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能登半島地震1年 住民が安心して住み続ける地域の復興を求めて(『前衛』2025年2月号)

特集 能登半島地震一年 遅れる復旧・復興 問われる政治の責任

対談 住民が安心して住み続ける地域の復興を求めて

黒梅 明 (能登半島地震被災者共同支援センター事務局長)

井上哲士 (党参議院議員・国会議員団能登災害対策本部事務局長)

■震災から一年──復旧・復興の遅れは人災

[「心が折れる」「見捨てられている思い」]

 井上 二〇二四年一月一日の発災直後に、輪島に行き、それから何度も現地に行きましたが、ほぼ一年たつという今も驚くほど復旧・復興が進んでいません。これまでいろいろな震災の現地を見てきましたが、遅れは突出しています。復旧・復興がやっと進みだしたところに九月の豪雨災害でした。その直後も輪島市に行って、避難所や浸水した仮設住宅で話を聞きましたが、「地震で自宅が被害を受け避難所に入り、金沢に二次避難して八カ月してやっと仮設が建って帰ってきたら、一カ月もしないうちにこの豪雨で浸水し、ふり出しに戻った」「心が折れる。見捨てられているような思いだ」と、みなさん口々に言われました。そのなかで災害関連死が地震の直接死を超えて二四七人(二〇二四年一二月六日現在)になっています。
 人口減少が深刻で、奥能登四市町で四一五六人、七・五%減った(一一月一日現在、前年同月比)との発表ですが、これも、役所は住民票で見ていますから、避難しているけど、住民票だけは置いているという人がたくさんいるので、実態はもっと深刻です。
 石破首相は臨時国会の代表質問の答弁で、「災害を防ぐことはできないが、その後に起きることはすべて人災」とかつての後藤田正晴さんの言葉をひいて答弁しました。私はそこ後の補正予算審議の本会議で石破首相に地震の復旧の遅れのため、地盤が緩んだところがまた崩れ、ガレキなどが川に流れ込んで、それが塞いで越水するなど被害を大きくし、住まいや生業の再建にも展望が見えないなか、住民が暮らし続けるという希望を持てなくしている、震災で助かった命が関連死で失われ、どんどん人口流出を起こしている今の状況は、「まさに人災ではないか」とただしました。
 黒梅 ほぼ一年という時点に立って見てみると、国は、「救援策はいろいろやっている」と言っていますが、被災地のみなさんの暮らしにはまったく届ききれていません。さらに水害があったことによって、矛盾が激化して大変な事態になっていると感じています。それが形のうえであらわれているのが、自治体が消滅・崩壊するような規模での人口減少です。珠洲市は九・五%、輪島市九・六%というものすごい人口減少です。
 圧倒的に住宅が倒壊し、とにかくまともに住む家がなく、先が見えない。また、生業が奪われて生活の設計がまったく立てられない。それに対し、国が「やっている」と言っても、住み続けられないので、住みたいという思いを持ちながらも、出ていく人がふえるというのが実態だと思います。
 地震と水害は、被害のあり様が違います。地震を受け、家が倒れたところもありますが、土台が潰れただけで、住むには修理をしなければいけないが、なかのものはなんとか持ち出せるケースもあります。九カ月がたって、仮設もでき始め、家を片付けようと思ったところに水害が来た。水害のひどさは、たとえ家が壊れていなくても、土砂と流木で家のなかが泥だらけで、取り出して使えるものは一切ないことです。どうしようもなくなって、「助けて欲しい」「ボランティアにきてほしい」と要望を出したが、それがなかなかなされてないのです。
 また、急きょ避難所が開設されましたが、一月の地震のときの避難所の様子と同じで、ベッドがない、衝立がない、暖房がない、水・トイレが使えない、一月と同じ状態のなかで暮らさざるを得なかった。これで「心が折れた」という訴えが多いのです。
 諦めとのぶつかり合いのなかで暮らしているので、私たちが持っていく物資をみなさん喜んでくれます。地震の直後は、お米と水というとにかく食べるもの、温かいものがほしいということだったのが、今は生活物資全般です。着るもの、食器・鍋、布団から座布団まで一切がダメになって、近所の店も潰れ、救援物資も頻繁に届かないのです。

[求められる地震と水害一体の対策]

 黒梅 農地は、土砂で荒地のようになってしまっています。まだ刈り入れが終わっていない田んぼもありましたが、そこに流木、根から先っぽまでの大木が流れ込んで、重なって、川や山の泥が田んぼを覆ってしまっている。修復の見通しなく、川は堤防が壊れて直せない状況です。一応、国と県が調査して、〝ざっと見積もって四〇〇ヘクタールがやられ、二〇二五年の春の作付けに間に合う修復可能なものは一〇〇ヘクタールと思われます"と私たちに伝えてきました。〝それ以外は、さまざまな対策を取らないといけないので、見通しは今言えません"と。これが実態です。
 井上 だからみなさん見捨てられたという思いでいる。見捨てられたという言葉を避難者に言わせること自体が人災だと思います。地震災害の復旧が遅々として進んでいないもとで、あれだけの豪雨災害が重なったのは前代未聞です。それにふさわしく、一体の災害として、住み続ける希望を与える対策を政治が一刻も早く示すべきだったのです。そうしてこそ「政治は決してみなさんを見捨てません」ということが伝わる。ところが、豪雨の直後に、党利党略を優先して、補正予算を後回しにして、国会を解散してしまったわけです。本来であれば、予算委員会で被災者の実態を明らかにし、何が問題なのか徹底議論することで復旧・復興の中身も豊かになり、避難者のみなさんも希望を持てたのに、そのことをやらなかったことは、二重三重に大きな問題だったと思います。
 たとえば罹災証明は地震と豪雨災害を一体のものとして発行するということになっていますが、すべての施策を一体の災害に対応するものとして避難所・被災者に届ける必要がある。そして、必死で頑張ってきた自治体職員自身も被災しているところに豪雨が来たことによって、心が折れたようなことになっているのです。全国的な職員の応援派遣を、三月の段階で中断していますが、再派遣も含めて、国が責任を果たすことをやっていないことが人災だと思います。

