・「大震災と国家緊急権」をテーマに参考人質疑。震災に便乗して改憲と結びつけることの道理のなさが浮かび上がりました。
- 井上哲士君
日本共産党の井上哲士です。
今日は、大震災と憲法、国家緊急権というテーマでありますが、私どもの憲法九条に関することについて、制定当時の国会の議論の引用とか、また当時発表した憲法草案についての資料の提示も行われております。
一言だけ申し上げておきますと、当時いろんな党が案を出す中で、我が党として出したり議論をしたものでありますが、現在や今後の我が党の行動をこれを基準に図るものではないということは繰り返し明らかにしておりますし、二〇〇三年にたしか西参考人が憲法調査会時代に来られたときにも同じように申し上げているはずなんですが、また持ち出されるのはちょっとテーマからいってもいかがなものかということは申し上げておきたいと思います。
その上で質問をいたしますが、震災の政府の対応が不十分だということと絡めて改憲の議論があるのは、私は震災便乗だというふうに思っておるんですが、政府が行った、設置した事故調査・検証委員会の中間報告見ましても、その中で指摘されているのは、非常事態権限の欠如が招いたというよりも、現行の法や制度が本来予定していた組織や機能が適切に機能しなかったとか、それから権限が有効適切に行使されなかったことに問題があるという指摘をしているわけですね。
両参考人にお聞きしますけれども、今回の震災と原発事故について、憲法に非常事態条項がなかったことで政府として対応ができなかったという問題があるとお考えか、あるとすれば具体的にはそれはどういうことだったのか、お示しいただきたいと思います。
それから、憲法制定時には、やはり非常事態というものは想定をしたが、いわゆる条項については盛り込まなかったというのが高見先生からもお話がありました。
憲法制定議会のときの当時の担当大臣の金森徳次郎氏は、緊急勅令及び財政上の緊急処分は、行政当局にとりましては実に重宝なものであります、しかしながら、重宝という裏面におきましては、国民の意思をある期間有力に無視し得る制度であるということが言えるのであります、だから、便利を尊ぶか、あるいは民主政治の根本原則を尊重するか、こういう分かれ目になるのでありますと、こういう答弁をして、結果としてこの民主主義の根本原則を尊重する方式を取ったということだと思うんですが、私は、こういう当時の国会での議論は非常に重いと思うんですが、こういう結論に至った背景、そしてこういう結論に至った評価について、まず高見先生、どうお考えかと。
それから、西参考人については、これに関連して、先ほど、今回の震災、原発事故においてもいわゆる緊急事態などを使うべきだったと。それは対外的な意味とか自衛官のモラールにかかわる問題だということは先ほど御答弁もあったと思うんですが、そうしますと、一旦憲法に緊急事態条項というのを設置をすると、自衛官のモラールとか対外的な意味という理由において、国民の人権を制限したり国会の立法権を一時停止をするということにつながっていくんではないかと、そういう危険性を私は逆に示していると思うんですけれども、その点いかがでしょうか。
以上です。
- 会長(小坂憲次君)
それでは、高見参考人からお願いいたします。二問ずつということですね。
- 参考人(高見勝利君=上智大学法科大学院教授)
二ついただきましたけれども、一番目の問題ですけれども、要するに、憲法上何か問題があったのかと、今回の事態との関係でですね。これは私、報告で申しました中でるる申したことと関係しますけれども、要するに、問題はなくて、やはり運用できっちりいけたはずなんだけれども、ですから運用がうまくいったのかどうかというところは、これは大いに検証しなければいけないところであるというふうに考えております。
それから、二番目の問題ですけれども、金森徳次郎の緊急勅令であるとか緊急財政処分ということでやることは、やはり、これは明治憲法の下でそういう制度ができておりましたけれども、問題があるということで現行のような制度になったということですけれども、それはそのとおりでございます。
その背景を少し申しますと、憲法を作るときの基本的な理念というか考え方というのは、これはポツダム宣言に出ておりますけれども、民主主義の復活強化という言葉を使う、復活のところはここでは申しませんけれども、民主主義を強化するということであったわけですね。民主主義の強化ということで、何を意味したかというと、議会の権力が弱過ぎたから議会が強くならなければいけない。つまり、その限りでもって政府をコントロールするような、そういった統治システムをきっちり整えなければいけないということであったわけです。ですから、そういう中で、政令ですね、緊急政令のようなものを政府が独自に立法権として行使することについてはこれは非常に問題があるという、多分そういう文脈の中で金森さんのこの意見というのは出ているということでございます。
一例を申しますと、今日お話ししました、じゃ大災害が東京で起こったときに、議会がないときにどうすればいいのかというときに、最初に日本が持っていったのはこの緊急政令でもって対応するということだったわけです。緊急政令だけで対応するのはまずい、それは駄目だということで、だから法律によって政令に委任した上でやりなさいということだったわけですね。そうしなければ議会優位の形で運営ができないからだということです。ですから、そういった背景があってこの金森意見というのは出ているということでございます。
- 参考人(西修君=駒澤大学名誉教授)
ありがとうございます。
私も、二〇〇三年に何を持ってきたかちょっと覚えていませんけれども、あるいはこれとは違った資料だったんじゃないかなと思ってもう一度これを持ってきたということでございます。
そこで、今先生、当時の状況で適切に機能しなかった、これは先生も全くそういう御指摘ですから、私もそういう意識を持っております。ただいたずらにいろんな会議を設けたとかそういうことで中央の情報に、指令がきちんと把握できなかった、いろんな問題点があるという点で、先生のおっしゃる適切に機能しなかったということはそのとおりだと思います。
そこで、憲法にそれがなかったためにそうなのか、あったためにどうか、いろいろ御質問かと思いますけれども、今回、一応憲法がなくてもそれなりの対応ができたわけですけれども、ただ、やっぱり意識が違うんじゃないかと思います。憲法に規定があるということになると、ふだんから、憲法に規定があるわけですから、そういう危機意識、危機管理認識、そういうものはやっぱり違うんじゃないかなというふうに思います。ですから、今の憲法がなかったからといって対応ができなかったということに直接にはならないかもしれませんけれども、対応する意識、認識、これがやっぱり違ってくるんじゃないかなということを申し上げておきたいと思います。
それからもう一つ、御懸念の緊急事態条項を入れることによって国民の権利が制限されるんではないか、そういう御懸念でありますけれども、これは国会のコントロールだとか、あるいはもう今マスコミもいろいろ発達をしているわけでありますから、そして私は国民意識もかなり成熟してきているように思います。そういう中で、ただ政府が制限できるというわけでもない。そういう意味においても、まずは何ができるのかということをきちんとしておく。
そういう意味においても、一つは、憲法とかそういうものに規定するということは、政府を規制するそういう規範になる、そんなようなことにもなってくるんじゃないか、私はそんなふうに思いますけど。