訪米調査2日目。今日は早朝からペンシルバニア州のスリーマイル島原発の視察に行き、午後は現地で関係者の皆さんと意見交換をしました。ハードでしたが充実した視察ができました。
ホテルを7:00に出発。車でスリーマイル島原発に向かいました。市街地を抜け、郊外住宅街や農村地域も通り、3時間余りで到着しました。何度も映像で見た、四つの冷却塔の姿が眼前にあります。
1979年に炉心溶融にいたる重大事故を起こした2号炉は、85年から5年間かけて燃料を抜き取り、その後事故で生じた廃液を処理。以来、原子炉は長期的なモニタリングによる保管状態に置かれており、一号炉の運転許可期限が切れる2034年以降に両方の炉の廃止措置に取り掛かる方向です。
視察では、事故当時に漏れ出した冷却水で汚染されたタービン建屋や制御室の中に入って説明を聞きました。タービン建屋の中は、汚染された器機類は撤去されており、がらんとした巨大な倉庫という感じです。
制御室は今、ごく一部しか使われておらず、中に入って説明を受けることができました。事故当時の職員の方も同行説明してくださり、事故直後に100を超す警報ランプが一斉に赤く光って騒然とした状況になり、水位計の表示の間違い等も重なる中で対応を誤り、重大事故につながった様子が生々しく語られました。
視察2日目②/原子炉関係者との懇談会
施設を視察後、昼食を取り、引き続いて原子炉二号機を現在所有している会社のロイ部長や常駐している原子力規制委員会(NRC)の方とともに意見交換会。予定を一時間をオーバーする熱心な質疑応答となりました。
事故直後、当時のカーター大統領が現地視察。大統領により設置された調査特別委員会(ケメニー委員会)やNRCに設置されたロゴビン委員会により調査報告書が出されました。
それにより、発電所の安全対策が強化されるとともに、運転員やその監督者のライセンス取得が厳格化され、事故後はNRCの査察官2名が発電所に常駐することになったとのこと。査察官は毎日、本部に報告書を上げているとのことでした。
質疑応答の中で、日本での電力会社と規制当局との関係について問われ、米国でも事故以前から、原子力委員会が規制と推進をしていることが問題になり、NRCと米国エネルギー省に分割されたと回答。こうしたことは大変参考になりました。
一方、質疑応答で、近隣住民の健康調査の内容や土壌の汚染、作業員の健康被害などへの質問が出されましたが、基本的に問題なしとの答え。近隣住民に対する調査では直接的な健康被害は見られなかったとのことですが、ストレスは大きいということは認めていました。それ自体はいささか疑問ですが、福島の事故で放出された放射能は比べ物にならないほど大量であり、あまり参考になりませんでした。
終了後、再び3時間かけてバスでワシントンへ。夕食はシーフードレストランにて。ホテルに戻ると22時でした。