[狭すぎる仮設と地域バラバラな避難]

 黒梅 ようやく仮設住宅への入居が本格化していますが、その仮設に入った人たちからの不満が止まりません。いろいろな不満があるのですが、自分たちの暮らしてきた住宅とはまったく違うので、一番多いのは狭すぎるということです。都会的な感覚で、一人住まいだったらこの広さと決められているのですが、場所がないという言い分もあって、つくられた仮設は、小さなキッチン・台所と四畳半に一人ないし二人です。そこに二人で入った人からは、布団を敷いたら毎日畳まないと居られない。まったく逃げ場がなくて、ストレスが溜まってしかたがないとの声がよせられる。
 なおかつ、北陸の人たちは、子どもたちも呼んで集まるような大きな家に住んでいたから耐えられない。そういう家にあった、人を迎えるための布団を入れたり、お漬物をたくさん貯蔵したりするような収納機能がいっぱいある家の構造から、そのようなものが何にもないところに移るなかで、ストレスでたまらない。八割ぐらいが鉄板プレハブ型なので、断熱が効かず、暖房や冷房の効果もほとんどないというところに入れられている苦しさです。それから洗濯干し場がないとか、もろもろの仮設に対する要望がある。
 また仮設の設備自体の問題とは別に、とにかく建てた仮設に、ある一定地域の人たちを集めるのではなく、入居者を抽選で決めるところが多い。大体は地域の違った人がそこに来るので、仮設のなかでまとまるのが難しく、自治会をつくろうと言っても、なかなかつくられない。相談し合って生活ルールをつくったり、役所に対して改善を要望したりがなかなかできない。住民のなかでは、違和感、不和感とまでいかないが、話しづらい空気になっています。
 阪神・淡路地震以来、仮設のあり方も変化してきて、かなりいい物、広さはいろいろであるにしても、木造で、一戸建てあるいは小さな二戸続きのものが普及し始めています。しかし能登では、それはつくるが、せいぜい一、二割で、一カ月や二カ月間ではなく、最低二年間はそこで暮らすにしては、あまりにも粗末なプレハブが多いです。
 井上 高齢者の方も多いので、例えば介護用ベッドが必要な人がいるわけです。しかし、それを入れたらもういっぱいで置けない。お風呂の段差が高すぎるなど、高齢者が多く住んでいるという特性などを考えずに、とにかく数あればいいということになっています。
 穴水町では、地域のみなさんで土地も確保し、そこに集落全体が入るような仮設をつくっています。そこを訪問するとちょうど仮設全体で親睦旅行に行かれていました。阪神大震災のときに地域のコミュニティとは関係ない仮設をつくってしまい、孤独死が増えたこともあり、その後、新潟・中越にしても、東日本にしても集落コミュニティを大事にした仮設をつくる努力がされていますが、こうした教訓が全然生かされていない。結果、大きな仮設住宅をつくっても、そもそも集会場をつくらないところもあり、集まる場所もない。後からでもつくってほしいなどの声が上がっています。

■能登半島地震被害の特徴

[高齢化と過疎化、第一次産業が基盤の地域で]

 井上 もともと能登半島地震は、高齢化と過疎化が進み、一番の働き手が減り、高齢者だけの住まいが増えている地域で起きました。自治体リストラが進められ、自治体の職員自身が減らされているもとで、復旧・復興の担い手自身が厳しい状態にありました。能登の地形上の特徴もあります。交通の便が悪く、土地が少ないため、復旧に当たる人が行くのにも大変で時間もかかるし、泊まる場所がない。初動は、非常に困難があったと思いますが、それでも一年近くになって、同じことを言っていてもダメだと思います。現地では懸命な努力が続けられていますが、国としてふさわしい支援をするということが、遅れているのは大きな問題だと思います。
 黒梅 そういう過疎地、高齢化地域、人口減少が続いてる地域で、かつ第一次産業が基盤となっているようなところで起きた地震に対する救援策には、国や県が主導して進めてきた政策の弱点が反映していると思います。地震のとき、避難所に人が集中したが、多くの人は、家が壊れてしまい生活することができない、そこで食生活も、入浴なども不可能という状況で、一晩だけの泊まり込みではなく、何カ月もそこで暮らさざるを得なかった。それで県は二次避難を呼びかけました。
 しかし、それが、かなり強制的なもので、先ほどもふれたように被災者はほとんどバラバラで一五〇キロ以上離れた県の南端に避難した。
 役所はそこからさまざまな申請をしなさいと言うが、行くだけで大変です。子どもは学校があり、学校自体が移動しているもとでは、おじいちゃん・おばあちゃんと若いもの・子どもと家族もバラバラになり、家族の相談にも時間がかかり、申請が遅れるという事態にもなりました。
 もう一つ、それ以前から自治体の広域合併があり、膨らんだ救援実務、行政実務に追われてパンクしてしまい、被災者に寄り添って対応をするということができなかった。そのため申請の遅れや被災者と行政とのさまざまなトラブルになっているのです。しかし、巨大な被災に対応する現場の行政能力を超えていて、職員が悪いなどとは決して言えないのです。
 これからのことを考えれば、住民に寄り添って、被災者も参加する復興計画づくりが必要ですが、それはまったく見えない、やれないのです。国がここで打ち切りますと言えば、県はそれをそのまま引き受けてその通り打ち切ります。しかし、現場は、自治体職員も、被災者も、先が見えないままの状態に置かれている。

