吉田敏浩 (ジャーナリスト) 井上哲士 (党参議院議員)
■オスプレイと低空飛行訓練
井上 オスプレイの沖縄・普天間飛行場への配備が強行され、本土での訓練もはじまりました。配備計画が明らかになって以降、関係自治体やその住民から驚きと怒りの声が広がりました。日本共産党国会議員団は、赤嶺政賢衆院議員を本部長、塩川鉄也衆院議員を事務局長、私を本部長代理にオスプレイ配備反対闘争本部をつくり、私自身、ブラウンルートの広島、ブルールートの長野、オレンジルートの四国などを現地調査し、静岡のキャンプ富士にも行き、話を聞いてきました。
もともとこれらの県では、これまでも米軍機による低空飛行訓練がおこなわれて、被害が出ていました。たとえば四国では、険しい山々の中腹にある集落の人たちに集まってもらい話を聞くと、突如、谷間から米軍機が現れて、自分の家の下を飛ぶと言います。一九九四年には高知・早明浦ダムに墜落しています。長野では、シーズン中のスキー場にジェット機の部品が落ちてきたという現場も見てきました。そういう生々しい記憶が語られ、これにオスプレイが加わったらどうなるのかというのが共通した声でした。
早明浦ダムの墜落事件のとき、私たちの入手したアメリカの資料で、はじめて訓練ルートの存在が明るみに出ました。しかし政府は一貫して「そういうルートについては承知していない」という対応でした。それが今回、オスプレイ配備にともなって米海兵隊が発表した「MV22オスプレイ配備運用に関する環境レビュー」(以下「環境レビュー」)に訓練ルートが明記され、日本政府も存在を認めたことが、新しいたたかいの火種になっています。
高知県の場合、山間地ではドクターヘリが不可欠ですが、訓練ルートがドクターヘリが使うコースの真上にあたります。実際に、ドクターヘリの訓練がおこなわれているときに、米軍機がきたこともあったそうです。長野の飯山市では、市街地の真上に訓練ルートが設定されていますが、事前に何の連絡も相談もありませんでした。「自分たちの上空になぜアメリカは勝手に訓練ルートを設定できるのか」「事故がおきたらどうするのか」――市の当局からも、観光地の町長さんからも怒りの声があがってきています。
吉田 このオスプレイ配備問題を見ても、アメリカの方ばかり向いている政府の姿勢は、民主党政権でも自民党政権でも同じです。象徴的なのが、昨年、当時の野田首相が「配備は米政府の方針であり、(日本から)どうこうしろと言う話では基本的にない」と述べ、森本防衛大臣(当時)も「(配備の是非について)安保条約上、日本に権限はない」と述べていることです。
井上 私は、オスプレイの配備に対して、昨年の参院予算委員会で、アメリカ本土では、住宅密集地の上空での低空訓練は禁止され、それ以外でも事前にルートや計画を明らかにし、環境調査をおこなっていること、ニューメキシコやハワイでは、住民とか観光資源、野生生物に影響があるとして配備中止になっていることも示し、「計画の事前公開と住民合意をアメリカ国内でできてなぜ日本でできないのか」と追及しました。国外でアメリカ軍が訓練する場合でも、たとえばイタリアでは、過去低空飛行訓練で事故が起き、ルートや計画に対しイタリア軍司令官の事前の承認が必要です。しかし、日本政府は「安全面に最大の配慮を払い、......ということは、これまで米側に再三申し入れてまいりました」とくり返すばかりで、アメリカに「お願い」をするという態度。森本防衛大臣(当時)にいたっては、「具体的な運用計画は非常に軍事的な意味がありますので、個々の運用計画をアメリカは明らかにしないと思いますし、また、軍事的な目的に沿って行われる訓練でもありますので、その訓練の性格に鑑み、その必要はないというふうに私は考えております」と堂々と答弁する。まともに日本の空の主権もないという実態、それが当たり前のことのように言う政府に、あらためて怒りを感じました。
■なぜ勝手に日本の空を使えるのか
吉田 オスプレイが沖縄をはじめ全国で、米軍が勝手に決めたルートを使い、低空飛行訓練を強行しようとしているのは、今回突然始まった話ではないということですね。すでに米軍機の低空飛行訓練が、一九八〇年代から激化し、九四年には早明浦ダムに墜ちる事故も起きていた、その延長線上にあるわけです。しかし、なぜ、そもそも安保条約と地位協定にもとづいて提供した基地や訓練場、演習場、訓練空域ではないにもかかわらず、米軍が日本の空を好き勝手に使い、日本政府もそれをずっと認めてきているのでしょうか。そのことを国会などで追及されると、政府の答弁で出てくるのが「基地間の移動」という言葉です。
私は、厚木基地の爆音問題や墜落事故の取材をし、ルポを書いていますが(「『爆音のない静かな空を!』厚木基地周辺住民、半世紀の訴え」)、そのさいに低空飛行訓練の問題で、二〇〇五年に群馬県渋川市に取材に行き、地元の平和委員会や監視活動をおこなっている人たちのお話を聞いたことがあります。もともと渋川や前橋などの上空は、自衛隊の訓練空域(ルートH)があり、それを米軍に又貸しし、厚木基地を拠点とする空母艦載機が飛来して低空飛行をしていました。地元の人に聞くと発電所やダム、橋などを仮の標的にし、急降下・急上昇の訓練などをしているそうで、衝撃で窓ガラスが割れたりもしたそうです。島根県と広島県にかかるエリア567も、自衛隊の訓練空域を米軍に貸し、岩国基地の米軍機や在韓米軍の飛行機が低空飛行訓練をしています。そして厚木と岩国の間を結んで紀伊半島や中国山地を、岩国と沖縄を結ぶ九州や四国を、三沢の米空軍機は北海道から東北にかけてと、日本の空を自由自在に飛び回っている。三沢の米空軍機の場合、そうやって訓練したF16戦闘機が、イラクやアフガニスタンに行き、空中給油も受けるなどして、空爆をしてきました。イラク戦争当時は、空母・キティーホークの艦載機が厚木基地を拠点に訓練をしたうえで、イラクで空爆をしています。私は、外務省や防衛省に、「どうして米軍は、日本が提供していないところでも訓練ができ、しかも日本防衛とは関係のないイラク戦争に出撃をしているのか」と聞くと、「基地間の移動」と答えるだけです。日米地位協定の第五条「2 1に掲げる船舶及び航空機、合衆国政府所有の車両(機甲車両を含む)並びに合衆国軍隊の構成員及び軍属並びにそれらの家族は、合衆国軍隊が使用している施設及び区域に出入し、これらのものの間を移動し、及びこれらのものと日本国の港又は飛行場との間を移動することができる」にもとづいたものだと言うわけです。
