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躍進2019参院選へ 核兵器ない世界切り開こう 名古屋大学名誉教授・沢田昭二さんと対談(しんぶん赤旗日曜版2018年11月4日付より)

image1.jpeg 参院比例7候補と各界の方々との対談シリーズ。今回は、物理学者で反核・平和運動に長年携わってきた沢田昭二さん(名古屋大学名誉教授)と、日本共産党の井上哲士参院議員です。広島で育ち同じ学校で学んだ二人。核兵器のない未来を語り合います。

 

原爆で家が壊れ火の手が。母は太い柱に挟まれて、私に「早く逃げなさい」と言いました。・沢田

私が30歳のころ、被爆2世だと知りました。母は何十年も黙っていました。・井上

 

 井上 沢田先生は戦前の旧制広島県立第一中学校で学ばれていましたね。私が卒業した県立広島国泰寺(こくたいじ)高校の前身にあたります。

 

 沢田 私は敗戦の年(1945年)、広島一中の2年生でした。2年生は学徒動員で軍需工場に行き、働いていました。工場は爆心地から離れた宮島の対岸だったので、原爆が投下された8月6日も、2年生はほぼ助かりました。私は病気で市内の自宅で寝ていたので、被爆しました。

 

 井上 学校は爆心地から800~900㍍のところでしたね。校舎は全壊、全焼し、建物疎開に動員され、登校していた1年生はほぼ全滅したと聞いています。

 

 沢田 私はガラス戸のそばで寝ていましたが枕蚊帳の中だったので助かりました。そうでなければ、割れたガラスの破片で死んでいたでしょう。つぶれた家からはい出せました。

 

 井上 あたりはどうなっていましたか。

 

 沢田 舞い上がった壁土が太陽を覆い隠して真っ暗闇でした。建物が全部壊れ、舞い上がった壁土が太陽を覆い隠していた。しばらくするとこげ茶色、茶色、黄色と変わり、最後は遠くまで見えるようになりました。つぶれた家の上に立つと、見渡す限り広島中の家が倒壊しているのがわかりました。

 

 足元から私を呼ぶ母の声がしました。母は太い柱に挟まれ、動けないと言いました。私は柱をどかそうとしましたがビクともしない。火の手が上がりはじめたことを母に言うと、母は私に「早く逃げなさい」と言いました。逃げない私に「生きて、しっかり勉強して立派な人間になりなさい」と何度も諭しました。火事嵐になり「お母さんごめんなさい」と言って逃げました。川を泳いで渡り、自分の家の方を見て、母のことが心配で、心配で立ちつくしていました...。

 

 井上 胸につまるお話です。私は高校生のとき、広島市民約8万8500人が参加した映画「ひろしま」(関川秀雄監督、53年)をみました。その舞台の一つが一中でした。倒壊した校舎に埋まった生徒たちは最初、「軍人勅諭」を唱えていた。そのうち私たちも応援歌として歌っていた一中の校歌を歌い、励ましあっていました。その声もだんだん小さくなり、亡くなっていく。昔話のように思っていた被爆の話が、自分のものとして頭の上から降ってきた思いがしました。

 

 なぜこんな理不尽なことが起きたのか、なぜ止められなかったのか、と考えるようになりました。京都の大学に進み、民青同盟や共産党と出合いました。おかしいものはおかしい、と声をあげる人たちの存在を知り、共産党に入りました。

 

 沢田 井上さんは被爆2世だと聞きました。

 

 井上 私が30歳のころ、母親が被爆者手帳をとり、自分が被爆2世であることを知りました。母は女学校の講堂で、避難してきた被爆者を看護していたそうです。そのことは戦後何十年も黙っていました。理由は「お姉さんたちの結婚のこともあって...」と。偏見や差別を気にしていたのでしょう。原爆はいまでも、多くの人の心に傷跡を残しています。

 

 沢田 私は広島大学に入り、将来は物理学の専門家になろうと思っていました。そんなときにビキニ水爆実験(54年3月1日)が起きました。私たち物理学の学生が中心になって、原水爆禁止広島学生協議会をつくりました。市民が隠し持っていた被爆写真を集めました。被爆写真は戦後、進駐軍が没収したからです。私たちはそれを写真パネルにして8月6日に平和記念公園で展示しました。黒山の人だかりでした。

 

 翌55年に広島で開かれた第1回原水爆禁止世界大会は、研究室をあげてサポートしました。素粒子物理学の先駆者である湯川秀樹、朝永振一郎、坂田昌一は、原水爆禁止運動でも先駆者でした。

 

 井上 私は高校時代、原水爆禁止世界大会を「お祭り騒ぎ」のように感じ、少し反発していました。しかし自身が大学で署名運動やカンパに取り組み、世界大会に参加すると、全く違って見えるようになりました。平和行進がさまざまな旗を持ち、平和記念公園に集まる。旗の一つひとつに草の根の運動があり、その一員に自分がなったと実感しました。

 

 沢田 ずっと原水爆禁止運動に携わってきたものとして、昨年、国連会議で、人類史上初めて核兵器を違法化する、核兵器禁止条約が採択されたことは感慨深いものがあります。

 

 戦後、国連がつくられて、世界を牛耳ってきたのは安保理常任理事国でした。国連憲章では武力の行使や威嚇(いかく)を原則禁止していますが、常任理事国は核兵器による威嚇をずっとやってきた。これを批判し、世界の3分の2近い、122の国が賛成して核兵器禁止条約をつくりました。国連の役割を大きく変えるきっかけをつくったと思います。平和を求める、人権を求める声が力を発揮する時代になってきた。核兵器禁止だけではなく、人類社会にとって、大きな展望を切り開きつつあると感じます。