[実態にあった支援策に改善する必要性]

 井上 広域避難しているため住宅再建に大きな困難があります。公費解体や住宅再建などの支援をうけるには罹災証明がいりますが、今大きなネックになっているのがその罹災証明で、専門家でない自治体職員がおこなっている家の被害判定が不服で、奥能登四市町で一次調査が行われた住宅のおよそ三割で二次調査が行われています。一〇月に金沢で日弁連が、「能登半島地震 二人三脚の復興を目指す~罹災証明問題を考える」というシンポジウムをおこないましたが、そのなかでも専門家ではない自治体職員がやることの限界や、実態とあまりにもかけ離れた判定になっていることが指摘されていました。しかも、この再調査の結論が出るまで時間がかかる。判定の結果で支援されるお金が違うわけですから、どうやって再建するかの見通しももてない。こうして全体が遅れています。この間、防災担当大臣も現場で不服を聞いているということで、見直しをしなくてはいけないと言っていますが、早急に改善が必要です。
 この問題も本会議でとりあげ、住宅としての機能が失われていることに着目をした被害判定にするよう求めました。実際には、傾いていてなかにいるだけで気分悪くなるとかがあるにもかかわらず、外から見てあまり壊れていないからと判定をする。そうした判定のあり方自身も変えるし、ただちに専門性を持つ職員を派遣することを求めました。
 被災者生活再建支援法では、支援金の限度額三〇〇万円。六市町には臨時特例交付金の三〇〇万円のプラスがあるけれど、そもそも法改正をしたときから比べても、二〇二四年の春の時点で、資材自身が一・五倍になり、さらに工賃もあがるなど、物価全体が高騰しています。国は建設費高騰をうけ特例で災害公営住宅建設の補助の限度額を上げることを検討していますが、そうであれば被災者生活支援金を六〇〇万円以上にし、実態にあわせて一部損壊などに対象も広げる。こうした制度改正もしないと、住まいの再建の展望が見えないし、もう能登に戻れないことになる。
 黒梅 北陸全体がそうなのですが、持ち家が多く、一軒を持って一人前だという独特の風土があります。それでみんな苦労して家を建てる。そこがなくなるということは、一家の主にとってショックなのです。だから、自分が何とかしなければという強い思いがある。
 ところが再建のための見積もりをとったら、資材の値上がりはすごく、二三年には坪あたり単価八〇万円と言われていたのが今一二〇万円を超えている。とても自分の持っている資産で家を建てられない状況です。そういうことを踏まえた施策、寄りそいでないと、これしかできませんと切り捨てていくだけであれば被災者の不満が高まり、結果的にここで住めなくなるという形に追い込まれていくのです。

■まず住民が安心して暮らせる地域に

[医療、福祉、介護は]

 井上 本会議では医療や介護についても取り上げました。被災者は医療や介護の窓口負担は国の財政支援により免除になっています。もともと二〇二四年九月末が期限だったのが年末まで延長されたのですが、九月末のギリギリまで決まらず、避難者や病院関係者もどうなるのかと心配されました。新しい年を少なくとも不安を解消して迎えようと思ったら早く延長を決めるべきと求めましたが、厚労省は一二月一三日に免除措置への財政支援の半年間の延長を決めました。運動の成果ですが、一方で国はこれまで全額補填してきた財政支援を後退させ、最大二割もの自治体負担を求める場合もあるとしており問題です。
 被災地にある特養が被災した場合、そこの被災者は金沢などの施設を福祉避難所として避難していて、この場合も負担は無料です。インフラ復旧などで元いた施設が再開しはじめていますが、実際にはそこの職員も被災していて人手が足りないため、元通りには受け入れできない実態があります。ところが、それは直接地震が原因とは違う、現に避難している人たちが、帰れるのに帰っていないのだからと、食費を請求するなどのことが起きています。こうした機械的なやり方で追い出しをかけることはやめるように強く求めました。
 黒梅 福祉関係、教育関係で働いている人は、みんな頑張ってやりたい、経営者もそう思っているのだけど、実際には、そういう人たちが働いていくために必要な条件がないからやめていく。欠員状況で募集しても集まるような状況がない。今言われたように金沢や他のところの福祉施設に移動していて、戻ってくる流れが実現できるのかどうかが問題になっています。
 たとえば学校教育です。輪島市では九つある小学校のほとんどが使えなくなっていますが、お金がないため、三つに統合する案が出てきています。スクールバスを出すとは言っていますが、学校の近くにどうしても人は集まってきて、再開されなければそこには人はなかなか住めない。働く人もそういう流れになる。街も生業の場もどんどん崩壊してしまう。本当にそれでいいのか。私は国レベルで考えなければいけないと思います。
 井上 福祉施設の職員のみなさんも、子育て中の人が多く、その人たちが、金沢に避難してもう一年たつ。子どもは金沢の学校に行っているから、戻れない。医療や介護の施設がもとに戻らないから、その施設を利用していた人は戻れない、という悪循環でどんどん人口減少に拍車をかける。それは事業者、自治体任せでは解決できないので思い切った支援が必要です。
 黒梅 石川県の保険医協会の先生たちが頑張っているのですが、輪島や珠洲で地震で壊れたままのところでも診療を一生懸命やっている。でも問題は、人手がなくなって、まともにベッドを維持できないことです。公立病院ではベッドが維持できず閉鎖したままだとか、科によっては、医師不足で休診にしたりとか、建物もそれなりの強度があったので潰れることはなかったとしても、玄関や入り口、駐車場はガタガタでまだ完全に直っていないところもあるという状態があります。
 問題は、今のその状況だけではなく、この間、全国でも進められているように、能登にある公立病院を、人口がどんどん減って赤字が続いているから統合しようという計画があって、こういう事態になってもその進行が止まっていないことです。奥能登六市町で珠洲、輪島、七尾、穴水、富来、宇出津と六つある病院を、何カ所に統合するのかはいろいろあるのですが、統合しようということが今のままだったら出てくる可能性が強いので、不安は消えない。
 井上 大変広い地域なので総合病院だけど地域医療の基幹的役割を果たしています。それが一つになってしまったら、時間もかかり通院は困難です。にもかかわらず、もともとの計画を止めようとしていない。