井上 そのことは、二種類の説明をしているのではないでしょうか。さすがに今回のような明確な訓練を、「基地間移動」だけで説明するのは困難です。昨年、決算委員会で「アメリカが自由に日本の上空に訓練ルートを決めるという権利は日米地位協定の一体どこに定められているのか」と質問しました。すると外務大臣は、「何条に規定されている、......そういうものではございません。日米安保条約そのもの、つまり、その趣旨、目的に鑑みて駐留することを認められているがゆえに、軍隊としての機能に属する諸活動を一般的に行うことが前提となっている」――つまり、何をやってもいいということです――「ということで、施設・区域でない場所の上空も含めて認められると」いう答弁でした。これまでも、実弾訓練などは、特定の施設・区域内でないとできないが、それ以外の通常の訓練はどこでやってもいいという答弁をしてきました。
吉田さんの言われた自衛隊の訓練空域を使用した米軍の訓練。私も何度も国会質疑や質問主意書でとりあげた問題です。群馬では高校入試日の前後に爆音をまき散らして訓練がおこなわれるなど、地域住民の日常生活に深刻な被害を及ぼしてきました。関係自治体は何度も政府に情報提供をもとめるとともに、訓練の中止も申し入れています。
実は、米軍が自衛隊の空域を使う場合、事前に空域管理者である自衛隊基地に予定を通告し調整がおこなわれますから、防衛省はあらかじめ米軍の訓練予定を知っているわけです。しかし、関係自治体がいくら訓練の情報を求めても明らかにしてきませんでした。私も、「事前に通報する考えもないのか」と質問しましたら「米軍との関係もあり、事前に公表はしない」という答弁書が返ってきました。そこで、全国に二五ある常設の自衛隊訓練空域ついて米軍の使用のための調整実績を開示するよう求めたら、米側がなかなか同意しなかったために九カ月もかかりましたが、約二年分の実績がはじめて提出されました。それによると、お話のエリア567では少なくとも四五三日、二五八二時間もの飛行が通告されていました。このことについて地元紙の社説は「なぜ住民に情報伝えぬ」との見出しで取り上げ、「自治体に大きな衝撃をもたらしたのは間違いない」「情報を隠していたといわれても仕方あるまい」と書きました。住民の安全より米軍優先の姿勢に批判が広がっています。
■戦場に見立てた「過酷な訓練」が
井上 これまでの米軍ジェット機の低空訓練についても、日米合同委員会の合意があったのですが、実際には守られてきませんでした。今回のオスプレイの沖縄配置にあたっても、「進入及び出発経路は、できる限り学校や病院を含む人口密集地域上空を避けるよう設定する」という日米合意があったにもかかわらず、見事にその日から破られています。
吉田 「米軍の施設及び区域内においてのみ垂直離着陸モードで飛行」だとかも。
井上 合意には、必ず「できる限り」などの文言がついていて、抜け道があるのです。沖縄県が昨年一二月、各市町村と連携して目視調査を実施した結果、配備から二カ月で目視総数のうち六割が合意違反だということを明らかにしました。ところが政府は、「精査する」とくり返すだけで、「違反の事実は確認されていない」という態度です。一月以降、私たちが「では調査をおこなえ」と追及していますが変わりません。どうせ守られないとわかったうえで合意を結んでおいて、違反している事実があっても認めないというわけです。とことんアメリカの立場に立っているのです。
普天間では、オスプレイが後ろのハッチを開けて飛んでいるためペットボトルが落ちた事件もありました。アメリカでも同じことが何度も起きています。このペットボトルの落下事件も詳細を確かめ対応策を詰めることはおこなわれず、うやむやです。
そもそも日米合意で「公共の安全性に妥当な配慮を払って」地上から一五〇メートル以上の高度で飛行するとしている一方で、「環境レビュー」には、地上六〇メートルでおこなう「防御戦闘演習」、一五〇メートル以下での「低空戦術」が並んでいます。なぜそんな訓練を外国でおこなうのか。米国内でやるときには住宅の上ではダメなど厳しい規制があるが、外国ではそういう規制がありません。南米でオスプレイの訓練をおこなった米軍幹部は、「アメリカ本土では遭遇することのないチャレンジがある。われわれの快適なゾーンを抜け出して、なじみの薄い場所で過酷な訓練を行うよい機会です」と言っています。
吉田 沖縄で、米軍は地域そのものを戦場に見立てて訓練しています。私は、米軍の北部訓練場でのヘリパッド建設に対する反対運動がある沖縄・東村高江を訪ね、住民から話を聞きました。「米軍ヘリコプターが飛んで来て、機関銃の銃口を民家に向けたりする」と話す人がいました。路上やパイナップル畑にいて銃口を向けられた人もいました。ヘリコプターの脇のドアを開けて監視しながら、ときに銃口を向けたりする。つまり、民家や住民を仮の標的に見立てているのです。アフガニスタンやイラクといった戦場に行き、占領したあと、市街地や集落の上を飛びながら、監視し、不審な対象を見つけたら発砲するための訓練です。高江の人たちがヘリパッド建設に反対する理由は、騒音や事故の危険もありますが、自分たちの生活空間が仮の戦場に想定されていることへの不安と怒りもあるのです。そしていま、集落を取り巻くようにヘリパッドが六カ所新たにつくられようとしています。上空ではすでにオスプレイの訓練もされています。伊江島でも、オスプレイが戦場で車両などを吊り上げて運ぶ訓練として、三トン以上もあるようなコンクリートブロックを運ぶ訓練をしています。五人くらいの兵士をロープで数珠つなぎにして運ぶのも、兵員が狭いところから脱出する訓練です。こうした実戦的な訓練を、キャンプハンセン、キャンプシュワブ、北部訓練場、伊江島の補助飛行場でしています。低空飛行訓練でも、橋やダムなどを標的に見立てている。米軍は日本を仮の戦場・占領地と見なして訓練をしているのです。
