「青い空は青いままで、子どもらに伝えたい♪」――何度歌ったことでしょう。「青い空は」の作詞者である小森香子さんの訃報に先日接しました。
小森さんは原爆の歌の作詞を依頼された時、被爆者でない自分が書けるのかと思ったそうです。でも、かつてチェコスロバキアのナチスにより全滅されたある村を訪問した時のことが頭に浮かんだ。日本人だと知って老女が「ヒロシマ! ヒロシマ!」と叫んで抱き着いてこられた。「ヒロシマは世界の言葉なんだ」と知って衝撃をうけた。そのことを思い起こし「ヒロシマの母」として書くことを決意されたのです。
ヒロシマの力を私が実感したのは、被爆二世として六年前、国連で核兵器禁止条約採択に立ち会った時のこと。採択の瞬間はもちろんですが、その後、発言に立った各国代表が口々に語ったことにも感動しました。被爆者が自らの体験を語りながら「核兵器は人類と共存できない非人道的兵器だ」という訴えが世界を動かしたことへの感謝の言葉が続いたのです。
核兵器の非人道性を一番知っているのは日本政府のはず。ところがサミットでの「G7広島ビジョン」は核兵器禁止条約には一言も触れず、核抑止に固執する内容を被爆地から世界に発信した恥ずべきものでした。一体原爆資料館で何を見たのか。
今年も8月6日は広島です。「青い空は」を歌い、被爆者の願いが届く政治への転換を誓います。(愛知民報、23年7月16日付)