[奥能登特有の水道、生活物資の販売の困難]

 黒梅 地震で山が緩んでいたのだと思います。九月の水害でそこが崩れてしまった。とくに能登半島の「外浦」と呼ばれている西海岸の断崖絶壁のところが崩れて、水害で一層水道管が駄目になったのです。「内浦」と呼ばれる富山湾に面したところは水道管が通っているのですが、外側はほとんど簡易水道です。山の湧水を貯めて、殺菌して水道水にして管で通す。今回、水を貯めておくところが壊れ、パイプラインも壊れて、復旧作業の目処が立っていないのです。自治体自身もはっきりした展望を持てないでいる。そこに住んでいる人たちは二回目の避難で、もう遠くの街へ行くのが嫌だということもあり、内浦、東海岸の仮設、それでも二、三〇キロ離れた仮設へ行かざるを得ない。
 そこで問われるのは、法律の弱点なのですが、仮設に入れるのが半壊以上という指定になっていて、それ以下では入れないことです。家は少し歪んでいても一応はなんとか住める、しかし、水が出ないというケースでは半壊にはならず、仮設にも入れない。多くの人たちは親戚や子どもたちのところに行ったりしながら、今後のことを考えているが、先が見えません。こういうことになると自治体の能力を遥かに超えている。国が大規模な作戦を立てて水道事業をどうするかを考えていかないと、人の住み続けられる街ではなくなります。
 生活物資を販売するお店など、その地域にあった小さな商店も全部やられてしまっていて、遠くへ車で買い出しに行かなければいけない状況があります。車を持っていない、あるいは地震で潰れて買い換えるお金もない人、お年寄りが生活物資をどう手に入れるかが問題になっています。だから、そういうところに私たちが訪ねて行くと、先にもふれたように生活物資全般が歓迎されるのですが、重宝されるのが生鮮食料品です。お米と水は絶対必要なのですが、それだけではなく、野菜が高いので、卵、果物、野菜をすごく求められて、なかなか手に入らない。

[雪の季節にどう対応するか]

 井上 これから雪の季節に入っていきます。それまでに道路やインフラの復旧、土砂への対応などできる限りやらなくてはいけない。豪雪期の対応で、臨時国会の田村智子委員長の代表質問への答弁で石破首相は、除雪機械の増強や小型の除雪機の貸し出しなどを政府の経済対策に盛り込んだと言っていましたが、さらに実態にあわせた支援の強化を求めています。
 黒梅 梅雨や夏の豪雨と、いろいろ体験してきましたが、これから先は雪です。どれぐらい積もるか、暖冬が続くなかでわかりませんが、能登にはそれなりに降る地域があります。北陸の雪は水分が多く重いのです。今は山が崩れたり、堤防が壊れたところも土嚢を置いてあるだけで、根本的な工事をやっていません。いつそれが再崩落するかわからない。道路も同じで、でこぼこが酷いところはアスファルトにしたけど、とにかくまだ砂利を敷いただけのところもある。そんなところで冬、雪が積もったとき、どういう事故が起こるかもわからない。それで道がストップになったら、また孤立集落になる。もうたまらないです。
 井上 普段だって、その雪解けの頃に雪崩がおこりますが、今回はとくに危ないです。早め早めの手を打たなければいけないのに、なかなかそういう感じになってない。
 黒梅 幹線道路も、外回りの二四九号線で何カ所か潰れて、通れなくなっているが、県はやっと年内に交互通行だけど住民と救急車だけは通れる目途がついたと言っています。しかし、冬になるとどうなるかわからないという不安付きの仮復旧道路なのです。半島を縦に貫くのと里山海道という県の持っている自動車専用道路も仮復旧で、地元の観光会社がお客さんを乗せて走れないと言っている。カーブして、コブがあるから酔うので、そこは通らない方針をとっている程度の仮復旧です。これで、能登を急速に再興していくという流れに役立つのかと言えば、問題がいっぱいあると思います。

■増大する原発への不安

想定とは違う地震、絵に描いた餅の避難計画]

 黒梅 原発への不安も大きくなっています。能登で地震が起こり、その後も続いていて、奥能登、珠洲の沖の方から西方沖へと震源も変わってきている。今後も起こる可能性があるのですが、能登の珠洲のあたりであれ、西方沖であれ、最も大きく揺れるところに該当するのが志賀町です。能登のどこが震源でも強い震度が出る。そこに原発があるのです。どんなに言い逃れしても、危険極まりないと思います。本当にこれはなくしてほしい。
 井上 北陸電力がすぐに安全宣言をしましたが、七月になって、壊れた変圧器が復旧するのに二年ぐらいかかると発表しました。事実を隠して、安全だ安全だと言って、実は大変なことが起きている。原発を運転する資格が問われています。そもそも北陸電力が再稼働のときに言っていた活断層が連動する想定は九六キロで、それが今回は一五〇キロだった。それ自身がもう想定とは違う。日本海側では新しい断層も発見されている。
 地震列島で安全なところはないし、避難計画がまったく絵に描いた餅であったことも明らかです。いったん事が起きれば大変なことになることがこれだけ浮き彫りになっているのに、政府は老朽原発の再稼働を進め、さらには新増設まで、次のエネルギー計画で入れようとしたわけで、これほどひどい話はないと思います。
 黒梅 原子炉の資材を運搬する隣接する港が損壊しました。それに一カ月以上もかけて修復して、それぐらい地震の揺れがその地にあったというにもかかわらず、原発本体は大丈夫でしたと、重油が少し漏れましたという発表でした。それを直すのに二年間かかるのですから、簡単な壊れではないのです。すべて真相は闇です。彼らが発表することしか私たちは見えないわけだから、本当にひどいです。