一九五九年六月三〇日の沖縄の宮森小学校への米軍ジェット機墜落事故で、児童一一人と住民六人が死亡、児童一五六人と住民五四人が重軽傷を負いました。この事故は映画「ひまわり」にもなりましたが、当時教師で、事故現場に駆けつけた豊濱光輝さんは、「当時は戦争が終わって一四年目で、小学生の親たちの世代は沖縄戦で命拾いをして、戦後産んだわが子だったのです。平和のありがたさを実感し、一生懸命子育てに励んでいたのです。だから子どもの命を奪われた親、身内の怒りは大きかった」と語ってくれました。沖縄戦での被害の上にさらに米軍基地による被害が積み重なっています。オスプレイの問題には、このように人びとの命と人権と尊厳が侵されてきた歴史が重なっているのです。
井上 「環境レビュー」でも、はっきりと「沖縄の海兵隊の航空部隊は、考え得る最も過酷状況下でも交戦能力を有し、迅速で決定的な遠征部隊になるため......」と書いています。考え得る最も過酷なときに戦闘できる能力を備えることが任務なのです。だから危険な訓練を平気でやっているのです。
■何のための日米安保なのか
吉田 訓練の実態からは、結局、何のための日米安保・地位協定かが問われているのです。末浪靖司さんの『対米従属の正体』にありますが、結局、地位協定に、たとえば低空飛行訓練をしてはいけないと書かれていなければ、できるという論法で、外務省は答弁します。それと同じです。そして、「常に米軍のパイロットは練度を高めていかなければならない」など米軍の軍事的合理性を強調し、「だから必要だ」「ひいては日本の防衛にも貢献している」と。軍事優先のもとで、墜落の危険や騒音の被害・不安など住民の人権や命、生活権・生存権が侵されていることを、日本の政治家も官僚も、まったく二の次にして、米軍の軍事を最優先させています。ここには対米従属の構造がはっきりとあらわれています。
まず基地を提供し、航空特例法で、日本の法令を免れるということを決めておいて、全国に訓練ルートも提供し、米軍基地の維持のために、本来地位協定で負担する必要のない基地の維持費や従業員の人件費などまで思いやり予算の名で負担しています。その基地から、ベトナム戦争、湾岸戦争、アフガン戦争、イラク戦争などに出撃して空爆したり、地上部隊も出動しているのです。日本が出撃拠点になって、アメリカの戦争に加担し、協力している構図があるわけです。私の家は厚木基地の北東約一三キロ、川崎市の一角にあり、上空をFA18戦闘攻撃機などの米軍機が飛んでいるのが見えます。イラクなどで空爆をしてきた米軍機で、まさに血塗られた翼です。軍事優先のもとに、アメリカ軍は日本でも人権を侵し、他国でも人権を侵害している。それを日本政府は黙認し続けています。そうした事実を知らない国民も多く、その構造に気づかないなかで、結果として黙認してしまっています。ジャーナリズム、マス・メディアがそこをしっかりと追及できていない問題は、根深いものがあります。
井上 日本の上空で自由に訓練ルートを決めることができるのは安保条約の趣旨だ――これ自体が国民の安全よりも安保を上に置く許されないことですが――と言うのですが、実際には、安保の趣旨をはるかに超え、地球規模での日米同盟の枠組みになっています。
吉田 そうですね。
井上 そのもとで、おっしゃったように日本の防衛とはおよそ関係のないイラク戦争などに出動する訓練基地として使われています。「環境レビュー」のなかで、オスプレイの任務について「遠征地における海上または陸上拠点からの運用、強襲支援及び航空退避」つまり日本防衛とおよそ関係のない侵略の殴りこみ部隊を支えるものということをはっきり書いています。そのために、日本で自由に訓練し、国民に騒音や安全被害をあたえても当たり前というのはあまりにもひどいと思います。
吉田 安保条約には、いままで一度も使われたことはありませんが、「事前協議」という制度があります。一九六〇年の安保改定のさい、条約の附属文書とした岸首相・ハーター国務長官の交換公文で、「合衆国軍隊の日本国への配置における重要な変更、同軍隊の装備における重要な変更並びに日本国から行われる戦闘作戦行動のための基地としての日本国内の施設及び区域の使用は、日本国政府との事前の協議の主題とする」とされたものです。このとき岸政権は、これで日米が対等になる、これが安保改定の一つの目玉だと言っていました。これだけ危険で墜落事故が起きているオスプレイの配備について、この事前協議の対象にすべきだという声が沖縄や岩国の住民を中心に高まったのは当然です。ところが政府は、「事前協議の対象ではない」と言い続けました。
私が、外務省北米局日米安全保障条約課に電話で問い合わせたところ、「オスプレイはCH46に代わる機種の変更であり、安保条約の事前協議の対象である『装備の重要な変更』には当たりません」という回答でした。では、「装備の重要な変更」とは何かと聞くと、「国会で答弁してきたように、核弾頭及び中長距離ミサイルの持ち込み並びに、それらの基地の建設と解釈することが日米間の了解になっています」と言うのです。そして、それは「明文化されていない」「文書としてではなく、口頭了解として日米間で確認し合っています。その口頭了解は現在も有効です」と答えるわけです。
その口頭了解なるものは、いわゆる「藤山・マッカーサー口頭了解」という、核密約で有名になったものです。「一九六八年四月に外務省が文書にして国会に提出しています」と言うのですが、実はこれは核兵器を積んだ米艦船の日本寄港や領海通過を日本との「事前協議なしにできる」とする核持ち込みの密約をごまかすために、自民党政権が国会答弁用につくったニセの「口頭了解」で、その元になる、六〇年の安保改定交渉のさい、当時の藤山外相とマッカーサー駐日大使が交わした「討議記録」(「討論記録」)と言われているものがあるのです。そこには「装備における重要な変更」に該当するものとして「核兵器及び中・長距離ミサイルの日本への持ち込み並びにそれらの兵器のための基地の建設を意味するものと解釈されるが、たとえば、核物質部分をつけていない短距離ミサイルを含む非核兵器の持ち込みは、それに当たらない」(不破哲三著『日米核密約』)と書かれている。