 

 井上 核兵器禁止条約の国連会議には私も参加し、採択の瞬間、各国代表や被爆者、市民社会のみなさんと共に喜びあいました。会議では市民社会も正式メンバーになっていて、感無量でした。やはり、市民社会や被爆者の力があったからこそ、すばらしい条約になったと実感しています。核兵器の「開発、実験、生産、製造、取得、保有、貯蔵」だけでなく「使用、使用の威嚇」まで禁止しています。核兵器に「悪の烙印(らくいん)」を押し、それを全面的に違法化するものになりました。

 

 20世紀には植民地体制が崩れ、多くの国が独立し、主権国家になりました。日本共産党は綱領で、21世紀の世界は、もはや一部の大国の思い通りになる世界ではない、すべての国ぐにが対等・平等の新しい時代が到来しているという世界論を明らかにしています。実際、国連会議の議長をつとめたエレン・ホワイトさんもコスタリカという小さな国の外交官です。核兵器禁止条約の採択は、そうした新しい世界の姿を示したと思います。

 

 沢田 共産党の志位(和夫)委員長も発言されましたね。

 

 井上 日本共産党代表が歴史上はじめて国連の公式会議で発言しました。参加したのは日本の政党では共産党だけで、日本政府は参加しませんでした。政府不在のもとで私たちが、被爆国・日本国民の声を国連に届けたことは、とても誇らしく思っています。

 

日本政府が禁止条約へのサインを拒否するなら、サインする政府を国民の手でつくりましょう。・井上

 

 井上 条約採択から1年余、署名国は69、批准国は19で、近い将来の条約発効が見通せる情勢になりました。日本でもすでに320以上の自治体で、条約の調印・批准を日本政府に求める意見書が採択されています。しかし日本政府は、この流れに背を向けています。今年の平和記念式典では、広島・長崎両市長も国連事務総長も被爆者代表もみんな、禁止条約に言及しました。しかし安倍晋三首相だけは触れなかった。会場全体に抗議の空気が満ちていました。

 

 沢田 人類全体がどういう方向に動いているのか、安倍政権は全然、理解していません。日本政府は北朝鮮の「脅威」をあおり、米国の「核抑止力」に頼ると言いますが、その本質は「核脅迫」政策です。唯一の戦争被爆国で、平和憲法を持っている日本政府のとるべき態度ではありません。「北東アジア全体を平和にしていきましょう」というべきです。

 

 井上 多くの国民が北朝鮮の核・ミサイル問題を心配していました。この問題での私たちの立場は一貫しています。北朝鮮の核開発には断固反対です。同時に、破壊をもたらす戦争だけは絶対に起こしてはならない、対話による平和解決が唯一の解決の道だとして、関係国に働きかけてきました。

 

 南北首脳会談、米朝首脳会談を前にして、4月には「朝鮮半島の非核化と北東アジア地域の平和体制の構築を一体的、段階的に進めてほしい」と関係6カ国の政府(アメリカ、韓国、中国、北朝鮮、日本、ロシア)に要請しました。その後、画期的な米朝首脳会談が行われました。世界は日本共産党が求め続けた方向に劇的に動き始めています。この平和のプロセスが成功をおさめるなら、私たちが提唱している、あらゆる紛争を平和的な話し合いで解決することを締約国に義務付ける「北東アジア平和協力構想」が現実のものになる可能性は大いにあります。

 

 沢田 米国と北朝鮮の間での核戦争を心配していただけに、朝鮮半島で非核化の動きが始まったことは大変喜んでいます。北東アジア、世界から核兵器をなくしていくには、核兵器に固執する安倍政権、自民党政治をかえなくてはなりません。自民党政治をかえるためには、市民と野党の共闘がとても大事です。共産党にはその中心になってがんばってほしいと思っています。

 

 批准国が50を越えて核兵器禁止条約が発効すれば、核兵器保有は違法となります。核兵器なくせの声が世界中に大きく広がれば、核保有国とその同盟国もどんどん追い詰められて、条約に加盟せざるを得なくなる時代がきます。それを展望し、共産党は核兵器をめぐるいろんな政策を国民にわかりやすく打ち出してほしいと思います。被爆2世である井上さんのご活躍を願っています。

  

野党連合政権への道開く

 

 井上 被爆者が昨年、禁止条約に背を向ける安倍首相に「あなたは、どこの国の総理ですか」といいました。私も同じ言葉を予算委員会で総理にぶつけました。こんな言葉を二度と被爆者に言わせてはいけません。「やっぱり唯一の戦争被爆国・日本の政府だ」と言えるような政府をつくりたい。政府が条約にサインすることを強く求めます。拒否するなら、サインする政府を国民の手でつくりましょう。

 

 核兵器禁止条約の署名・批准は、野党の共通政策に盛り込んでいける課題です。参院選では、市民と野党の共闘の勝利と日本共産党の躍進で、自民党・公明党とその補完勢力を少数に追い込み、与野党逆転をかちとります。野党が主導して解散・総選挙に追い込み、野党連合政権に道を開く。そうした選挙にするために、候補者として全力をあげる決意です。

 

 沢田 参院選で躍進することを心から期待しています。

 

 

 

さわだ・しょうじ=1931年、広島市生まれ。広島大学理学部卒。理学博士。専門は素粒子の理論的研究。名古屋大学理学部助教授・教授をへて95年退職。放射線内部被ばくを研究。名古屋大学名誉教授、原水爆禁止日本協議会代表理事

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