■共同センターと日本共産党のとりくみ

[全国からの支援を励みにセンターが貴重な役割を発揮]

 黒梅 この場をお借りして、全国のみなさんには、お礼を申し述べたいと思っています。二月に能登半島地震被災者共同支援センター(共同センター)が発足して、ずっと活動してきましたが、一貫してたくさんの支援物資を届けていただきました。水害後はどんどん増えて、「こういう物でもよろしいのですか」との電話はかかるし、「このお金で支援物資を買って皆さんに届けてください」と、手紙を添えて届いています。「『赤旗』を読みました。頑張ってください」という声もあり、どれだけ励まされたか、ありがたいです。
 今後のことを考えると、こういう地震は全国どこでもあり得ることなので、この経験を生かせるような復興をさせたい。これまで支援していただいた方々に、感謝とともに私たちの決意を訴えたい。
 井上 一一月二五日までの数字でいうと、届けられた支援物資が三三〇トンだそうですね。
 黒梅 すごい量ですよ。
 井上 五キロのダンボールで六万六〇〇〇箱です。ボランティアの数のべ七〇〇〇人、募金約三億円で、その後、もっと増えていると思います。
 みなさんが自分たちで野菜も含めて支援物資を持ってきて、それをいろいろな仮設住宅を訪ねて喜ばれています。その時にいろいろな生の声を聞いて、その生の声が共同センターにも集約されています。自治体にも届け、私たち議員団にもきているのは、貴重です。
 とくに石川は、県が当初「ボランティアは控えてほしい」というような対応をしたのがずっと引きずっていて、豪雨の泥出しは人海戦術であるにもかかわらず、受け入れに必要なことをなかなかやらない。しかも、全国的に活動してきたボランティア団体なども来ているにもかかわらず、みなさんの知恵と力を生かす発想もなければ仕組みもないのです。
 共産党国会議員団はすぐに対策本部を立ち上げましたが、そのなかで政党として民主団体と一緒に現地で共同センターをつくり、いろいろな要望を聞くのに大きな力になってきました。黒梅さんや藤野保史元衆院議員にも本部会議に参加してもらうし、私たちも現地に行って、現地で会議もしたこともあります。それぞれの分野ごとに、現地に視察にも行って、国会のいろいろな委員会での質問などは、もう多分一〇〇回近くになると思います。例えば農業などでも、いろんな支援の策がありますが、なかなかわかりにくいので、当時農水委員だった田村貴昭さんの国会事務所でニュースの原案をつくって、それを現地で使ってもらう。私たちも政府に要請行動もやるし、国会と現地を結びつけるという点では、共同センターが大きな役割を果たしてもらっています。
 黒梅 全国から来られた方が、一番にSNSで発信し、自分たちで会報をつくり、地域の新聞に載せたり、あるいは報告書をつくったりしています。出来上がると私たちに送ってくれ、広がりを感じます。マスコミは報道していないが、見たものはこんなにも違うという驚きが、「これはやらなければいけない」という気持ちになっているのです。
 ちょうど九月二一日、奥能登の水害の日に、岡山の小学校の校長と島根の教育関係者が来て、水害で大変で諦めようかと迷ったのですが、行こうとなって、翌二二、二三日に実際に回ったのですが、その方たちが写真つきでいいレポートを書いていて、そういうものがたくさん生まれています。
 この間、ボランティアが入ってきてくれることを、被災者はたいへん喜んでくれます。ところが、井上さんが言われたようにこういうボランティアを全国に呼びかけて積極的に受け入れていこうという流れが、正直言って石川県は弱い。ボランティアに来てもらって、みんなが喜んで終わらせるのではなく、ボランティアと被災者、それを支える自治体の窓口が連携していくようなあり方を考える時期に来ています。いまは連携がないため、特定の地域に入っている。それが自治体の枠も超えて、能登半島全体で何が問題点で、どう協力していくか、足りない分は回していきましょうとか、そういう連携ネットワークをつくって、やらないといけません。そういう運動と結びついた私たちのあり方が求められているのではないか。われわれ共同センター自身も、あり方を検討し直すべきかなという気持ちがあります。

[共産党地方議員たちのがんばり]

 井上 共産党自身が被災したもとで、すぐに党の会議をやり、まず読者の安否を確認するということからはじめてきました。この間も能登地区は、国民の苦難解決という党の伝統を発揮しながら、毎月読者も前進させています。
 今は地方議員も少ないわけですけれど、輪島の鐙史朗市議は、診療所の職員だったということもあり、医療のことも含めて、よく回って奮闘されて、信頼の高まりを感じます。今、党議員がいない自治体を訪ねて行くと、「ぜひ今度共産党もちゃんと候補者を出して議員をつくってくれ」という声も聞いていて、住民の声をきちんと届けてくれる党だということに対する新しい信頼を感じています。
 黒梅 鐙さんは、新人議員なのですが、大奮闘です。地域からの信頼はものすごく厚くて、いろいろな悩みごとが彼に集中して、体は大丈夫かと思うぐらい奮闘しています。志賀町の中谷松助議員は、原発問題もあるけれど、志賀町はもともと志賀町と富来町が合併して大きな志賀町になったのです。地震の被害そのものは、原発の北側の旧富来町の方に集中したのです。そこの人たちの不満が集中したとき、彼は住民の中に入って丁寧に活動しています。
 共同センターの事務所のある羽咋市の北川まち子前市議は議席をなくしたのだけれど、丁寧に被災者を回って、いろいろな要求で市とつなぎました。かほく市は地震の被害はそれほどなくて、家が潰れた奥能登の人たちがみなし仮設住宅に入っているので、その人たちを支援しようと、高橋成典議員が市に働きかけて、集めた支援物資の「お渡し会」をしました。私たちの支援物資を持っていくのですが、市もいいことをやってくれるということで、事実上共催で市の支援物資も余っているから使ってくれと持ってきてくれたりしています。今度四回目をやる予定です。
 私は共産党の人たちが頑張っていることと、それがつながりを広めていることに本当に感謝しています。彼らがいなければ私たちの活動はもっと困難があったと思います。
 井上 この四年間で、共同センターがある羽咋市議や七尾市議を落としてしまい、奥能登・中能登は地方議員は二人しかいません。残念だと思っています。逆に期待も高まり、何とかしなくてはいけないと思います。