二〇〇九年に民主党政権ができ、岡田外相(当時)が四つの密約の調査を命じ、報告が出されました。しかし、その外務省調査報告では、密約と認めていません。外相が設置した外交史研究者らによる有識者委員会の報告でも、「暗黙の合意(広義の密約)」という曖昧な結論となり、結局うやむやにされました。私も外務省安全保障条約課の職員に、「口頭了解などというものはない。外務省の作文で、本当は密約文書があることが明らかになっているではないですか」と言うと、「外務省の調査でも明らかなように、(核持ち込み密約を)密約とは私たちは考えておりません」と主張するのです。
しかし密約は、事前協議の対象を「核弾頭及び中長距離ミサイルの持ち込み並びに基地の建設」だけに限定し、ほかの装備の重要な変更は対象にならないとしています。だからオスプレイは事前協議の対象とされないのです。核密約・事前協議密約はこうしたかたちで生きています。
■米軍関係者の犯罪の裁判権放棄密約
吉田 ごまかしは核密約・事前協議密約だけではありません。「日本にとって著しく(実質的に)重要な事件以外は裁判権を行使しない」という、米軍関係者の犯罪の裁判権放棄の密約もそうです。外務省は、追及されて二〇一一年八月に文書を公開しましたが、これは日本側が一方的にそういう態度を表明しただけで、密約ではないとごまかしました。民主党政権もその説明をうのみにし、マスコミもその後追及していません。民主党政権はすべてを曖昧にして、廃棄しなかったのです。
井上 密約じゃないから廃棄する必要もないのだという理屈です。
吉田 むしろ密約として隠され、後ろめたさがあった時代よりも、いまは開き直っています。状況もほとんど改善されていません。日本平和委員会の調べでは、二〇一一年の一年間に国内で発生した米軍関係者(米兵・軍属・家族)による「一般刑法犯」(自動車による過失致死傷を除く)の起訴率が一三%で、一〇年の日本人も含めた全国の起訴率四二%に比べ、大幅に低い数字となっているのです。強姦・強姦致死傷・強制わいせつ事件は神奈川県で三件発生しているのですが、全て不起訴です。
井上 政権交代後、密約調査がはじまり、その後に米兵による刑事事件についての密約の存在を裏書きするような報道が出たとき、私も質問をしました。このとき岡田外務大臣(当時)は、「今後、三十年を超えた文書について、順次、テーマごとに公開していく。......行政協定、地位協定にかかわるものについて優先順位を高くして公開していくことは考えられるのではないか」と答弁し、二〇一一年にいまのべられたように、裁判権放棄の日米密約の文書は出てきたが、日本側の一方的表明だとして密約とは認めなかった。しかもわざわざ発表する前日に、日米合同委員会を開いて、「日米両政府間の合意を構成したことは一度もなかった」と確認までしています。民主党政権が一定公開したことは確かに変化でした。しかし、それを覆すのではなく、そのまま認めてしまったということです。
吉田 問題をうやむやにした結果、米兵犯罪の起訴率はいまだに低いままです。情報公開の名の下におこなわれたけれど、逆に居直っている。
■一度も裁かれていなかった軍属
吉田 井上さんが鋭く追及された軍属の裁判権の問題もあります。
井上 米軍属がおこした事故で命を奪われた與儀功貴さんの遺族が、検察審査会に申し立てをしたことで明るみになった問題です。日米地位協定では、軍属も公務中の場合、アメリカに一次裁判権があるとされています。では実際にアメリカ側で裁かれているか調べてみると軍属はただの一件も軍法会議にはかかっていないことがわかったのです。一九六〇年の米連邦最高裁判決で、平時には、軍属に対して、米軍の裁判権はおよばないとされているからです。検察審査会は「起訴相当」の判断をしました。再度不起訴にすれば、世論は沸騰するうえ、次は強制起訴が議決されることは確実だという判断が、日米両政府にはあったのでしょう、ギリギリのところで「運用の見直し」となりました。その結果、この軍属は日本で起訴され、有罪となったことは重要です。一方、公務中の第一次裁判権は引き続きアメリカにあることを結果的には認めてしまい、アメリカの「好意的配慮」にすがるものになっています。日米地位協定そのものを変えるところまでやるべきだったですね。
吉田 平時に軍属を軍法会議にかけるのは憲法違反だという米連邦最高裁判決があるため、軍属には米軍の裁判権は及ばないわけです。公務中でも公務外でも米軍属の犯罪の第一次裁判権は駐留受け入れ国側の日本にあると、はっきりと変えるよい機会だったのです。ところがそれは脇において、「好意的考慮」を払うとしてしまった日米の官僚機構の巧妙さ、ずるさがあります。
井上 いま、日米首脳会談を受け、京都の丹後半島の経ヶ岬に、北朝鮮に対応するミサイル防衛システムのXバンドレーダーを配置するという話が突如もち上がりました。京都にはこれまで戦後のごく一時期を除いて米軍基地はありませんでした。先日、調査に行ったのですが、住民のみなさんからは、百数十人の軍人・軍属が来るわけで、「沖縄で起きていることが起きるのではないか」という治安上の不安が出されました。実際に青森の車力基地では、同レーダー配備後、米軍属が九件(暴行一件、住居侵入一件、交通事故七件)の事件・事故をおこしていることも明らかになっています。
吉田 與儀さんの事件は、勤務先から帰る途中でしたが、通勤を公務中に含めること自体も、公務の範囲を拡大解釈する一九五六年の日米合同委員会の密約にもとづいています。この点もうやむやになり、いまも通勤は公務という扱いが続いています。
井上 ただ、「公の催事」の後に飲酒運転しても公務中に扱うということについては二〇一一年一二月の日米合同委員会で見直しに合意し、削除されました。国会で赤嶺議員や私もくり返し見直しを求めてきたもので世論が日米両政府を動かしました。
歴史的に言えば、米軍占領下の日本ではすべての裁判権はアメリカにあり、それが講和後も、日米行政協定で引き継がれたわけです。しかし、「まるで植民地ではないか」という声が広がるなかで、五三年に改定され、さらに六〇年に地位協定に変わった。改定で、形としては公務外の事件の第一次裁判権を日本に移すなどがなされましたが、実際は従来通り、アメリカが裁けるようにするために、日本は「著しく重要」な事件以外は日本の第一次裁判権を放棄するという密約が結ばれたのです。
