被爆2世の井上さとし参院議員は「核兵器を無くす」を政治活動の原点の一つにしています。原爆投下から68年。高齢化する被爆者や支援者の大きな期待を背負い、国内外で奮闘しています。
「参院選で当選してください」。遠藤幸子さん(74)=名古屋市名東区=は昨年12月、亡くなった夫のネクタイを形見分けとして井上議員に手渡しました。夫・泰生さん=当時(83)=は、50年以上被爆者運動に携わってきた愛知県原水爆被災者の会(愛友会)の名誉事務局長。くしくも井上議員と同じ広島県立国泰寺高校(旧広島一中)の卒業生でした。
井上議員は愛知県内の演説会で、このオレンジドット柄のネクタイを締めて訴えました。幸子さんは「ネクタイは先輩から後輩へ、たすきリレーの気持ちを込めて渡しました。原爆症認定集団訴訟で連戦連勝しても、行政に変化が見られません。決して謝らない国の姿勢を変えさせるよう、国会で粘り強く追及してほしい」と期待を寄せます。
国は集団訴訟の連敗を受け、原爆症の新基準をつくりました(2008年)。認定は増えたものの、3年目から逆に却下が増え、10年度は認定1400件に対し、却下は5000件に上りました。
井上議員は昨年3月、参院予算委員会で原爆症問題を追及。裁判所が認めたケースでも行政が切り捨てていると指摘し「司法と行政の判断のかい離をただせ」と迫りました。当時の小宮山洋子厚生労働相は、かい離を認め「おっしゃる趣旨で(見直しを)指示している。可能な限りのことをする」と答えました。
井上議員自身が被爆2世と自覚したのは、実は30歳をすぎてからでした。「ある日、母が『被爆者手帳を取ってきた』というんです。それまで全く知りませんでした。姉が結婚するまでは、と伏せていたのです。そういう思いを持たせるのが放射能なんです」
被爆体験の継承を、井上議員は「今日の聞き手が、明日の語り手に」と表現します。故・前座良明さん(元長野県原爆被害者の会会長)が自著の題名に使った言葉でした。09年の前座さんの葬儀の席で、井上議員は「核兵器廃絶と被爆者援護のご遺志を継ぎ、『語り手』となって頑張る」と決意しています。
国会では政府に、核兵器廃絶の先頭に立つよう繰り返し求めています。注目は、10年5月の参院外交防衛委員会。当時の岡田克也外務相が〝日本共産党の活動に感謝〟する一幕がありました。
直前にニューヨークで開かれたNPT(核不拡散条約)再検討会議に参加した井上議員。世界で反核運動が大きなうねりをあげているのに、なぜ日本は首相や外務大臣が来ないのかとただしました。
岡田外務相は「共産党の志位委員長、(井上)委員ご自身も出席されて非常に有意義な意見交換をされたこと、日本としての存在感を示すことにもつながりました。感謝申し上げたい」。
ただし、核兵器廃絶の先頭に立つとは言いません。「アメリカの戦略核の拡大抑止がいらない、という議論までは行っていない」(岡田外務相)と極めて消極的でした。
被爆2世として被爆者運動に携わる日本共産党の大村義則・豊田市議は、政府の姿勢を「日本が変われば世界の反核運動が一気に進むのに、被爆国でありながら運動のブレーキ役になっている」と批判します。
「被爆体験を語れる人が亡くなっていく中、核廃絶の願いを引き継ぐ責任があるのは私たち2世だと思っています。国や世界相手に訴える井上さんの議席は、被爆者運動の上でも欠かせないのです」
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井上議員は、昨年結成された京都「被爆2世・3世の会」の呼びかけ人の一人としても活動しています。
(了)