■「大地動乱の時代」に問われること

[地震への「備え」は十分か]

 井上 一九九〇年代から日本は「大地動乱の時代」に入っていると言われます。確かに能登も連続して地震が起きていて、一一月二六日にもM6・6の地震がありましたが、正月の地震とは違う、半島の西側の活断層が動きました。そもそも日本海側の断層はまだまだ明らかになっていません。二〇〇〇年代初めに出した危険度マップでも、能登も、熊本も、鳥取なども全部ノーマークで、熊本だってわからなかった地層が動いたわけです。どこで地震が起きても不思議ではなく、原発再稼働などとんでもない話なのです。石川県の場合は、あまり危ないと強調すると、志賀原発が問題になる。だからか、そういうものをまったく反映しない地域の防災計画が一九九七年度から更新されていません。ですから、今回の震源に一番近い地震の被害として死者七人、避難者二七八一人という想定でした。避難所に指定されている学校にも、わずかしか備品はなく、しかも地震は正月だったので人口が増えていて、あっという間になくなってしまいました。避難計画をきちんとすることと、それにふさわしい備蓄を現場でもやる、今回のような県全体におよぶ被災だった場合にも対応できるように、国としての分散備蓄をしっかりすることが必要だと思っています。
 私は二〇二四年三月の予算委で、避難所の満たすべき基準として国際的に使われてきたスフィア基準を生かすために避難所・避難生活学会が提唱している、トイレ、キッチン、ベッドを四八時間以内に避難所に届けるTKB48を示し備蓄強化を求めました。
 石破首相が所信表明演説で、このスフィア基準を、「発災後早急に、すべての避難所で満たすことができるよう」にするとのべたので、具体的にどうするのか本会議で質問しました。
 それに対し、補正予算で、キッチンカー、トイレカーなどを整備する自治体の取組を支援するための新地方創生交付金の予算を計上したこと、災害時に利用可能なそれら備品を平時からデータベースに登録しておき、発災時の対応に活用すること、国による全国各地への迅速かつ確実な物資のプッシュ型支援を可能とするため現在の立川防災合同庁舎に加えて新たに全国七か所で分散備蓄をすることと答弁がありました。
 さらに内閣府は一二月一三日に避難所運営に関する自治体向け指針を改定し、これまで「参考にすべき規準」にとどまっていたスフィア基準に対応するよう求めています。トイレ、食事、生活空間、生活用水などについてスフィア規準への対応を求め、女性のトイレは男性の三倍必要としています。
 ぜひ全国の地方自治体で、備蓄の抜本的強化や新指針に基づく避難所の改善を求めてほしいですね。もちろん、この基準を今の能登の避難所にきちんと適用させることが必要です。
 豪雨被害があって再び避難所を開設しましたが、結局、元に戻っている。数カ月間もあんなにひどいところに住まわせるなど、世界的にはあり得ない話です。能登であれだけ地震被害があったのだから次はないだろうと思っていたのでしょうか。ふたたび災害が起きたときに、備蓄品が改善されていなかったら大変になることはわかっていたのに、そのままでした。本当に反省がない。ここをきちんとやらせていくことは、能登の教訓からも大事だと思っています。
 さらに体調などを理由に在宅避難を選ぶ高齢者や障害者の実態把握や支援の遅れも問題です。国として、地方自治体の取り組みへの支援の強化とともに、災害救助法の対象にこうした福祉支援を加え、国が費用を負担するようにするべきと求めたところ、首相からは「災害救助法で想定される救助活動に福祉の観点を盛り込み、これを国庫負担の対象とすることを検討いたしております」と答弁がありました。ぜひ実現したいと思います。

[生活と生業の再建、自立への支援─「人間の復興」こそ]