国民向けには、日本の主権が回復しているといいながら、以前と同じことをやっている。核持ち込みも同じで、密約は、占領下と同じようにアメリカが自由に行動できる態勢は残しつつ、表向きには独立しているようにみせかけるためにつくられたのです。だからこそ国民の前に明らかにできない。
■米兵の民事裁判に関しても密約が
吉田 『密約』にも書き、今年、「毎日新聞」(二月一三日夕刊)にも「民事裁判権で密約」という日米地位協定第一八条に関する記事を書きました。米軍関係の事件や事故が起き、被害者が損害賠償を求める民事裁判を起こしたとき、原告側(被害を受けた側)が事件・事故の原因、責任を明らかにするために、米軍が持っている事故調査報告書や米兵犯罪の記録、統計、飲酒規制、外出禁止規制などの情報を民事裁判の法廷に提出させることができます。日米地位協定第一八条に、「(日米の当局は)証拠の入手について協力するものとする」という規定にもとづくものです。そのため、日米合同委員会の民事裁判管轄権に関する取り決めとして、「日本国の民事裁判所が合衆国当局に対し証拠のために文書または物件の送付を嘱託し、又は、民事訴訟のために公式の情報の提供を嘱託した場合には、合衆国軍隊がかかる文書及び物件を提供することを制限する法令に反しない限り、これに応ずるものとし」とあり、外務省がホームページで公開しています。
ところが、最高裁判所事務総局が一九五二年に出した『日米行政協定に伴う民事及び刑事特別法関係資料』(米軍がらみの事件・事故を裁く際の裁判官用の部外秘資料集)に載っている日米合同委員会の文書では、「これに応ずる」の後に、「公の情報を民事裁判の用に供するため提供することになっている」としつつ、「『公の情報』とは軍隊の記録又は書類綴中にある一切の情報及び軍隊の要員が職務上の活動の結果として又はこれに関連して得た情報を含むものと一般に解されている。しかしながら当該情報が機密に属する場合、その情報を公開することが、合衆国政府に対する訴の提起を助け、もしくは法律上、もしくは道徳上の義務に違反する場合、合衆国が当該訴訟の当事者である場合、またはその情報を公にすることが合衆国の利益を害すると認められる場合には、かかる情報を公表し、または使用に供することができない」とあります。ようするに、軍事機密であったり、合衆国の利益を害するような場合は、米軍の記録・情報は出さなくていいという密約があるのです。
例えば、米兵犯罪は飲酒がらみが多く、横須賀で妻を米兵による強盗殺人事件で殺された山崎正則さんの裁判では、原告側が在日米海軍の飲酒規制や外出規制の記録の提出を求める調査嘱託を東京高裁に申し立てました。「調査嘱託」の請求は二〇一〇年八月、東京高裁から最高裁事務総局を経て、外務省を通じて、米海軍司令部になされたわけですが、「米海軍には請求された情報については記録がありません」という回答だったのです。この背後には、合衆国の利益を害するような場合は資料を裁判所に出さなくてよいという密約があると私は思います。 この民事裁判権の密約に関する文書について、私は情報公開法による文書開示請求を四年越しでしてきました。外務省は文書の存在を認めず、日米合同委員会の取り決めの全文を公表すると、アメリカとの信頼関係を損ねるので公表できないと言い続けています。私は外務省の不開示決定に対し、情報公開法の手続きにもとづいて異議申し立てをしました。この件を外務省は内閣府の情報公開・個人情報保護審査会に諮問しました。同審査会は、不開示が妥当かどうかの調査審議をおこない、昨年六月に「一部開示決定」という画期的な答申が出たのです。しかし、外務省はいまだにアメリカ側の了解がとれないので文書を公開できないと言い張っています。 安倍政権に代わってから、政府は情報公開の推進に後ろ向きになっています。対米従属の構造も温存されているもとで、民主党政権時代の居直っての正当化から、より後退しています。米軍機墜落事故や米兵犯罪などの損害賠償を求める裁判で、被害者が責任追及をするための情報を米軍に出させないと、公正な審理はできません。被害者の正当な裁判を受ける権利が侵されているのです。これまで各地で米兵犯罪の被害者や事故の被害者による裁判が起きていますし、普天間、厚木、横田、嘉手納などの基地の爆音訴訟といった民事の損害賠償請求訴訟もおこなわれるなか、こうした情報隠蔽の構造、密約の構造はいまだに生き続けているのです。
井上 何でもかんでも「米軍との信頼関係」で全部隠蔽しますから。
■すべては米軍の軍事目的のために
井上 米軍は、軍事目的のために日本に駐留しているわけだから、日本の法律や司法で縛られずに、米軍の論理で行動したい。ですから、日本の法律を法律と思わない、犯罪を犯罪と思わないような事態がさまざまな分野であります。 騒音訴訟について一度国会で質問したことがあるのですが、判決が出て原告側が勝訴して損害賠償額が決まっても、アメリカは正規の訓練をしているのであり、加害者であるとは認めず、賠償金を支払っていない。日本政府がすべて肩代わりしているのが現状です。
吉田 地位協定では本来はアメリカ側が七五%を払わなければならないことになっています。
井上 米兵の加害者を民事で訴えて、損害賠償の支払いが命じられてもアメリカに帰ってしまっていると、日本政府が被害者にお見舞い金を支払ったりしています。
さらに有罪判決が下ると米軍関係者は横須賀刑務所に収監されますが、そこでは、いまだに食料や暖房、入浴時間などで米兵のみが厚遇されているという問題があります。私たちの追及に、暖房などはある程度改善されましたが、食料についてはいまだに他の受刑者と違いがあります。米軍関係者は刑務所のなかでも軍隊と同じ処遇をすることになっていて、米側が食材をもち込みまったく別メニューになっています。何度も国会で追及する中で少し改善されて、刑務所の献立は三五日サイクルで、一〇五食のうち三食(一日分)は日本人などの受刑者と同じメニューにすることになり、最近、法務省に問い合わせると六食までは同じメニューにすることになったそうです。法務大臣も特別扱いについて「廃止することが望ましい」とのべ、日米間で話し合いをしていますが、なかなかアメリカ側の理解は得られないと言っています。
