされ、戦後二十六回も中国に行って、残留孤・婦人の帰国と生活支援を行っています。そのお話は、ずっしりと重いものでした。

 敗戦後、開拓地から逃げる途中に、足でまといになるわが子を見捨てざるをえなかった親たちのこと。収容所での飢えと寒さ。今も残留している人々の望郷の念。小泉総理の靖国参拝が、墓参にも困難をもたらしていること……。

 同時に忘れてはならないのは、開拓団といっても開墾したのではなく、中国の人々の農地も家も奪ったという事実です。「私たちもひどいことをした」と中島さんもつぶやかれました。それは紛れもない領土拡張主義であり、侵略戦争であったことの証です。

 間違った戦争が、中国の人々にも日本の国民にも筆舌に尽くしがたい苦難を与えました。「戦争の性格は後世の歴史家が判断する」などと侵略戦争を否定することは許されない。その思いを新たにしました。

(しんぶん赤旗 東海版 2006年9月14日付け)


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61回目の広島の原爆の日に

 「ちちをかえせ ははをかえせ…わたしをかえせ わたしにつながるにんげんをかえせ」―初当選の直後、被爆者である詩人、峠三吉の詩にこめられた思いを胸に初登院したことをこの会報に寄稿しました。

 あれから五年。被爆地広島で原爆の悲惨さを胸に刻んで育ち、「憲法といのち輝く日本を」めざしてきた自分の原点を再確認しようと、六十一回目の広島の原爆の日に平和祈念式典に参加しました。

 その前日、広島市内で原爆症認定広島訴訟を支援する報告集会に出席したときのこと。「人間を返せ」の詩をアメイジンググレイスのメロディにのせて横井久美子さんが歌われました。その声が胸にしみ、新たな決意がわいてきました。

 その集会では、勝利判決を聞く前に亡くなった原告の一人、萬膳ハル子さんの裁判での陳述が朗読されました。九歳で被爆し、顔のやけどで一ヶ月も目が開けられず、結婚しても卵巣を切り取る手術で子どもを生めないからだに…。次々と病魔に襲われ、病床から原爆症の申請をしても却下され集団訴訟に踏み切りました。「もし私が被爆していなかったら、子どもを生んで、孫ができて…と想像するだけで涙がでます。夢でした」。

 被爆から六十一年間、被爆者にこんな思いをさせながら政府は原爆症認定基準を改善せず、被爆者を冷たく切り捨てています。それだけではありません。昨年の予算委員会では、米国が、「使える核」として地中貫通型核兵器を開発していることに対し、唯一の被爆国として中止を求めるべきだと外相に迫りました。答弁は、「一々この研究はいいの悪いのということを言う立場にはない」というもの。「それでも被爆国の外相か」―私は思わず言い返しました。

 この冷たい政治を変え、憲法といのち輝く日本をつくるため、がんばりぬきます。

(06年8月、日本共産党文学後援会会報「転形期」に寄稿)


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憲法9条について上口さん(左)と懇談する井上さん(右から3人目)=7月28日=

九条はダイヤモンド

 「九条はダイヤモンド」―山中温泉観光協会会長の上口昌徳さんとの言葉です。

 上口さんは、元自民党石川県連幹事長で県議会議長も務めた方ですが、「九条の会・石川ネット」の呼びかけ人になられています。先月二十八日、上口さんの旅館を訪ね、その思いをお聞きすることができました。

 上口さんは終戦直前の福井の空襲で九人の親戚のうち七人を失われました。「その悲しく厳しい思い出は、口にすることさえできず六十年間封印してきた」という上口さんが、その封印を解いて、今年の憲法記念日の石川集会で話され、大きな感動を呼びました。

 上口さんは、その集会で、「戦争が終わったとき、憲法の中にダイヤモンドのように埋め込まれた九条を私たちは文句なく受け入れてきた。自民党の中で青春を過ごしたが、この憲法を改正しようなどと考えたことは一度もなかった」と話され、「『野に直言なき国家は滅びる』。少数派がこの危機の時代を正しい方向に切り開くのです。皆さんと思いを共有し、勇気を持って進んでまいりたい」と呼びかけられました。