 井上 阪神大震災の際も国と自治体は「創造的復興」の名で、被災者を置き去りにして、神戸空港建設など大型プロジェクトを進め、住民本位の復興が妨げられました。そういう流れの一方で阪神大震災の後には、運動が広がって、被災者生活再建支援法がつくられ、東日本大震災のときには、例えばグループ補助金というものができる。「人間の復興」と表現する研究者もいますが、すべての被災者を対象とした生活と生業の再建、被災者の自立に向けた支援を国の責任で行うこと、それこそが本来のあり方で、儲かりやすい街づくりをするやり方と一貫した対決がずっとある。石川県の知事が早々と「創造的復興」を打ち出したときから、「被災者を置き去りにして開発や交流人口頼みのまちづくりにならないか」とただしてきました。
 財務省は四月に開いた財政制度等審議会で能登について「将来の需要減少や維持管理コストも念頭に置き、住民の意向を踏まえ十分な検討が必要だ」「被災地の多くが人口減少局面にある」としています。要するに、そのような人が減るところに金をかけたくないと露骨に言っています。金をかけないようにする、人間の姿が見えないようなことになっていっているのが、今の局面としてあると思います。
 今、一方的に「自立」を強いて支援を縮小する動きが強まっていますが、能登の特質を考えたときに、これまで以上に人間を中心とした、そこに住んでいる人が主人公の復興をやらなかったら、もう人口流出は止まらない。
 住んでいるみなさんの暮らしを再建するためにも医療や生業もきちんとできるようにしなければいけません。生業関係では、東日本大震災ではじまったグループ補助金以前に、二〇〇七年の最初の大きな能登地震があったときも、輪島塗に対して、基金を使った補助制度をつくった経緯もあります。今回、国の支援で県としての基金もつくられたわけで、そういうものを活用した、思い切った従来の枠にとらわれないような支援をすることが必要なのだと思います。輪島塗でいうと、仮設工房も国の制度でつくられましたが、さらに一つひとつニーズを聞いてやっていく。
 黒梅 輪島の朝市はとても重要で、観光客に有名で喜んでもらえるということもありますが、地元のおばちゃんたちなど、自分でお店を持つまでもない人たちが、自分でつくった物を持ち寄って露天商でやるという地域の大事な生業なのです。あそこが街ごとダメになって、どうやって復興していいかわからないでいる。地面を持っている人たちだけではなくて、道路を借りて露天商をやっていた人たちに向けて復興計画づくりをやらなければいけないと思います。
 地震で隆起して外回りの海岸の漁港が全滅しました。輪島の港も隆起したのですが、あそこはもともと広くて深かったので、輪島港の一部だけが船は出入りできるという状況です。今、輪島港だけが少し掘り下げて、漁港として復活できるように進められています。それ以外は全部、対策は今のところはなく、立てられないままでいます。漁民が生業をなくしてしまった。
 また、もともと能登は林業が盛んでした。檜の一種の翌檜で林業が栄えた。それが国の政策転換で林業はほとんど放置です。ただ植えただけで手入れしていないものだから、今度の水害で山崩れの大きな引き金になっているのです。
 あとは農業です。狭いですから、農業も、他県へどんどん出すというのではなく、地産地消で自分のところで使うことを中心としたものです。そこでつくったお米や野菜が美味しいから、民宿があれだけ流行っているのです。美味しいからみんな来る。景色だけではなく、食べ物、人情もいい。一次産業の農業、漁業、林業、それに能登牛というものがあり、少ないけれど牧畜業もある。ところが今度隆起と山崩れで、それらが壊滅的で、ひどい状況です。
 ここをどう立て直していくか。第一次産業はもうしようがないという国の今のやり方では能登は復興できない。このことを私は訴えたいです。
 井上 半島という所の地理的困難な状況はあるのだけれど、だからこそ培われてきた伝統や文化、産業があるわけで、農業や漁業は能登だけでなく金沢市も含めて石川県の観光の魅力です。今はほとんどの旅館が休業している和倉温泉の再建もそうです。合わせて、輪島塗や珠洲焼き、今度、日本酒が世界遺産になったけれど、美味しい日本酒もあります。それがトータルで石川県の魅力です。第一次産業、観光、全部一体のものとして再建するということでやらないと、未来が見えてこないと思います。
 黒梅 今、お酒の話が出ましたが、能登杜氏は有名です。能登の農家の人が冬季の出稼ぎのような形で、能登杜氏になって関西の酒造りに行く。もちろん能登の地酒造りの杜氏もいる。すごい伝統の力を持っているのです。そういうものがいっぱいある。
 そういう人たちが「おらの地域だ」と結集するのがお祭りです。キリコ祭りなどいろいろあり、それもちゃちなものではない。輪島塗の立派な柱を立てた山車やキリコ、そういうものを大事に守って、お盆にみんなが集まったときに爆発するエネルギーでお祭りをする。そういう祭りがあるから、「おらのところはほかと違うんだ」とプライドを持って地域を守ってきたわけです。それが今存続が危ぶまれているのです。今年いろんな事情でお祭りができなかったところはたくさんありましたが、今後もできるかどうかまったくわからない。古い歴史や独特の風土、そういう文化をどうやって守っていくか。重要文化財とか、そういう建物がたくさんあるわけで、守る責任は国です。自治体では無理なのです。

■今後の能登に大切なこと

[施策がどう行き届いているのかを見てほしい]

 黒梅 国も、県も、確かにいろいろとお金を出してくれ、何回か首相も来ましたが、私たちとしては、国がやっている施策がどう行き届いているのか、足りない物は何かを見るうえで、もっと来てほしいと思います。被災者のみなさんは、「県知事も含めてなぜ来ないのだ。市長も県知事も大臣も首相も、もっと来てここを見てほしい」と言っていて、「私たちを見捨てるのか」という思いがある。国には施策がどうなっているのかを確かめに来てほしいのです。それが今後の力にもなっていくと思います。
 井上 初期段階で知事があれほど現地に入らなかったのは、異常でした。
 黒梅 県知事が行かないから、市長、町長も行かない。住民はものすごく不満で、私たちと近しくなった現職の保守系の議員の方が、「あの町長では、私は恥ずかしい」「あなたたちは本当よくやってくれる、ありがとう、ありがとう」と言ってきてくれました。
 井上 従来の国の制度の枠内でそれをどう当てはめるのかという発想から出ないのです。現場の状況は、災害によっても、地域によっても違います。その現状の解決のために、制度をどう柔軟に当てはめるか、足りなかったら制度をつくれと求めるという発想ではなく、上を見ていて、これが遅れの原因になっている。
 黒梅 現場にしてみれば、自治体が、「今の法律ではできません」と、切り捨てるだけの判断しか言わないから、みんな怒ってしまうのです。役人の方も被災者から文句を言われるのが嫌だから、何回も来る住民は、シャットアウトして会わないようにするという感じです。矛盾は現場で激突しているのです。創造的復興というが、被災者、その地域の人たちの思いを基にした創造という発想ではありません。まったく別のところに住んでいる学者や研究者が集まって、創造的と表現して、離れたところに新しい街づくりをすると平気で言い出す流れになっている。私はこのままでは絶対によくないと思います。