高速道路の通行料までもが「公務」であれば無料になっています。しかし実際には休暇中のレジャーに米軍の厚生施設のレンタカーを借りて行けば、通行料が無料になっている実態があります。会計検査院もおかしいと指摘しているのですが、改善されていません。公務もあわせて年間六億円以上、日本国民が米兵の高速料金を肩代わりしています。やはり外務大臣も「休みの日のレジャーなどは公務としては認められないと日本は考えています」と言い、日米間で話し合いをしていますが、アメリカ側の理解を得られないから是正できないというのです。私は、いずれの問題も日本側からやめると通告すればよいと言っているのですが、そうなっていません。
■どこが「完全なる主権国家」なのか
吉田 四月二八日に「主権回復の日」の記念式典がおこなわれます。罪を犯した米兵にさえ、日本の主権がきちんと及んでいないにもかかわらずです。『サンデー毎日』(四月二八日号)に書く記事の取材で、普天間爆音第二次訴訟の原告団事務局次長の仲村渠永昭(なかんだかり・えいしょう)さんに電話でお話をうかがいました。「主権回復の日と安倍政権は言うけれど、いま私たちの目の前、頭上の空をオスプレイなど米軍機が騒音をまき散らしながら自由自在に飛んでいます。これら米軍機の飛行に日本の主権が及んでいない現実があるのです」と、仲村渠さんは憤っていました。
普天間爆音訴訟の判決だけでなく、横田でも、厚木でも、嘉手納でもそうですが、判決では「爆音は違法な騒音公害だ」として認め、損害賠償請求を認めています。しかし原告の最大の願いである飛行差し止めについては棄却です。例えば福岡高裁那覇支部の判決は、「普天間飛行場に係る被告と米軍との法律関係は条約に基づくものであるから、被告は、条約ないしこれに基づく国内法令に特別の定めがない限り、米軍の普天間飛行場の管理運営の権限を制約し、その活動を制限することはできないところ、関係条約及び国内法令に特別の定めはない。原告らが米軍機の離着陸等の差し止めを請求するのは、被告に対してその支配の及ばない第三者の行為の差し止めを請求するものであるから、本件差し止め請求は、主張自体失当として棄却を免れない」というものです。
いくら受忍限度を超える爆音は違法だとしても、条約上、日本政府は米軍の普天間飛行場の管理運営と活動を制限できないことになっているのだから、国の支配の及ばない第三者(米軍)の行為である飛行の差し止めはできないという「第三者行為論」です。爆音訴訟の原告の方々は、「地位協定による『排他的管理権』という米軍の特権でさえぎられ、米軍基地には日本の行政権も司法権も及ばない。基地は日本の領土にあるのに、主権の及ばない治外法権の下におかれている。おかしいと思いませんか」と言います。裁判所自体も「原告らは、現行法制度上、普天間飛行場の航空機騒音について、差し止め請求という法形式による司法的救済を求めることはできない」と、司法の責任を投げ出しています。「どこが主権回復ですか」という現実があるのです。同じことが、沖縄だけでなく、横田や厚木周辺でも起きています。
そして、日本のどこでも、もし「オスプレイは危険だから低空飛行訓練をやめさせてほしい」と、飛行ルート下にある自治体や住民が飛行差し止め裁判を起こしたとしても、同じように、米軍の運用には日本の行政権も司法権も及ばないとして、低空飛行訓練が続けられるでしょう。「どこが主権回復なのか」、安倍政権の姿勢が問われます。
井上 一月二七、二八日に沖縄から四一市町村の首長と議会議長、そして県議会議員が上京し、首相官邸に行き、辺野古の新基地もオスプレイもやめてほしいという「建白書」を提出しました。このことについての赤嶺議員の質問に対し、安倍首相は「沖縄のみなさんの声にはわれわれはしっかりと耳を傾けていかなければならない」と答弁しました。ところがその後、安倍首相はアメリカに行き首脳会談から帰ってきておこなったのがオスプレイの本土訓練の開始であり、「辺野古『移設』」宣言をし、事前連絡もなく、突如書類を事務所に届けるという非礼なやり方での埋め立て申請でした。沖縄の声には何ら耳を傾けずに、アメリカとの約束だけをすすめる。そのどこに主権があるのでしょうか。
私は、演説会では、「この県ですべての市町村の首長と議会議長、県議会議員が官邸まで行って『これはやめてくれ』と要望することが想像できますか」と訴えていますが、一つの県が丸ごと反対をしているのに、それをまったく顧みないなど、民主主義の国ではありません。
四月二八日の「主権回復」記念式典の招待状が私たち国会議員にも来ています。「完全な主権回復及び国際社会への復帰...」とあります。沖縄を日本から切り離して米国のの支配下におき、占領軍だった米軍の駐留を認めて「完全な主権回復」などとどうしていえるのか、沖縄は国家主権の外にあるとでも言うのでしょうか。沖縄ではこの日は「屈辱の日」とされており、その日を祝う政府が、いかに沖縄の民意と反しているか示しています。
■改憲と日米軍事一体化
井上 記念式典は、いまの憲法は占領下でつくられたものであり、サンフランシスコ講和条約で主権が回復したのだから、新しい憲法をつくるべきだったという改憲の流れのなかでおこなわれます。しかし、この改憲の流れは、アメリカからの、「憲法を変えて自分たちといっしょに戦争をできる国になれ」という要望に応えるものです。「主権回復」と言いながら実際は、いっそうの対米従属に明文上も組み込まれた憲法にしていく流れです。
吉田 自民党の改憲案は、天皇の元首化、国防軍創設、憲法九条を変えての交戦権の保持、軍事法廷の創設など問題だらけです。個人の人権を「公の秩序」の名の下に規制するもので、立憲主義の基本も踏み外しているとんでもない憲法改悪案です。
