8月9日に放送されたNHKの「歴史探偵 消えた原爆ニュース」は、米国が原爆被害の実相を知られることをいかに恐れていたか、核兵器の非人道性を世界に広げることがいかに重要かを明らかにするものでした。
番組では、戦後6年間、占領軍の検閲と日本のメディアの「自主規制」により「原爆ニュース」が消えたこと、その中で1951年に京大の学生が全国で初めての本格的な「原爆展」を開催したことが、原爆被害の真相を明らかにし広げる転機になったことを取り上げています。
終戦から1カ月後、朝日新聞が鳩山一郎の「原爆投下は国際法違反、戦争犯罪」という趣旨の発言を掲載したことに対し、GHQが2日間の発行停止を命じ、これを機に、報道機関に対する事前検閲を行い原爆に対する報道を統制しました。
事前検閲は3年後に終わりますが、その後も、発行停止を恐れたメディアによる自主規制が続きました。メディアの上層部が「米軍将兵の実名」「共産党支持」「原爆」の三つをタブー視して「書くな」と記者に圧力をかけていたことや、メディアの幹部が、現場の記者に「各自の心に検閲官がいると思え」とのべた驚くべき言葉も紹介されました。
その結果、広島、長崎での原爆による熱線や爆風、放射線の被害の実態の報道は封じられ、6年にわたり国民に明らかにされることはありませんでした。 その中で開かれたのが京大の学生による「総合原爆展」でした。京都駅前の百貨店(当時)で一般市民を対象に公然と開かれ、10日間で3万人を超える入場者がありました。
なぜ、開かれたのか。当時の京大生で全学学生自治会「同学会」の役員として原爆展開催の準備にあたった京都府八幡市在住の小畑哲雄(96)さんが登場されます。この年の春に、学内で「原子爆弾症についての特別講義」が開かれ、被爆直後に広島で活動した京都大学の調査班が収集した標本に基づき、当時報道されていなかった放射能被害について明らかにされました。出席した小畑さんは言葉を失ったとのべ、「知ってしもうた以上は未来に知らせるのが我々の責任ではないか」と語られました。重い言葉です。
学生たちは原爆展を企画し、被爆地に入りましたが、被爆者の多くは自らの体験を話そうとしません。しかし、背中と両腕に焼け跡のある被爆者が自らの写真を託すことに応じてくれました。原爆展は開催され、写真やパネルで原爆被害の真相を明らかにしたのです。小畑さんは原爆展の開会中に大津市で開かれた平和集会に展示する原爆の写真資料を届けた際に警察に逮捕されますが「逮捕されてでも核の使用を止めねばならないという思いがあった」と語られます。
こうした経緯は、小畑氏の著書、『占領下の「原爆展」―平和を追い求めた青春』(かもがわブックレット)で詳しく書かれています。
実は小畑さんは大学の先輩。私が教養部学生自治会の代表を務めていた時に、「原爆展」当時の終戦直後の京大学生運動についてお話を伺ったことがあり、貴重な資料も見せていただきました。議員になって、お住まいの八幡市に演説に行った際などに、いつも励ましていただいています。番組でお元気な姿を見て、改めてその思いを未来に繋がなければならないと決意を新たにしました。
なぜ、GHQが原爆について報道を禁じたのか。番組では、米国が核開発を推し進めるために反対世論を抑える必要があったこと、連合国の海外特派員も被爆地に入れないという禁止令が一時出されていたことが紹介されます。
このアメリカの狙いは一昨年8月に放送された、「NHKスペシャル 原爆初動調査 隠された真実」で詳しく描かれています。番組の内容に放送では割愛せざるを得なかった事実も加えた同名のハヤカワ新書がこの八月に発行されています。
取材団は、被爆直後の広島・長崎でアメリカ軍が行った「原爆の被害と効果」に関する大規模な調査の報告書を入手し、番組では「残留放射線」の影響が隠蔽された経緯が、様々な文書や映像、証言で明らかされます。
この調査では、被爆地での残留放射線が計測され、科学者たちは「人体への影響」の可能性を指摘していました。しかし、「トップシークレット」として、その事実は隠蔽されることになり、報告書では「人体への影響は無視できる程度」と結論づけています。「残虐な人道兵器」として米国が国際法違反に問われることを恐れて「調査結果は忘れろ、破棄せよ」と命じられたのです。調査の責任者だった米軍のグローブス少将は「原爆は非人道的な武器ではなくて、アメリカになくてはならないものだ」と語り、その後、核兵器の開発がさらに進められます。
日米政府は残留放射能の影響をこれまで認めてきませんでしたが、米国が隠蔽した調査の内容はそれを覆すもの。番組の最後では、「黒い雨」訴訟や福島原発事故についても取り上げ、残留放射能の問題が今日に問われていることも明らかにしました。
私は昨年三月の参院予算委員会で、「黒い雨」被害者の被爆者認定に関わってこの番組を取り上げました。政府は、内部被ばくの影響を認めず、「黒い雨」被害者の被爆者認定を高裁判決よりも狭くしました。私は岸田総理に対し「米国は核兵器の非人道性を矮小化、隠蔽をして核兵器の開発を進めてきた。日本政府が原爆被害を矮小化することは、結局、アメリカと同じ立場にたつことになる。核兵器の非人道性を一番知っているはずなのが、総理であり日本政府なのだから、原爆被害を矮小化せず、内部被ばくの恐ろしさも含めて世界に発信することこそ今やるべきではないか」と決断を迫りました。
総理はまともに答えずに核兵器禁止条約に背を向け、逆に今年のG7広島サミットでの「広島ビジョン」で、こともあろうに被爆地から「核抑止力」を正当化して世界に発信しました。恥ずべきことです。
核兵器禁止条約が採択された国連会議に参加した際に、各国の代表からの被爆者への敬意を示す発言を聞き、被爆者の皆さんが自らの体験を語り核兵器の非人道性を訴えたことが世界を動かしたことを実感しました。
「知ってしもうた以上は未来に知らせるのが我々の責任ではないか」――小畑さんのこの言葉を胸に刻み、未来への責任を果たしたい。