[要求でたくさんの運動をつないで国を動かす]

 黒梅 今そういう流れに対し、金沢大学の社会保障の井上英夫名誉教授が地域の活動家に呼びかけて、県の復興プランに対する提言をつくって県に申し入れました。賛同を広めようと、今運動をやっています。
 私も、そういう運動をもっと広げたいという思いのなかで、一月二六日にコンサートを開くことにしました。それも実行委員会方式でやる。最初は共同センターが主催してやろうと思ったのですが、この取り組みを通じて、さまざまな人たちとのつながりが新たにでき、今後の運動にもつながっていくようなものにしていきたいと考え、実行委員会で開催し、実行委員長に井上英夫さんになってもらったのです。クラシックの演奏家が手弁当で来てくれ、能登中島でクラシックコンサートをします。被災地のみなさんは無料で招待し、バスも出します。お金がかかるけれど、全国からいただいたカンパや私たちの頑張りでやる。つながりのある人たちからさまざまな紹介を得て、今後一緒にやっていきましょうねとエール交換をしながらやりたいということを、今計画し、成功させたいと思っているのです。
 井上 業界団体や組合などとのつながりに踏み込んで運動することを強める必要があります。輪島の朝市や、珠洲焼きとか酒造組合なども、義援金を持って訪問して懇談し、喜んでいただいたのですが、その後系統的に何が今ネックかなどを聞いたりすることがまだまだ不十分で、そのへんが一つの課題です。
 黒梅 私の思いは、とにかくいろんな要求が出ている、その要求にどう寄り添っていくかということです。大変保守的な地盤で、我慢強さのなかで耐えてきたという感じで、運動を下から、地域から連携して、起こしていかないといけない。そのなかでこんなやり方では住めない、政治がおかしいのだということに気づきながら変えていく。要求と一体になった運動が絶対必要だと思います。
 私たち被災者共同支援センターは、私たちの持てる力量、事情もわかっていたので、まず被災者の生活を支えようと、支援物資と集めた募金で必要な物を届けること、被災者に寄り添って要望を聞いて励ましていこうとやってきました。聞いた要望は自治体や国会の議員団に届けてきた。しかし、これだけではダメだなと感じています。要求を被災者と一緒になって実現させていく、つないでいく運動が起こるような方向、あり方を検討しなければいけないのではないかと強く思っています。
 井上 党の地方議員も今は少ないということもあって、被災者と一体となって運動を強めて国も含めて動かしていくことが、今後、大事かと思います。
 黒梅 要求をどこかに届ける運動──簡単な署名運動でもいいのではないかと思っているのですが──を起こして、私たちもそれを支援して一緒にやる流れのなかで、つながりの芽をつくっていきたい。
     *     *     *
 黒梅 ほかの政党が被災者のなかに入っているのが見えないなかで、藤野さんをはじめ共産党が本当に丁寧に頑張ってくれたので、何とかと思っていただけに、衆議院選挙はほんとうに残念でした。しかし、結果的に自民党が石川県のなかでも票を減らし、議席も奥能登で立憲民主が取ったという流れは、しっかり見なくてはいけないと思っています。参議院選挙では絶対勝ちたいです。共産党の躍進は私にとってもとても大事なテーマです。
 井上 党利党略を優先させて衆議院選挙を強行したわけです。国民の命、暮らしを守ることを横において、その一方、裏金をつくったりしていたことに対する怒りが、石川でも示されたし、全国でも示されたと思います。
 臨時国会が始まり、石破首相は、神妙な態度をとる場合もありますが、反省がありません。この間の論戦を見ていても、企業・団体献金は禁止しない、「何が悪いのですか」と居直っています。財界の方を向いたり、アメリカの方を向いたり、そういう政治の矛盾が一番今、住民を中心とした復興をすることに反するものとして、くっきり浮かび上がってきている。
 そのことに審判を下すのが参議院選挙だと思っています。衆議院選挙はそれほど投票率が上がりませんでした。今の自民党の裏金政治はおかしいと感じていても、この間の一強政治で、何を言っても届かないとの諦めも国民のなかにあり、投票率が上がらなかったなかで、自民党離れが議席的に自民党を減らすことになったのです。
 臨時国会のあいだも、私学助成の集会、保育の配置基準や待遇改善の全国集会、選択的夫婦別姓で国連の女性差別撤廃委員会の審査の報告集会、「紙の保険証を守れ」という集会などが連日おこなわれていました。そこでは椅子が足りなくなるなどの事態がありました。毎年やっている集会でも明らかに参加者が多くて熱気がある。この新しい状況のなかで、願いを生かすことができるという思いが広がっているのです。それに応えることによって、自分たちが声を上げたら政治が変わるという確信をみんながつかんで、今度は共産党が議席を伸ばすことによって、もっとこれを前に進めることにできるかを訴えていきたい。
 新しい状況のもとで、みんなの願いを実現するために、どれだけ頑張れるかが、共産党も問われるし、各党も問われると思います。それを通じて、何としてもこの新しい状況をさらに前に進める。能登にも国民全体にも希望が与えられるような政治をつくるためには、負けられないことも改めて今の臨時国会の様子を見ていても、ひしひしと感じるところです。ぜひ頑張りたいと思います。

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