日米安保自体が、最近では「安保」と呼ばないで「日米同盟」と言うようになっています。一九九六年の橋本首相とクリントン大統領による日米安保共同宣言による「安保再定義」から、小泉首相・ブッシュ(子)大統領時代の二〇〇五年の「日米同盟:未来のための変革と再編」を経て、日米軍事同盟は地球的規模の軍事同盟となり、イラク、インド洋へ自衛隊を派遣し、補給・輸送という兵站支援活動などアメリカへの戦争協力を深めてきました。自衛隊と米軍の共同訓練、共同演習が拡大し、自衛隊基地と在日米軍基地を共同使用する動きが強まっています。沖縄でもキャンプハンセンで陸上自衛隊が、都市型戦闘訓練や実弾射撃訓練、爆破訓練などをしています。国外でも、アメリカのカリフォルニア州でアメリカ海兵隊と陸上自衛隊が上陸作戦訓練をし、そのときに自衛隊員がオスプレイにも乗るなどしています。
このように、アメリカのおこなうイラク戦争型、アフガン戦争型の軍事介入・武力行使に、すでに自衛隊も補給・輸送で支援をし、事実上、集団的自衛権の行使の領域に足を踏み入れています。しかし、一方で、憲法九条があり、集団的自衛権の行使が容認されていないもとで、戦闘行為まではしていません。集団的自衛権の行使を容認した場合には、戦闘行為にまで足を踏み入れることになります。アメリカ側は、米英同盟のような「共に血を流す同盟」を目指して米軍の補完戦力として自衛隊を利用しようとしています。そのための在日米軍基地の強化であり、自衛隊との共同使用・共同訓練の拡大です。日本国内だけでなく、米自治領北マリアナ諸島のテニアン島に日本も費用負担して米軍との共同訓練場をつくることになっています。
ソマリア沖での海賊対処活動の名の下に、ジブチには事実上の自衛隊の海外基地がつくられました。海上自衛隊のP3C部隊と、それを警護するという名目で、陸上自衛隊の中央即応集団中央即応連隊が派遣されています。その中央即応集団の司令部は三月にキャンプ座間に移り、米陸軍第一軍団の前方司令部と密接に連携しています。横田基地には航空自衛隊の航空総隊司令部がすでに移り、米空軍と連携を深めています。海上自衛隊も横須賀基地の米海軍と連携を深めている。こうした米国主導下の日米軍事一体化のもと、自衛隊にも空中給油機が導入され、補給艦や護衛艦も大型化されています。オスプレイの自衛隊への導入まで検討されています。
■軍事一辺倒では問題を悪化させる
吉田 ところが、そういう動きが国民になかなか伝わりません。むしろ、中国の尖閣諸島をめぐる軍事的脅威や北朝鮮のミサイル・核の脅威という名の下に、アメリカとの同盟を強化しなければならない、沖縄の米軍基地も必要だという論調が強まっています。
井上 昨年のいわゆるロケット発射のときも、PAC3を大々的に配置しましたが、軍事的脅威を最大限利用し、軍事予算を拡大し、アメリカの軍事的対応の必要性を大々的にキャンペーンしています。これに対し、私たちは軍事に軍事的に対応するというやり方では、何ら解決にならないことを主張してきました。実際に対中関係も、軍事的対応をエスカレートさせるほど、状況が悪化してきたのです。本当に解決するには平和的・外交的な方法しかない。しかし、いまの安倍政権はそれとは逆行しています。維新の会の石原代表にいたっては、先日の党首討論で北朝鮮のミサイル問題を「本当にある意味では(改憲の)好機だと思う」とのべました。外交的努力が求められているときに、改憲に利用するなどもってのほかです。
吉田 沖縄の人たちは、もしも中国と日本が尖閣諸島をめぐって、偶発的にせよ軍事衝突した場合、沖縄が最前線になってしまう、沖縄にある自衛隊基地や米軍基地にミサイルが飛んでくるかもしれないことを危惧しています。沖縄戦のように、沖縄が本土防衛の捨て石にされる歴史を繰り返してしまうと。いまでさえ米軍基地による被害を強いられているわけで、さらにそんな事態が起きることは許されません。
安倍政権やマスメディアは、中国の軍事的脅威に対抗するには、アメリカとの同盟を強化することが現実的な考え方であり、軍事的・政治的なあらゆる要因を考えた上での安全保障だと言っています。しかし、沖縄に住んでいる人びと、そこでずっと暮らし続けてきて、これからも暮らしていこうとする人たちの命の視点から見れば、仮に軍事衝突が起きたら自分たちの地域が再び戦場にされ、命が脅かされてしまうというのが、リアルな現実そのものなのです。だから、絶対に軍事衝突は引き起こさないという選択肢を最優先させ、外交的、経済的な結びつきを強める方向で問題を解決する政策を第一に打ち立てることこそが、現実的な考え方なのです。
私も多くの沖縄戦体験者のお話をうかがいましたが、共通して語られるのは、「軍隊は住民を守らない」「基地があったから戦争になった」ということです。沖縄戦では、まず日本軍が基地をつくり駐屯し、皇民化教育政策の下で、住民も兵士や軍属などとして動員されました。そして戦火に巻き込まれ、ガマ(洞窟)に避難したとき、日本軍からスパイ視され、殺された人もいます。あるいは、赤ちゃんが泣くと米兵にわかってしまうから「口をふさげ」と日本兵に言われて、わが子の死を強いられた人もいます。そういう切実な沖縄戦の歴史的経験から見たリアルに立って、どうすればよいかを沖縄の人びとは考え、辺野古への新基地建設反対や米軍基地撤去などの考えに立っていると思います。その沖縄の人びとの体験に根ざした思いを最大限に尊重することは、単に沖縄だけのことではなく、ひいては日本全体の国民・市民の命を守ることにもつながっていくのだと思います。
井上 昨年八月、自民党の議員などが、尖閣列島での太平洋戦争末期に疎開船の遭難で亡くなった方たちの慰霊祭をおこない、地方議員が尖閣に上陸し、対決を煽りました。あのときに沖縄の地元紙に、尖閣列島戦時遭難者遺族会の慶田城用武会長が登場し、自民党の議員から、洋上慰霊祭を目的とした上陸許可申請に署名を求められ、拒否したことを明かし、「遺族会の気持ちを踏みにじり、慰霊祭を利用して上陸したとしか思えない」「私たちは毎年、尖閣が平和であることを願って慰霊祭を開催し、二度と戦争を起こしてはならないと誓っている」とおっしゃっていました。