 私が、「まさに九条は世界の宝。『野に直言なき国家は滅ぶ』という言葉は、確かな野党としてがんばる私たちへの大きな励ましです」とのべると、「正義の味方としてがんばってください」と握手をしてくださいました。この九条をもっともっと輝かせるために。 

(京都民報 2006 年 8 月 6 日付け)


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諏訪・塩尻・木曾地域「冬の赤旗まつり」で郷土料理を楽しみながらの交流

充実した出会いの毎日

 来年の参院選挙の五人の比例候補の一人として、東海、北信越、京都の皆さんとご一緒にたたかうことになりました。

 候補者発表からの一週間で、豪雪調査、街頭演説、党会議や後援会まつりの挨拶など、東京→石川→福井→石川→東京→愛知→東京→長野→東京→京都→長野→岐阜→三重→静岡→東京と回りました。国会の会期中にこれだけの府県を一週間で駆け巡ったのは初めてのこと。

 安全軽視と格差拡大の小泉構造改革のゆきづまりが急速に広がるなかで、「なんとしても選挙での本格的前進を」という熱い思いがどこでもあふれていました。「被爆地広島で原爆の悲惨さ胸に刻んで育った。だからこそ憲法といのち輝く日本めざしてがんばりぬきます」との私の訴えに、各地でたくさんの激励をいただき、充実した日々でした。

 様々な出会いがありました。「テレビの質問見ました。期待してますよ」と力強く手を握る人、「一緒にがんばりましょう」と写真を撮った地方議員の皆さん、民青の活動でご一緒して以来、二十五年ぶりに再会した人などなど。

 様々な味との出会いも。諏訪、塩尻、木曾の「冬の赤旗まつり」では手づくりの郷土料理を堪能しました。静岡の県党会議では「うちのまちできたみかんだから」と両手一杯もらいました。小粒で濃厚な味。疲れも吹き飛びます。名古屋では、初めての味噌カツ。大いに訴え、握手し、そして食べてがんばります。

(しんぶん赤旗 東海・北信越版 2006 年 2 月 15 日付け)


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国会内で開かれた医療保険改悪反対の決起集会で=23日

見えた小泉政治破たん

 通常国会が二十日から始まりました。

 この日、小泉総理の施政方針等が行われた衆参本会議の合間を縫って、BSE問題に関してアメリカからの牛肉輸入再開問題をどう、序盤の論戦で取り上げるかを議論しました。

 ところが、本会議後に部屋に戻ると、輸入再開されたばかりのアメリカ産牛肉にBSE危険部位である脊柱が混入していたことがわかり、再度輸入禁止にしたというニュースが飛び込んできました。

 昨年の総選挙では「小泉旋風」で、行き詰まりを覆い隠した自民党政治ですが、その破綻がどんどん加速していることを実感した一瞬でした。

 この一年を振り返ればますますその感を強くします。昨年春のJR福知山線の脱線事故は国鉄分割民営化が安全を犠牲にしたことを劇的に示しましたが、民営化からは二十年たっています。

 続いて耐震偽造問題。九八年の建築基準法改悪での規制緩和で住宅の安全より儲けを優先した結果であることを浮き彫りにしました。これは、改悪から七年後になります。

 さらに、ライブドア問題。証券取引の規制緩和は〇〇年代のことですし、自民党が堀江氏を「改革の旗手」と持ち上げたのは昨年の八月で、わずか五ヶ月前。

 そして、こんどは米産牛肉の輸入再停止。この問題にいたっては、昨年十二月に再開したばかり。わずか一ヵ月で破綻です。

 開会日の議員面会所には全国から百三万人分の様々な請願署名が積上げられ、熱気にあふれました。このたたかいと連帯し、行き詰まった暮らし破壊政治と正面から対決して、この国会をがんばりぬきます。

(しんぶん赤旗 関西版 2006 年 1 月 25 日付け)


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