尖閣周辺は、中国と日本の漁師たちのあいだでは、獲るものも違い、棲み分けをしていて、何のトラブルも起きていません。住民レベルでも、いろいろな平和のチャンネルがあるわけです。ところが、軍事的対決を煽り、それを理由にもっと駐留を増やそうとしているのです。こういう、ひたすら軍事的対応を煽るやり方は、問題を悪化させるだけです。大きな視点で見ていくことが大事なのです。
■九条があってこそ世界平和に貢献
井上 憲法九条は、日本があの侵略戦争を反省し、二度と戦争はしません、そのための武力はもちません、平和で世界に貢献すると、国際社会に公約したもので、これをもって国際社会への復帰が許されたわけです。「国際社会復帰を記念する」というのなら、その原点に立ち返るのが道理です。いま、アジア全体を見ても、紛争を武力ではなく話し合いで解決しようという大きな流れができています。日本が、憲法九条を生かして、その推進役になるべきときです。しかし、それとはまったく逆の道を進もうという宣言をこの四月二八日にすることは、歴史に逆行することにほかなりません。そもそも、安保条約を結んだその日に、こういう式典をおこなうことは、逆立ちしたことなのです。沖縄からも厳しい怒りの声があがるのは当然です。
吉田 昨年、「京都新聞」(八月一四日)に「キャプテン吉田」について記事を書きました。以前、フィリピンでレイテ島からミンダナオ島に渡るとき、現地の人に名前を聞かれて、「ヨシダです」と答えたら、「むかし、『キャプテン・ヨシダ(吉田大尉)』という軍人が来て、自分たちの村の食料を奪い、家を焼いて、村人を殺した。おまえの父親じゃないか」と言われたことがあるのです。自分の父親はフィリピンに来たことはないと説明したのですが、頷いていた人もいましたが、本当にそうかと疑わしそうな目で見ていた人もいました。ビルマ、フィリピン、タイなど東南アジアの取材をしていて、強制労働をさせられたり、父親が憲兵隊に拷問されて殺されりしたという、かつての戦争での日本の加害の歴史を聞きました。フィリピンで名前を聞かれたこの体験から、ふたたび「キャプテン・ヨシダ」という名の下に記憶されるような歴史を絶対に繰り返してはいけないと思いました。それがまさに憲法九条に象徴される戦後日本の歩みだったはずです。
私はアジア各地で、アジア・太平洋戦争の話題が出たときに、「確かに加害の歴史をもっと日本人は見つめなおさなければならないと思います。ただ、戦後は憲法九条があり、ふたたび海外派兵をして戦争をするような国ではなくなったのです」と説明します。戦後、日本人がアジア・太平洋地域に出かけて、旅行や留学、ビジネスなどをすることが許されているのは、戦後は少なくとも憲法九条を持ち、海外派兵をしていない、他国の人びとに銃口を向けていないということがあるからだと思います――戦争責任や戦後補償に関して足りない部分がたくさんあるとは思いますが。安倍政権は、それを捨て去って戦争のできる国に変えようとしている。絶対にそういう道を歩ませてはいけないというのが、私のジャーナリストとしての原点です。
井上 憲法九条があるからこそ、世界の平和に貢献できるということは、少なくない保守の政治家も官僚も認めていることだと思います。実際に、国連での世界の小型武器を規制する議論をリードしたのがその典型です。私は、参議院の派遣で中東などにも行きましたが、中東は、直接日本の侵略をうけていないこと、逆にアメリカやキリスト教圏からの侵略や介入を経験しているだけに、日本はアメリカに原爆を落とされながら、平和的に復興し、発展を遂げてきた国ということで好意をもたれています。憲法九条やヒロシマ・ナガサキも知られているのです。世界で例をみない、憲法九条をもつ国だからこそできる平和の貢献の道こそ歩むべきなのに、とにかく「普通の国」になることが強調される。石原慎太郎維新の会共同代表にいたっては「軍事国家になるべきだ」などまで言う。
吉田 ソ連軍がアフガニスタンに侵攻した一九八〇年代初めに、三回取材に行きましたが、向こうは親日的で「ジャパニ」と言われて、歓迎されました。しかし自衛隊がイラクに派遣されたことで、イスラム地域で日本人を見る目が少しずつ変化していることもしっかり認識しなければなりません。ただ、それでも九条を持った戦後日本の歩みは、世界中どこに行っても、日本人一人ひとりの安全を保障しています。私たちジャーナリストが、アフガニスタンだけでなく、ビルマやフィリピンなどの内戦の取材に行っても、そこには日本製の武器は輸出されていません。アメリカのように海外派兵もしていないので、"(戦後の)日本は違う"という目で見てくれるのです。それが現地にいる日本人の安全を、直接目には見えないかもしれないけれど、保障しているのだと思います。これがアメリカとともに戦争をするような国になったら、それこそ"自分たちを殺している側なのだ"と見なされて、企業なども含めて世界中で標的にされるような泥沼に日本もはまり込んでいってしまう恐れがあるのです。
井上 実際、今回、アルジェリアで日本企業が狙い撃ちされたことをどう見るか、即断できませんが、かつてなかったことです。しかし、それでも、第二次大戦後、戦争で誰も殺していないし、殺されてもいない国は世界でも稀有なわけで、そのことによる日本への信頼感は、どの国にもまねできないものです。憲法九条に裏付けられた日本にしかない戦後の歴史の重みは最大の力です。そのことに、確信をもっていきたいと思います。
吉田 だからこそ、在日米軍基地の自由な利用を黙認し、米軍基地を支え、米軍が出撃することを許すことで、間接的な戦争の加害者になってきている動きはくいとめなければなりません。その動きは憲法九条が体現している平和国家の歩みを足下で空洞化させ、掘り崩しています。そのことも認識しなければいけません。
井上 それだけに、自衛隊の海外派兵はおこなわれてきましたが、武力行使はできないという、最後の歯止めになっている憲法九条を変えることは何としてもやめさせる。そういう国民的な共同のたたかいの先頭に、私もしっかり立ちたいと思います。国会では参議院憲法審査会の担当として、直接、責任もあります。大いに奮闘したい。
吉田 歯止めから、さらに踏ん張っていまの状況を押し返して、ほんとうに平和を実現する。そういうよりどころ、立脚点になっているのが憲法九条ですよね。私も、がんばりたいと思います。